きみのてをとる「あーっ」
間の抜けた悲鳴、のようなものがどさりと降ってきた。
「…何だよ?」
ソファの背もたれからのけ反って聞き慣れた声の主を仰ぎ見ると、案の定暁人がいつもの“呆れた”という顔でこちらを見下ろしていた。眉間のシワが深い。これは来るぞ、と思う間もなく、
「駄目だよKK、それそのままにしちゃ!いつも言ってるじゃん!」
鋭く小言を発すると相変わらずの素早い動きでオレの目の前まで大股に歩み寄り、膝をつく。目線がかち合う。怒ったような拗ねたような、見飽きたほど見た茶色の目がこちらを睨み付けていた。
元々吊りがちの目が更に吊り上がり、威嚇する猫を想起させた。思わず少しばかり怯む。コイツはこうなったら退くということを知らない、というのもあるが。
「手は?洗ったの?ちゃんと消毒した?何にやられたの?マレビト?転んだ?もう、なんでそのままにしておくんだよ!」
「ちょっ…待て、待て!そんなにいっぺんに答えられるか!」
グイグイとオレに向かって詰め寄ってくる暁人を押し退けようとした右手がガッチリと捕まえられる。しまった。そうしてオレの右手を捕まえたままこちらを見上げるかたちになったコイツの目は…正直色んな意味で苦手だった。どうしてか胸の奥がざわついてしようがないからだ。
「消毒するから。待ってて。」
「…分かったよ」
ゆっくりと暁人が立ち上がる。それを追って目線を上げていく。コイツも目線をオレから離すことは無い。しばし、そのまま見つめ合う。何をするでもなく、何を思うでも無く。
「――待ってて。どこにも行かないで。」
まるでガキに諭すように言って、暁人が足音も立てずに救急箱を取りに走る。
「…どこにも行きゃしねえよ」
オレがオマエを置いてどこに行こうって言うんだ、と口の中で呟く。呟いてから、はたと考える。オレが暁人を置いて行く、ということを。どうしてそんなありえないことを。そうだ、そんなことはあり得ない。
どこからか湧いてきたモヤモヤとしたものを胸に抱えて唸っていると、いつの間に戻って来たのか暁人が怪訝そうな顔でこちらを見下ろしていた。
「…大丈夫?」
「なんでもねぇよ」
ならいいけど、とテーブルに救急箱を置き蓋を開け、消毒液と包帯と絆創膏と…見慣れた物が取り出されていく。よく動く長い指が所作ごとにまるで別の生き物のように滑らかに蠢いて、それにしばし目を奪われる。
「手は洗ったんだよね?」
ゆったりと柔らかい手付きでまるで大切なものでも扱うかのようにオレの手を取りながら、暁人が顔を覗き込んでくる。
震える長い睫毛に縁取られた猫を思わせる目とその顔を近くでじっくり拝むと、コイツ、自分で自分の顔をまともに見たことが無いんじゃないのか、と思う。同性のオレから見てもこんな整った顔をしているという自覚が無いんじゃないのか、と。
――わざわざ言ったりはしないが。
「オマエに耳にタコが出来るくらい言われてるからな」
「なら良し」
「オレはガキかよ」
フッと息をついて、脱脂綿に含ませた消毒液をほんの小さな傷に当てる。それが染みるということもないほどの、本当に些末な…傍目には見てもわからないほどの傷。これがどうしてかコイツはえらく気になるらしい。本当に、よく気付いてくれるものだと感心する。
「…痛くない?」
「大丈夫だ。いつもありがとよ」
空いている左手で頭を乱暴に撫でてやる。
「ちょっ…と、止めてよ!」
満更でもなさそうに笑いながら暁人が身を捩る。