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    限界羊小屋

    @sheeple_hut


    略して界羊です

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    限界羊小屋

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    フレリン クリア後
    江ノ島デートで二人の世界をちょっと広げる話 両片想いのままエンド

    #フレリン
    frelin

    さよなら夏の日 二限終わり。今日の講習は午前中までだ、さっさと帰ろう。参考書とプリントを詰めた鞄を乱暴に背負って教室を出る。まだ1年ながら、夏季講習の類も補習も宿題も容赦がない。片付ける先から机の上に課題が積み重なってゆく。それでもこうして午前で講習が終わるだけ普段より有り難い。帰っても特にやることはないけど、これ以上積み上がることがないから余計に不安がらずに済む。
     昼下がりの廊下で耳馴染んだ声を聞いた。
    「おーす」
    「おっす」
     手を振って駆け寄ってくる友人に軽い挨拶を返した。初めて彼が名乗って以降、彼の自己紹介に倣って”フレット”と横文字呼びしている。彼のクラスも講習が終わったようだ。
     お互い部活も入っていなかった。故に帰る時間はいつも同じで、自然と一緒にいる時間が増えていった。真っ直ぐ帰ってストイックに勉強。俺たちには未来がある。とはいえ、自習時間の間も疲れたら連絡を飛ばしあってる。
     廊下を並んで歩く。窓の外に這わせた朝顔が真昼の光の中で頑張っている。彼は数学の追試の内容に軽く触れてから、話を振り向けてくる。
    「土曜日空いてる?」
    「空いてるけど」
     このまま予定がなければ宿題の片付けに当てるところだ。
    「遊び行かない?」
    「行くか」
     未来をぶっ潰してぼんやり漂うのは気持ちがいいものだ。異論なしだった。
    「どっか遠く行かない?」
     そう来たか。
    「何で?」
    「俺ら遊びに行く時この辺ばっかじゃん」
     その通りだった。それはいけないことだろうか?
    「だめ?てか別にそれで良くないか?」
    「世界せま」
    「煽られた…………」
     いや、まぁ、そうだとして。ド直球で来られるとちょっと傷つくんだけど。
    「リンドウどっか行きたいとこないの?」
     別に行きたいところがない訳ではない。でも俺から誘ったらどこまで本心になるか分からないから、それが嫌だった。フレットに任せておくという体が楽だった。それなら嫌な思いをさせることもない。お互い楽だし、俺も余計に気を回さなくていいし。
     傷つくこともないし。
    「いつも俺に付き合わせてるし、もしあったら付き合うけど。どうよ」
    「んー……」
     今日は妙にしつこい。でも俺も正直疲れてきていた。
     いつも俺を待って一緒に帰り道を歩いてくれる彼の姿を探すことに。
    テストのたびに、聞いてもいないのに勝っただの負けただの楽しげに報告してくる彼に張り合うことに。
    この動画よくない?と送られてくるリンクに続いて、何でもないやりとりをダラダラと続けてしまえることに。
    嫌じゃない。決してない。ただ怖かった。そんな時、自分がどんな顔をしているのか分からなかった。いい機会だろ、と頭の中で声がする。天使か悪魔か分からないけど、乗ってしまうのも悪くないじゃないか。
    「本当に断らない?」
     嫌われたら嫌われたでまぁいっか。いや、良くはないけど何とかなるだろう。
    「9割9分断らない」
    「保険かけんなし」
    「死ねって言われたら断る」
     それ以外はいいのかよ。笑い混じりの声に便乗して、思い切って口に出してみる。なるべく冗談のトーンになるよう気をつけた。彼の真似だ。
    「海とか。……海行きたい」
     間髪入れずに帰ってくる。
    「いいね」
     行こうか、と何の気なく彼は言った。本当かよ。
    「行き帰り時間かかるけど」
    「かかるだろうねー」
     そう言った彼の声はやけに弾んでいた。
     今まで俺たちはずっと渋谷で曖昧に遊んできた。人でいっぱいの道、コンクリートが焼ける匂いとショップから流れてくる香水や石鹸の香り、空を圧迫するような商業施設の高層、それが俺らの住む世界だったし、ずっとそれでやって行くんだと思ってた。海、という言葉から連想される開放的な気分は何だか俺たちにそぐわないような気がして、嫌ならいいんだけど、と続けようとする。が、やめた。少し広げてみてもいいかもしれない。ダメだったらそれまでだ。

     そして俺たちは本当に海に行くことになった。男二人で海というなかなか濃いイベントに対して何か思うところはないのか、とそれとなく聞いてみたけれど、後で彼女と来る時恥かいたら嫌じゃん、と流された。
    「今のうちにお互い予行練習しとこ」
     なるほど筋は通っている(本当か?)。そしてとんとん拍子に予定は決まっていった。行きやすいところだとしたら千葉よりは神奈川だ。神奈川で海というと三浦か湘南あたり。湘南、江の島にしよう、と提案したのは俺だった。ちょうどポケコヨのイベントをやってるから。期間限定でリヴァイアサンの出現イベントがある。……という口実は好都合だった。
     本当は、一緒に行ければ何でも良かった。どんなプレゼントよりも、その時間が大切な宝物になるだろうと思った。
    「いいか?」
    「いい。てか断らないって言った」
    「死ねって言わなければ」
    「それはそう」
     土曜は晴れ予報で、神奈川沿岸部の気温は33度を差していた。熱中症にならないよう気をつけよう、日焼け止めを持って行こう、汗スプレーも忘れないようにしよう。俺は思う。



     その日は約束した時間の10分前に着いた。電車に乗る約束をしたことがなかったから勝手が分からなかったが、俺が先に着いてることが多い。ちょっと時間を置きたかった。柱に寄り掛かり、スマホを弄って5分待った。メッセージアプリを開いてメッセージを送る。
    "着いた"
    20秒後に既読が付き、すぐに返事が帰ってくる。
    "着いてる"
    早いな。
    "いまどこ"
    既読が付く前に横から肩を叩かれ、思わず身体が強張った。振り返ると見知った友人の顔があった。
    「おはよう!」
    「おはよう」
    軽く挨拶を交わす。
     渋谷駅のハチ公前口はいつもの待ち合わせ場所だった。だが今日は、いつもとは反対の方向に歩き出す。休日の渋谷駅には様々な属性の人が行き交う。今から旅行に行きますと言わんばかりの中年女性グループ、休日にもかかわらず黒いスーツを着込んだビジネスマン、講習に向かう高校生たち。ゴメンナサイ、俺たちは今から遊びに行きます。
     10分ほど待って、平塚行きがやってきた。銀色の車体にオレンジと緑のラインが鋭い。乗り込んで、やがて心地よい振動とともに電車は動き出す。着くまでスマホを開き、二人で画面を覗き込みながら地図を見ていた。藤沢駅がこの辺、私電に乗り換えて、降りたらそっから先は歩き。で、江の島がこの辺。
    「これ結構歩くやつだわ」
    「水飲んでこうな」
     33度だそうだし。今日紫外線強いみたいだから。既に電車の外に見える木々が、ギラギラとした光を反射し始めている。しばらく前から右手の窓越しに大きな崖が続いている。

     電車を降り、乗り継いで、海の近くの駅にたどり着いた。海までの道も調べてあった。
    「来ちゃった」
    「来ちゃったね」
     潮風が吹いていた。砂っぽくて、少し塩っぱい気がする。フレットと渋谷以外で遊ぶのは本当に初めてだった。……初めてがこれか。まだ空気は温まりきっていないけれど、雲ひとつない青空と蝉の声が間違いなく今日も暑くなると喜び合っていた。
     ボードを脇に抱えた人々が海の方に歩いて行く。パリピ 、という言葉が脳裏に浮かぶ。フレットにも似合うだろう。というかそのうち始めるんじゃないか。
    「サーフィンってカッコよくない?俺いつかやってみたい」
    ほらな。
    「やってみれば?」
    きっと似合うよ。続く言葉は胸の内にしまっておく。
    「バイトしよっかな」
    「何の」
    「スタバとか?リンちゃん遊びにきてよ」
     てきぱきとコーヒーのオーダーを取り、タンブラーを手渡しする彼の姿を思い浮かべる。悔しいことに、脳内の彼は何をやらせても腹立たしいほどに似合ってる。
    「邪魔しに行ってやろっか」
     口の端を歪めて見せるが、オッケー楽しみにしてる、と返された。敵わない。

     駅からの細い道を下ってゆく。いろいろな匂いがして、浮かれた雰囲気を作り出していた。干物の匂い、コーヒーの匂い、揚げ油と砂糖の甘い匂い。歩くたびにそれらは少しずつ彩りを変えた。
    「この辺、何でもしらす入ってる」
    「名産だね〜」
     どこに行っても二色しらす丼のノボリがはためいていた。それだけではない。おおよそ思い浮かぶB級グルメには、とりあえず、とでも言えそうな気軽さでしらすが入れ込んであった。何だか楽しくなって、口々にカウントした。
    「しらす入り煎餅」
    「しらす入りリーフパイ」
    「しらす入りコロッケ」
    「しらす入り蒲鉾」
    「しらす入りソフトクリーム」
    「しらす入りカレーパン」
     しらす入りカレーパンは結構美味しそうだった。カレーの香ばしい匂いが辺りに漂っていた。そう、フレットはカレーが好きだ。以前、カレーパンも好き?と聞いてみたことがある。もちろん、カレーの魔法が入ってるから、と恥ずかしげもなく彼は答えた。はぁそうですか。
    「買うか」
    「買う!」
     しらす入りカレーパンを一つずつ買って、食べながら歩いた。サクリと歯を立てる。香辛料を効かせた熱いペーストが舌にまとわりつく。しらすの味はあんまりしない。値段相応だから別にいいけど。
    「うまー!」
    フレットは目を輝かせていた。まぁ、美味いならいっか。俺ももう一口かぶりついた。美味いかも。
    「うん、うまい」
     同意しといた。それからしばらく無言でモサモサ咀嚼しながら、人が多くなってきた細い通りを歩いた。両脇には海の家めいたお土産屋が並んでいて、白い大きな貝殻やゴムで出来たサンダルや浮き輪を並べている。売れるのだろうか。原色の衣服やアクセサリーを詰め込んだ雑貨屋も、入り口を大きく広げているせいかどこか開放的な雰囲気を振りまいていた。
     一週間前は、こんな風景の中を二人で歩くことになるとは思っていなかった。知らない世界に心がふわふわして、どうも落ち着かなかった。

     イベントは江の島側だった。大きな橋を歩いて渡り、参道のふもとでアプリを立ち上げる。すでにスマホを持って持ってウロウロしている人々がいた。同じ目的だろう。俺には分かる。
    「俺ポケコヨやるけど」
     付き合ってくれなくてもいいし、その辺見て来れば?と聞いたところ、待ちかねていたように彼はスマホの画面を見せてきた。見知ったスタート画面だ。どこか誇らしげに報告してくる。
    「昨日ダウンロードした。俺もやる」
    「へー、もう進めてある?」
    「ちょっとだけ」
     そう言って彼はポータル画面を表示し、二人で覗ける位置に支え持つ。
    「初期キャラと、あと一匹捕まえたやつ」
     ん、と彼は画面を指差す。大きな丸い目で精一杯の凛々しい表情を作るヒヨコと、とぼけた表情で木の実を抱えるネズミ。本当に初期キャラで、思わず吹き出してしまった。
    「チョコボとナッツイーターじゃ相手にならないかな」
    「ポケモンで例えると?」
    「んー……ピカチュウ」
    「今日のは」
    「リザードン?」
    俺はあまり知らないけど。5年前に買って、途中まで遊んで放り出してた作品を思い出した。
    「そらキッツイわ」
    「まずいいの捕まえろよ」
    自分の画面をポチポチと操作する。彼とは比べ物にならないほど充実したライブラリから銀色の海龍のカードを選び、送った。
    「シルドラ」
    被りだったし、彼のレベルなら相当な戦力だろう。おおサンキュー、と彼は画面を覗き込み、うわ強、と目を見張った。そりゃそうだ、ユーザー歴3年の差は大きい。
     江の島のふもとに張り付いて、召喚獣が湧いてくるたびにトコトコ歩み寄ってはゲーム画面を立ち上げ、攻撃した。たまに加勢してくれるフレットは編成も作戦もめちゃくちゃで、いつも速攻で2体が光の束になり消えてシルドラだけになった。それも少しだけ持ち堪えてから、やはり付いてこれずに脱落して行くのが常だった。キュオーン、と切なげな声を上げて長い首の海龍が消えてゆく。
    「全然勝てねー」
    苦笑している。苦戦する彼を見るのは珍しい気がする。
    「レベル上げろって」
    毒にも薬にもないアドバイスを投げておいた。しかしなんだかんだその加勢はゼロではなかったのか、効率よくリヴァイアサンを狩ることができた。共闘していない間は彼も自分の戦いに奮闘していたようで、数えて7戦目の加勢には驚いた。間抜けな顔をしたネズミが消え、長い角の生えた悪魔が鋭い眼光で敵を睨んでいる。
    「イフリート?」
    「強いの?さっき捕まえた」
    フレットはニヤリと笑った。
    「悪くない。すげえ、早いじゃん」
    「おかげさまで?」
     俺が渡したカードを有効活用したということか。案外すぐに追いつかれるのかもしれない。
     編成を変えた彼のパーティーは先ほどよりも長く持ち堪えた。本日10体目のリヴァイアサンは易々と俺のライブラリの中に収まった。ご馳走様です。

     一通りイベントを終えて、せっかくなので江の島に登ってみようかという流れになった。長い上り階段を6割ほど消化したところで、大いに息が上がっているのをどうにも誤魔化せなくなってきた。俺も、多分フレットも。汗が噴き出すようだ。目が回ってくる。
    「暑い〜……」
    「確か今日、真夏日」
    「まぁでもここまで来たからなー」
    「それはそう、水買っとこ」
     自販機で水分を買い足して。最後の50段くらいは、汗がポタリと地面に落ちそうだった。
    「ああっつ……」
     振り返る。この暑さの中で坂を登ってくる人は多くなく、大抵は参道の脇の大きなエスカレーターでラクをしているらしい。そちら側からぞろぞろと列をなして歩いてくる人を見ていると、二人で汗を流して登ってきたことがなんとなく誇らしく感じられた。
    「リンちゃん、向こう」
     テラスあるって。見てかない?と訊かれる。見てくか、と答えて展望台に向かった。
     山上からは湘南の街並みが広く見渡せた。東京の方面は軽くガスがかかっている。渋谷はどの辺りだろう。後ろを見ると箱根の山があった。
     海から風が吹いてくる風が、労うように頬を撫でる。汗で濡れた額に少し涼しさを感じる。
    「いい景色」
    「そだな」
    「ちょっと休んでこ」
     午後2時50分の光が辺りを照らしている。この時間が好きだった。3時を昼の真ん中とすれば、そこまであと10分だけ時間がある。まだ今日がたくさん残っている。止めてしまいたいくらいに好きな時間だ。
     並んでイベントの成果を報告し合いながら、眼下の街並みを眺めて過ごした。

     帰り道も階段を使った。上りの時は暑さで見流していたが、道の両脇は長く長く商店街が続いていた。見るともなく二人で見流しては、売れそうだの売れなさそうだの無責任なコメントを続けていたが、ふと小さな店先にきらめく幾つもの光に目を引かれた。
     ガラス細工が並んでいた。ガラスのニワトリ、ガラスのイルカ、ガラスのネズミ。清潔な蛍光灯の光を反射して動物たちが無機質な眼でこちらを見つめている。
     特に鮮やかに飛び込んできた色彩は、扉のコルクボードにかかっていたガラス玉のストラップだった。オレンジと紫と青が混じったマーブル模様。同じ色でいくつか売っているけど、全部微妙に柄が違う。
    「蜻蛉玉」
    フレットが声をかけてくる。
    「そういうの好き?」
    「あ……いや」
    そこまで言って留めた。『いや』、何なんだろう。否定から入るのは自分の悪い癖だ。
    「……結構好き。いい色だと思う」
    「リンちゃんオレンジ好きだよね」
    そう言われればそうかも。彼はしげしげとストラップを見つめてから同意を示した。
    「確かにキレイ。買ってく?」
    「ん、今はいいかな」
    見てただけだ。
    「そっか、ならいいけど」
     顔を上げると日の光が目に焼き付いて、彼の表情がよく見えない。背が低いとこういう時損するよな、と思う。不便というか不利というか。帰ったら牛乳飲もう。ともかく退屈していないことは読み取れた。それだけは良かった。
     結局そのまま通り過ぎた。

    「車動かせるようになったらドライブも良さそうだよな、さっきの駅の前の辺り」
     会話を繋ぐ。朝に見た大通りを思い出しながら。そこそこ大きく、鮮やかで大柄な車が列を作り始めていた。脇には南国風の大きな木が植わっていて観光地らしい風景を醸し出していた。彼女とドライブするにはちょうどいいんじゃないか。
    「そん時はまた予行練習しない?」
    「俺?」
    「運転慣れないうちに無理して、彼女に怪我させたくないし。」
    道知ってるだけで違うって聞いた。そう続ける彼に軽口を返す。
    「俺なら怪我してもいい?」
    あ、と声がした。間があって、少し気まずそうに彼は次の句を継ぐ。
    「……やめとこっか」
    「いいよ別に」
     妙な空気だ。あぁ、あいつのように上手い冗談が言えればいいのに。俺も練習するよ、そう内心で独りごちてから言い直した。
    「どうせなら俺にも安全運転でお願いします」
     そっちの方が嬉しいかな。
     へ?と一瞬彼は言葉を止めてから、あっハイ、と背筋を伸ばして見せる。
    「超気を付けます、リンドウ先生」
    「はいはい」
     他意がないのは知ってた。上手く流すスキルを俺が持っていないだけ。その辺りは……やはり敵わない。



     ふもとに帰り着いて、少し残りのイベントをこなした。
     駅のある側に帰る頃には日差しが柔らかくなっていた。振り返ると絵に描いたような風景があった。
    「……海」
    「きれー……」
     海風が少し強くなる。群青の水平線が、吹き上げられた砂で少し煙って見える。太陽は海から少し間を置いて浮かんでいた。空気はまだ熱を帯びていたが、痛いほどに熱い光は今はもう弱まっている。シートやパラソルはいくつも残って家族の島を作っていたものの、人々は帰り始めている。代わりに、肩を寄せて海を見つめる二人組が砂浜のここそこにポツポツと体育座りで散らばっている。
    「せっかくだからちょっと見てかない?」
    「見てく」
     近くにあった自販機で水分を調達してから、砂浜の端の階段に腰をかけた。コーラの缶を爪先で押し開けると、ぶし、と音を立てて白い泡がこぼれた。服に砂糖が残らないよう慌てて口をつける。それを笑って見ながら、フレットはレモンティーのペットボトルを開けていた。白い地面の上に置いたそれらはあっという間に汗をかく。
     夕暮れの海は不思議な色だった。
     フレットとの付き合いは決して長くないけれど、時間の割に多くのものを共有しているように思う。なんなら他の誰にも理解できない経験がある。渋谷で過ごした3週間は忘れられない。その間ずっと一緒だったし、必死の本音もぶつけることができた。だから何を言っても、一度ちゃんと受け止めてくれることは分かってた。
     そして、言いたいことが色々あるように思われた。
     きっとすぐに時が流れていってしまうだろう、とか、大学や就職のこと考えるとずっと友達ではいられないんだろう、とか。いつまでこうしていられるのだろうとか。……花火したいとか、また遊びに行きたいとか。渋谷でもどこか別の場所でもいい。
     でもどれも、口に出してしまうにはどうにも重かった。夏の夕暮れの砂浜というのはそういう場所だと知った。押し切って言ってしまえば何でも言えるけど、何を言ってもその言葉は特別な意味を持ってしまう。
     それでも一つだけ、これだけは伝えておこうと思った。
    「フレット」
    「?」
    「……」
     喉につっかえる。言ってしまったら台無しなような気もしたが、今言わなければきっとずっと後悔するだろう。ここまで来たら俺も楽になりたかった。なってしまってもいいか?
     いい。言うべき時はある。
    「えーっ……と、夕陽、綺麗で」
    「はい」
    「その……い、一緒に見れて良かった」
     彼はまじまじとこちらを見つめてきた。咄嗟に目を逸らす。鼓動がおさまらない。やめろよそういうの、危ないだろ。怖いだろ。困るだろ。でもその顔に嫌悪や拒絶がないことだけは確認できた。少し安心した。
    「俺も同じ気持ち」
     多分、と彼はゆっくり続けた。ズルイだろそういうの。ちゃんと口に出して定義して欲しかった、じゃないと解決したことにならない。こんなの生殺しだ。心に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
    「いつも……一緒に過ごせて楽しいし。……これからもなるべく、友達でいたい」
     途切れ途切れだが、何とか文章になった。
     少し間を置いて、落ち着いた声で彼が続けた。
    「……俺も、同じ気持ち」
     やめろよそういうの本当に。顔を上げることができなかった。抑えた声色からは彼の感情が読み解けない。どんな風にも聞こえた。だからその意味を知ることに怯えた。大事なところは言わないで逃げちゃうよな。だから俺お前のこと分かんなくて、ちょっと怖いよ。そう言いたかったが、言えなかった。
     せめてトドメを差してくれればいいのに。  
    「今日……リンドウと一緒に来れて、よかった。……俺、多分今日のこと、ずっと覚えてると思う」
    一言一言を探るようにゆっくりと、彼は話した。ずっと覚えている、そうであればいいと思った。他愛ない一日だったけど俺にとっては大切だった。
    「……うん」
     波の音が、退いて行く人々の声の背景に静かに響いていた。

     何も言えなかった。二人して押し黙って、そのまましばらく低くなっていく太陽を見ていた。沈黙は無言の同意のようにも、無言の決別のようにも聞こえた。
    「……あ」
     夕陽は俺に鮮やかなイメージを思い起こさせた。それはさっきの蜻蛉玉だった。夏の夕暮れ、橙と紫と薄い群青色が混じり合った不思議な色だと思った。
     持っておきたい。思い出せるように。忘れないように。
    「あのさ、さっきの店戻っていい?」
     おずおずと尋ねる。ちょっと遠いけど、多分まだ間に合う。
    「いいね。俺も欲しいと思ってた」
    「え?」
     さっきの声が頭の中でこだましていて混乱する。俺も同じ気持ち。どこまで同じ気持ちなんだろう。
    「アレでしょ?あのガラスのストラップ。オレンジのやつ」
     同じじゃん。
    「そうだけど」
     素直に嬉しかった。
    「おそろにしよ」
    「する」
     笑い合った。傾いた太陽の光が俺たちを照らしていた。少しずつ橙色が褪せ、空の端の方からブルーベリーのような藍色に染まっていく。昼間の暑さが退いて行き、一日が確実に終わりに向かっている。

     橋を引き返して、まだ明るい光を放っている店に着いた。蜻蛉玉のストラップを一つずつ買い、俺はそれをポーチのジッパーの中に大事にしまった。
     店を出ると脚から下にズンとした重みを感じた。いつも渋谷にいても案外歩くけど、今日は今日で結構歩いた。歩いたし、来たことない場所だったからいろいろ余計に動いた気がする。だが悪くない疲れだった。
    ここは俺の知らない世界だった。今日でちょっと知ってる世界になった。またいつか来ることになっても今日のことを思い出すだろう。それは喜ばしいことだと思った。
    「帰るか」
    「帰りますかぁ」
     いつものトーンで彼はのんびりと言った。ゆっくりと歩き出しながら、俺はスマホに手を伸ばし、検索窓に帰りの乗り換えを打ち込む。刻限までは結構ギリギリだった。
    「急いだほうがいいかも」
    「あんま電車の余裕ない感じ?」
     3歩後ろからフレットが尋ねる。
    「遅くなりそう」
     それから俺たちは早足になって駅に戻った。私鉄を乗り換え、JRの帰りの電車が来るまでやや待った。奇跡的に座れたボックス席で俺たちはうつらうつら眠ってしまった。一日中外を歩いていたからまだ体が熱を帯びていて、冷房のよく効いた車内でそれは少し心地良かった。
     武蔵小杉を過ぎた辺りで目が覚めて、お互いに寄りかかっていたことに気づき「ゴメン!」と謝りあった。外はすっかり夜になっていた。けっこー疲れたわ、俺も、と何となくの会話を続けながら、渋谷までぼんやり乗り続けていた。



     あの時思った通り、時が流れるのは本当に早かった。
     今やストラップの紐はとっくに切れてしまっているが、蜻蛉玉の色は全く褪せずに今も引き出しの中にしまってある。あの時二人で見た夕暮れの色が閉じ込めてあった。
     オレンジ色は好きだ。あの夏は筆箱につけておいて、夏季講習の手を動かす合間に目をやってはにやけていたっけ。頼んでみて良かった、やはり最高の思い出になった。
     たまに眺めては、彼も持っているといいなと思ってる。
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    限界羊小屋

    DONE用語
    <キルドレ>
    思春期で成長が止まり決して大人にならない種族。一般人からは異端視されている。
    ほとんどが宗教法人か戦争企業に所属して生活する。
    <戦争>
    各国に平和維持の重要性を訴えかけるために続けられている政治上のパフォーマンス。
    暴力が必要となる国家間対立は大方解決されたため実質上の意味はない。
    <シブヤ/シンジュク>
    戦争請負企業。
    フレリン航空士パロ 鼻腔に馴染んだガソリンの匂いとともに、この頃は風に埃と土の粉塵が混じっていた。緯度が高いこの地域で若草が旺盛に輝くのはまだもう少し先の話。代わりのように基地の周りは黒い杉林に取り囲まれている。花粉をたっぷりと含んだ黄色い風が鼻先を擽り、フレットは一つくしゃみをした。
     ここ二ヶ月ほど戦況は膠着していた。小競り合い程度の睨み合いもない。小型機たちは行儀よく翼を揃えて出発しては、傷一つ付けずに帰り着き、新品の砂と飲み干されたオイルを差分として残した。だから整備工の仕事も、偵察機の点検と掃除、オイルの入れ直し程度で、まだ日が高いうちにフレットは既に工具を置いて格納庫を出てしまっていた。
     無聊を追い払うように両手を空に掲げ、気持ちの良い欠伸を吐き出した。ついでに見上げた青の中には虫も鳥も攻撃機もおらず、ただ羊雲の群れが長閑な旅を続けていた。
    8396

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    DONEフレリン クリア後世界
    ワンライのテーマ「バッジ」
    バッジ操作デモが彼らの撮影動画だったら?というとこからの発展形
    Forget me not.「リンドウと撮ったやつさ、全部消えてた」
     「死神ゲーム」が終わって2日目の朝。早い時間の教室で、リンドウと一つの机に向き合っていた。机の上に載せたスマートフォンは何も変わらない渋谷の風景を映し出している。
    「フレットも?俺も消えてた」
     同意を返される。全く同じ状況らしい。
     本来ならば動画に映っているのは、コートを風になびかせて鮮やかな斬撃を叩き込む新米サイキッカー・リンドウの姿のはずだったのに。

     撮影会を始めたきっかけはほんのお遊びだった。バッジに念を込めることで「サイキック」が発動し、不思議な力で炎やら水やらを出して自在に操ることができる。サイキック能力を使って襲ってくる動物型の「ノイズ」を撃退する。まるで映画の主人公になったように感じて刺激的だった。試しに虚空に斬りかかるリンドウをスマホのカメラで撮影してみると、特撮を爆盛りにしたSF作品の主人公のようにバッチリ決まっていた。UGに来たばかりの頃はそれが新鮮で、豪華なイベントだなどとはしゃぎながらお互いの姿を撮りあっていた。
    2051

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