「もう取り憑かれるなよ」そう言ってkkは僕の右手からいなくなった。
般若を倒し怪異を止めたことで未練がなくなったのだろう。
良かった。
暁人は素直にそう思った。
最期に彼から頼まれた大切な頼みを叶えなければならない。そうはいってもどこから手を付けたものか。普通の大学生にとって人探しは難しい。
他に行く当てもないのでアジトに向かう。ここに来るのは凛子からこれを預かって以来だろうか。片付ける者が戻らない部屋の空気は淀んでいる。まぁ、KKが生きてても変わらないか。と暁人は独りつぶやき窓を開ける
何か人探しのヒントになりそうなものがないか探しながら部屋を片付けていると、突然部屋の電話が鳴った。もしや…と叶うはずのない期待を込めて受話器を上げると唐突に音声が再生された。
[電話が取られたということは、おそらく君はKKを探しているんだろう、今からそちらに向かう。そのままそこに居てくれ]
エド、KKの仕事仲間。人間嫌いで常にボイスレコーダーに話しかける男。
一方的に電話が切られたため、受話器を置き素直にそのまま待つ。
10分程で玄関の扉が開く音がした。
「あ、あの…」暁人が自己紹介をする間もなくボイスレコーダーが再生される。
自分たちは他の怪異を解決するために活動を続けていること。そのためここにある荷物はエドたちが全て引き取ること。そして暁人に対する簡単な謝意。
[君に対する連絡事項はこれで以上だ、なにか質問は?]
呆気に取られていた暁人を横目に「あぁ」と呟いたエドが何やらサラサラとメモに書き付け暁人に渡す。すべて見透かされているなぁ、と思いつつ受け取るとやはりそこにはとある住所が記載されていた。
これでこれ以上ここにいる必要はなくなったのだ。二度と来ることはないだろう。名残惜しい気持ちを引きずりながらドアに手を掛け立ち去ろうとする暁人にボイスレコーダーが話しかける。一体いつ吹き込んだんだろう。
[そうだ、君はまだ形代を持っているかい?怪異は落ち着いたが僕達はまだまだ霊を転送する必要がある。君には必要ないだろうから譲ってくれないか]
***
定期入れを届けてから3週間が経つ。麻里のいない生活にもようやく慣れてきた。大学からの帰り道、麻里と同じ制服を着た女子高生たちとすれ違う。胸は痛むがそれでも前を向かなければ、と自分に言い聞かせて足を速める。
そうして夜道を歩いていくと、ふと暗闇の中から何かがこちらを見ているような気配を感じた。妖怪?かと思ったが霊視すらできない今の自分では確認することもできない。
もの言わぬ右手を見つめてふとつぶやく…まさか、ね。
更に3週間。視線は日に日に強くなっているようだ。最近は後ろからかすかな足音がついてくることもある。
そろそろ本格的にお祓いでも受けたほうがいいのではないかとぼんやり考えていると、突然庭の方から何かが割れるような音が聞こえた。
慌てて庭に面した窓を開けると、暗闇の中から真っ黒な塊が唸り声をあげ暁人めがけて飛び込んで来た。ライトが倒れ、部屋は真っ暗になる。そいつは部屋をさんざんかき回したあと、キッチンの影に隠れた。そしてこちらの様子を伺っている。
「………」
暗闇で光る2つの大きな目。暁人はそーっと近づき優しく抱き上げる。ふてぶてしい顔の黒猫だ。耳の付け根を撫でてやると不満そうな顔とは裏腹にクルクルと小さく喉を鳴らす。
と同時に、スマホのバイブレーションが音をたてる。見慣れない番号に一瞬取るかどうか逡巡したが猫に促された様な気になって通話ボタンを押す。
[やぁ、久しぶり。最近君の周りに黒猫が出没していると思う。ふてぶてしい顔のやつだ。君には分かったかもしれないが、今、そいつの身体にはKKの魂が入っている。くれぐれも仲良くするように]
短いメッセージが再生されると電話は切れた。
───KKの魂?
「ほ、ほんとに…け、けーけーなのか…?」思わず平仮名呼びになる。黒猫は暁人の腕から飛び出し、相変わらずふてぶてしい顔で暁人を見つめている。
慌てて電話をかけ直す。非通知になってなかったのは幸いだ。3コール目で相手が出たので暁人は一方的にまくし立てる。
「け、KKの魂ってどういうことですか?KKは浄化されたんじゃなかったんですか?未練はなくなったはずですよね?だいたいなんで猫なんですか?」
1分ほどボソボソ言う声が聞こえた後ボイスレコーダーに切り替わる。
[KKの魂についてだが、君にもらった形代に残っていたんだよ。完全な形ではなかったけどね。多分僅かに残した未練のためにそこに留まったんだな。正直僕も驚いている]
[なんで猫なのかって?それは僕にも分からない。浄化してやろうとしたら魂の方から飛び出していってしまったのさ。一応追いかけたんだけどね。僕は追いつけなかったけど]
[デイルが言うにはちょうどそこに衰弱した仔猫が居てね。KKの魂がぶつかった途端意識を取り戻して走り去ったそうだよ]
[KKが猫を選んだのか事故的なものだったのかは僕らには分からない]
[ただ、君のもとに黒猫が訪れたのならそれは間違くKKだ]
ボイスレコーダーは一方的にそう言うと電話は切れた。暁人は再度かけ直してみたが再び繋がることはなかった。
ふぅ、と小さく息を吐き暁人は「おいで」と優しく黒猫に話しかける。意外と優しいKKの事だ、僕が一人になるのを少し心配してくれてたのかな。さすがにそれは思い上がりか。
それともエドたちが仕組んだいたずらかも。
黒猫がKKかどうかはわからない。
ただ、猫のためにあれを買わなきゃこれを買わなきゃと調べているうちに心が軽くなっていくのを実感する。
しばらくはこの猫のために生きていこう。バイトも頑張らなきゃな。
いつの間に上がったのか黒猫はクローゼットの上からゆったりと暁人を眺めていた。
***
「けーけーっっ!!鰹節の袋に穴開けるなっていったじゃないか!」
無惨に散らかった鰹節を片付ける暁人を「けーけー」と名付けられた黒猫はクローゼットの上からあいも変わらずゆったりと眺めている。
暖かな春の風がカーテンを揺らしている。