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    m_nc47

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    #たいみつ

    最悪軸たいみつ⑥ 六月十一日の夜更け、三ツ谷は大寿を自分のセーフハウスのひとつに招いた。一軒家と単身者向けの低層マンション、アパートが入り混じる、都心を少しだけ外れた穏やかな住宅街にひそむ一室だ。三ツ谷にあらかじめ渡されていた合鍵で解錠し、静かに部屋に立ち入った大寿を、三ツ谷は玄関まで出てきて歓迎した。恋人の体温とキスを受け止め、大寿はゆっくりと部屋を見渡す。

    「良いところがあったもんだな」

     周辺の雰囲気も、マンションの気高い慎み深さも、「あの東京卍會の幹部」と聞いて大方の人間が思い浮かべるであろう普遍的で象徴的なイメージとは結びつきづらい。

    「うん、我ながら運が良くって……。あんまり自慢することじゃねぇけど、架空名義用意して実際にマンションの契約までこぎつけるのってそれなりに大変だろ。だけどここのときは何もかもがトントンで進んでさ。まるでもともとオレのために用意されてたみたいだった」

     室内はごく普通の単身者向けワンルームの間取りだった。廊下がキッチンを兼ねており、その奥に八畳ほどの部屋が佇んでいる。室内を彩るのは深みのある茶色を基調にして揃えられたインテリアだ。ミシンが置かれた作業台、隣には数台のトルソー。その上部の壁には三ツ谷が以前話していたシャガールの<婚約者たち>が飾ってある。奥には簡易的なシングルベッドがあり、寝泊まりもできるようにしているようだ。そして窓際には二人用のダイニングテーブルセット。小ぶりのキャンドルが飾られたその円形テーブルに、大寿は持ち込んだテイクアウト料理とワインを置いた。

    「アトリエみてぇなモンか。……ルナが、テメェにブラウス作ってもらったことがあるって言ってた」
    「うん。……嫌なこととかさ、まあ、生きてりゃ普通にあるでしょ。そういうときここにきて、デザイン考えたり……パターン引いたり……服作ってると、気分転換になるんだ」

     それに服作りはルナたちも喜んでくれるしね、と三ツ谷がほほえむ。
     大寿は三ツ谷の、大寿は決して持ち得ないクリエイティブな感性を誇らしく思っている。だから、反社会的勢力の東京卍會幹部として名を連ね、その仕事やストレスに忙殺されるようになっても服づくりをやめないでいてくれたこと───むしろ、創作が三ツ谷を癒やし、「こちら側」に繋ぎ止める錨になっていたことに心底安堵し、何にも変え難い喜びを感じた。三ツ谷はただの趣味だと笑ったが、トルソーがまとうジャケットやスカート、ワンピースは、贔屓目なしに評価しても、一流とうたわれる店舗のショーウィンドウに飾られていてもおかしくない。きっと人々の目を惹き、ファッションの喜び、奥行き、魅力を語りかけてくれるだろう。

    「……ここはね、マジでオレしか知らない秘密基地なの。……大寿くんと離れる前の……今の・・東卍になる前の気持ちを忘れないための空間。だからインテリアも凝っててさ。普段出入りしてる家の方が殺風景で荒れてて……大寿くんが見たら怒るかもって感じ。ここは、東卍のヤツらにも、ルナとマナにも、母さんにも教えてない」

     大寿は少し驚いて三ツ谷を見下ろした。ハハ、大寿くんその顔かわいい、と、三ツ谷がまなじりを緩める。大寿は持っていた荷物を床に置き、そのまま三ツ谷をきつく抱きしめた。

    「……オレたちだけの秘密だよ、大寿くん。良いでしょ、こういうの」

     交わしたキスの幸福を言葉に置き換えるのはあまりにも難しかった。それほど深く、途方もなく、得がたい愛がそこにあった。

    「……三ツ谷、これは……」

     作業台にはまだ十代の三ツ谷と東京卍會の幹部連中が写った写真が飾られていて、その笑顔に浮かぶ十代のまばゆいあどけなさが少しせつなかった。しかし大寿が目を見開いて指し示すことになったのは、その隣に飾られた、昔大寿が三ツ谷へ贈ったあの・・香水だった。シンプルで洗練されたボトルデザインはこの部屋によくなじみ、その価値をいっそう高めているようにさえ見える。

    「はは、覚えてた?」
    「……当たり前だろ」

     忘れるわけがなかった。再会したあの夜まで、たとえば街中の雑踏や仕事で参加したパーティー、取引先との会食で立ち入ったレストランでそのシャネルが香って、思わず三ツ谷の後ろ姿を探し求めたことが何度あっただろう。

    「……本当は、離れてしばらくしてからもね、つけてたんだよ。……ずっと。大寿くんが一緒にいてくれるような気がしたから。……大寿くんにずっと一緒にいてほしかったから」

     三ツ谷が少し照れたように大寿の顔を引き寄せ、その輪郭をなぞった。

    「でも、人の道外れたことしてるときも一緒なのはさすがにキツくてさ。……大寿くんにこんなオレ見せたくねぇなって。それでここに持ってきたの。ここはオレがオレに立ち帰る場所だから、大寿くんは必要不可欠だろ。さすがに七年以上経っちゃったからもう直接肌や布にはつけないようにしてるけど。ときどきこんなふうに、ほら」

     そう言いながらするりと大寿の腕から抜けた三ツ谷は、手に取ったボトルのスプレー部分を押しこみ、そのみずみずしさを空中に広げて見せた。

    「ここに大寿くんがいる気がする」

     愛に濡れた視線が絡まり、三ツ谷がとろけたように微笑む。ふたりはもう一度、角度を変えて深いキスを交わした。

    「……料理、冷めちゃわないうちに食べようか。大寿くんの店の?」
    「いや、違う……でも、懇意にしてる料理人に頼んで特別に作ってもらった。味は保証する」

     彼がオーナーシェフをつとめる店の名前を出すと、今の三ツ谷にそういった店は縁遠いものでもないだろうに、小さな子どものように喜んできらきらと目を輝かせた。

    「こっちはケーキだから冷蔵庫しまっとくぞ」
    「うん、オレやっとくよ。……ありがとう、大寿くん」

     その後頭部を抱えて再度ついばむだけのキスを交わし、大寿は順番に料理の包みを開けた。あ、ちょっと待って、と言葉尻を踊らせた三ツ谷がケーキをしまうのと入れ替わりにキッチンから数点の食器とグラス、そして菜箸を持ってくる。そのままプラスチック製の容器から暖かみのある食器へ、慣れた手つきで食事を盛り付け始めた。食器やグラスは三ツ谷のこだわりが感じられる選び抜かれた品々なのに、菜箸だけはおそらく実家から持ちこんだであろうところどころ色が禿げた古めかしい柄をまとっていて、そのちぐはぐさに妙な生活感を覚えて大寿は思わず頬を緩めてしまう。同時に、十代の頃、三ツ谷に生活とは何たるかを教えこまれたことを思い出した。

     まだ大寿が三ツ谷と出会う前───大寿が妹と弟の面倒を見ていた頃、大寿は自分が妹弟の生活のすべてを支配していると思っていた。たしかに大寿は親に代わって柚葉や八戒に生きていくうえでのマナーやルールを暴力をともなって教え、学校の勉強や提出物を見てやり、必要があれば父につないだ。それは同世代のほかの子どもたちは決してする必要のなかった経験だろう。しかし、大寿は実際の生活・・・・・についてはまるで無知だった。料理や洗濯、掃除、食品や日用品の細やかな買い出し、その他名もなき家事すべては父が雇った家政婦が引き受けていた。家の中がいつも清潔で着るものにも困らず、トイレットペーパーが切れているとか、廊下の電気がつかないとか、庭の雑草が鬱陶しいとか、そういった困りごとの記憶がないのもおそらく彼女のおかげだ。そして父もまた、子どもたちの進級や進学、習い事や通院等に伴う面倒な書類のやりとりをこなして生活を回していたいただろうが、当時の大寿は生きていくうえでそんな作業が必要であるという事実を想像したことさえなかったのだ。だから家を出てひとり暮らしを始めたとき、日が経てば経つほどかさんでいく生活というものの煩雑さに困惑し、井の中の蛙のようだった自分を恥じた。
     一方で三ツ谷は、幼いうちから妹たちの生活まで引き受けていたように思う。だから彼は、たとえば備え付けの棚の中を効率的に使うにはどこの仕切り板が安くて品質も良いとか、野菜を長く保たせる方法とか、黄ばんでしまった洋服のシミの抜き方も、そもそもそれを防ぐ方法を知っていた。今思えば馬鹿らしい金額をかけ、自分が知りうるごく小さな生活圏だけで日用品や食材を揃えようとしていた大寿を慌てて百円均一やコストパフォーマンスの良いスーパーに連れて行ってくれた三ツ谷が「いくら大寿くんがたくさんお金を持っていてもその価値は誰にでも平等でしょ。お金はあるにこしたことないからさ、大寿くんも節約術覚えなよ!」と笑ったのは、まだ東京卍會がかすかな安寧を残していた時代の話だ。もちろん三ツ谷が教えてくれたすべての物事が大寿の独居生活に即したわけではないが、三ツ谷がいなければその内実はもっと人間味のないものになっていただろう。

    「はあ、まじで美味そう。食べよ」

     その頃と変わらない手際の良さで食事に彩りを加え、空になったパックをまとめてキッチンに片付けた三ツ谷が、にこにこと笑いながらダイニングテーブルに戻ってくる。食器の位置を少し整えると、じゃーん、と笑いながらテーブル中央のキャンドルを灯して、両手を合わせて「いただきます」と笑った。

    「お誕生日おめでとう、オレ〜」

     はしゃぐ三ツ谷を見ているのは心地が良かった。大寿もつられるように「ああ、おめでとう」と笑みをこぼす。またこんなふうに三ツ谷の誕生日を祝える日が来るなんて、夢のような心地がした。大寿はワインボトルを開け、それぞれのグラスに丁寧に注いだ。

    「……美味いか」

     目許をとろけさせて品々を咀嚼する三ツ谷に、大寿が笑いながら問いかける。

    「めちゃめちゃ美味いよ! 味は保証するって言ったの、大寿くんじゃん」

     三ツ谷は機嫌良く笑い返した。こんな美味いもん久しぶりに食べたかも、まじで、と、三ツ谷がひとみを輝かせる。

    「……もう自分でメシ作ることはあんまりねえのか」
    「そうだねえ。……母さんたちのとこ顔出したときは一食作って一緒に食うこともあるけど、それくらいかな。今はもうルナもマナもたいていのことできるし、そもそも母さんも子どもじゃないしさ。オレ別に料理得意だけど……自分のためだけに凝った料理するかって言われると、そういうわけじゃないかな」

     そうだ。幼い頃の三ツ谷は必要に駆られていただけで、この男の性根はもっと───柴大寿を振り回すほど、自由気ままだ。きっと、創造的な感性の源泉もそこにあるのだと思う。

    「……別に自炊はしなくても良いがちゃんと食ってちゃんと寝ろよ」
    「ハハ、母ちゃんみたい。大寿くんもな。不規則な生活してんだろ」

     体は資本だ。何もかもは、準備が整った肉体───十分な休息なしにして成し得ないとわかっている。けれど、特に三ツ谷と離れた直後の大寿は、昼夜問わず仕事や勉強に没頭し、ほんの数時間だけ寝てまた早朝から深夜まで働き倒すという生活を続けていた。そうしていないと不安や空虚さに押しつぶされておかしくなりそうだったのか、と問われたら、大寿は首を縦に振らざるをえない。さすがに今はもう少しまともな生き方ができるようになったが、繁忙期はまだ無理をしてしまう癖が抜けない。それに、大寿の何よりの癒やしは三ツ谷だ。それを持たないこの七年の大寿は、本当の意味で安らぎを得ることなどできなかった。だから今、こうして三ツ谷と体温を、食事を、言葉を交わすだけでも、すべてが救われていくような心地がする。

    「……十二月にさ、大寿くんと会った美術館の絵……ルドンの絵、すごくよかったの、覚えてる?」
    「ああ、忘れるわけねぇ」

     三ツ谷が嬉しそうに口元を緩ませる。それでね、と、少し浮ついた口調で続けた。

    「もっと知りたくなってさ、ルドンの他の絵もあらためてちゃんと見たんだ。画集買って」

     服のヒントにもなるかなと思ったし、と笑った三ツ谷の口許についたソースを、親指でぬぐってやる。三ツ谷が照れたように「ありがとう」とはにかんだ。

    「……大寿くん、ルドンの<キュクロプス>ってわかる?」
    「一つ目の巨人が、山で……花に囲まれた女性を見てる絵だろ」
    「そう! さすがだね大寿くん。脳みそのキャパ、オレの百倍ありそう」

     ケラケラと笑った三ツ谷に、褒められているのにからかわれたようでムッとしながらも大寿が続ける。

    「あの絵を初めて見たとき……あの怪物が自分に見えて、それで印象に残ってたから覚えてた」

     大寿はグラスに注がれたワインを一口飲み下した。三ツ谷が少し驚いたように瞳孔を広げて大寿を見る。

    「……どうして?」

     大寿は慎重に言葉を選びとりながら、グラスを置いたその手を三ツ谷の左手に重ねた。

    「『オデュッセイア』に出てくるキュクロプスは、巨人で、凶暴で、人から嫌われてるだろ。あの絵は、そういう粗野な生き物が愛を知って……あんなに優しい表情を覚えたように見えた。だから、巨人が見つめてる女性はおまえで……巨人は、おまえに愛情を教えてもらって丸くなった自分に似てると思った」

     言い終えた大寿は、それが熱烈な愛の告白になってしまったことを悟った。心なしか三ツ谷の頬も照れで赤く染まっているように見える。しかし今さらそれを恥じらうようなふたりではない。大寿は重ねた手の指を絡め、温もりをたたえた黄金色のひとみで三ツ谷を静かに射抜いた。

    「あの絵の背景や詳しいところは知らないから、画家の真意はもっと違うのかもしれねぇが」
    「……絵を見たままの感想を持つことは大事じゃん」

     そう言った三ツ谷が大寿の手を握り返し、そのまま手の甲にキスを送った。食事中だぞ、と咎める大寿に、三ツ谷がまた軽い笑い声を上げる。ふたりの会話は三ツ谷がどこかはぐらかすように切り出した別の話題へそのまま流れてしまい、結局、どうして三ツ谷が<キュクロプス>について持ち出したのかは聞けずじまいだった。

     腕時計が指し示す時刻が零時を回ったのを確認して、大寿はあらためて三ツ谷にキスと祝福を送った。席から立ち上がり、部屋の隅に寄せていた荷物の中から、ひとつ、ひときわ大きな包みを取り上げる。

    「それ絶対プレゼントだろうなって、ずっと気になってた」

     三ツ谷がささやかないたずらに協力する子どものような顔で笑う。開けてみろ、と言いながら、酒がまわって温まった彼の手を引いた。大きく四角い包みだから、それが絵画の類であることは三ツ谷も検討がつくだろう。問題はそれがどんな絵画かということだ。

    「……シャガールじゃん」
    「複製画だがな」

     薄暗い部屋に現れ、三ツ谷のひとみに反射した色彩───マルク・シャガール<誕生日>。額縁ごとそれを取り上げ、両手で大切そうに掲げた三ツ谷がはにかむ。

    「さすがに本物だったらこえぇよ。……大寿くんならちょっとありえそうだし」

     三ツ谷がその絵を両手で大切そうに抱き込む。まるで恋人に───大寿にそうするように。

    「ありがとう大寿くん。……月並みなことしか言えねぇけど……大切にする」

     素朴でしかし気の利いたインテリアに満ちた生活の中でキスをしながら宙に浮くカップルは、誕生日という他のどんな記念日より美しい一日を迎えて浮き足立っているように見える。しかしその色づかいからどこかほの暗さを呼び起こす一面もあり、三ツ谷に贈るべきか迷ったが───今の大寿と三ツ谷の互いへの思いを象徴するような、情緒的で夢幻のような秀麗さはきっと三ツ谷の心を満たしてくれるだろう。三ツ谷は長い時間をかけてじっと絵を見つめ、しかし感想は言わずに、壁にかかる<婚約者たち>と並べて飾ると、ひとみを星々のように瞬かせた。

    「そうしたらここは、大寿くんの愛で満ちた部屋になるね」

     朝日が上るまで、ふたりは自分たちを待ち受けるであろうバッドエンドに気づかないふりをして、ただ、互いに愛を伝えることだけに勤しんだ。今だけは、目の前で自分を受け容れてくれる恋人の存在だけがすべてだった。どれほど互いに愛し合ってもふたりは独立した個人であり、だからふたりは互いを好きになったのに───伝えても伝えても内側からとめどなく溢れでてくる愛情は、ふたりの境目をゆるやかに溶かし、どこまでも曖昧にさせるような気がした。

     その年の夏は雨が多く、まるで大寿の焦燥と不安を加速させるような、厭な湿り気をともなってじとりじとりと過ぎていった。第三木曜日は七月も八月も変わらず三ツ谷と直接体温を交わすことができたのが唯一の救いだったが、東京卍會幹部の粛清がやむことは当然なく、この夏、新たに三人が凶弾に倒れた。
     そして、九月は後半になっても抜けないその薄暗さに大寿が吐き出す術のない苛立ちを募らせていた頃、警察からの一本の電話が大寿に愛弟の死を知らせた。
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