キスしてもいいかな#九莇版ワンドロワンライ一本勝負 ( @kuaza_dr_wi_1 ) 様より
お題「思い出」
◇◆──────────
「ここ! 莇ここだよ!」
「はぁ?」
莇の手を引っ張って中庭に連れ出した九門は、ベンチを指差した。
「ここに座ってさ、一人でご飯食べてたじゃん、莇。オレすげー覚えてるよ。野良猫みたいだった」
「野良猫って…それ言うならお前だって、俺を呼びに来てすぐ熱出してぶっ倒れたじゃねーか」
「あ、あれれ…そうだっけ?」
突然崩れ落ちた身体を受け止めたときの重み、動揺───莇は今でも鮮明に思い出せる。あれから数年が経って、九門はもう滅多に熱を出さなくなった。
「つく高生だったときは、一緒に登下校したよね!」
「一年だけだったけどな」
「莇とおんなじ制服着て学校行けたの楽しかったし、学校にも莇がいて嬉しかった!」
「はは、俺も」
「なになに〜? 珍しく素直じゃん」
にやにや笑いながら脇腹を小突いてくる九門を、莇は「うるせ」と言って軽く叩く。
「お前がいなくなってからの高校生活のが長かったってのに、高校のときのこと思い出そうとすると、なんかいつも九門いるような気がするんだよな」
「嬉しいな〜、そんな風に思ってくれてたんだ」
中庭の桜はすっかり花びらが散って、明るい緑色の葉が生えた。もう上着もいらない気温になって、この間まで寒くて震えていたのに、時が経つのは本当に早い。
「なんか、あの一年、すっげー濃かったよな!」
「確かに。満開公演の話聞いたときは驚いたな」
「その前に、莇は志太と喧嘩して落ち込んでたよな〜」
「あー…そんなこともあったわ」
「せっかく莇と同じ高校に通えるのに元気ないから、オレ焦ったよ!あのとき」
「心配かけたな。九門が居てくれて助かったよ」
「へへ、どういたしまして」
九門も莇も、もう高校生でも、大学生でもなくて、ティーンエイジャーですらない。会話をするとき、九門は昔よりもいくらか落ち着いた、低い声になった。今でも興奮すると声が裏返るけれど、その頻度は格段に減った。莇は無理に大人ぶって話す必要はないと気づいてから、肩の力が抜けて、柔らかいトーンになった。
「ちゃんと大人になれてっかな、あのときよりも」
「なれてるよ」
「今日で最後なんだな」
「そうだね。まあ、演劇はやめないし、これからもここに来るけどね」
「ああ」
二人はこれから、片手に握りしめた鍵を監督へ返しに行かなければならない。多感で繊細な時期の彼らを包み込み、守ってくれた団員寮から、九門と莇は今日、巣立っていく。
「ちょっと名残惜しいね」
「そうだな」
芝生を踏み締める音がして、二人は同時に振り返る。そこには監督が立っていて、風に靡く髪を手で押さえていた。
「風強いね、今日」
「カントク!」
「あ、悪い、鍵返しに行こうと思ってて…」
「そのことなんだけど」
監督は二人の元へゆっくりと歩み寄った。
「それは、そのまま二人が持ってて」
彼女は鍵を差し出そうとした手を、右手と左手でそれぞれ掴んで、彼らの胸元へ返した。
「一〇六号室も、二〇三号室も、片方は空けておくつもりだから。いつだって帰ってこられる場所だからね」
「監督…」
「二人とも、新生活頑張ってね。一緒なら心配いらないね」
九門と莇は、なんだか照れくさくなって、お互いに顔を見合わせて笑った。
◇
「怪しい人が来ても、絶対ドア開けちゃダメだよ! あと宗教の勧誘とか、詐欺とか、あと…」
「もう、大丈夫だって! 心配性なんだから、椋は」
「送っていかなくて大丈夫かよ? 今からでも車出せっけど」
「ありがと、万里さん。けど、距離は近いし、荷物もうこんだけだし、平気」
大きな荷物は新居に運び終わったから、寮から持ち出すものはもう、キャリーケースひとつずつしかなかった。
「それじゃあ、お世話になりました!」
「お世話になりました」
玄関に集まった団員たちに向かって、並んで頭を下げた。
「二人のルームシェアVlog、楽しみにしてるよん!」
「なんでやることになってんだよ…」
「でも面白そうかも! やろうよ!」
「はぁ…」
寮を後にして、九門と莇は並んで歩いた。振り返っても、振り返っても団員たちは大きく手を振っていた。
「いつまでいんだよ…」
「いいじゃんいいじゃん、ありがたいじゃん」
「それもそうだな」
九門も莇も、何度も振り返っては手を振った。きっと角を曲がるまで、見送りは続くのだろう。
「あのさ、莇」
手を振りながら、九門が言う。
「なんだよ」
莇が答える。
「次の角曲がったら、さ」
──────────◆◇ おわり