【曦澄】耳に心地よく瞼の裏に鮮やかに「貴方の字が好きだ。晩吟」
江晩吟。音韻を噛みしめるように口にする。己の字をとても美しいもののようにこの人は言う。
「字面もすっきりしている。無駄がなくすらりとして美しい。まさに貴方のようだ」
「そうか?」
「うん。私は貴方を字で呼ぶのが好きだ。韻が美しい。呼ぶ声が耳に心地いい。自分の声だというのに不思議だね。貴方に字を贈った方は趣味が良い」
晩吟。晩吟。藍曦臣が繰り返し呼ぶ。柔らかな声だった。ゆったりと広がっていくような声。
ああ、確かに。呼ぶ声が心地良い。己の字がこんなにも広がりを持った音だったとは。
「貴方の字も良い響きをしている」
藍曦臣。曦臣。自分がこの人を呼ぶ時、以前は号を、今は専ら字で呼ぶ。閨では藍渙と呼ぶこともあるが。どちらも好きな響きだった。
「賜った時は身の引き締まる思いがしたよ」
ひかりに仕えるもの、とはね。藍曦臣が苦笑する。
「若い頃は仰々しいなと時に思うこともあったけれど。貴方が好いてくれるなら良かった」
「仰々しいものか。まさに貴方を体現しているだろう」
「そうかな」
「そうだ。ああ、名も好きだぞ。滔々と流れ、あふれる様か。どちらもまさに貴方じゃないか。貴方は慈悲深く、思いやりに満ちているからな」
「ふふ、ありがとう。私も貴方の名が好きだよ。澄んだ江。雲夢を、蓮花塢を愛し、愛される貴方に相応しい名だ」
名を呼ぶ度、冴え冴えと澄み渡る凛々しい貴方が目に浮かぶ。きれいな名前だね。
「名も字も一生の贈り物だからね。貴方にずっと寄り添うものだ。おや、そう思うと羨ましいな。私は夜が明けたら姑蘇に帰らなければならないのに」
おどけたように恨めしげな顔をした藍曦臣につい吹き出した。
「馬鹿なことを言う。貴方は名にまで嫉妬するのか?」
「だってずっと貴方と一緒にいるんだよ。何があろうと片時も離れずにずっと」
「当たり前だ。どこかに行かれては困る」
名や字が逃げていく様を思い浮かべて、こらえきれずに笑いが漏れた。忍び笑いはやがてツボにはまり、くつくつと肩を震わせて笑う。
言った藍曦臣も袖で口元を隠しながら破顔していた。
やたら愉快に思えて、しばらく笑う。酒で喉を潤し、それでも止まずに笑い続けた。
「貴方が変なことを言うから止まらなくなった」
「ふふ。楽しいね。晩吟も上機嫌だ」
「貴方のお陰でな。なあ、貴方に出したのは茶のはずじゃなかったか」
まるで酔っているみたいだぞ。からかえば、貴方に酔っているのかなと、また馬鹿みたいなことを言う。すっかりおかしくなって、またふたりで笑った。
笑って、笑い転げて。ふと真顔になって字を呼び合い、名を口にし合って。その晩、四阿ではずっとけらけらと楽しげな笑い声が響いていた。