夢見た未来と違っても。2確かに自分は死んだと思った。
それなのに目が覚めると言う感覚でもって目蓋を開いた。
見覚えの無い天井に見覚えの無い照明器具がぶら下がっている。
寝起きのせいかぼやける視界にもう一度ぎゅっと目蓋を閉じて開くが、やはりそこは知らない場所だった。
知らない場所で感触的にベッドか何かに寝転んでいる。
顔にかかる前髪を掻き上げると肘が何かに当たった感触がする。
何だとそちら側を向いてみればこんもりと人型に盛り上がるシーツの山。
自分以外の誰かの温もりが毛布の中の足に当たっているのを感じる。
これはつまり隣に誰か居るという事であろう。
「誰…?」
全くといっていい程心当たりも見覚えも無いそれに、なんなんだ一体と身を起こす。
その振動がベッドを揺らしたらしく、隣の温もりがモゾモゾと動き出した。
もしかして、全部夢で酔って誰かの家に転がりこんだのか?と考える。
今まで酔い潰れるほど酒を飲む事は無かったが、ここ最近忙しくて寝不足だったのもあったし酒の回りが早かったのかもしれない。
昨日の記憶も全く無いし、ここは適当に声をかけて何とかこの場を切り抜けて帰ろう。
そう思い隣で寝ていたらしい女の顔が出てくるのを大人しく待った。
「ん〜…」
しかし、シーツから出てきたのは予想とは違う姿である。
ボサボサに寝癖のついた金色の髪、をした男だった。
真っ白い肌肩や滑らかな背中は一瞬女かと思わせるが、肩幅や唸る声はどう見ても男だ。
「…男、なのか?」
今まで女と寝た経験は幾つもあるが、男と寝る事はほぼ無い。
性癖は女を性の対象としているし、男で抱きたいと思うのも抱いたのもたった一人だけだ。
幾ら肌が綺麗で髪が女のように長くたって間違えて男とベッドを共にするなんて、自分で自分が信じられない。
のそりと上半身を起こしたその男は顔を覆う金色の髪を煩わしげに掻き上げて、眠たそうな目蓋を唸りながらもこじ開けた。
「は?え?」
長い睫毛に覆われた目蓋の下から現れた瞳の色に思わず声が漏れた。
「ん、起きてたのか?」
寝ぼけ眼と少し掠れた声でこちらに顔を向けて微笑むのは幼馴染にとてもよく似た顔だった。
というか、火傷の痕までもが完全に一致する。
だが、彼はこんなに髪は長く無かった。寝起きだってこの倍ぐらい酷い。
だとしてもこんなにも似すぎている他人の空似にはあまりにも出来過ぎてる。
「…もしかして、イヌピーなのか?」
半信半疑でとりあえずそう聞いてみる。
本当に見れば見るほど顔は幼馴染にそっくりだった。
正確には幼馴染が少し大人っぽくなったようにも見える。
自分と幼馴染は同い年の筈だが、一晩で急成長したとでも言うのだろうか。
そんな馬鹿げた事を思うくらいには何もかもそっくりなのだ。
「久しぶりだな、そう呼ばれんの」
ふふ、と幼馴染にそっくりな顔で幼馴染がしないであろう笑い方をした。
しかもどういう訳かこちらに親しげに体を凭れ掛けるようにくっつけてくるでは無いか。
慣れているようなその仕種にどうしたらいいのか解らず視線を周囲に無意味に巡らせてしまう。
ふとベッド横にあるデジタル時計が目に入った。
時刻は午前中であったが、そんな事より日付がおかしい。
この時計が移しているのは自分の覚えてる日付から10年ほど時が経ったものだ。
単純に故障なのか?と思い時計に手を伸ばそうとして、自分の腕が視界に入る。
そこで更なる違和感を覚えた。自分の腕なのに何か違う気がする。
太さこそそんなに変わったようには見えないが、こんなに筋張っていて筋肉がついていただろうか。
そう言えば体も何だか筋肉質になっている気がする、腹筋だってこんなにくっきり割れるほど筋肉はついていなかったし、何というか全体的に体つきが昨日よりもしっかりしているような感じがする。
隣のイヌピー…イヌピーでいいんだよな?と確信のような疑問のような気持ちを抱きつつも見てみると、記憶よりも髪が伸びていて顔立ちも少し大人っぽい。
これは夢なのだろうか。
もしかして、10年後の未来の姿を夢に見てるとでもいうのだろうか。
…そういえば、死にかけて筈だ。
普通こういう時は走馬灯が見えるものでは無いのか。
何で過去じゃなく未来なのだろう、と思考がそちらに傾いてつい忘れていたが。
(てか、俺らなんか…もしかして裸じゃね?)
腕に絡まってくる肌の体温にそういえば、と今更ながらに思い当たる。
そんなココの事などお構い無く、見慣れない大人びた姿の幼馴染はちゅっと可愛い音を立てて頬に口付けてきた。
唐突なそれに驚いてビクッと肩を揺らしてしまうが、少し潤んで赤くなった目元とふっくらとした唇が至近距離あってえ、本当何これと…混乱するココである。
「はじめ、今日休みだろ。だからさ…」
耳元に唇を寄せて内緒話でもするような声色で色っぽく囁かれてオマケに指まで絡めて手を握られてしまいはあ!?と内心で激しく動揺してしまう。
これは、もしかしなくてもそういう誘いなのか…!?と信じられない目で見てしまった。
「い、イヌピーどうした?」
とりあえず落ち着こう、自分もイヌピーも。とドッドッドッと早くなる鼓動を誤魔化す為に体を離そうとするが、不満気にむぅと唇を尖らせて拗ねた顔をされてしまう。
「もうイヌピー呼びは良いって!いつもみたいにちゃんと名前で呼べよ!」
「え、な、なまえ…」
そんなの今までほぼ呼んだ事はない。
お互いにずっと幼い頃からあだ名で呼び合ってきたし、下の名前を知らないわけでは無いが気恥ずかしいという気持ちが強く、そう言われても困る。
どうしたら良いんだこの状況は…と悩んでいると催促するようにグイっと顔を近付けてきた。
元々この顔に弱い上に更に大人びて美人度が上がっている顔立ちにはどうしたって敵いそうにない。
「せ、せいしゅう…」
観念してあまりにも呼びなれないそれを口にしてみたものの、恥ずかしさとムズ痒さで今すぐに逃げ出したいようなどうしようもない気持ちが湧き上がってくる。
「はじめ」
こちらもほぼ呼ばれる事が無くなった下の名前で呼ばれてしまい、柄にも無く頬が熱い気がした。
もう一度、消え入りそうな声で青宗、と口にしてみたら擽ったそうに、花が咲いたような表情で微笑まれて心臓の辺りがギュッと苦しくなった。
(わ、可愛い…こんなイヌピー見た事ねぇ…)
よほどこの世界の自分と青宗は信頼しあって居るのだろう。
そうじゃなきゃこんな愛されている事を疑いもしない無防備な笑顔を見せるわけがない。
自分の知る彼は殆ど表情が変わらなくなってしまった。
まるで、笑う事も泣く事も許されていないみたいに感情を押し殺しているようで。
それがいつかこんな風に穏やかに微笑んでくれる未来があるのだろうか。
こうやって自分に遠慮もなく、罪悪感も無く素直に甘えて来るようになれるのだろうか。
「はじめ、疲れてるだろ?俺が全部してやる。」
起き上がった青宗にベッドへ押し倒された。
全部って、一体何をしてくれるつもりなのだろうという期待と好奇心はどうしても抑え切れない。
自分だってそういう部分は普通の男なのだから、仕方ない。
誰に対するものなのか解らない言い訳を脳内に並べながら、つい青宗のされるがままに身を委ねた。
シャワーの飛沫が床を叩く音を聞きながら、ぐしゃぐしゃに乱れたベッドの上に心地良い疲労感の残る体を投げ出しながら、呆けた顔をして天井を見つめてしまう。
(大人のイヌピーすごかった…)
数分前の事を思い出すと頭に血が上ってふわふわとした脱力感を覚えた。
元の世界のココと青宗は確かに肉体関係があった。
しかし二人は恋人同士でも無ければ甘い言葉を囁き合うような仲でも無い。
どちらかというとそれは、性欲処理や感情の発散に近くもっと淡々としたものだった。
それに不満が無いと言えば嘘になるが、それでもそうする事で言葉に出来ない気持ちの逃し場所を作っていた。
お互いにそうするしか無かった。他の方法なんて知らなかったから。
…それがさっきの行為は全くの真逆で、情熱的に求められ奉仕され、あまつさえ上に跨られたし腰を振られて、正にされるがままになっていた。
はじめ、好き、大好きなんて沢山言われてキスをされてそれだけで多幸感で頭が馬鹿になりそうだった。
正直今までしたセックスで一番気持ち良かった。
いつもは自分がリードして、青宗はただ流されるままに行為を受け入れているだけだった。
こんなに積極的に求められた上に、「いつものガツガツしたはじめも好きだけど、たまには俺に好きにされてるはじめもカワイイ」と余裕の笑みまで向けられたら中身は10代の自分は撃沈するしかない。
(まあイヌピーは実際あんなんじゃねぇし、俺の事好きだなんて間違っても言わねぇもんな…)
都合の良いユメだ、と現実を思うと少しだけ虚しくなってしまった。
シャワーから上がった青宗はご機嫌な様子で外にデートに行きたいと強請ってきた。
こんな可愛い顔されたらこの世界の自分は言われるがままに甘やかしまくって居るんだろうなと予想がつく。
現に早速自分は出掛ける為の身支度をしている。
とりあえず開いたクローゼットの中身は一目で自分が揃えたものだと解るデザインの服や小物が並んでいた。
棚の上に財布も発見した。これもこの世界の自分の物なわけだしどうせ殆ど青宗の為に使うのだから構わないだろう。
鏡で自分の姿を確認してみると、やはり顔付きも体型も記憶しているそれより大人びている。
髪型だって随分落ち着いていし、こんなに短いのは多分中学生以来だ。
置いてあったワックスを見て大人になってもこのメーカーを使っているんだな、と自らの拘りに納得しながら髪をセットした。
隣の部屋で身支度をしているらしい青宗の方はどうなったろうか、と声を掛けてドアを開ければ何故か上下グレーで揃いのスウェットを着ている。
「え…それで出掛けんの?」
「うん、楽だし動きやすいから」
思わずやめてくれ!と慌てて部屋を出ようとする青宗を引き止めて、クローゼットを開けた。
このクローゼットの中がスウェットや緩いトレーナーばかりだったら自分の服を着せるしかない…と恐る恐る見遣るとそこには意外にもたくさんの服が収納されていた。
なんなら自分のクローゼットの中よりも多い気がする。
手に取ってそれぞれ見てみると、どの服も青宗の髪や目の色によく似合うものばかりで手触りも良い。
これを選んだのは絶対自分だろうな…と検討がついた。
その中から自分の服装と並んで歩いても合うものを見繕って手渡して着替えさせる。
「やっぱはじめはお洒落だな。俺そういうの全然わかんねぇ」
「イヌ…せいしゅうはもうちょい自分の見た目に興味持てよ。せっく美人なんだから…」
ついそう言ってから、しまったと思う。
容姿の事を口にするのはタブーだった。
嘗て自分が彼を初恋の女性と比べてしまった事から、青宗は顔の話になると不機嫌になるのだ。
虫の居所が悪いとその日はずっと口も聞いてくれなくなってしまう。
顔の話をしてきた相手が部下や抗争相手だったらもうそれは悲惨な事になるくらいには地雷だ。
「はじめ、本当俺の顔好きだよな」
やってしまった、と恐る恐る反応を伺ってみれば目の前に居る青宗の反応は予想とは全然違うものだった。
不機嫌どころか何も気にした様子も無くふふ、と小さく笑っている。
「…好きだよ。イヌ…青宗の顔すげえ、好き」
「俺も、はじめの顔好きだぜ」
サラっとそう言われて複雑な心境になった。
青宗の顔が好きなのは偽りのない気持ちだったが、口にすると引っ掛かってしまう気がしてどうしても言えなかった。
確かに昔は顔立ちはあの人とよく似てる顔だった。
だが表情や感情は全部青宗本人のものでしかなく、隣で過ごす時間が長くなればなる程にやっぱりそんなに似て無いな、と思うようになっていた。
それでも青宗自身のその顔が好きだと心から思っていても、それを口には出来なかった。
本音で言ってるのに、その言葉はきっと届かない。
傷つけてしまうだけだから言わない方が良かった。
こんな風に日常的な会話の戯れとして口に出来たなら良かったのに。
そうやって伝えたい事をいくつも飲み込んできた。
身支度を済ませると二人で街に出掛ける事にした。
肩を並べて歩いてる間も青宗は機嫌が良いようで、暑いかと思って結んでやった髪を揺らして時折振り向いては笑う。
釣られて自分も笑みを返したが、青宗がこんなに表情が豊かになっているなんて小学生以来かもなと思う。
自分の知っている青宗は些細な事では笑わなかったし人を殴っている時ですら無表情だった。
二人きりの時に気が抜けてたまに笑ってくれる事もあったが、殆どそれもなかった。
「はじめ、俺あそこのカレーパン気になってたやつ!」
物思いにふけっていると青宗が腕を引いてベーカリーの方を指差す。
記憶の中の青宗は基本的に好き嫌いは無く何でも食べる方だったが、それはつまり食にも対して興味が無いという事だった。
あれば食べるし無ければ食べない。自ら何かを望むような発言はあまり無かった。
もしかしたら言わなかっただけで、あの青宗もカレーパンが好きだったのかもしれない。
そういう事に気付いてやれて無かったな、と思うと少し切ない気持ちになった。
多分、もうあの青宗には二度と会えないんだろうから。
それならその分、今目の前に居る大人になった彼の好きな事を出来る限り叶えてあげられたら良い。
そういう思いから青宗のやりたい事に何でも付き合おうと心に決めた。
カレーパンを買い食いして、適当に街中をブラリと歩いているだけの普通のデートをしている。
普通からしたらただそれだけの事なのだろうが、考えてみればそういう事は誰ともした事が無かった。なんなら誰かと付き合った事も無い。
彼女が欲しいだとか恋愛がしたいだとか年頃の普通の悩みを持つ余裕さえ無く、只管生き急いで走り続けているだけだったから。
普通に好きな人とデートをするという事のハードルがあまりにも高過ぎて考えた事も無かった。
「あれ、はじめに似合いそう!」
「あの店入ってみるか」
ウィンドウ越しにマネキンの着ている落ち着いた服装を指差す青宗にそう提案すると頷いた。
マネキンの着てる服はシックで落ち着いた色合いで確かにこの世界の自分なら好きそうだな、とクローゼットのラインナップを思い返す。
スウェットで出掛けようとしていた癖にココの事は良く見ているらしい青宗に自然と頬が緩む。
輸入物のセレクトショップらしいその店で二人で互いにこれはどうだああだと言っているだけで楽しい。
その中でとても青宗に似合いそうなシャツを見つけて直接青宗に充ててみたら予想通りとても似合っていた。
「やっぱこういう色似合う。可愛いな」
自然と口をついて出てしまう言葉も目の前の青宗は素直に受け止めて鏡で確認している。
喧嘩もせず黙っていれば青宗は身長も高いし手足も長いから何を着ても似合うのに、本人はまるで興味が無さそうで殆ど特攻服か部屋着のスウェット姿ばかりだったよなと、思い浮かべてしまう。
「はじめがそう言うなら、このシャツ買おうかな」
振り向いてそう言った青宗は同じ顔をしているのに表情や言動が違うだけで大分印象が違ってみえる。
どちらの方が良いとか悪いとかそういう事は思わないが、こうやって笑ってくれるとこちらも嬉しい気持ちになった。
「いいよ、俺が着てほしいから俺が買う」
「いいの?」
「俺の為にお洒落してくれる青宗が見れるなら安いもんだ」
自然とキザなセリフが口から出てしまい、ちょっと気恥ずかしい気がしたが多分この世界の自分はこれが普通なのだろう。
青宗の方もじゃあ、はじめとまたデートする時着るよ、なんて返してくる。
尻ポケットに突っ込んであるクローゼットから持ち出した財布を開くと現金数枚とカードが入っていたからとりあえずカードで会計を済ませた。
この財布にもカードにも覚えは無いが、広い定義で言えば自分の財布なのだし青宗の為に金使うなら許されるだろう。
むしろそれが一番の金の使い方じゃないか。
記憶よりも髪が伸びて大人びたその姿はとても綺麗だったし、自然に微笑む表情は柔らかくてきっとこの世界の青宗は幸せなんだろう。
その隣に自分が居て恋人として上手くいってるのも嬉しいし、良い世界だと思う。
それなのにどうしてかこの世界の全てが時折何処か遠くにも思えた。
夢なのかそれとも本当に未来を見ているのか判断がつかないくらいリアルなのに、自分の記憶との違いが寂しくもあった。
「喉乾かない?俺あっちで飲み物買ってくるからはじめはここに居て」
そう言ってベンチに座らせると少し離れた所にあるクレープやジュースの売られているワゴンの方へ駆けていく。
ワゴンから顔を出した店員にメニューを指差しながら注文をしているのが見えた。
ドリンクが出てくるのを待ってる間に青宗がこちらを振り向いて目が合うと笑いかけてくる。
手を振ってそれに応えながら平和な休日を過ごして居るんだな、と感慨深い気持ちになった。
自分と青宗にもこんな未来があったのだろうか。こんな風に平凡で幸せと言える日常を送るような。
少なくとも、10代の時点で足を踏み外してしまった世界ではそれも程遠いだろう。
もし自分が生き延びれていたら、そういう可能性もあったのだろうか。
そんな事を考えてたらついぼんやりしてしまったらしい。
突然背後から何かがぶつかったような大きな音がして振り向いた時にはもう遅かった。
逃げるには間に合わないであろう距離、目前に大型トラックの車体が迫ってきていた。
あ、と思う間も無くそのまま数秒後にさっきよりもずっと大きな衝撃音と共に体が宙へ浮いた。
こういう時、本当にスローモーションのように周囲が見えるものなんだなと他人事みたいに思っていたら、ドンっと鈍い音と共に地面に落下していた。
人々の集まってくる足音や気配は感じるのに体は全然動かなかった。
アスファルトに投げ出されている自分の手や頭の下にじんわりと生温かい赤い液体が染み出していく。
それから一拍遅れて、体に呼吸や音や痛覚が戻ってきた。
せり上がってくる感覚に反射的に咳き込むとゴボっと大袈裟に口から血が吹き出した。
足や手を動かそうとしても言う事を利かない。唯一自由になるのは視界だけだった。
駆け寄ってくる足音に視線を動かせばさっきまで幸せそうに笑っていた顔は蒼白で、歪み始める。
はじめっ、と何度も必死に名前を呼ぶのが聞こえてきた。
人に恨まれるような事を沢山してきたし、命も奪ってきた。
そんな自分でも最後にこんなに泣いてくれる人が側にいてくれるなんて、この世界の自分の人生は本当に幸せだったんだなと思う。
陽の光に透けて揺れる金色の髪も涙の雫で濡れる睫毛も、青緑に光る瞳もとても美しかった。
重たい手を何とか動かして、その白い頬に咲く火傷の痕に触れようとして自分の手が血で汚れてるのに気付いて躊躇う。
そんな事は構わないと、青宗のが温かい手が触れてそっと握り頬に充てた。
はじめ、はじめ、と何度も震える声が呼んでいるのに抱き締めてやる事も出来ない。
大きな涙の粒がぽとりぽとりと青宗の大きな瞳から雨のように降り注ぎ頬を濡らしていく。
泣かせてしまうのは心苦しいがトラックに轢かれたのが彼じゃなくて本当に良かったなと思った。
重たくなっていく目蓋の裏側に浮かぶのは、自分の良く知るまだ少し幼さの残る幼馴染の仏頂面だった。
「…俺、やっぱイヌピーの事好きだわ…」
そう呟くと世界は暗転した。
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