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    ナカマル

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    ナカマル

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    ジメジメした九莇のつづき。まだ破廉恥じゃない
    #ナカマルのクアザ

    ◇◆──────────
     
     九門は莇の手を引いて、例の古い男子トイレに足を踏み入れた。
     九門の記憶よりもさらに暗く、そして肌寒い。以前来た時は五月の晴れた日だったからだろうか。くすんだ水色のタイルがところどころ割れたり剥がれたりしているのは変わっていなかった。
    「莇はここ、入ったことある?」
    「いや、ねえけど。向こうのトイレの方が綺麗だし」
     莇はあまり綺麗ではない壁や床を見渡して、露骨に顔を歪めた。
    「そう。だからこっちは滅多に人が来ないんだって」
    「ふうん、そりゃそうだろうな…………てか、寒くね」
     九門は何ヶ月も触られていなさそうな窓に手をかける。そして力を込めて、開けた。びゅう、と風が吹き込んで、一緒に入ってきた雨粒で、顔が濡れた。
    「うわっ」
     雨風の音に驚いた莇が声を上げた。
    「すみーさんがさあ」
    「はあ?」
    「ここから向こうの屋上に飛び移ってたんだって」
    「マジ?」
     莇は腕をさすりながら、九門が開けた窓の外を覗いた。まずは向かいのフェンスを、次に下を。
    「…いやいや、下コンクリじゃねーか」
    「あはは、やばいよね」
    「やべえな」
     九門は窓を閉めた。一分も開けていなかったのに、窓際が雨で濡れてしまった。そのままにしていても、どうせ乾くまで誰も来ないだろう。
    「見て、手濡れた」
     莇が九門の濡れた手の甲と袖口を見て「馬鹿じゃん」と苦笑した。
    「そっか、お前荷物教室に置きっぱだったよな」
     莇は自分の鞄からハンドタオルを引っ張り出して、九門の手を掴んで拭う。タオルだけを渡せばよいのに。九門は莇のこういう優しさが好きだった。
     それと同時に、その優しさがもどかしかった。

    「ねえ莇」
    「ん?」
    「オレさ、もうじき卒業するじゃん」
    「まだ結構あるだろ」
    「すぐだよ。あったかくなったら、オレもうここに居ないの。その前にさ、思い出作りしたいんだよね」
    「はあ⁉︎お前、それはやめろよ!」
     莇は「思い出作り」という言葉と直前までの会話から勘違いしたのか、青ざめて九門の腕を掴んだ。
    「三角さんにはできたかもしんねーけど、お前には無理だろ、マジでやめろ。死ぬぞ」
    「ん…………?あ、もしかして窓から屋上に飛び移るやつ?あはは、やるわけないじゃん!オレそこまでムテッポウじゃないから!」
    「な、なんだよ…………焦ったじゃねえか」
     安堵して離された手を、今度は九門が掴んだ。
    「そうじゃなくて、オレは莇との思い出が作りたいんだ」
     


    「だからって…」
     男子トイレの個室は二つしかない。そのうちの一室で、決して小柄ではない二人は身を寄せ合っていた。
     雨が降っていることと、滅多に行かない図書室で莇が自分を見つけてくれたことと、自分の卒業が近いこと、あらゆる要素が九門の心をざわめかせていた。
    「嫌だったら、出てもいいよ」
     言葉とは裏腹に、九門は両の腕を莇の身体に回した。莇は「うう…」と悔しそうに低く唸る。少しずつ腕の力を強くすると、その薄い胸から布越しに鼓動が伝わってきた。窓を閉めたとはいえ、図書室の中よりも大きく聞こえている雨の音と混ざって、九門は自分の中にわずかに残っていた冷静さを洗い流されていくような心地がした。
     否、そんなものは全て言い訳にすぎなかった。自分のずるさやはしたなさや不安定さを、全部雨音と莇のせいにしているだけなのだ。

     莇がどれだけ俯いても、これだけ密着していれば顔が見える。カーテンのように垂れ下がる黒髪の間に、あかるい緑色の瞳が揺れていた。
    「何、すんだよ…ここで」
     その気になれば簡単にすり抜けられるくせに、莇は九門の腕に囚われて、動けずに困惑している。それは真面目で硬派で純粋な彼の奥底に、期待と好奇心が確かに存在している証拠だった。
    「嫌?」
    「何、するのか、教えろ。それから考える」
    「莇に触りたい」
    「触り……たい……?」
     莇は顔を上げて、九門の言ったことをおうむ返しする。もう触ってんじゃねーか、とでも言いたげな表情だ。この状況で「触る」の意味がわからないなんて。九門は莇のあまりの純粋さに泣きたくなった。
    「キスしてもいい?」
     聞くと、莇は少し瞳を泳がせてから、僅かに頷いた、ように見えた。もしかしたらまた俯いただけかもしれないが、九門はそれを肯定であると解釈することにした。髪を耳にかけてやると、眉間に皺を寄せた顔が露わになった。エメラルド色の瞳が不安気に揺れている。
     莇の唇は、いつだって皺一つなく潤っている。それは学校にいる間でもこまめにリップクリームを塗り込むのを忘れない、莇の地道な努力の成果だ。
    「…………っ、」
     唇を覆い護る油分が、九門の唇と触れ合った熱でぬるりと溶け出す。前にキスをしたときは、こうやって唇を合わせただけで終わった。
     九門は両手で莇の耳を塞いで、唇を食むように口づけた。驚いた莇はわずかに口を開く。その隙に、舌を差し込み…………いや、ねじ込んだ。お願いだから噛まないで、と身勝手に祈りながら、歯列の奥に侵入する。そして九門は初めて、莇の舌の温度を知った。
     莇は驚いて「ん、」と小さく声を上げたけれど、それっきり何も抵抗してこない。両目をギュッと瞑って、眉間に皺を寄せて耐えている。舌の横をなぞると、少しだけ肩が跳ねるのが気になった。


    ──────────◆◇ つづく
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    #ナカマルのクアザ
    お前と居るとお題「犬」「イタズラ」「スニーカー」

    ◇◆──────────

     九門が靴を買いたいと言ったので、俺たちは地下一階からエスカレーターに乗った。売り場のフロアは七階だから、ここからは少し遠い。けれど、奥のエレベーターはどうせ混んでいるだろう。
     俺は九門の二段後ろに立った。すると流石に九門の方が目線が高くなる。紫色の髪と、ピアスのぶら下がった耳が見えた。
    「買うものあんなら、俺のこと待ってないで行ってきてよかったのに」
    「えっ、全然待ってないよ!」
     話しかけると、九門はすぐに振り返って目を合わせてきた。その振り返り方があまりに急なので、パーカーのフードが一瞬宙に浮いた。

     俺のコスメフロアでの買い物は、短くても小一時間はかかる。フロア中の商品を買い占めることなんてできないから、じっくりと吟味しなければならないのだ。待たせてしまうのは悪いと思うが、こればかりは仕方がない。
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