【ボーナスゲージ!】 小気味良くノックをすれば聞き馴染んだ声で「入れ」との返答。扉を開けると、そこには複数匹のプリニーが行儀良く列をなして自分の番を今か今かと待っている。一体何がどうなって、我が主のそう広くない部屋にプリニーどもがみっちりと詰まっているのか。
「閣下、これは一体……」
「こやつらを表彰してやろうと思い立ってな。優秀な者は評価されて然るべきだ」
「なるほど、それで『イワシを準備しろ』と仰せでしたか」
フェンリッヒはようやく状況を理解する。それならそうと「プリニーへの褒美としてイワシを準備しろ」ともう一言、付け足してくだされば良いものを。主人の言葉足らずにそんな気持ちを抱いたのも束の間、罪人であるプリニーにさえ褒美を与えんとする精神性に「さすがは我が主」と胸の内で独りごちる。過去に犯した罪が消えることはない。けれど今なされる行いは善きものとして認めてやる。これが出来る者が果たしてこの世にどれだけいるだろうか。
「こうすることでプリニー全体の士気も上がるだろう。罪を償い、少しでも早く生まれ変われば……教育係として俺も本望だ」
プリニー一匹一匹の顔ぶれを確認するヴァルバトーゼのそれを、間違っても悪魔たちが優しさと呼称することはない。勿論、憐みや同情と表現されるものでもないだろう。ただ、彼が善き教育者であること。それだけは何者の目にも明らかではあった。
フェンリッヒの手元にはトレーに載せられたイワシがその場のプリニーの数と丁度同じだけ。ヴァルバトーゼはそのイワシを一尾、ひょいと取り上げる。
「褒美ありきになっては本末転倒ではあるが……激励だけでは身にならんだろうからな。まあ、いわゆるボーナスだ」
更生を進めるための一助になれば良いと考えているが、お前はどうだ? そんな風に問われるフェンリッヒが首を横に振るはずもないと、プリニーたちは偉大なる教育係の言葉に目を輝かせ、彼の手元を一層熱い期待の眼差しで見つめた。
「さすがはヴァルバトーゼ様。深きご慈悲には感嘆する他ございません。ですが」
従者は主人の華奢な手が握るイワシ一尾を鮮やかな手つきで取り返す。プリニーから一斉に落胆の声が漏れる、が、それも一時的なものであった。
「それでしたら、その働きにより相応しいイワシを用意した方が宜しいのではありませんか。閣下より激励をいただき、その上上等なボーナスを賜ったと聞けば……他のプリニーたちのやる気も、確かに上がるでしょう」
「フェンリッヒ様……!」
「ヴァルバトーゼ閣下万歳ーッス!」
「一生ついていきますッス!」
「ほう、そうか。お前たち、異論は……ないようだな? では高級ブランドイワシを手配し……整い次第、再招集をかけよう。それまで驕ることなく罪を償うように。一層励むのだぞ」
浮き足立ち、くるくると踊り出して喜びをいっぱいに表現するプリニーたち。彼らをため息混じりに解散させて、シモベと二人だけになった部屋でヴァルバトーゼは口を開く。
「お前の見繕う『高級ブランドイワシ』……俺も是非とも食べてみたいものだ」
「それでしたらこちら、に……」
フェンリッヒの言葉を待たず、ヴァルバトーゼは従者の手首を掴み、自身の口元へと強引に引き寄せる。そして、動揺するシモベのその手から、握られたままのイワシに齧り付いた。狼男は指に息の掛かる距離で主人が魚を咀嚼するのをただ目を丸くして眺めている。
イワシの頭が食いちぎられ、ごくり喉が鳴ると同時にウム、やはり間違いない、そんな声が発される。
「どういうつもりだ、フェンリッヒ? まさかこれよりも上等なイワシをプリニーどもにくれてやろうと言うのではあるまい。これだって普段の十倍の値はする高級イワシだろう」
「お気付きでいらっしゃったのですか」
「好きなもののことぐらい、分かる」
吸血鬼は笑う。プリニーたちの面前では厳しかった語調が少しずつ解かれていく。
プリニーたちの目は誤魔化せても俺の目は欺けん。そう言ってやれ鱗のきらめきが違うだの、斑点の美しさだのを一通り述べた後、ヴァルバトーゼは従者を見た。その眼差しに促されるよう、フェンリッヒは口を開く。
「ええ、仰る通り、これは最初からあなた様の為にと準備した高級イワシでございます。……閣下のイワシ好き、お見それいたしました」
頭を下げ、トレー上の残りのイワシを改めて差し出せば、それを見た吸血鬼は可笑しそうにクク、と笑う。愉しげな表情からは、満更でもない彼の心情が汲んで取れた。
「さて、プリニーたちを欺いてまで主人を労らんとするお前の意地らしい気遣いにも、何かボーナスをやらんとな?」
望むものを言ってみろ。言っておくが、血は飲まんぞ? そう揶揄う吸血鬼は教育者とは別の顔で狼男を見据えている。
「それでは」
フェンリッヒがそっと主人の手に触れる。主人は何も言わずにそれを、そして、その先でなされることを受け入れた。