2025-06-26
砂漠を渡って玄関口にあたる町は人が多くて騒がしい。トランとサウスウィンドウがやりあっている場所から少し離れているから、戦火を避けて人が流入しているんだ。宿をとるのだって大変だったはずなのに、ビクトールはいつの間にやらちょっといい宿を見つけてみせるんだから大したものだと思う。
正直、本当にありがたかった。あいつ、大したことがないとか言いやがって。こっちは一冬寝付いたばかりだって分かってたんだろうか。砂漠というか、礫砂漠というか、荒れ地というか。水が少なくて、全部茶色で、空ばかりが真っ青な世界。日がある間は遮るものなんて何もない本当に熱いところで、そのくせ日が落ちれば一転して凍えるほどの寒さになる。あれもトランだってんだからな。世界は広いな。
点々とある村々をめぐる隊商を捕まえられたのは良いものの、それでもあそこにいるだけで体力が削られて、ここに着いたとたんに使い物にならなくなった。日の半分ぐらいは寝ているし、もう半分ぐらいは何とか縦にはなってこそいるが、あんまり頭が働かない。この体力を戻すの、大変だろうな。困ったもんだ。
ビクトールはと言えば、ちょこちょこ出かけて日銭を稼いでいる。やっぱりこっちのほうが知り合いが多くて、その手の伝手には困らないらしい。今日も今日とて、夕方には戻ると言いおいてどこかへ行ってしまっていた。
悪いな。この恩はどうにか返さないといけないな。そもそも砂漠を超えた理由があいつだったとしても、提案に頷いたのは自分なのだからけじめはつけないとな。
ベッドに転がったまま、今はどうしようもない事を考えている。事務仕事なら出来ねえかな。もう少し体力が戻ったら、ビクトールに話してみようかな。
瞼が重たくなってきた。もう、今は寝たいだけ眠るのが一番だと分かっている。
次に目が覚めたのは、砂漠の冷たい風が閉め忘れた窓から吹き込んできたからだ。カーテンを揺らす風は強くて乾いていて、少しだけ砂っぽく、あまり似てはいないがその冷たさが村の風を思い起こさせる。
たっぷり寝たからか、起き上がるのに支障はなかった。外はもう日が落ちていて、通りの明かりが下のほうから部屋をぼんやりと照らしている。
あくびを噛み殺しながら、適当に支度をして部屋を出た。あんまり外に行かないのも良くない。腹も減った。
廊下は誰もいなかった。下の酒場から、賑やかな声がまるで幻みたいに聞こえてくるだけ。そばにある音と言えば、よく人が歩いてつやつやの廊下がきしむ音。静かな呼吸の音が妙に耳をつく。
階段を降りるにつれ、人の声や食器のこすれる音なんかが大きくなっていく。
俺が日がな一日寝ていようが、起きていようが何にも変わらず町は日常を過ごしていっている証拠だ。至極当たり前の事に、なんとなく胸が塞ぐような感じがするのは弱っているからだろう。
聞こえる言葉は馴染みのないジョウストンの言葉。特に頼りもない異国の地でたった一人のような気がするからだ。
酒場に入って、案内された隅っこの席で適当に注文をする。愛想の良い店員がすぐに注文の品をもってきた。ごゆっくり、と言うが早いか、別の客に呼ばれて俺に背を向ける。みんな忙しそうだな。
誰かが誰かと話す声がする。注文された料理を出す。酒を注ぐ音。グラスの触れあう音。笑い声、怒鳴り声。全部が目的のある音だ。
そのすべてが、俺とは無関係だ。ちょっと面白いし、確かにちょっとつまらない。いや別に、全ての事象が自分を中心にしていてほしいなんて思っているわけではないけれど、誰とも繋がっていないというのはなかなか、ちょっと珍しい。
こと、最近は。
ビクトールはいつ帰ってくるんだろうか。日はとっくに落ちているのにまだ戻らないという事は、なにか難航しているんだろうか。どこに行ったかすら分からないから、俺にはここで待っている事しか出来ないのだな。
次からは行先ぐらい聞いておこう。頼んだプロフをちびちびと口に運ぶ。目の前にご飯がある間は、誰とも繋がってなくたって、ここにいたっていいんだからな。
そう思う程度には、なんとなく心細い気分だ。弱ってると本当に良くないな。
プロフを半分、玉ねぎときゅうりのサラダを半分。腹に収めたあたりでちょっときつくなってきた。酒場はまだまだ盛況で、いろんな人の声がする。
頬杖をつき、うすいアルコールで唇を湿らせた。ちょっと眠たい。あれだけ寝たのに。また客が入ってきた。いらっしゃいませ、と明るい声が上がる。
「起きてて大丈夫なのか」
一瞬落ちていたらしい意識が、覚醒した。見慣れた顔が目の前にあって、隣に座るところだ。店員がさっと寄ってきて、ビクトールから注文を取る。
「大丈夫、だけども」
「一人前が腹に入らないような奴は大丈夫じゃねえな」
ビクトールは一言断って、俺の皿からプロフとサラダを四分の三ほど浚って行ってしまった。残った分ぐらいなら食えそう。
ついさっきまで、一人でわりと手をこまねいてたんだけど、それがあっという間に解決してしまったというわけだ。
「遅くなって悪かったな。ちょっと手間取っちまってよ」
首を振り、わずかなめまいを覚えて目を閉じる。やっぱまだ全然だ。全然だ、と思える程度には気が緩んでいる。
目を開ければ、ビクトールが気づかわし気にこちらを覗き込んでいた。俺の行動に、誰かが反応するんだな。それは、なんというか、ちょっと、安心する。