七夕祭りのライブを無事に終えた夜。会場近くのホテルで一息ついていたクリスは、スマートフォンがメッセージの受信を知らせる音に気づき手を伸ばした。
待ち受け画面に表示されていたのは、雨彦の名前。メッセージアプリを開くと、そこに書かれていたのは、まだ起きているかという端的な問いかけのみだった。それに肯定で答えると、程なくしてコンコンと控えめなノック音が響く。
「雨彦」
「こんな時間に悪いな」
ドアを開けると、そこには雨彦がラフな服装で佇んでいた。部屋に招き入れようとしてみたが、雨彦は動き出す気配がない。
「もう寝るところだったかい?」
「いえ、まだもう少し起きているつもりでしたよ」
「……それなら、少し俺に付き合ってくれないか?」
少し躊躇する素振りを見せた後、雨彦はそう切り出した。この時間に、こんな風に雨彦から誘いを受けることは珍しい。
「構いませんが、どちらに?」
「外に、星を見に行かないか」
そう話す雨彦の目は、何かをクリスに伝えようとしているようにも見えた。だからクリスは一つ頷いて、雨彦と共に外へと向かうことにした。
祭りを終えた会場は人気がなく、ひっそりと静まり返っている。照明の消えた暗がりの中を、星の明かりだけが照らしていた。
時折優しい風が吹くと、笹の葉がかさかさと音を立てる。たくさんの人たちが残した願いの欠片が、ひらひらと揺れる。
そんな美しい光景に足を踏み入れると、クリスと雨彦の二人だけで世界を独占してしまったような錯覚を覚えた。
「やはり、美しいですね」
見上げる満天の星に、つい目を奪われる。じっと見つめていると、空の向こうへと吸い込まれていきそうな気がした。
「お前さんが空に夢中になっている様子を見られるのは珍しいな」
「私にも、海以外のものに目を奪われることはありますよ。……例えば、あなたのことだってそうです」
雨彦に向き直ってそう言えば、雨彦は少し驚いたような、照れたような顔をした。クリスはふっと笑みを浮かべて、それから先ほどのライブでのことを思い出す。
「雨彦の人生に、私の存在を置いてくれたこと、嬉しかったです」
雨彦とは、少し前から恋仲ではあった。けれどお互いにどこか踏み込みすぎないようにしていた部分はあって、この関係もいつかふわりと消えてしまうような、曖昧なもののように感じていた。
それはこの年齢にもなれば仕方がないと言ってしまえることでもあり、クリスにとっては少しだけ、残念なことでもあったのだ。
けれど雨彦は、クリスや想楽と共にある人生を選んでくれた。だからクリスはまだ、雨彦と共に歩むことができる。それが嬉しくて、ずっとそうであればいいのにとすら思ってしまった。もちろん、そんな風に雨彦を縛ることなんてできないけれど。
「それだけじゃない」
やけに真剣な顔をした雨彦が、クリスへと手を伸ばしてくる。
それだけじゃないとは、どういうことだろう。クリスはその腕の中に抱き寄せられるのを、目を瞬かせながら受け入れる。
「ただ一緒にいてほしいだけじゃないんだ。お前さんにはこれからもずっと隣に、一番側にいてほしいと思ってる」
「雨彦……」
クリスが考えていたことなんて見抜いてしまったかのような言葉に、クリスは思わず雨彦を見上げた。それからその言葉の意味がクリスの中にゆっくりと落ちてきて、じわりと心の奥底に明かりが灯るような心地がする。
その願いは、クリスの願いでもあるのだ。
「もちろん、お前さんがそれを望んでくれるならだが」
「あなたが、私で良いと言ってくれるなら」
「お前さんがいい。お前さんじゃないと駄目なんだ」
こんな風に真っ直ぐに想いを告げる雨彦は珍しい。けれどそんな雨彦の様子だって、クリスには好ましく映った。
クリスは雨彦の言葉に応えるように、その広い背中に腕を回す。
「……星みたいだな」
クリスの顔を覗き込んだ雨彦は、どこか眩しそうに眼を細めた。その手がそっとクリスの頬を撫でて、目元をなぞる。
「星、ですか?」
「ああ、お前さんの真っ直ぐな目は、いつだって俺を惹きつけて、導いてくれるんだ」
雨彦の顔が近づいてきて、唇が軽く触れ合う。間近でじっと見つめ合うと、少しくすぐったいような感覚がした。
「ふふ、なんだか本当に織姫と彦星の逢瀬のようですね」
「これが年に一度なんて、耐えられそうにないな」
「……では、このまま離さないでくださいね」
そうクリスが言えば、雨彦はそのつもりだと笑う。それが嬉しくて、クリスは二人の間の距離をなくすように、ぎゅっと雨彦に抱きつく。
そんな幸せそうな二人の姿を、空に瞬く星だけが見ていた。