みかさんとお話ししてたななごのネタを書きました!
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お腹減ったー、とベッドの上で長々伸びているのは七海の可愛い恋人だ。湿った白い髪がひと束、なめらかな頬に貼りついている。しっとりと潤んだ肌の上にはまだ玉の汗が光っていて、身動きのたびにつるつると零れて流れる。気怠げに半ば閉じた瞼の皮膚は薄くて繊細で花びらのようだ。羽のように生えそろった睫毛の伏した影の下、目の醒めるような彩度の高い青い瞳が呆然と虚空を見つめている。泣き腫らして白目も目の淵も赤く染まっている。くちびるも吸われてぽってりと、赤みが増している。
そんな悩ましい姿で訴えるのは空腹だ。七海はため息をつきながらスマホを手に取った。
「もうデリバリーで構いませんよね」
「えー」
「えー、じゃありませんよ。これから買い物に出ろとでも言うんですか?」
確かに少し前までは七海も買い物に出るつもりだったのだ。
二人揃って取得した休暇に特にどこに出かけるでもなく、七海の自宅でダラダラと、朝っぱらからケーキを食べながら映画を見たり、真っ昼間からワインを傾けながら本を読んだりと気ままに過ごし、そろそろ晩御飯の時間だねと言うものだから、材料を買いに近場のスーパーに出るくらいは動く気もあった。
あったのだけれども、七海の本棚から勝手に取り出した料理の本を広げてワクワクした表情を見せる年上の恋人は相変わらずちっとも年上に見えない。無邪気にページをめくり、これが食べたい、いややっぱりこっちと、さながら好物をねだる子供のようで、さしずめ七海は母親ということになる。七海は特段それに不快感はなく、ねだられるのも甘えられるのももう慣れたもの、一日のうちに一食ぐらいはまともなものを食べたいし、自分で作るのは自分好みの味付けができるのでやぶさかではない。
だからそう楽しげに料理の写真を次々見比べているのを後ろから覗き込んで、
「アボカドはありますが生食用のサーモンがありませんね」
だとか、
「スモークチーズなら美味しいものを買ってますが、ブラックオリーブパウダーなんて流石に常備してませんよ」
だとか、相槌を打っていた。
見ているのはスモーブロー、要するにオープンサンドだ。パンならお気に入りのものが買い置いてあるし、あとはいくつか食材を買い足せばいい。料理本には北欧らしく魚にグレープフルーツなどの果物を合わせたりしているけれど、きっと物珍しさに一口食べたあとは変な味と舌を出して文句を言うだろう。七海はそう想像をして、いっそ手巻き寿司のように自分で食材を乗せて食べるスタイルにしようかと考えた。それは楽しい食事になりそうだ。
「ズッキーニにチェリートマト、それから温玉も美味しそうですね。いつも通りアテにアヒージョも作りますがご要望は? それとも、五条さんはやっぱり甘いもののほうが良いですか? ティラミスとアイスクリームくらいならすぐ作れますよ。お好きでしょう?」
といろいろ提案をしてみたのだけれど、どんどんと反応が薄くなる。肩越しに見下ろしたら、空色の目はもう雑誌のページも見ていない。明後日の方向を向いて、顔を背けている。黒いスキニーパンツの膝をもじもじと擦り合わせている。
目の前にある耳は、ほかほかに温まっていて、湯気まで立ちそうにピンク色だ。いつの間にやらすっかり食べごろの焼き加減だから歯を立てたら
「ひぁッ」
と間抜けな、けれど声音はすっかり色っぽく昂った悲鳴が上がった。
「何、勝手にソノ気になってるんですか」
「いや、オマエ! 耳元! 近すぎ!」
両手で耳をガードしてウサギのように飛びのこうとするのを捕まえて、連行して、望み通りに耳元で卑猥に囁き続けながら可愛がってやったらもうこんな時間で、今から料理をする気になんてなれるわけがない。
スモーブローのデリバリーなんて都合のいいものがすぐに見つかるわけもなく、フォカッチャサンドを取り扱っているイタリアンの店で適当にオーダーし、ナイトテーブルにスマホを置くと、すぐ横でぐったりとしどけない寝姿を晒している麗人は
「デザート、全種ね」
と尊大に宣う。
「オーダーしておきましたよ」
「さっすが七海、わかってるね」
七海もまた体を横たえる。七海自身もまだ汗は引き切っていない。濡れた肌同士を擦り付け、背中側から抱きすくめると、色めく笑い声が腕の中から忍び漏れる。無邪気なほど楽しげで、けれどすっかり房事に馴染んだ厭らしさを孕んでいる。喉や鎖骨、胸や腹を撫でまわし、脚の間にも手を入れると太ももできゅっと挟まれて捕まえられて
「ダーメ、キモチヨくなっちゃうだろー?」
とまた楽しそうに笑う。七海は太ももの間から手を引っ張り出し、今度は腰を掴む。
「甘いものばかり食べて、太っても知りませんよ」
「ざーんねん、僕、食べた分ちゃんと消費してるんで〜」
「先日もビュッフェで九十分休みなくケーキを食べ続けてましたよね。実際驚きましたよ、時間制限目一杯ずっと口を動かすなんて思わないじゃないですか」
「七海、サンドイッチとパンケーキしか食べてなかったね」
「アラサーなんですからそろそろメタボにも気をつけられたほうが? 腹囲もチェックして差し上げますよ」
「ヤーだ、結構でーす」
腹を撫でて臍を見つける。指先を出し入れしたら色っぽい鼻息が漏れた。その位置から両手を使って腰回りの長さを測る。
「覚えましたからね。このサイズから変動したら、甘いものは禁止にします」
「イヤですー。僕は好きなときに好きなもの食べます〜」
「食べた分をきちんと消費しているならそんな約束をしても平気でしょう?」
腹を撫でる。内腿を撫で、耳を噛む。耳の穴に舌を押しこんで濡らし、息を吹き込むようにして
「アナタ、前から思っていたんですが燃費が悪いんじゃないですか? あれだけカロリーを取ってコレだなんて、無下限と反転術式を回し続けるのって、エネルギー消費激しいんですね」
と煽ったけれど、軽口の応酬は七海の攻撃で終了だ。悪ガキのようにふざけていたのがもうすっかり大人の顔で、反論するどころか湿っぽい息を吐いて切なく眉を曇らせるだけ。そうなるとまるで楽器のように七海の思うままに声を上げさせることができるし、まるで蔓が絡み付いてくるように長い手脚が七海に絡む。体内まで侵入した七海が戯れにまた腹囲を手で測り
「おや五条さん、さっきより太ったんじゃないですか」
と揶揄しても、喉奥から絞り出すような掠れ上擦った声で
「それ、オマエの分……」
と、たった一言の反論も息絶え絶えだ。白い肌は上気して朱に染まる。充血した目でまたぽろぽろと涙を落としている。呼吸で胸も肩も激しく上下して、腹や腰回りは七海が掴んでいても跳ねている。だらしなく開いたままの口から舌がはみ出して、そのままで、七海と呼んで、ねだってくる。
期待に応えるべく七海が本格的に動き出そうとしたところで、寝室にインターホンが鳴り響いた。
「……来てしまいましたね」
「……うそォ」
さっさと応対して一階のオートロックを解除し服を着る七海を、子供のような、大人のような恋人は、恨めしそうに見上げてくる。ベッドの上でとぐろを巻くように丸まって、巨大な白蛇のようだ。真っ赤な顔で、大きな水色の涙目で抗議してくる。
「デザート全種、ご所望でしょう?」
「食欲なんか飛んでもう性欲しかねーよ、バカ」
「ひとまず受け取ってきますから、少し待っていなさい」
「……クッソー、平然としやがって」
平然としているわけがないでしょうと七海は口にしかけて、けれど口から出す前に思い直した。代わりに、充分に余裕ぶって笑いかけてやり更に煽ってから寝室を出た。
我ながら子供じみた意趣返しだとはわかっていつつも、七海もどうしても、二人きりでいると、ついつられて、子供のような、大人のような、そういう曖昧なところを曝けだしてしまうのだ。それは甘えだと、七海は思っている。七海も、これでも、年上の恋人に甘えているのだ。