愛染春布 ふと意識が上昇した。
閉じたままだが、まぶたの裏側に白い光を感じて朝が来たことを知る。寝室の扉の向こう側からはパタパタと往復する軽い足音。いつの間にやら隣から抜け出た暁人だろう。起き抜けにアイツが開けたのか窓から入る柔らかい風が頬にあたり、それが爽やかで清潔な香りも運んできた。
そう言えば昨日寝る前に「明日は晴れるみたいだね」と嬉しそうに笑っていたなと思い出す。暁人は晴れると嬉々として洗濯機を回しては物干し竿に並べていくのだ。「オマエは洗濯狐か」とつっこんだオレに、暁人は「なにそれ」と言うもんだから説明してやったのも懐かしい。
そんなことをつらつら考えていると、また意識がぬるま湯に沈んでいくような感覚に陥る。ここ数年感じることのなかったそれは、『安らぎ』というやつなんだろう。
あの事件の直前は般若を追うのでいっぱいいっぱいで自分の部屋に帰ることも稀であったし、それ以前に妻子と別れた時点で『家』は『寝る場所』という意味しか持たなくなった。だが今暁人と過ごすここは、間違いなくオレにとっての『帰る場所』であり『心地いい場所』だ。
オレがそのまま二度寝を試みたのと、扉が開かれたのはほぼ同時だった。石鹸の香りがさらに鮮明になり「けぇけぇー?」という暁人の気の抜けた声がする。
寝たふりをしてやろうと返事をせずにいれば、寄ってくる気配。ぎしりとベッドが音を立てて沈み、暁人の香りが強くなる。
しばらくの沈黙の後、暁人の指がオレの髪の毛をかき混ぜた。そしてそのまま眉間をぐりりといじられる。地味にいてぇ。
「――狸寝入りだろ」
「ばれたか」
ゆっくり目を開けば、いたずらっ子のような表情の暁人が目を細めている。逆行を背負った暁人は後光でもさしてるようで、なんだか触れちゃいけないものに触れているような気分になる――ま、今更コイツを手放せるはずがないんだが。
手を伸ばして頬に触れれば、オレの思惑がわかったのかそっとかがんで顔を重ねてくる。軽いリップ音を立てて離れた唇を惜しく思いつつも、近くでささやかれた「おはよう、KK」という挨拶に同じ言葉を返した。
「なぁ、暁人」
触れるだけのキスじゃどうにも物足りなくて、腰を引き寄せようしたオレの手が空を切る。自然とむっとした顔になっていたのか、身をかわした暁人が愉快そうに笑った。
「今日はだめだよ」
「あン?」
「この前はそれで大物の洗濯出来なかっただろ」
「そうだっけか?」
「とぼけてもだめ。前回はあんたのワガママきいたんだから、今日は僕の番じゃない?」
そう言われてしまうとぐうの音も出ない。洗濯日和だと張り切っていた暁人を、ベッドから抜け出る前に引き戻し、シーツに溺れさせたのは記憶に新しい。
穏やかではあるが頑固である恋人を怒らせるのは得策じゃない。オレはため息をついて「お暁人くんは何がお望みだ?」と聞いてやる。それにパァッと顔を明るくするんだから、ずいぶん安くて可愛い奴だと言わざるを得ない。
「ベッド関係まるっと洗濯しちゃいたいんだよね。もちろん干すのも手伝って。シーツとか一人でやるの大変だからさ」
「へえへえ、オマエの言う通りに」
「もちろんそれだけじゃないよ。洗濯機が回ってるうちに朝ご飯食べて、全部干し終わったら……買い物とランチも兼ねて出かけたいな」
「……デートか?」
コクリと頷いた暁人は「だめかな? 休みたいって言うなら僕一人で買い物行ってくるけど」と続ける。
――ほんとにコイツときたら。
「欲がなさすぎだろ」
呆れたように言ったオレに「僕の一番の望みは叶ってるから」ときれいに笑う暁人が愛おしい。
「じゃ、とりあえずはシーツ引っ剥がすか」
「了解! じゃあ僕こっち引っ張るね」
レースのカーテンが翻る。爽やかな青空に、暁人が先に干したであろうタオルが揺れていた。
「ああ、確かに洗濯日和だ」