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    John

    ガンヤンと天ヤム万歳20↑文字書き
    今はサチマル沼にずぶずぶ
    尻叩き用、活動メインはpixiv

    https://www.pixiv.net/users/67336437

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    John

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    サチマル出会編

    #サチマル

    World Blue青の世界で青の世界で

     この世界には、海の彼方に宝が隠されている。

     年端も行かない年老いたその男が囁くように語る言葉はまるで魔法の言葉。
     今宵は国の西南に面する小さな村のささやかな祝祭の為に、普段は貧しい暮らしを余儀なくされる村人達も心の枷を一つ二つ外して開放的だ。

     酒気を帯びた大人が馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばす焚き火を囲むようにして話す秘密の物語。息を呑む者、瞳を輝かせる者、疑いを持つ者、男女入り混じり火に照らされる顔の中にひとり。

    ─── 海のずっとむこうに宝があるなら、いつかおれもいってみたい……!きっと"そこに"あるんだ、だって読んだんだ…!

     身を乗り出して片手をあげる少年がいた。顔は焚き火の丁度死角になるが、新緑を思わせるやわらかな緑の瞳の持ち主だった。
     挙げられた掌に驚いて、その肩にしがみつく臆病そうな二つ縛りの少女の齢を三つ程とするなら、少年は四つか五つか少しばかり上に見えた。

     宝とは拳よりも大きな煌めく宝石か、それとも国の均衡を揺るがす量の金塊か。他の子供達も口を揃え、あれだこれだと空想をそのまま小鳥の囀りに似た唇に乗せるその中で、一人違う"希望"を力強く口にする姿に、老爺は白く長い髭の奥の唇を歪め、天に乗せられた三日月の様を形作る。

    ─── なぁ、マリニエールじいちゃんは何があるとおもう?

     老爺は黙って首を横に振る。不思議そうに顔を見合わせる幼い子供達。夜はまだ続く。朝になってしまえば、祭はまだ続くのだ、だから月が海の彼方に沈もうと終わりを誰も口にはしない。



     後に、傲慢な執政者による度を超えた圧政に、この国の民衆は怒りの反乱という拳を遂に振り上げることになった。
     戦火の禍いは老若男女関係なく降り注ぎ、その終戦までの実に五年間。積み上げられた遺体から乾く間も無く流れる血で新たな川が出来たという。

     北の海のとある国の話である。


       ✳︎



     そうして、時は七年の歳月を経る。




     大海原、視界良好ながらに船を乗せる波は高い。ドォン……と何処か遠くで響いたのは大砲からの砲撃音だ。ただし、距離としては間近どころか"この客船"が襲撃されての状況である。
     耳が遠くなって来ただけで、ビリビリと全身に走る震えは、逃げ込んだ貯蔵庫へと続く通路の硝子が全て爆風で砕け散ったことを暗に教えていた。

     海賊だ。海賊からの襲撃だった。
     黒の布地に白く抜かれたドクロのマーク。横向きの頭蓋骨の下には、大腿骨が無情に二本組まれている。


    ─── 大変だ!!あれは二千万ベリーの懸賞金の…!


    名乗りをあげてくる前に経験豊富な水夫が叫びを挙げるのが聞こえていた。名前までは耳に入っていたが、すぐに入ってきた速度と同じ速さで逆の耳から突き抜けていってしまったらしい。


         ✳︎



    「───おれ、ここで死ぬのかなぁ……、」


     一周回って、間抜けな声をあげる少年が居た。
     汚れが落ちきらないとはいえ、袈裟に裂かれた布地は真新しい調理服の袖は普段は腕を出す為に何重にも折られているのだが、拭っても拭っても内側から溢れ出す血液のせいで潰れたトマトよりも赤く染まっていく。

     船に乗り込む際に、これだけは覚えておけと叩き込まれた知識がある。
     どんなに水不足になっても海の水だけは飲んではならない。そんな基本的なことから始まって、海の上で生活する為の必要最低限のしきたりや知識の中に、確かにあったのは海賊に襲われた時の対処法だ。
     それは、緊急時のマニュアルとして一番重要だとされていながら、あまりに簡潔な一文だったので拍子抜けしたのも覚えている。
     
     
     ───海賊に襲撃された場合、船員は抵抗せずに全ての要求に迅速に従うこと。


     余力があれば神にでも祈るしかない。
     この世の中に残念ながらピンチの時に必ず駆け付けてくれるようなヒーローは存在しないのだ。巨大合体ロボットを操り、相棒のカモメと共に颯爽と現れてくれるヒーローなんてものは絵物語の中の話である。

     積まれた水樽の背後に隠れながら、少年は肩を抱く。ぬるりと赤く掌を染めるのは紛れもなく自分の血だ、そこから繋がる左腕が指先まで動くかどうかを確かめるのも恐ろしく、怒号と悲鳴と、絶え間ない銃声が徐々に遠くなっていく。
     痛みすら感じない代わりに世界と徐々に切り離されていく実感。終わりに向かっての感覚に冷え冷えと包まれていくのは、実に"久々"だった。

    「(あー…折角、まかない任されるくらいにはなったのになぁ…。鍋が飛んでくることも減ったし…投げるまともな鍋が少なくなったとかじゃないよな、皮剥きだって…早くなって……、)」

     瞬きが、徐々に重たくなっていく。
     走馬灯をその瞬間、少年は確かに見た。
     遠い昔の話、村の老爺が話してくれた言い伝えは今思えば明日のない自分達へのせめてもの娯楽のつもりだったのかもしれない。
     しかし結果として自分を海に駆り立てたのは、未知への希望だ。その夢を追い求める為に踏み出したはじめの一歩から躓いて、今まさに海の深淵に沈んでいく。
     海は偉大だ、そして偉大なものこそ恐ろしいのだ。



    ─── ごめんな、アクラ…、ギニョン、シャル…皆の願い、おれ、叶えられずに……、



      ゆっくりと、ひとつ、ふたつと瞬きすら億劫に意識を委ねようとしたその時である。

     美しい鳥が、視界を過った。
     あまりに一瞬過ぎて現れたというより、よぎったという表現の方が相応しかった。少年が見開いた緑眼に、確かに陽炎のように揺らめく青と金色に近い黄色の翼を広げた鳥が映ったのだ。


     たとえるならば、キール酒によるフランベ青の焔


     気のせいだったのかもしれない、死の近さが見せる幻覚だったのかもしれない。
     ただ、まるで爛爛と燃え上がる青に金の煌めきを纏う大きな翼が瞬きの間に過ぎ去ったかと思えば、視界に入り込む人影へ驚きのあまり少年の頭は大きく仰け反っていた。

    「っ……いでェェェッ!?」

     スペースも考えずに反射で仰け反っていたのだ。
     当然、隠れる為の壁としていた水樽の、側面から屈強に締め上げる為の金具である帯鉄に後頭部をぶつけ瞳からは痛みの余り火花が飛ぶ様だった。

    「……なんだァ?生き残りかよい」

     目の前に仁王立ちする人影に、頭を抱え悶絶しながら少年は涙目を向ける。
     身長はそんなに変わらない、腰の青い布飾りが目立つ。そこには、左右もなく派手に揺れる船内にびくともしない踏ん張りで一人の少年が立っていた。

    「……」
    「あぁ、樽棚の後ろに隠れてたとは、気づかないモンだ。死にかけみてェだが」

     弧を描いた特徴的な眉毛。
     瞳は丸い、丸過ぎて驚く。
     もっと驚くべきなのは、その頭髪だ。

    「って、ひとりでしゃべらせるなよ。……おーい、なんか言えよ、ガキ」
    「ゆうべのパイナップルが化けて出てきた…」
    「誰の頭がパイナップルだよい!!よく見ろ!パイナップルが足生やして歩いてるか?歩かねぇよな!?」

     腰布の少年が黒い靴の先で腹立たしげに小突いてきたところで、ガキはお前も同じだろ、と返す気力もなく呼吸を繰り返すだけで精一杯の姿に細い眉が吊り上がる。

    「……パイナップルは…、へへ、廃棄率を下げたかったら…皮を落とすんじゃなくて、横にして剥いちまえば良いんだ…。包丁じゃなくて、実を転がす様に動かせば…驚く程簡単に…剥けるから…」
     
     瞳に浮かぶのは同情か、それとも侮蔑か。
     どっちだって構わない。

     海賊だ。腰に巻いている布は、確か海の荒くれ者のシンボルマークだった筈だ。それなら、今更命乞いをしたところで、殺されはしなくても助けてもらえる確率は限りなくゼロに近い。

     それなら、"少しでも長くてこの場に留めて"やろう。そんな考えしか浮かばなかったが、料理のことに関してはよく回る口に、膝の上で握り締める刃物の存在に金髪の少年の視線が落ちてくる。

    「情けねェ、包丁握ってんならそれで刺すなり脅すなり、切り掛かってくるくらいの気力はねぇのかよ」

     溜息混じりの、それだけは聞き捨てならなかった。

    「───ェ…だろ」
    「はァ?」
    「……うるせェよ…、…おれは、見習いでも…下っ端でも……料理人…なんだよ…、」

     肺から石臼を転がすような嫌な音が鳴る。
     あれ程騒がしかった砲撃音も、怒号も悲鳴も、カトラスのぶつかり合う金属音も。船底に叩き付ける波の音だけ残して霧散してしまったようで。
     自分の呼吸と、耳元で感じる鼓動音と、"クソ生意気な奴"のやけに丸いせいで三白眼めいた眼差しからの問い掛けが喧しく、膝上の包丁の木製の柄を強く握り締める。


     自分の唯一の財産だ、自分の誇りだ。
     自分の命と同じだ。


    「料理人にとって…包丁は魂だ…、…てめぇら…海賊なんかに…使って…たまっかよ…ばーか…、」


     震える唇で何とか笑って、中指を立ててやる。


     夢が潰えたとしても、矜持だけは捨てたくなかった。海に出るならば、覚悟はしていた。
     その覚悟は確かに自分で思ったより随分と、正直嘘だろと叫んで駄々を捏ねたい程度には早かったが、目の前に座り込んだ少年に内心は言ってやったと自分を誇らしく思う気持ちが勝っていた。


    「(……、子供…も…乗ってたなぁ…兄弟で乗ってた、アイツら…ボートで…逃げられたり、してねェかなぁ……)」


     伸びてくる掌に、最早これまでと覚悟した直後だった。

    「───…えは?」
    「………」
    「おいコラ、格好つけて寝んな。名前は、って聞いてんだよい」

     スパン!!と掌で張られる頬の痛みに、思わず頃合いかと聞き分けよく失いかけた意識が何事かとダッシュで戻ってくる。

    「いってェ…!!寝てねぇよ!死にかけてんだよ、見りゃわかんだろ…何なの!?」
    「はー…そんだけ吠えられりゃ、すぐには死なねェよ。名前は?」
    「はぁ!?」
    「?」

     今度は拳が、後頭部にクリーンヒットを決める。



    ───そうだ、同年代位に見えて油断していたけれど、コイツ…凶悪な海賊なんだった…!!


     決して暴力に屈した訳ではないが、怪しくなる雲行きに次なる手が振り上げられる前に、両手は無意識に自身を庇うべく左右にあたふたと動いていた。

    「いで!!さ、サッチってんだよ…!サッチ!おまえ、おれとそう変わらねぇだろ?態度デカいし怖ェよ!」
    「バーカ。おれが偉そうなのは海賊だからに決まってんだろが、おまえバカか?」
    「バカって言う方がバ…カ……、……、」

     
     海賊って偉かったっけ?
     視界が回る、ぐるぐる回る。

     何か、クソ生意気なガキが言ってた気がするし、何か別の声や音も耳に入っていたような気がするが、サッチのぐるぐるかき混ぜられる意識のスープの中に全てが混ざり合って溶けていく。

     やけに傷を受けた肩がじんわり温かくなってきて、そこに青や金色の柔らかな炎が閉じた瞼の中にまで灯るようで。幻覚の青い鳥は、もしかしたら優しく死を運んでくれる存在なのかもしれない。
     

    ─── あぁ、でも…あったけぇなァ……、

     
     そんな混濁した意識は、ぷっつりと糸が切れるように途絶えた。



         ✳︎


     年齢は十を過ぎたが、十五にはならない程度か、そこら辺。おそらく自分の方が少し歳上か同じくらい。
     生意気なことを口にする少年はコック服をそれでも一丁前に着てはいたが腕捲りの多さや血液以外の汚れ方からして、誰かのお下がりを譲ってもらったのは一目瞭然だった。

     海の上に道はない。

     渡りたければ水上をそれこそ船だの筏だの何かしらの方法で行くかしかないが、後者は水中で藁を掴む様な遭難でもしていない限り快適な旅にはならないだろう。

     彼方に見えた"落ち掛けの船"に目掛けて、マルコはモビーディック号の船縁を軽く蹴ると空を泳ぐ様に翼をはためかせる。悪魔の実による能力者達は、類稀なる異能を得る代わりに二度と海には愛されない宿命を背負う。ただの雨程度、流れる水ならばその限りではないがちょっとした水溜りであろうと、海水であるかないかの区別はなく触れた先から力を奪われていくのだ。


     その代わり、マルコは大空を泳ぐ。


     一度空気を捉えて、翼で揚力を生み出したなら、航海術の心得のあるマルコにとっては自分が船だ。気流は海流。翼を広げて空を滑るように泳ぐ。海の青に愛されずとも、空の青さを誰よりも知る少年だった。

     白ひげ海賊団、見習い。

     下っ端も下っ端の存在であるが、この海賊団に籍を置く少年マルコが輸送船に降り立ったのが───モビー・ディック号での見張り台からの発見が、あと一時間か二時間か早ければ───船自体が襲撃されることはなかったかもしれない。


     だが現実問題、海賊は慈善団体などではないのだ。

     気を失った少年を肩に背負って、マルコは靴底を鳴らして半壊した船縁から身を踊らせる。押しては引いて打ち付ける泡の白さの青の海へと、無防備に一瞬落下していくこの感覚を何と感情付けたら良いのか分からない。

     出来る限りの事は、した。

     此方に向かって舵を取る母船に向かって、マルコは振り返らずに上昇する気流に乗って大きく羽ばたいた。



          ✳︎

     
    「ぐごごごご……ぐごごごごぉ…!!…ぐごっ…!…ふごご…」
    「うるせェなぁ、自分のイビキで起きたりしねェのか」
    「マルコ、この包丁どうするんだ?処分しちまっていいのか?」


    モビー・ディック号、船内───

     医務室の白いパーテーションで区切られた一角。
     緊張感の欠片もなく、大型の寝台で大の字にイビキを立て続ける少年。

     マルコは真横の椅子に腰掛けながら呆れ顔で頬杖ついてたが、仲間である剣士からの声に慌てて立ち上がる。

    「あぁ、それはおれが預かっとくよい、ありがとう」
    「そのイビキなら死なねぇよ、見てみろ鼻提灯まで作って」

     
     二つばかり年嵩の、その少年は長く結い上げた黒髪を揺らして寝台を覗き込む。口振りもそうだったが、嗜めるつもりはないらしくパッツリと切り揃えられた前髪の下の瞳は愉快そうに緩められている。
     
    名前はビスタ、マルコよりも年嵩ではあるが白ひげ海賊団の一員となったのは、ほぼ同時期の同期のような気やすさがあった。

     この海賊団には、訳あって歳若の船員達が実際多いのだ。船長の年齢は、大体今年で四十になろうとしていた。彼自身が具体的な自分の生まれ日を覚えておらず、大体とするのはその誕生日を船員達が勝手に決めたからだ。

     いつぞや、甲板で船の主たる男を囲んで随分と話が盛り上がったこともあった。口々に飛び交う勝手な意見に、低く笑いながら見守る姿の庇護に守られる訳ありの若者が多く。
     過去の経緯の複雑さならばマルコはその筆頭と言っても良いかもしれない。


    ─── んー…よし、決めたよい!白ひげ、から取ってオヤジの誕生日は…四月六日にしよう!

    ─── 安直過ぎるだろ!!

    ─── おれ達だって覚えてないじゃねェか、良いと思うぜ。おれは賛成だ。

    ─── ふーん…オヤジの誕生日は四月六日…ね。じゃあ、あたしもその日にするわ。祝いなさい、あんたら!!盛大に!!

    ─── 待て待て待て、ベイの誕生日は十月だろ!勝手に変えんな!!ずりぃ!!


     
     この海賊船に乗る者達は、みな家族になる。
     勿論、強制はされない。自分達で望んで船長である男を父と慕うのだ。父の子であれば、皆が家族になるのは必然。

     そこに、船員達の人種も性別も一切が関係ない。
     父親として慕う男が一人いる、それだけだ。

     それが、マルコ達の"全て"だ。


    「なぁ、見ろマルコ!こいつの鼻提灯すごいぞ、両方の鼻の穴から一つのデカいのになったぜ…!見たことない」
    「おぉ…本当だ、こりゃ確かにすげぇ…」
    「な?な?こりゃ、もしかしたら大物かもな…」
    「ビスタの基準は時々謎だな〜」


     プカー、プカー、と気持ちよく寝息を立てながら鼻水を風船のように膨らませる少年への驚嘆に、過去の記憶を懐かしんでいたマルコも、その間抜けな姿を覗き込む。

     包丁にはケースが付きものだろうが、見当たらなかったから仕方なく腰のサッシュを巻き付けておいた。

     どうやら扱う道具にそれなりの、随分な誇りを持っているらしいが、抜き身の刃物をそのまま置いておくわけにもいかない。
     起きれば手に届く範囲として、枕元に置いてやったつもりだった。

    「(しっかし、カタギの人間にも…こんなに威勢の良いバカもいるんだなァ…)」

     あの調子なら、マルコのことを自分達を襲った海賊の一味だと勘違いしていただろう。
     面倒で特にマルコも説明しなかったが、それでも命乞いをするでもなく恨み言で罵るでもなく、己のプライドを示す強い眼差しは───悪くなかった。

     しかし肝が太いのか、それとも本気でバカなのか。
     いくら肩の縫合の為の麻酔がよく効いているとはいえ、涎まで垂らして寝こけ続ける姿には気概のある奴だと少なからず覚えた感心が気のせいに思えてくる。

    「…マルコ、ジョズ…何か手伝うことないか?」
    「ジョズ!いいのかい、そっちの仕事は」

     医務室の扉から、顔半分だけ顔を覗かせる見習い仲間の姿にマルコの顔が綻ぶ。

     一般の船は襲わないとはいえ、略奪中の海賊の船ならば遠慮なく横から襲って行く。救うことが出来た輸送船の人員は最初こそ慄きながらも、こちらに悪意がないことが分かれば平伏して感謝すらされる始末である。
     
     幾許かの金銭を提供する代わりに、次の島まで全員を運んでほしいと頼まれれば断る理由もなく、これは略奪とは違う。よって、これまた訳あって北の海の航路を辿っていたモビー・ディック号は戦利品の積み込みや整理、分配に加えて保護した一般人の安全の確保などで何かと慌ただしい空気に包まれていた。

     ジョズ、マルコよりはこれまた少しばかり歳下の少年も同期の存在だった。勤勉で、我慢強い。能力者同士、分かり合えることも多かった。

    「こっちはもう終わった、力仕事ならまだまだできる」
    「そりゃ素直に助かるよい、おっさんどもの人使いの荒さったらなぁ」
    「わかる、かなり荒いよなー」

    「おうおう、ガキども!そんなに海に投げられてぇか?三人ともまとめて放り込んでやるから、さっさと仕事しな!!」

     よっこらせ、とビスタが腰を下ろして完璧にサボりの体勢に入った瞬間、どこからともなく回転する金属トレーが少年達の頭の間で悲鳴と共に澄んだ音を立てていた。



          ✳︎




    「………んが、ふがっ…、……あぁ?」

    サッチの視界にまず飛び込んできたのは、天井だった。
     欠伸と目脂ですぐに滲む視界に、瞬きを二回。覚束なさに寝返りを打って、まだ覚め切らない眠気に溺れかけるのを現実へと引き起こしたのは、鋭い肩の痛みである。
     骨の中心から響いた衝撃に悶絶したのは一瞬で、抑えた左肩からゆっくりと逃れていく痛みはどうやらベッドの中で何も考えずに傷口を下にしてしまったからだと気付く。
     
     声すら出ない状態で暫く悶えたかと思えば、反射的に下唇を噛み今度こそ上がりかけた奇声を掻き消していた。天性的なものではない。経験から、サッチの状況把握能力はそれなりに培われていたからだ。



    ─── 思い出した…!確か、船が…、……ッ船はやられた…変なガキがいて、それで……それで……!!



     ゆっくり、ゆっくり、なるべく物音を立てないように。
     少しの動作で軋んだ音を立てたがる寝台の上で上半身を起こすと、サッチは片手を肩に当ててから傷口自体を見下ろすまでに三秒ほど自分を勇気付ける時間を要した。
     室内は明るく、それが照明だけの力ではないことを窓外から差し込む光が告げていた。目元に指す朝日が眩しく目を覚ましたのは、シーツの上に走る日差しの線が告げている。

     腕はついていた、良かった。

     第一の安堵は大きくホッと胸に広がる。順番は逆だが綺麗に巻かれた包帯によって固定された腕の次に、命があったことに第二の安堵よりも驚愕が上回りサッチを混乱させる。


    「な…なんで、おれ…手当されてんの…?」


     あの後、タイミングよく海軍が駆け付けてくれて救助してくれたのか。それはない。そんな偶然はないと、サッチの緑の瞳は素早い瞬きを繰り返す。
     パーテーションで区切られた簡易的な個室ではあったが、見る限り船内の医務室。消毒液特有のツンとした香りが鼻先をくすぐる。
     恐る恐るブランケットを捲れば、一張羅の調理服は左腕を中心として鋏が入れられていた。肩から腕、胸までを副え木で固定するのに、分厚い布地を取り除く必要があったのだろう。

     サッチの心臓が途端に早鐘を打ち始める。

     助かったが、助かった確信がない。
     ここの船室は、あまりに整然とされ過ぎている。木片も、硝子も何も散らばらず破損の様子が見られない。



     つまり、自分が乗っていた船では───、ない。



    ── おち、落ち着け…!!!落ち着け、冷静になれ、おれ…!!状況を把握しろ…!!


     口元を押さえ込み、自分を落ち着かせようと四苦八苦するサッチが次に目にしたのは己の魂ともいえる包丁である。刃の部分が丁寧とは言い難くとも、青い布地でぐるぐる巻きに巻かれている。
     ほんの少しの躊躇の後に、振り切るようにして手元に引き寄せる。布地からゆっくりと引き抜いた包丁の、何一つ欠けても折れてもいないことを表に裏に確かめて吐息が出る程の安堵をまた吐息に乗せかけた瞬間である。

     鈍色のその表面に、映る顔が此方を見つめていた。


    「具合はどうだ?起きられそうか?」
    「お、わ、あ、わ、おわーーッ!?い……ってぇぇぇえ!!!」

     背後から想像以上の至近距離で掛けられた声に、大きく仰け反った瞬間サッチは頭から寝台から落ちていた。満身創痍に加えて、更なる打撃にチカチカと視界に火花が弾ける。

    「おいおいベッドは足から降りるもんであって、頭から降りるもんじゃ……あ、そういう風習の地域出身か?」
    「違ェよ、納得したって顔すんな!」

     理解を示そうとする少年に、サッチは咄嗟に包丁の行方を視線で探す。自分と共にシーツから滑り落ちたでもない、あの瞬間にどういう意図を持ってか金髪の少年の指先によって摘み上げられていたらしい。

    「なん、おまえ、ここどこだ!おまえ、誰だよ…!」

     柄を掴むその手付きが、妙に滑らかな動きで刃物の扱いに慣れていればそれ以上の反論は口の中で怖気付く。
     包丁はまたも青い布に巻かれて、サイドテーブルに戻されていた。



    「まぁ、当然の反応だよなァ。えーと、ここは海上。船の、医務室内だよい。おれはマルコ。乗ってるのは海賊船、おれは海賊見習いってところだよい」

     指折り数えて、これで理解したか?と向けられる笑顔が案外人懐っこい。

    「そっか、そうか…ご丁寧にどうも…。おれの名前はサッチ、コック見習いの……って……結局、全然状況が掴めねぇんですけど!?」
    「あはは!お前、本当はもう元気だろ」

     ひっくり返ったまま下げた頭につられて、栗色の髪が柔らかに揺れる。無事な方の右手でツッコミを入れてくるサッチに対し、マルコは珍獣を前にした気分である。

    「利き手は?」
    「え?み、右…」
    「右手をこうやって握って、開いてみな。ゆっくりて良いから」
    「あ、あぁ……こう?」
    「そうだ、次左手な」
    「う…うん…」
    「痛みや痺れが強くなるようだったら、無理すんな」

     左手を指差されて、恐る恐る掌を握り込む。開いて、閉じて。
     片手で引き寄せた椅子に座り込むマルコは物を握れるか等の簡単なチェックをしているようで、まるで医者の様だとサッチは素直に言われた通りの指の形を作ったり曲げて伸ばしてをしてみせる。ある程度の動きは簡単に出来たが、木製の薬箱の重量には耐えかねた肩が悲鳴を上げる。

    「…っつつ…」
    「握れはするが、あんまり重量のあるものを運ぶのはまだ無理か…分かった。無理はするなよい、斬り付けられたんだろ。神経が無事でよかったな」
    「あ、あぁ…」

     丸い形の瞳が瞼を伏せるようにして細められ、サラサラと羽根ペンで何かを書きつけていくのは小さなメモ帳の様で。無意識にペン先を追おうとするサッチの視線に気付いたのか、直ぐにそれは軽いパタンという音と共に閉じられるとマルコと名乗った少年の胸ポケットに仕舞われてしまった。
     盗み見ようとしていたのではなかったが、結果として同じ事だとなんとなくのバツの悪さにサッチは頭を下げる。元から柔らかな毛質をしているので、動きに合わせて軽く眉の上まで犬の毛並みのように揺れた。

    「あの…よ、助けてくれたのお前だろ、ありがとな…えっとマルコだっけか。手当までしてくれたし、おれ…なんて言ったら良いか…」
    「………」
    「………えっと…?」
    「……………………」
    「すげェイヤそうな顔!!なんで!?」

     厨房は戦場で、怒鳴られ過ぎて耳がおかしくなることも、飛んでくる鍋やらフライパンの直撃で目が飛び出る思いをすることもあったが、料理長をはじめとして一旦そこから離れれば皆気さくなものだった。

     まだ十年と少ししか生きていないが、過去を除いて同年代で話せる相手もいなかった。だからというわけではないが、感謝の言葉を口にするのは大分気恥ずかしいものではあっても抵抗はなかったというのに、ここまで心底嫌そうな顔をされた覚えはない。

    「お前…ちょっとお気楽過ぎじゃないか?おれァ海賊だってちゃんと名乗ったつもりだよい。ここが海賊船だってのも…それで普通、礼なんて言うかなぁ…」

     首の後ろに手をやって、呆れた顔を溜息と共にこぼすマルコにサッチは首を勢い良く左右に振る。途端に引き攣る痛みに暫くの悶絶を交えれば、益々マルコの瞳が細められた。


    「いや、だって…手当てしてくれたし、それにお前───おれ達の船を…襲った奴らと違うだろ?」


     マルコの胡散臭いものを見る目で細められていた瞳が、無言で僅かに開かれる。


     人懐っこく思えたのが間違いだったとしても、やっぱり表情が豊かな奴だ。
     サッチは徐ろにサイドテーブルから包丁を持ち上げて相手に傾ける。勘違いはされないように、ゆっくりと。柄を持たずに布の巻かれている刃を持ってだ。

    「それに、ほら。これ最初に巻いてくれたのお前だろ?青い布、腰から消えてるし。危ないからだからだとしても、…ここに置いてくれてた」

     サッチの瞳と、マルコの瞳が合わさる。
     瞳の色としての青は別に珍しくもない、ありふれた色だ。不思議なことに、あの崩れていく船内で見た時とは色味がまた違うようで、理由にならない確信に変わる。

    「……能天気そうな顔して案外、頭は回る方なんだな」
    「それさぁ、褒めてんの?貶してんの?」

     マルコが短い溜息を吐くのと、パーテーションからヌッと長身の男の顔が覗くのとは、ほぼ同時だった。

     否定ではないなら肯定、と油断し切っていたサッチの頬が引き攣る。


    「ガキが起きたなら起きたって言えよ、見習い──」


     顎髭をたくわえた男。左目の眼帯と、そこから顔に走る大きな縫い目跡、そして残った右目の鋭い眼光。
     ここは海賊船だと、今更ながら意味を理解した瞬間に視界に更に飛び込んできた異質さに、サッチの口は間抜けに大きく開かれるのだった。



          ✳︎




     デカい、デカ過ぎる。
     ただデカいのではない。


    ─── いや、まず…長くね…!?


     身長が大きいのは一旦置いておくとして、脚が頗る長い。体型を褒めているのではない、脚の長さが全長の三分の二を占めている。図体がデカい人間ならば、それこそ恰幅含めてそれなりにいるものだが、比率が明らかにおかしい。
     そのおかしさはあくまでサッチの短い人生経験から弾き出した異質だったが、驚きの視線が不躾に特注らしい白衣で見え隠れする脚へと向けられるのも慣れているらしい。

     眼帯の男の剣呑な視線はサッチではなく、頭の後ろに腕を組むマルコへと向けられていた。


    「見習いじゃねぇよい、マルコだよい」
    「お前みてぇな嘴の黄色いひよっこの名前なんて、覚えてやる余裕はねぇよ──」

     嘴、と復唱して不服気に唇を尖らせる少年の横顔に、サッチはまた年相応な少年としての一面を覗いた気になる。だが、そんな小さな気付きよりもグリンッ!!と傷跡だらけの両手で挟まれた、自分の頭が半回転するのに筋を違えないのが精一杯だった。

     強面は強面で、何せ身長が腰を屈めなければ室内に収まらないほど大きいのだ。歳はそれ程重ねてはいなさそうだったが、間伸びした喋り方が逆に恐ろしさに拍車を掛けている。

    「どれ、見せてみろ坊主──、……」 

     
     自然と、サッチの背筋が伸びる。
     隻眼が、ギョロリ、ギョロリと別の生き物のように動く。


    「んー…、おい、ひよっこ。"使った"な?」
    「そりゃ…多少は?」

     ギョロリ、と次いで向けられたのは背後でわざとらしく口笛を吹く少年に対してであって、自分にではない。それでも、その視線の鋭さにサッチは益々背筋に力が入ってしまい顎まで天井向けて上に上にと向くようだった。

    「若いってのはそれだけ治癒力もある。わざわざやらなくていいことは、するんじゃねぇ」
    「おれの勝手だよい、この通りピンピンに元気だろ」

     どうやら背後で、マルコは両腕を広げて軽くその場で踵を鳴らしたようだった。軽やかに二、三度、床板を叩く音に顰め面が益々顰められる。
     白衣を着ているなら、この脚長の男は船医なのだろうか。こんな物騒な面の医者は見たことがない。

    「医務室は俺の縄張りだ。クチバシの青いガキに通す勝手はこれっぽっちもねぇよ──。おい、お前──」
    「は、はいっ…!!」

     瞼を引っ張ったり、顎を掴んで開かせた口の中を覗き込んだりとしていたサッチの頭から手を離した老爺が、マルコの頭を軽くというには思い切り小突く。


    「いっ……てぇ!!暴力魔!暴力医者!!」
    「医者が聖人だと誰が言った──次余計な事しやがったら、縛って遊舵海流に放り投げてやる──」

     そもそも使うとは、何を使ったのか。頭を抑え吠えるマルコに聞こうにも聞けない雰囲気の中で戸惑うサッチに、長身の男は大儀そうに顎で自分が入ってきた方角を示す。

    「脚はそんなに派手な怪我してねぇんだ、オヤジが呼んでる。さっさと行け─、ひよっこ、お前も行くんだ」
    「オヤジがおれも呼んでるのかい?」
    「嬉しそうな顔するんじゃねぇ──、当然だろ。お前が拾ってきた犬っころなんだから、オヤジの所に連れていくのもお前だ──」

     完璧に蚊帳の外のサッチを置いて、二つ返事で既に先を進み始めるマルコに、慌ててシーツを泳ぐように爪先で引っ掻いて立ち上がる。
     
    「ちょ、ちょっと、おれもだろ!待って…あ、あの…」

     その自由な背中を見失わないように。
     包丁を右手に、ついでに指先に足元へ揃えられていた自分の靴を引っ掛けながら、医者だと口にした男に頭を下げるのは忘れなかった。驚いたのも、恐怖したのも事実だが、それと受けた恩とは全く関係ない。

    「あの、あざっした!」
    「───フン、さっさと行け犬っころ!!」


     言われずとも既にサッチは転がるように室外へと駆け始めていた。


          ✳︎


    「おい、待て、待てよ…えっと!マ…マルコ…!!」

     医務室と告げられただけの世界から飛び出れば、途端に広がるのは異世界だ。

     足取りが軽過ぎる少年や、自分が小さ過ぎる広大な世界に来てしまったのではないか。危ぶむ程にすれ違う男達は大体皆が体格が良く、恰幅が良い。

     それに加えて海賊船に乗っているだなんて幸せな幻聴だったのではないかと、一縷の希望も打ち砕かれる人相の悪さである。
     マルコに何か声を掛けてはドッと笑う者、口笛を吹く者ありとマルコ自身の人望はそこそこあるようだったが、何せ自分は部外者である。


    ─── ……っていうか、捕囚か!!


     今更過ぎる考えに片方を伸ばすと甲板に向かう階段を駆け上がろうとする後ろ姿に肩へと右手を伸ばしていた。



    「マルコ…!!おおおおれを置いて行くなよ、怖ぇだろ!海賊船だろうが、海賊だらけだろうが!!なぁ!」



     半泣きである。

     ある程度の覚悟は確かに決めて海へ繰り出した訳だが、右も左も風貌恐ろしい男達ばかり。しかも腰には明らかに飾りではない刀やら銃やらが提げられている。

     怖がるなという方が、無理だ。



     無理、ムリ無理、多分───、いや絶対に無理。



     だから同じ海賊でも話が通じそうな少年を引っ張り、ついでに腕ごと引き寄せたとして、自衛の為であって恥ではない。そうサッチは自分に言い聞かせる。

    「?おれも海賊だよい」
    「知ってらァ!けど、見習いって言われてたじゃねぇの、ひよっこって言われてたじゃねぇの!じゃ、まだ救いがあるだろ!救えよおれを!!」
    「お前、気絶してた方が静かでよかったなぁ…」
    「普通の反応だよ!?何、そのやれやれ…って顔!!意地でも離さねェからな!怖さを感じるのは人間の普通の感であって、それなくしちゃったらダメだろ、なぁ…!!」

    「随分と喧しいじゃねェか……」

     その言葉は不意打ちでサッチの頭上に降ってきた。
     明らかに、遥か上空から落とされた声の調子に、駆け上がった階段の途中で硬直するサッチとは裏腹に、マルコとくればしがみ付く腕を容易に振り解く。

    「オヤジ!」

     二段飛ばしで一気に上がり切ると、声の主に片手を上げる声は船上の眩しさを背負って突き抜ける様に明るいものだった。

    「オヤジ!コックのガキの目が覚めてきたから連れてきたよい、うるせェくらいに元気だし、腕に問題もなさそうだ」
    「グララララッ…!うるせェくらいに元気か、腕まで組んでたようだが気が合ったか?」
    「まさか。ありゃ、勝手にガキが掴んできたんだよい」

     ぐるぐる回る言葉が出てこないのは、目の前に聳え立つ大男の圧に呆然と立ち尽くしているからに他ならない。

     腰を抜かしたり、階段に背中から転げ落ちないだけマシだった。

     ドンッ!!と見上げる巨躯は、先程の船医の比ではない。マルコの頭を撫でる掌が、掌の概念を既に超えている。海の彼方には、巨人と呼ばれる人種が居るそうだが、もしかしたらそうなのかもしれない。

     隠すことなく堂々とドクロが描かれた三角帽子。
     風に靡く肩掛けのバッカニアコート。
     金髪の長く波打つ髪、口元には三日月の形の白い髭。
     
     聞かなくったって分かる。
     この船の、船長だ。



    ─── だから、つまり…海賊船の、船長……!!!



    「サッチ!!おい、サッチ、こっちだ!」

     口から飛び出かけた魂が、聞き覚えのある声に光の速さで引っ込んでいく。こちらに向かって手を上げ、駆け寄って来る全身上から下まで包帯姿の男。しかし脚は無事らしく健脚だった。

    「ぎぃぃゃあああ〜〜〜〜!!走るミイラぁぁ!!!!」
    「だぁれが……砂漠の渋めのイケオジだぁぁッ…!!!」



    ─── そうは言ってなくねェ!??



    甲板に居合わせた船員達が心の中でガーン!!と浮かべた言葉と裏腹に、キラキラと光を背負った抱擁と見せ掛けた強烈なラリアットを喰らって折角戻った筈のサッチの魂がまたもや飛び立ちそうになる。

    「!!あ、あ、あ…アロゼさん!無事だったんす…いてー!!」
    「バカヤロウ!お前、料理人が腕を怪我するって何事だーっ!?」
     
     流石にあれは、と見ているマルコが想像出来る眉を歪めて口にするほど綺麗に決まっていた。

    「顎!顎が外れるー!!腕っつか、肩っつか…アロゼさんこそ、全身包帯まみれじゃないっすかー!!」

    悶絶するサッチを両腕で持ち上げて、左右にブンブンと振る男の勢いは止まらない。

    「言ったじゃねぇか、お前はボートで逃げろって!何でこういう時に限ってトロいんだ、盗み食いだけ早ぇくせに!!」
    「いてっ!いてっ!!あ…ッ!皆は!?料理長達は、無事ッスか!?」
    「歳考えろボケェ!ガキが出張るな!ジジイは戦力にならねぇんだから、逃げろっつったのに、あのクソジジイも逃げやがらねぇの何で!?船と運命共にするのは、船長だけで良いっての」
    「…厨房に入ったらガキも何もねぇ、一人の料理人だ…って散々鍋投げてたの、だれだよ!あんたらだろ!じゃあ、じゃあ…もしかして、料理長は……」

     自分を振り回す男の手に手を重ね止めさせながら、血相を変えたサッチに肩で息をする料理人は包帯下の瞳を涙ぐませた。
     そんな、とサッチの顔色が興奮の赤味から一気に青褪める。

     

    「あの人はな…あの人は…!!」



    「やっほー。ワシここいるよー。ありがたいねー、助かっちゃったねー」


     はぁい、と片手を上げる包帯巻きの老爺の姿に、船員たちの"生きとるんかい!!"と、これまた息の合ったツッコミが炸裂していた。
     同じ言葉を鬼の形相で叫んでいたサッチも、意図せずして心を通わせることになったが、ようやく心理的に開けてきた視界の風景にそれ以上の言い争いの勢いは削がれる。


    「再会を喜ぶのは構わねぇが───、」


     船員たちが甲板へと集まっていた。
     サッチ自身が乗り込んでいた船の乗組員達も、集められていた。

     檻の中でもない、鎖もましてや付けられていない。あの争いの中で落とした命もあっただろうが、輸送船の面々が同じように集められているところを見るに、どうやら医務室でサッチが一番目覚めが遅かった様だった。
     料理人達とは仕事以外に寝る部屋も、休憩の時も、何もかも一緒に過ごしていたのだ。アロゼという指導担当以外にも、生まれて育まれた情がある。

     わたわたと挙げられる者は両手を上げる面々が、背後を向け!振り返れ!とジェスチャーするのに、ギギギと音を立てて取っ組み合いの姿勢のままアロゼとサッチは首を真後ろに曲げる。

     そのアロゼが、サッチの頭を素早く掴むと甲板に叩き付ける勢いで頭を下げさせる。
     勢いだけでは済まなかった。最早襲撃で受けた怪我よりも、クラクラとそれに付随して作った傷の方が多い気すらしてくる。

    「っ…!?」
    「すみませんっした…!!!いや、コイツ助けてもらって、船長さんに礼もなく…本当に、本当は礼の言葉もねぇくらいで…いや、本当にもう礼しかねぇんだ、ありがとう、ありがとうございます…!!」

     自分よりも更に深く、下げられる頭が船板に穿たんばかりに打つかる音が響いたから。

     頭を抑え付けてくる掌の震えも、自分の股座の間から覗く船員達が皆、怪我をした身体で不格好に下げる頭があったから。

     サッチは頭を下げ続ける。

    「グラララ……助けたのはおれじゃねぇ、うちの息子の一人だ。船員を、全員助けた訳でもねぇ」

     水面を揺らす波の様な、不思議な笑い方をする男だった。畏怖すべき、海の恐怖。恐ろしい、という気持ちは消え去っていないのに、落とされる言葉の響きに何故か胸がじんわり温かくなっていく。

    「それでも、まさかあの"白ひげ海賊団"に助けてもらうとは…サッチ、サッチ、おめぇも礼くらいちゃんと船長さんに言え!」
    「……って、まずは、頭上げさせてくれません!?バンバンバンバン打ちつけてくれますけどね!?おれの頭はジュニパーベリーか何かと勘違いしてねぇ!?」

     叩き付けて香りを引き出すスパイスとは違うのだ。
     ガンガンと弾みを付けて頭を押し付けてくる一応の上司の掌からどうに頭を引き抜くと、漸くサッチは痛む額を抑えながら、その男を改めて見上げていた。

    「あ───、……その、助かりました、ありがとうございます。……理由は知らねぇけど、なんか死なずに済んだみたいで…」
    「腹から声出せや、サッチィ!!」
    「あんたの声がデケェの!!船長さん、ありがとうございました!おれも、皆も助けてくれて…!!」

     一度大きく息を吸うと、今度は押さえ付けられることもなく真っ直ぐに頭を下げることが出来た。



    「……感謝しても、し足りねェです!!!」



    「─── 慈善事業をした覚えはねぇ。積荷の何割かはもらってる。さっきも言ったが、全員救った訳じゃねェ、おれ達は海賊だ」

     甲板での広過ぎる一席が定位置なのか。
     そこだけ段差が全て一つの椅子に集約する席に腰を下ろしたまま、頬杖を突く男は頭を上げようとしないサッチを見下ろす。

    「テメェらを襲った三下共から結局奪うモンは奪った。助けた分以上の儲けは貰ってるぜ」
    「けど…」
    「あぁ?」

     反論に狼狽えるアロゼの横でサッチの頭が、また船板に押し付けられる。



    「けど、今のおれは…命以上に大切なもん、もう持ってねぇから…とにかく、ありがとう…!!」



    「……」
    「良いじゃねぇか、助かったってことで。説明してやるよ、お前らは次の島の港で下ろしてやる。まぁ、三週間か…そこら辺はかかっちまうが、比較的安全な島だよい」

     段に腰を下ろしていたマルコが軽やかに降り切ると、少年を見下ろす船長に代わり言葉を引き継ぐようにサッチの前に立つ。

    「海賊に助けられたなんて、聞こえは悪ィが豪運だ。根性がありゃやり直せるだろ、色んなもん」
    「……あのさ、ちょっと聞いていいか?」
    「あん?」

     一応義理はよく分かる奴なのか。
     いつまでも船長であり、父と慕う男の時間を取らせる訳にも行くまいと軽やかに降り立ったマルコだったが、頭を下げ続けるサッチに浮かべていた穏やかな笑顔のまま首を傾げる。

    「おれ、海賊の名前って詳しくなくて…あんたら、すごい海賊なんだよな?」
    「ははっ!そりゃそうだ、オヤジは…エドワード・ニューゲートは白ひげだ!名前はこれからもっと知られて行くだろうな。そのうち北の海だけじゃない。南でも、西でも…偉大なる航路、新世界でも名を聞いたら震え上がる存在になるんだよい」

     義理が分かる人間は好ましかった。

    「新世界…」
    「あぁ、おれ達はそもそも偉大なる航路から来たからな。そのうちどこかでまた名前を聞くだろうよ。おれの名前も聞くかもなー、その頃にはかなり強くなってるだろうから…うるせぇ、なるんだよい!」

     飛んでくる野郎どものゲラゲラ品のない大笑いやガキが生意気言うだの、喧しい野次に拳を振り上げてマルコは力説する。
     今は見習いの身だが、これからが成長期だ。いつかは偉大な男の右腕になる。夢は大きければ大きいほど良い、叶えるのが夢だ。

    「ほら、立てよ。島に着く間、流石にタダ飯くらいはさせねェ。仕事なら山のようにあるぜ」

     人間でなくとも、受けた恩義を当然のように消化してしまうような、そんな仁義の欠片の感じられない奴がこの世の中には多過ぎる。

     決して欠いては渡れないのが人生だ。それを分かっているらしい少年に対して、最初感じた気概は間違いでなかったと緩められていた丸い瞳だった、のだが───。

     マルコの差し出した片手を取らず、何やら呟いていたサッチがようやく顔を上げる。思い詰めた顔だった。マルコの中で何かの予感が走る。良くも悪くも、大抵当たるその予感が掌を宙に留めさせる。

    「─── じゃあ、この船はそのうち…この北の海なんか超えちまって、偉大なる航路の…さらに彼方の新世界に向かうんだよな?」
    「?……あぁ、まぁそうなるが…だから何だ?」
    「決めた…」
    「だから何を」
    「船長さん!!おれの名前は、サッチってんだ。助けてもらった身で言うのも図々しいが…頼みがある!!」

     ガバリ、と身を起こす少年の言葉に輪のように取り囲んでいた周囲の視線が一気に集まる。

    「お、おい、いきなり何言い始めんだよい…!」
    「ひ、ひひひひ引っ込めサッチ!!何言い出すのお前ェェ!?」
    「………頼み?」
    「あぁ、この船が…新世界に進むなら、今、今、ここが、おれの…野望と一番近い位置にある!!」

     白ひげと恐れられる海賊の向ける視線ひとつ。
     そのひとつで、畏怖に場に蹲るように伏せる料理人の反応が正しかった。ただ、この場において、自分の足元を指し示すサッチの胸の中に押し寄せた希望という名の波が、怖気付く心を僅かに上回っていた。

     サッチは大きく息を吸い込む。
     言葉と共に、吐き出されたその願いにマルコの青い瞳が見開かれていく。

     横殴りの大きな波が一つ、ザッパァァン!!と派手な水飛沫を挙げてモビー・ディックの巨体を揺らした。







    「おれを…この海賊船に乗せてくれ!!おれを、新世界の先まで、連れて行ってほしいんだ…!!!」







     







    TO BE CONTINUED_
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    John

    DONEサチマル続きました。

    ここまでお読みいただいたことに、感謝の念が尽きません。少しだけ私の語りにお付き合い下さい。

    私は海外の児童向けの小説を読むのを趣味にしているのですが、子供の頃に好きだった作品の作者の作品を読み漁る日々が続いていました。うまい!うまい!活字がうまい!!と貪る中で、この作品は面白いけれど私にはちょっと向いてなかったかしらん、と頬杖をつきなが(以下pixiv掲載)
    Q.Did you find it 心の中で、ほんの僅かに気持ちが揺らいだ。
     小石一粒、大海原に投げ込んだところで構いはしないだろうか、と。人生、最後の最後に思い残してしまったら台無しになるだろうか、と。
     そうして、すぐに打ち消した。死に際で左右される様な生き方ではなかった、胸を張ってそう言える。断言出来る。

    「( なぁ、おれと心中してくれるか? )」

     眉一つ、呼吸一つ乱さずとも答えは返ってきていた。
     この気持ちを抱いて、海の底まで持っていく。

    「( だよな、たった一人じゃ旅は楽しくないもんな )」

     だからこそ、言わなかった。
     何一つ、いつもと行動を変えることもせず、いつもの様に宴を終えてからの行動は単独で。誰にも怪しまれることがなかった。勘の良い兄弟子にも、好物に囲まれて顔を綻ばせる弟分にも、敬愛する父親にも、勝手に心の片方を預けてしまった男にも。
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     小石一粒、大海原に投げ込んだところで構いはしないだろうか、と。人生、最後の最後に思い残してしまったら台無しになるだろうか、と。
     そうして、すぐに打ち消した。死に際で左右される様な生き方ではなかった、胸を張ってそう言える。断言出来る。

    「( なぁ、おれと心中してくれるか? )」

     眉一つ、呼吸一つ乱さずとも答えは返ってきていた。
     この気持ちを抱いて、海の底まで持っていく。

    「( だよな、たった一人じゃ旅は楽しくないもんな )」

     だからこそ、言わなかった。
     何一つ、いつもと行動を変えることもせず、いつもの様に宴を終えてからの行動は単独で。誰にも怪しまれることがなかった。勘の良い兄弟子にも、好物に囲まれて顔を綻ばせる弟分にも、敬愛する父親にも、勝手に心の片方を預けてしまった男にも。
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