正しい既成事実の作り方「伽羅坊、ちょっと話をしてもいいだろうか」
鶴丸国永という男がそんなことを言い出したのは、大倶利伽羅が部屋の灯りを消しもう寝てしまおうと布団に入ったときのことだった。
そんな風に話を切り出す前に、まず部屋へ入るときに声を掛けるなど少しは気を遣って欲しかったものだが、まあ、この男に言ったところで無駄であることを大倶利伽羅は長い付き合いで理解していた。
大倶利伽羅は寝る前にその日の後片付けと明日の支度をしっかりと済ませてから寝床に入るタイプである。今日は長期遠征から帰還後、眠気を堪えながらも報告書を書き、久方ぶりの非番も昼まで寝過ごすことがないようアラームをセットし着替えや洗面用具も枕元へ置いていた。朝に弱いと自覚があるから、どんなに眠くとも寝る前に翌朝の準備はしておく方なのだ。そうしてくたくたになってようやく瞼を閉じたころ、唐突に鶴丸は大倶利伽羅の部屋に侵入し布団に入ったままの大倶利伽羅へ馬乗りになったあと、こう言ったのである。
――伽羅坊、ちょっと話をしてもいいだろうか。
到底、話を聞いてもらいたい態度ではない。この男ときたら、いつもこうだ。大倶利伽羅が反応しようがしまいが、一方的にまくしたて、うんうん頷き満足して立ち去っていくのである。特に相槌を求めていないのであれば壁にでも向かって話せばいいものを、それでは面白くないらしい。大倶利伽羅に話したところで面白くなるようなものでもないと思うのだが。
大倶利伽羅は考えを放棄した。眠いのだ。暖かい布団に入るのも数日ぶりのことだった。大倶利伽羅はどんな寝床であろうと文句を言ったことはないが、やはり自室の布団で寝るのが一番好きなのだ。返事もせずに再び瞼を閉じた大倶利伽羅の頬を、鶴丸は容赦なくぺちぺちと叩いた。もう少し容赦のない祇園だったかもしれない。そこまでされてしまえば、流石に大倶利伽羅といえど無視をするわけにはいかない。
「……なんだ」
「既成事実を作りにきた」
「……なんて言った?」
「既成事実を作りにきた」
鶴丸が繰り返した。
大倶利伽羅は思わず頭の中の辞書を引いた。眠いせいか、あまりうまくはいかなかったが。
「既成事実とは! 既に起こっていて変えることのできない事実をいう!」
頭の中の辞書が捲れない大倶利伽羅に代わり、鶴丸は答える。うるさい。
「まて」
大倶利伽羅は鶴丸の発言に異を唱えた。
「まだ起きていないが」
「起きていないな。これから起こすからな」
「宣言してからやるものなのか」
「わからん。俺も既成事実作るの初めてだし」
大倶利伽羅も既成事実とやらを作ったことは一度もないが、少なくともこんな道場破りのような勢いでくるものではないと思う。
呆れ果てる大倶利伽羅に、鶴丸は、ち、ち、と指を振った。
「物事は理屈通りにはいかないのだよ、伽羅坊。俺も、なんかこう、今日唐突にひらめいたんだ。そうだ、既成事実を作ろう、とな」
理屈はともかく、この男はもう少し筋道をつけて話をするべきである。
いつもいつも、鶴丸は一を説明したら二を説明する前に十に飛ぶ。本人の中ではしっかり考えた末の行動なのかもしれないのだが、鶴丸の頭の中は複雑怪奇で、大倶利伽羅は長い付き合いであってもどういう考えのもと鶴丸が行動しているのか把握するのに苦労してしまう。
もしかしたら鶴丸にもよくわかっていないのかもしれない。とにかく、衝動のまま行動し、それが正しいと信じている。おかげでそばにいる大倶利伽羅が苦労する羽目になるのだ。
「だいたい、既成事実といってもなにをするつもりなんだ」
「それは今から考える」
大倶利伽羅はあまりの鶴丸の傍若無人っぷりに天を仰いだ。仰向けなのだから最初から天を仰いでいるともいえるが、心境的に。
永い時間を生きてきたわりに、鶴丸の内面は子供らしいを通り越し幼いところがある。よくこの純朴さが失われずにここまできたものだと舌を巻くが、無邪気は時に邪気の塊よりもタチが悪い。
「……………………、」
「ん、なにか言ったか?」
ぼそりと呟いた大倶利伽羅に、鶴丸は馬乗りになったまま大倶利伽羅の口元に顔を寄せた。
大倶利伽羅は布団の中から腕を出した。鶴丸の後頭部を鷲づかみにし、そして。
「…………………………」
「…………………………」
「……………………え?」
飛び上がった鶴丸は口元を押さえた。
「え、え、え、え」
暗い中でも鶴丸の顔が赤くなっていくのがわかる。この程度に動揺するくらいでなにを大倶利伽羅にしようとしていたのか。
こういうとき、なんと言えばいいのか。ああそうだ、と大倶利伽羅は眠い頭で考えた。
「責任は取る」
「ひえっ!」
鶴丸は再び飛び上がり、そのまま大倶利伽羅の上からも逃げていった。自分から部屋に乗り込んできたわりに、あんまりな態度である。戦場の勇ましい背中からは到底想像もできないほどに情けない姿だった。
「こ、こ、こ、これで勝ったと思うなよ!」
やけに三下の悪役のような台詞を吐き捨てて、鶴丸はそのまま部屋を飛び出していく。せめて戸は閉めていって欲しい。容赦なく入ってくる冬の冷たい風も、大倶利伽羅の眠気を覚ましてはくれない。諦めて布団から這いだし戸を閉める。布団に戻ったころにはもう瞼は開かなかった。
とんでもない夜だったと大倶利伽羅は息を吐く。鶴丸に振り回されるのは今日に限ったことではないが、流石に疲れたし呆れ果てた。
一月の長期遠征で逢えない日が続いた寂しさを珍妙な考えの末に既成事実で埋めようとするのなら、さっさとまともに告白くらいしてくればいいものを。