微睡の祝福　パチリと、何の前触れもなく自然と瞳が開く。
　視界に入ってくる薄闇に浮かぶ見慣れた部屋の天井を、ザグレウスはぼんやりと眺める。元々眠りが浅い性質なのか、どれだけ疲れていようと一定時間経つと必ず自然と目覚めてしまうのだ。とはいえ、目覚め方には差がある。起床と同時に水でも浴びた様にスッキリ目覚める時もあれば、夢現の境界が曖昧な微睡が継続されている時もある。今日は後者だ、自分が「どちら側」か判断がつきにくい感覚は慣れると何とも心地よい。ただずっとそうするわけにもいかず。そこからゆっくり頭が覚醒し、新たに読み込めた情報一つ一つを丁寧に確認してゆく。
　自分を包む柔らかな布の感触、耳に入る館の近くを流れるステュクス河のせせらぎと、亡者の嘆きや怨嗟が溶け込んだじっとりとた空気。そして、隣で共に眠る、伴侶の寝息。
　ゆっくりとザグレウスは視線を動かす。自分の隣で眠る相手を起さないというより、気付かれない様に。枕やシーツが擦れる音さえ、できうる限り押し殺して。
　そうしてようやく眠るタナトスの顔をゆっくりと眺める。柔らかな琥珀色の瞳は、今は帳が落ちた様にさらりと細やかな銀髪とゆるやかな目蓋に守られている。形の良い唇は軽く閉じられ、呼吸している筈だが身体が上下する幅が殆ど無い。まさに「死んだように」眠っていた。

（……タンは俺と違ってずっと忙しいから、眠りが深そうだしな……。）

　このような関係になるまで、ザグレウスはタナトスが眠る姿など想像出来なかった。元々彫像の様に美しい顔立ちなのだ、眠っていても絵になる。睡眠時くらい無防備になるのかと思いきや、そんなことは無かった。……本当に、綺麗だと思った。うす暗い部屋の中ですら、寒空で輝く月の様に静かに輝いて思える程。

　ザグレウスは気配を押し殺して静かに上半身を起す。そのまま眠るタナトス方へゆっくりと顔を近づけて、さらさらと額にかかった流れる銀の前髪を指でそっと払いのけ、そのまま額に優しく口づけを落とした。
　傍らで眠る伴侶への愛おしさと、敬愛を込めて。

（お前が眠ってる時に、こんなことしてる、なんて、内緒だけど。）

　胸の中でザグレウスは呟く。普段自分を守る死神の、休息中にだけ行う、おまじないの様な習慣。タナトスは言っても怒らないかもしれない……ただ、まだ内緒にしておきたいのだ。それは気恥ずかしさもあるだろう、ただ……自分がどれだけ彼を大切に思い、愛しているか、態々言わなくともきっとタナトスには伝わっていると、なんとなく思うのだ。

（……おやすみ。）

　満足そうに微笑んでから、ザグレウスはまたゆっくりと掛布の中に潜り込む。眠りが浅いとは言え、そのまま起きていられるかは別問題だ。身体はまだまだ疲労感を訴えているし、なにより……ただ純粋に、隣で眠るタナトスの温もりをもうちょっと感じていたい。

　そうして、ザグレウスはまた瞼を落とす。隣で眠るタナトスの寝息を聞いている内に、それと同調するかのように自分の呼吸もゆっくりと……深く……また、心地よい眠りに誘われて……。そして、深い寝息が部屋にゆっくり響く。同時に、それまであった浅い定期的な寝息は、消えていた。

（……いつ、言うべきか……起きている、と。）

　僅かばかり、照れくさそうに頬に赤みを滲ませながら死神は微笑む。タナトスは結晶化する前の蜜の様に揺れる琥珀の瞳で、少しだけ困ったようにザグレウスの寝顔を眺めていた。

　王子が「秘密」だと思っていた事が「秘密」で無くなるのは、もう少し先の様だ。