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    newredwine

    忘羨と曦澄の戯言です

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    newredwine

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    魏無羨の記憶が退行する話。(忘羨・曦澄前提)

    #忘羨
    WangXian
    #曦澄

    魏無羨の記憶が退行する話。魏無羨がおかしくなった。江澄のもとにそんな一報が入ったのは、一週間近く掛かりきりだった領内の揉め事を収め、残務処理を終えたばかりの夜のことだった。
    火急の件以外は取り次ぐなと命じた筈の家人が慌てふためいて寝入り端の江澄の私室を叩いたので、まさか金凌に何かあったのかと顔色を変えたところへ聞かされたその言葉に、江澄は無言で紫電を構えた。
    「火急の件以外は取り次ぐなと言っただろうが貴様は馬鹿か!」
    「しかし宗主、大師兄が」
    「あいつがおかしいのは今に始まった事ではないだろう!」
    「宗主!」
    「あれはもう雲夢の人間では無い!」
    怒鳴り声に首を竦めて平伏する家人に紫電をしならせたまま奥歯をぎりぎりと言わせていると、不意に戸外から声が掛かった。
    「つれないこと言うなよ、江澄。一緒に蓮花湖に潜った仲じゃないか」
    軽く笑みを含んだ、ーーどこか怯えたような、江家に連れられてきたばかりの頃のような、そんな声だと気付いてしまって、江澄は舌打ちをする。
    「……どうして貴様が此処にいる」
    「俺が聞きたいよ、いつの間に俺は姑蘇に遊びに行っていたのか、お前知っているか?何でかさっきまで姑蘇にいてさ、藍湛がやけに老けた顔してて笑ったぜ。あいつ疲れてんのかな」
    「……喧嘩だか何だか知らんがお前達の事情に俺を巻き込むな、さっさと帰れ」
    「何だよ、俺は帰る場所は此処だろ。此処に帰って来ちゃいけないっていうのかよ」
    「貴様、どの面下げて……」
    低く恫喝にも似た声を出しかけて、扉を押しやって入ってきた男の姿に、数度江澄は睫毛を上下させた。
    献舎された莫玄羽の身体だ。この十数年で不本意ながら見慣れてしまったその姿に色は違えど姑息藍氏の呪を刻んだ衣を纏うのが常であるのに、今はそれを着ていない。へらりと笑ってみせてはいるが怯えた目も落ち着かない仕草も江澄の記憶にあるままで、それがかえって異質に感じる。
    「おい、魏無羨」
    「……なんだよ」
    「言わなければ分からんぞ、俺はわざわざ聞いてやるほど優しくはない」
    真綿で包まれるような生活がしたければ一刻も早く雲深不知処へ戻れ。そう告げると惑うように身体を揺らす。魏無羨らしくないその様子に苛立ちを増して指輪に戻した紫電を再び手に喚び起こそうとした時、「あのさ」と掠れた声で魏無羨が口を開いた。
    「お前、ちゃんと、俺のこと分かるよな?」
    「……あ?」
    「俺の顔見て、ちゃんと俺だって分かるよな?」
    「……意味が分からん」
    はっきり言えと凄めば、珍しく躊躇った後で魏無羨が視線を伏せた。
    「……鏡に、俺じゃない顔が映るんだ」
    「幽霊でも連れているのか」
    鼻で笑うと、魏無羨の目に怯えがよぎった。
    「違うよ、俺の顔が」
    「は?」
    「俺の顔が、俺の顔じゃない」
    「……はあ?」
    何を言っているんだ、と口にしかけて、江澄は口を噤む。莫玄羽の顔が魏無羨の顔と違うと言うならば確かにその通りだが、それこそ何を今更と考え、不意に嫌な予感に見舞われる。
    「……魏無羨」
    「なんだよ」
    「お前の知る、今の仙督は誰だ」
    「は?」
    「いいから言え、誰だ」
    「誰って」
    惑った様子を隠さずに、けれど江澄へと伸ばす手が躊躇わないのを見て、江澄のほうが目を瞠る。
    「金光善だろう」
    ついこの間自分でその地位を作ってやりたい放題してるじゃないか、さすがに忘れっぽい俺でも分かるよ。その言葉に言葉を失う。
    入れ、と掠れた声で促して、目線で戸外にいた家人を呼び寄せる。
    「ーー姑蘇の藍宗主に連絡を。魏無羨は雲夢で預かるが、含光君には告げるな、と。事情は追って連絡する」
    「畏まりました」
    すぐに行け、と追い立てて戸を閉める。
    酒はどこだ?と無理に笑う顔に眉を寄せ、江澄は戸棚から瓶と杯を取り出す。
    「……ちょうどいい、飲みたい気分だったんだ。付き合え」
    「いいぜ、潰してやるよ」
    からりと昔のような笑顔を向けられて、微かに胸が痛む。

    失ったあの頃が目の前に差し出された気がして、瓶を握る手に力が篭った。


    *****


    翌朝、部屋で潰れた魏無羨をそのままにして江澄は執務を始めていた。
    まだ暫くは起きてこないだろう、と積み上がっている書類を捌く傍ら、信頼のおける家人に指示を出していく。
    せめて休憩を、と差し出された茶を一息に飲み干して唇を拭った。
    「……起きたか」
    「いえ、まだお休みに……三甕程しか空けておられませんでしたが、大師兄はお酒に弱くおなりで……?」
    「さしずめ精神の疲弊が肉体に影響したんだろう。軟弱な奴だ」
    「お起こししますか」
    「大人しくてちょうどいい、寝かせておけ」
    吐き捨てて次の書類を手に取った時、回廊を駆けてくる足音が聞こえて握った書類がぐしゃりと音を立てた。
    「喧しい!!」
    「申し訳ありません、しかし、あの」
    「はっきり言え!!」
    「藍宗主が起こしです!!」
    叫んだ家僕の声に江澄が顔を上げるのと蓮花塢にはあまり見られない色彩の持ち主が執務室を覗くのは同時だった。
    「やぁ、江宗主」
    「……早すぎやしないか、藍宗主」
    「珍しく貴方から火急の件だと連絡があったかと思えば、姑蘇藍氏に連なる者は蓮花塢に立ち入るべからずとあるでしょう?これは直接伺わねばと思ってね」
    「来るなと伝えたつもりだったのだが」
    「忘機は、だろう?私もまさか追い出すと?」
    「そう記したつもりだったが」
    「おやおや、それは」
    にこりと笑みを深めた藍曦臣の姿に江澄は僅かに眉を寄せる。室内の家僕達はよく分からないなりにも二人の間の空気が張り詰めたのを察したのか、口々に理由をつけて部屋を辞して行った。
    「……気の回る配下を揃えているね」
    「蓮花塢は個々が有能でな」
    「君の指導が行き届いている証拠だ」
    「世辞はいい、貴方から言われても……」
    「事実は正しく受け止めなさい。正当な評価だよ。ーーさて、江澄」
    不意打ちで呼ばれた名に、びくりと肩が揺れる。頑なに視線を逸らしたままの顎を長い指先が捉えてゆるりと向きを変えさせる。
    「……説明を、してくれるね」
    それでなければ助力も出来ないだろう。囁いてくる美しい顔に溜息を吐きかけて、江澄は目を細めた。
    「……閉関を解いてから性格が悪くなったな」
    「君の教育の賜物だよ」
    我儘に振る舞えと教えてくれた、と顎を捉えたまま人差し指で頬を撫でて寄越しながら藍曦臣が莞爾と笑う。
    その顔を睨みながら、爪の先まで美しい、悪戯に頬をくすぐってくる指先を払い落として茶器の場所を無言で示した。
    本来、客人であれば江澄が手ずから入れるか、或いは家人に淹れさせるが、藍曦臣だけは例外である。勿論『藍宗主』として蓮花塢を公的に訪った折には丁寧に遇するが、今日のように供の一人も連れていないともなれば話は別である。
    ただの『藍曦臣』として『江澄』に会いに来たのであれば、それに相応しい対応をする、と膝を立てて肘を突く。当然のように目の前で慣れた手つきで茶を淹れ始める藍曦臣は楽しげに茶葉を選び、茶碗を温めていく。
    藍曦臣が好む茶葉を買い足しておいてよかった、と江澄は視線を逸らしながらふんと鼻を鳴らしたのだった。

    *****

    藍曦臣が私的に蓮花塢を訪うようになって暫く経つ。叔父たる藍啓仁と江澄がどのような話をしたかは知らないが、気分転換にと蓮花塢の訪問を勧められ、暖かな雲夢で数日を過ごした時、確かに心が安らいだのを感じた。それを日に一度様子伺いに来る江澄に伝えたところ、私邸の一室を明け渡し、好きに使って構わないと言われて本当にそのまま放置された。好きにと言われても、と途方に暮れたものの、そこを拠点に私邸に勤める者たちの手伝いや街の賑わいへと足を運ぶうちに、藍曦臣は自然に笑えるようになっている自分に気が付いた。
    ああ、笑えるようになったのだな。
    私邸に戻ったところへ行きあった江澄は、こちらの顔を見るなりそう呟いて微笑んで、気の済むまでいてくれて構わないから、と言い置いてまた踵を返した。その颯爽とした後ろ姿に、何も言えないまま、心からの礼をもって頭を下げたことを昨日のことのように覚えている。
    それ以来、藍曦臣は蓮花塢への立ち入りを自由とされているのだ。
    あのような手紙一枚で立ち入りを禁じられたのであれば、理由を問わずにはいられないというものだろう。
    「……今更来るなと言われても困ってしまうよ」
    そうだろう、と問いながら茶碗を差し出す。ほんのりと湯気の立ち上る青茶は透きとおる色味と瑞々しい香りの、藍曦臣が好む茶葉である。口の開いていない袋で用意されていたそれを自分以外の誰かに飲ませるつもりだったのかと横目で見れば、江澄はさり気なく目線を逸らした。
    「そもそも忙しい身だろう、貴方は」
    「おや、私の心配を?」
    「当然だ、藍宗主が倒れれば誰が姑蘇を守るんだ」
    「叔父も忘機もいるよ」
    「身内に責任を押し付ける気か」
    じろりと睨まれて喉で笑う。
    「そうだね、だからこそこうして蓮花塢で『私』を取り戻させてもらっている」
    一口含んだ茶はまろやかな味わいで、するりと喉を通っていく。良い茶葉だと呟いて、藍曦臣は視線を上げた。
    「それで、忘機がおかしくなったのは魏の若君が原因だろう?彼は何と?」
    「……何故あいつが此処にいると」
    「俺の帰る場所は蓮花塢だ、と叫んだ声が静室の外にまで聞こえたらしい。その後飛び出していった姿を師弟が目撃しているから、ならばこちらだろうと」
    今はまだ静室に留めているから、こちらへ押しかける前に私が事情を聞きに来た。そう口にすると、江澄の眉間の皺がきりりと深まった。
    「藍忘機は何と」
    「何も言わないけれど、かなり衝撃を受けたようだ。だからこそ、私も直接魏の若君から話を聞かせてもらおうと思ってね」
    それで、何処だい。
    にこやかに告げると江澄は目を眇めて茶碗を置いた。
    「貴方に会わせる気はない」
    「……江澄」
    「あいつは今混乱している、少なくとも落ち着くまでは此処にいてもらう」
    「せめて説明を。それだけでは承服しかねる。忘機を止める為にも理由は明確にしておきたい」
    おかしなことは言っていないとおもうけれど、と真っ直ぐに見据えると、江澄の目が揺らいで、小さく息を吐いた。
    「言っただろう、混乱していると。俺自身状態をはかりかねているんだ。説明出来るようになったら貴方には説明する」
    だから今は帰ってくれ。告げられた言葉に藍曦臣は自分でも思っていなかったほど衝撃を受ける。江澄から突き放されることを考えていなかった自分に驚き、身体をこわばらせると、その反応に驚いたように江澄が目を丸くした。
    「藍曦臣?」
    「……あ、」
    そんなに顔に出てしまっただろうかと目を伏せたところで、ふと近づいてくる気配に気付いて表情を改める。あの馬鹿が、と江澄が吐き捨てるのと同時に見慣れた青年が、けれどいつもの一つ結びではなく緩く髪を背に流した状態で顔を覗かせた。
    「江澄〜、俺ちょっと街に、あれ沢蕪君?」
    何でうちに、と続けた魏無羨の言葉に藍曦臣は瞬く。
    浅く息を吐いた江澄が「夕餉に間に合わないようなら門を閉めさせる」と返すと、からから笑って了承し、背を向けかけて肩越しに振り返った。
    「そういえば師姉は?見かけないんだけど出かけてる?」
    その言葉に今度こそ目を瞠った。
    「……眉山に行ってるだろう、もう忘れたのか。しばらく戻らないと言われているだろうが」
    「そうだったっけ、迎えに行こうかなあ」
    「やめておけ、蓮花塢を守っていてくれと他でもない姉上に言われたのはお前だ」
    「あー、そうだったかもなぁ」
    じゃあ大人しく街の巡回に行ってくる、と後ろ手に手を振って魏無羨が離れていく。俯いたままきつく拳を握っていた江澄は暫くして深く息を吐き、瞠目している藍曦臣に歪んだ笑みを浮かべて見せた。
    「……だから、混乱していると言っただろう」
    俺もどうすればいいのかわからない。
    呟いてまた俯く江澄に、藍曦臣は身じろぐこともできずにただ座り込んでいることしかできなかった。
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    newredwine

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    味覚を失った江澄が藍曦臣とリハビリする話(予定)②辿り着いた先は程々に栄えている様子の店構えで、藍曦臣の後について足を踏み入れた江澄は宿の主人に二階部分の人払いと口止めを命じた。階下は地元の者や商いで訪れた者が多いようで賑わっている。彼らの盛り上がりに水を刺さぬよう、せいぜい飲ませて正当な対価を得ろ、と口端を上げれば、宿の主人もからりと笑って心得たと頷いた。二家の師弟達にもそれぞれの部屋を用意し、酒や肴を並べ、一番奥の角の部屋を藍曦臣と江澄の為に素早く整え、深く一礼する。
    「御用がありましたらお声掛けください、それまでは控えさせていただきます」
    それだけ口にして戸を閉めた主人に、藍曦臣が微笑んだ。
    「物分かりの良い主人だね」
    江澄の吐いた血で汚れた衣を脱ぎ、常よりは軽装を纏っている藍曦臣が見慣れなくて、江澄は視線を逸らせた。卓に並んだ酒と肴は江澄にとって見慣れたものが多かったが、もとより藍氏の滞在を知らされていたからか、そのうちのいくつかは青菜を塩で炒めただけのものやあっさりと煮ただけの野菜が並べられていた。茶の瓶は素朴ではあるが手入れがされていて、配慮も行き届いている。確かに良い店だなと鼻を鳴らしながら江澄が卓の前に座ろうとすると、何故か藍曦臣にそれを制された。
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     藍曦臣の腕に力がこもる。
     口を吸いあいながら、江澄は押されるままに後退った。
     とん、と背中に壁が触れた。そういえばここは戸口であった。
    「んんっ」
     気を削ぐな、とでも言うように舌を吸われた。
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    1437

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     行儀は悪いが誰かが見ているわけではない。
     牀榻の支柱に頭を預けて耳をすませば、藍曦臣の気配を感じ取れた。
     明日別れれば、清談会が終わるまで会うことは叶わないだろう。藍宗主は多忙を極めるだろうし、そこまでとはいかずとも江宗主としての自分も、常よりは忙しくなる。
     江澄は己の肩を両手で抱きしめた。
     夏の夜だ。寒いわけではない。
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     かくいう江澄もまだ左手を吊ったままだ。負傷した者は他にもいたが、大怪我を負ったのは藍曦臣と江澄だけである。
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