2025-05-23
グリンヒルからニナが来てからというもの、フリックの心労に割と大きめのものが加わったなという印象がある。元々女と子供が苦手な奴だ。その両方となるとまあ大変だよな。だからと言って、邪険にしきるわけじゃないのも正直よく分からない。手を引かれればついていくし、あとで本当に憔悴した顔で部屋に帰ってくる割にはきっぱりと断ろうとはしない。
それはそれで良くないと思うんだよな。期待を持たせてるだけじゃねえのか。
「俺もそう思う」
「そう思うんなら是正しろよ。何考えてんだ」
小さな卓の上で行儀悪く頬杖をついたフリックは、少しだけ眉を寄せて目を閉じた。苦虫と一緒にナッツをかみ砕き、言う。
「ニナ、賢いなと思うのはさ」
いつも整えられた綺麗な髪をして、誇りをそのまま纏うかのようにニューリーフ学園の制服を着続ける少女は、俺が見ている限りフリックの事しか見ていない。ただ聞いた話によれば、使命を忘れるような子ではなかった。テレーズの居場所を隠し通し、シンとの内通もシンから言い出すまでは悟らせなかったというから大したものだ。
「今は戦争をしていると知っている事だよ」
「もう少しかみ砕けよ」
フリックはなんだかんだとニナを気に入ってはいるのだろう。
それが少しばかり気にいらない。何しろあの子は俺のことなどまるきり目にも入っていないのだ。
かみ砕け、との俺のリクエストに応えて、フリックは首をすこし傾けた。
「グリンヒルはあの後、結局かなりの数が処刑されたって話は聞いたか」
テレーズを逃がすために抵抗した人間はかなりの数に上り、彼らに対するハイランドの対処は厳しかった。ただでさえ反抗の旗印に出来るテレーズに逃げられたのに、彼女を担ぐ人間たちを生かしておいて良いことはない。何人も処刑され、その報告をうけたテレーズは真っ青になっていた。
頷いた俺に、フリックは続ける。
「でもその中にニナの直接の知り合いはいなかったらしいんだ。もうニナはグリンヒルを離れたから、処刑直後の街の様子は知らない。自分の知り合いが処刑されたわけじゃないから欠けた感触も薄いだろう」
でも、でもニナはその幸運が、幸運でしかない事を理解した。
「いつ誰が死ぬか、いつ何が欠けるか分からない。それをニナは知っている」
自分たちがそれを真に理解したのは、お互いに失ってはならぬものを失ってからだ。
好きです。一緒にいたいです。なんでも知りたいです。ご飯を食べましょう。手をつないでいいですか。何が好きですか。あなたのことを教えてください。
ニナがフリックに向ける子供らしい率直な愛情は、失ったときの後悔をほんの少しでも薄くするためだ。なんで聞かなかったんだろう。なんで言わなかったんだろう。どうして、と喚く事がなくなるわけではないとしても、それでも。
「失うより前、ね」
「賢者は歴史に学ぶってやつだな」
お互いに愚者として、顔を見合わせて笑った。肩をすくめる。
「だから付き合ってやってんのか」
応える気なんて一つもないくせに。伝えなかった後悔をずっとずっと抱えているくせに。その手にオデッサ以外を抱え込むつもりなんてないくせに。
「悪いな、と思ってしまうんだよ」
好きです、と面と向かって言われて、こいつがもしいつかほだされたら俺はどうしようかな。
死ぬかもしれない。死なずとも、こうして向かう合う距離が離れることがあるかもしれぬ。その時に、なにも言わなかったことをおそらく俺は後悔するんだろうな。