15. A(side:L) ローレンツはベレトと共に中庭で茶会をしていた。竪琴の節から花冠の節にかけて咲く花は美しくグロンダーズで見た嫌な景色が上書きされていくかのようだ。野宿でも天蓋付きの寝台で寝ているように寛いで眠り野草を楽しんで食べるような強さを持つ恩師がローレンツの取り寄せた茶菓子に舌鼓を打っている。
「クロードとヒルダを二人一緒にしておくと俺の考えることが減って便利だな。お陰でローレンツと二人、こうしてのんびり過ごすことができる」
メリセウス要塞に入り込む計略を考えるクロードとヒルダは互いを補い合っていた。ただしその後、援軍として派遣されそうな帝国の将は誰なのか考えてくれと頼まれたフェルディナントとリンハルトは苦労したらしい。主にフェルディナントが。
「ご相伴にあずかれて光栄だよ。僕といえども気晴らしは必要だ」
アッシュ、メルセデス、イングリットが失ったもののことを思うと気晴らしに騎士物語や戦記物を読む気にもなれなかった。ファーガス王国は完全に崩壊している。
「気晴らしと言えばクロードが子供の頃に聞かされた御伽話が結構面白くて気晴らしになるらしい」
「らしい、とは?」
「俺は聞いたことがない。だが先日、ヒルダが感動して泣いたと言っていた」
クロードの話でそんなに心動かされるのはおそらくヒルダだけだ。2人は学生の頃から子犬のように戯れあっていたのでつまりはそういうことだろう。
「きっと僕が聞いたら苛々するだけだな」
「ローレンツにはフェルディナントの話をよく聞いてやって欲しい。きっと色々と聞いて欲しい話があるはずだ」
帝国の大貴族たちは領地と帝都の上屋敷を行き来して育つのでフェルディナントとリンハルトはアンヴァルに詳しい。メリセウス要塞攻略後のことを見据えるならば二人の話が今後大きく役に立つはずだ。
「それと間違えないで欲しいんだが……」
「何をだろうか?」
「何かを聞き出して欲しいわけではない。ただフェルディナントの話を聞いてやって欲しいんだ。絶対に必要だから」
若草色の瞳がじっとローレンツを見つめていた。ローレンツは一生、ベレトには敵わない気がする。
帝都アンヴァルを攻める拠点にするためメリセウス要塞は絶対に手に入れねばならない。可能なら設備をなるべく傷つけず備蓄してある物資も込みで、とベレトは述べた。
「これまで通りクロードから現場の裁量は全て任されているので従って欲しい」
ローレンツたちは同盟軍に攻撃されメリセウス要塞へ逃げ込もうとする帝国軍のふりをする直前、最後の打ち合わせをしている。
「こんな時にクロードがいないとは」
「あはは、確かにクロードくん一番演技がうまいもんねえ」
グロンダーズでもやっていたがクロードは敵兵を誘い出すため逃げ遅れたふりをするのが上手い。ここで大将首を取って形勢を一気に逆転したいという追い詰められた敵兵の欲望をとことん煽るのだ。ローレンツは何度見ても学生時代、ヒルダ相手に上空で軽業を披露している姿を見た時と同じく血の気が引いてしまう。
「だがクロードも今回は本気だ。フェルディナントもリンハルトも本気を出すように」
「先生、そうは言ってもやはり人選が倒錯しているような気がするのだが……」
今回フェルディナントはメリセウス要塞の中には入らない。ローレンツたちを要塞へ追い込む追手の同盟軍役をする。
「最後にもう一度言っておく。設備と物資目当ての作戦だ。雑兵に構わず司令官を目指す」
死神騎士を人質にすれば残りの兵たちは交渉の場に参加せざるを得ない。捕縛が叶わず殺害してしまった場合は代行を務める将を捕らえて再び交渉をする。敵兵を全滅させるより遥かに効率が良い。
ヒルダが考案しクロードが整えた作戦通りローレンツたちはメリセウス要塞の内部に侵入することができた。初めて入り込む老将軍はいかにも堅牢で正攻法で陥落させるには三倍どころのか五倍は兵が必要になっただろう。
「フェルディナントくんの本気、すごかったね」
「クロードの本気が同じくらい凄まじいことを願おう」
ローレンツとヒルダはお互いささやかな回復魔法を掛け合った。これからあの死神騎士と戦うのでフレンやマリアンヌの回復魔法を無駄遣いするわけにいかない。マリアンヌは申し訳なさそうにローレンツたちに小さく頭を下げた。
「ヒルダ、クロードを探して必ず一度本隊と合流するように伝えてくれ。合流と移動が最優先でその為の戦闘ならば許可するがそれ以外は許可しない」
「それならカスパルくんとは戦わずに済みそう……」
斥候の報告によるとカスパルもメリセウス要塞に来ているらしい。フェルディナントとリンハルトを要塞内部に潜入する部隊に入れていないのはベレトの温情であり同盟の諸侯たちへの気遣いだ。
「気になるだろうが無視してクロードとの合流を優先してほしい」
それくらいやらねば死神騎士を捕縛出来ないとベレトは判断している。ヒルダは珍しく緊張した面持ちでベレトの言葉に頷いた。
死神騎士を直接攻撃するベレト、リシテア、イグナーツ、ラファエルを攻撃させないためにローレンツとレオニーが増援と彼らの間に立ちはだかったが倒しても倒しても兵が減ってくれない。ローレンツは先にレオニーを輸送隊に武器を取りに行かせた。手元にはもう手槍しか残っていない。ダークスパイクΤが死神騎士を直撃し手応えを感じたリシテアが今です!と叫んだと同時に気の利くレオニーがローレンツの分も新しい槍を持ってきてくれると信じ最後の手槍を投擲した。死にかけでもなければ捕縛などできない。いつの間にか合流したクロードが死神騎士の動きを封じる為に肘を狙ったが躱されてしまう。
「くそ!外したか!魔獣の方がよっぽど当てやすい!!」
魔獣の分厚い毛皮に突き刺さるほどの強さで矢を放てる者にしか言えない台詞だ。
「殺したければ追ってこい。そろそろ刻限だ……」
「何か隠してやがるな……相手の言うとおりに動くのは癪だが、仕方ない。追うぞ!」
クロードの命令に従い皆一斉に死神騎士を追いかける。入り込む時はあれほど苦労した要塞を出ていくのは簡単だった。どうやってまた戻るのか、この後どうするのか考えねばならないことだらけだったがそんな焦りや困惑は突如、空から落ちてきた光の杭のせいで消え失せた。帝都アンヴァル攻略のため奪取しようとしていた要塞が全壊している。中に残っていた帝国軍の将兵たちがどうなったのか全く分からない。カスパルは遺体すら見つからないのかもしれない。そんな有様だというのにクロードは目の前の光景に夢中になって考え事を始めてしまった。
「ちょっと、悩んでる場合じゃないよー!また光の杭が降ってきたら死んじゃうよ!」
逃げようとしないクロードに痺れを切らしたヒルダが逃げるようにうながす。あんなものが再び降ってきたらどんな風に抗えば良いのだろうか。クロードが言う通りこんな途轍もない攻撃方法があるならなぜ今まで使われなかったのか。疑問は尽きない。その一方でローレンツもそしておそらくヒルダもメリセウス要塞を消し去った光の杭ですら消しさることが出来ない疑問をクロードに対して持ちはじめた。
「クロード、君には聞きたいことがあるが、まずは撤収を急がねばなるまい」
しかしミルディンへ退却することの方が先だった。ミルディンならば光の杭が落ちてこない、とは断言できないのだが。
命からがら逃げかえったミルディンでローレンツはクロードをかなり厳しく追及してしまった。この拒絶ぶりを予想できていたからリーガン公オズワルドはクロードの出自を徹底的に隠したのだろう。士官学校で一年を共に過ごし五年の時を経て共に戦いグロンダーズで勝利したローレンツとヒルダですらクロードに対する戸惑いと苛立ちを隠せない。
ヒルダは途中で戸惑いながらも譲歩していたがジュディッドにたしなめられたことからも分かる通りローレンツは言いすぎたのだ。入浴後、先日は屍山血河といった有様だったアミッド大河を眺めながらローレンツはため息をついた。ガルグ=マクに戻ってもここミルディンでも割り当てられた部屋がクロードの隣なのだ。いずれわだかまりなく話せる日が来ると分かっていても今日は気まずい。石造りの欄干に肘をかけたローレンツは下流を眺めている。視線の先にヒルダの故郷がありもっと先にはクロードの故郷がある。縁があったと婉曲表現を使っていたがクロードはパルミラで育ったのだ。そうでなければ諸侯たちやヒューベルトがクロードの正確な出自に辿り着けないわけがない。
「ローレンツさん」
振り向くと負傷者の治療を終えて砦に戻ってきたマリアンヌがいた。治療中、前掛けはしていたようでそこだけは怪我人の血はついていないがあとはどこもかしこも乾いた血がこびりついている。彼女が戦場で必死で重傷者の救護にあたった証拠だ。きっとこれから入浴するのだろう。小脇に荷物を抱えている。
「マリアンヌさん」
「これは私の血ではないので……」
ローレンツが心配そうに自分を頭のてっぺんから下まで眺めていることに気付いたマリアンヌが取り繕うように笑った。乾いて茶色くなった血が袖や裾にべっとりこびりついていようと彼女の笑顔は美しい。
「ローレンツさんこそ大丈夫ですか?」
「何がだろうか?幸い大した怪我を負うこともなくこうしてミルディンに戻れたが」
「クロードさんのことです」
「お恥ずかしながら僕とやつの言い争いなど珍しくもないはずだが……」
マリアンヌはそっとローレンツの隣に立ちローレンツと同じものを見た。下流にはヒルダの出身地であるゴネリル領、それにクロードの故郷パルミラがある。彼女は何を思うのだろうか。
「私にはローレンツさんがとても悲しそうに見えます」
そう語るマリアンヌの方こそ悲しそうだった。お前らは俺が嫌いに決まっている、だから世界を変えに来たんだといきなり宣言されても戸惑うだけだ。このローレンツ=ヘルマン=グロスタールを凡百どもと同じ枠に入れお前から嫌われるのが怖かったから言えなかった、と告白されても腹立たしいだけだ。
「いや全ては僕の不徳の致すところだ。驚いてあんな風に反発してしまったから結果としてクロードの主張が正しくなってしまったな」
雰囲気を変えたくて少しふざけてみたがマリアンヌがローレンツの冗談に気付いているのか無視しているのかが読み取れない。だがマリアンヌの指摘通りローレンツは悲しみを感じたのかもしれなかった。
「ガルグ=マクに戻ったらお二人のために聖典を最初から全て読み返してみます」
一千年の歴史を誇るセイロス教の聖典は正典と外典それに詩篇の三つからなる。礼拝の際に読み上げられるのは正典が殆どだ。マリアンヌはクロードの本当に反するのか、と言う発言が正しいかどうか確かめようとしている。
「膨大な量だ。マリアンヌさん一人ですることはない。僕も読もう。正典から始めるとして奇数の章はマリアンヌさんが偶数の章は僕が担当すると言うのはどうだろうか?」
全て合わせると六十六章あるので読む量は二人とも全く同じになる。マリアンヌはローレンツの提案を喜んで受け入れてくれた。
ミルディンから帝都アンヴァルまでの補給線を確保するのに散々苦労したがそれにも目処がついた。担当していたヒルダとフェルディナントが頑張ったおかげで想定していたより遥かに早く進軍が開始できる。ローレンツは二人を労うために茶会を開いていた。アンヴァルを陥落させれば長きに渡った戦乱もこれで終わりを告げるだろう。手持ちの茶葉を使い切ることに躊躇はなかった。
「だって帝国軍が態勢を整える前に進軍したいってクロードくんが言ってたから〜!」
ヒルダが先ほどからずっとクロードの話ばかりしているのでフェルディナントが眉尻を下げ声を出さずに笑っている。ローレンツも同じ気持ちだった。彼女は出来るのにやらない、とずっと言われていた。この心境の変化は実に喜ばしい。
「クロードもヒルダさんが奴の希望を叶えるために東奔西走していたことを知ればきっと喜ぶだろう」
そうだと良いんだけど、と言ってヒルダは照れ臭そうに笑っている。フォドラ最古にして最大の都市に攻め込む前の細やかな憩いのひと時だった。
ヒューベルトはクロードの倫理観を信頼しているらしい。ミルディンから帝都アンヴァルまでの街道はこちらの物資を狙った野盗は出るもののそれ以外は不自然なほどに無防備で不気味だった。
「斥候はいるんだろうが軍装を解かれると正直言ってこちらには見分けがつかん」
「でもクロードくん、この段階で今更大胆に方針を変えちゃおう、なんてことはもうお互いに出来ないでしょ?」
迎撃しやすいように先方がわざと開けた穴から侵入して罠を食い破りエーデルガルトを目指す以外に新生軍には勝ち目がない。正攻法で戦って打ち破るために必要な兵や物資を用意する間に向こうは占領したファーガスを更に搾り上げて更に軍備を増強するだろうしこちらの開戦準備の妨害もするはずだ。クロードがヒルダの言葉に頷く。
それまで散々皆で議論を尽くしていたせいかアンヴァルに最も近い宿場町で行った最後の軍議はかなり短く終わった。一度突入してしまえばエーデルガルトを倒さなければ出られないということは皆分かっていたからだ。
帝都アンヴァルはセイロス教の開祖セイロスが教えを説き始めたセイロス教にとっての聖地でもある。帝国軍の優秀な工兵たちはその聖地を躊躇せずに破壊し街中を砲台だらけにしていた。開戦前の帝都アンヴァルをよく知るフェルディナントとリンハルトは苦虫を噛み潰したような顔をしている。迎撃用の魔獣が闊歩する街中はクロードが腕を振り下ろす前から既に破壊されていた。自然に発生する魔獣と違い帝国軍が使役する特有の魔獣が何で出来ているのか新生軍の物たちは皆知っている。
「私とエーデルガルトはそりが合わなかったがそれでも私ならエーデルガルトの名でこんなことはしない」
辛そうなフェルディナントを慰める言葉をローレンツは持っていない。この後本格的な戦闘が開始されれば街は瓦礫の山と化す。
本隊を率いるベレトが死神騎士を倒しローレンツたちがヒューベルトを倒したらそこままエーデルガルトが籠城している宮城へ攻め込むことになっている。エーデルガルトはヒューベルトの信頼や忠誠に応えるため自らを新生軍を引き寄せる餌にしていた。
「早急に終わらせてしまおう。長引かせては市街地への影響が出るばかりだ」
ローレンツの言葉を聞いたフェルディナントは投石機や砲台だらけの街を迷うことなく駆けていった。魔法に弱いフェルディナントだが魔法職の者の胸元に入ってしまえばあとは腕力の問題になる。ローレンツはフェルディナントにマジックシールドをかけてやるため彼の後を追いかけた。
こちらもあちらも命懸けの大将戦は辛うじて新生軍の勝利に終わった。ドゥドゥが宮城の構造について教えてくれたおかげなのか、教えてくれたせいなのかクロードとヒルダは酷い目にあっている。鍵で施錠された空間にリシテアのワープでベレトと三人揃って放り出されエーデルガルトと直接対決する羽目になったからだ。
ベレトは追いついてくれた後続部隊の者にあれやこれやと指示を出しているがクロードもヒルダも兵士たちの手前、倒れないためにフェイルノートとフライクーゲルに縋り付き辛うじて立っている。
「きょうだい、いくらなんでも無茶がすぎる……」
「死んじゃうかと思った……」
鍵を開けつつ徒歩で移動していたため玉座の間への到着が遅れたマリアンヌが安堵の涙を流しながらヒルダとクロードに回復魔法をかけていた。たまたま後続の部隊に配置されただけのイグナーツとアッシュも顔を真っ青にしている。二人ともハンターボレーが使えるのでドロテアやペトラ相手にクロードと同じことをやらされていたがエーデルガルトは格が違う。
「残敵の掃討とレアの捜索をするついでにこの宮城にある書類を全て持ち帰る。暖炉の中の燃えさしも回収してくれ」
実は皆、事がここに至るまで何故エーデルガルトが戦端を開いたのか分かっていない。確かに宣戦布告はあったが誰もあれが真の理由だと思っていなかった。マリアンヌのおかげで支えなしに立てるようになったクロードが手を叩く。
「もう一踏ん張りだ。皆、頑張ってレアさんと書類を探して欲しい。誤解を避けるため宝物には触れないように。だがこれだけ迷惑をかけられたんだ。エーデルガルトから酒くらいは奢ってもらっても良いだろう」
「あの……こういうところですので毒や呪いがかかっている可能性もありますから……」
宮廷内の権力争いのことを思えばマリアンヌの発言は至極真っ当だった。勝ったその日に毒入りの酒を飲んで死んでしまったら死んでも死にきれないだろう。
「確かすっごい大きな広間があったよね!じゃあそこに皆で持ち寄って飲んでも平気か確かめようよ!」
ヒルダの提案どおり晩餐会用の大広間に書類と酒や食糧を集めることになった。散開し本来の主が失せた巨大な宮城の中を歩いているとこれが現実なのか夢なのか分からなくなってくる。大司教であるレアと書類を探さねばならないのだがローレンツの足は地下の貯蔵庫を目指していた。酒蔵は大抵、気温が低く安定している地下にあるものだ。歴史の古いこの宮城ならばレスター諸侯同盟が出来た頃の葡萄酒も酒蔵に置いてあるかもしれない。長い廊下に敷かれた絨毯がローレンツの靴底の血を拭き取っていく。彷徨い歩いているうちにようやく二階にも地下にも繋がる階段を見つけた。欲望の赴くままに地下に降りるか名目を保つために一応、二階の部屋を漁るかローレンツが考えていると上から足音が聞こえてきた。それなら階段を上らざるを得ない。踊り場に差し掛かると慌てた様子のマリアンヌから声をかけられた。
「ローレンツさん!あの、ええと……」
「マリアンヌさん、どうしたのだ?!」
マリアンヌは治療以外では人との間に距離を保つというのに持っていた書類を床に置くと慌てて手を上に伸ばしローレンツの口を塞いだ。とにかくローレンツに声をひそめて欲しいということは充分伝わったので一旦離れて口を閉じ内緒話がしやすいように首を傾ける。律儀なマリアンヌがローレンツの耳元に口を寄せた。
「ここの二階には行かないでください!あの、その、ヒルダさんとクロードさんが二人きりでいるので……」
代々国境をパルミラから守ってきた一族の娘であるヒルダと明言はしなかったがパルミラの血を引くであろうクロードには話し合わねばならないことが山ほどある。きっと両国の口さがない者たちは受け継いだ伝統を蔑ろにして敵国の者と愛を育むのか、と二人に言いたてるだろう。そんな連中を黙らせるには二人の絆が何よりも重要になる。
「繋がっている階段はここだけだろうか?」
「隠し部屋の類がなければおそらくは……」
「では書類を置いていって貰えないだろうか。ここで僕が検分していれば誰も二階には上がれない」
集められた酒や肴の安全確認が出来るのはマリアンヌとフレンだけだ。早めに大広間に行ってもらわねば仲間達の恨みを買う。ローレンツは建前や形式を守るためにマリアンヌが外すのを手伝ってくれた籠手と槍を傍に置き階段に座り込んで書類を眺めていたがそれでも興味深く夢中になってしまった。
「よ、ローレンツ先生。ガルグ=マクに戻るまで我慢できなかったのか?」
上段から声をかけてきたクロードの顔は逆光でよく見えないが機嫌の良さそうな声をしている。我慢できなかったのはどちらなのだと少し腹の立ったローレンツはズボンの隠しから手巾を取り出しさっさと階段を降りて逃げようとしているクロードに渡した。彼はこの階段を無人にするために逃げようとしている。
「人前に出る前にこれで顔を拭け」
クロードは頬を、続けて口元を拭い自分で手巾を確かめている。自白したも同然のクロードは軽く首を横に振り舌打ちをした。
「ローレンツって他人のこと、そういう嵌め方するんだな!」
ローレンツは引ったくるようにして手巾をクロードから取り返した。五年前マリアンヌから貰った手巾に口紅の跡は残っていない。当然だろう。ヒルダに化粧直しなどする時間はなかったからだ。
「言っておくが君たちが二人きりになったことに最初に気付いたのはマリアンヌさんだからな?!」
ローレンツの言葉を聞いたクロードは呻き声をあげている。傍を通りかかってしまったマリアンヌのためにも軍規のためにもどうか二人の立てた物音が話し声だけでありますようにと願いながら書類を半分クロードに持たせた。