あまやかし④ 世の中、絶対なんてないわけだけれど。
昔々の皇帝サマの別荘が元になったとかいうホテルで、給仕から渡された冷たい飲み物なんて代物を手にしていると。人生の展望だとか、未来の見通しだとか。見当をつけるのは中々に難しいことなのではないかと。思わなくもない。
とはいえ。
とりあえず。
「……んー……!」
ぐい、と。
呷る快感を俺は堪能する。
温泉上がりの火照った身体に流し込む、冷たい感触が心地良い。乾いた喉を潤す仄かな甘みと炭酸の刺激。慣れない味だが悪くない。喉の渇きも相まって一気に飲み干した俺に向けられる給仕の女性の微笑。「乳清を原料にした、盟約同盟では広く親しまれている飲み物なんですよ」という説明にへぇと頷く俺の手から、ごく自然に回収されていくグラス。プロの仕事だ。
多少気後れしてしまった感情が顔に出たか、あるいは見抜くことすら仕事の内なのか。「なにかあれば給仕の者にお申し付けくださいね。氷菓もご用意していますから」という言葉と、青系種の青い瞳に微笑ましさを添えて。赤い民族衣装の女性は去っていく。
「……」
遺憾ながら。普段は世話を焼く側に回っているぶん、世話を焼かれる立場に置かれるのは奇妙な落ち着かなさがある。
こっそりと息を吐く俺の背後に、するりと近づいてくる影が一つ。
「おっさんみたいな声が出ていたぞ」
「うっせぇよこの野郎」
いや野郎ではないけれど。
足音を立てないから、むしろ誰であるかが分かりやすい。
俺が世話を焼く側に回らざるを得なかった原因の筆頭。
「シン」
振り返った先。佇んでいるのはギアーデ連邦軍第八六独立機動打撃群戦隊総隊長、もとい腐れ縁たるシンエイ・ノウゼン。
連邦に来て判明した血筋はともかく人生の大半を俺と同じように戦地で過ごしてきたくせして、給仕の女性からのもてなしをごく平然と受け止めるこいつは多分根本的にふてぶてしいのだと思う。
「レーナは?」
「少しのぼせたから夕食まで部屋で休むらしい」
「おー……」
いっそ同じ部屋を取っておけばよかっただろうに、とは藪蛇なので言わない。拳が飛んできかねない。こいつの拳は照れ隠しとかいう可愛いものではない。
しかし、そわそわと落ち着かない様子のシンに俺はげんなりとした。浮足立っている。シンも大人しく自分の客室に戻っていてくれれば良かったのに、たまたま通り道にいただけの俺に絡みに来る程度にはテンションがぶち上がっているらしい。
対応を間違えると、やばい。
「――――、」
視線だけで周囲を探る。――ソファが等間隔で置かれた大広間。ソファ間に余裕はあるし、俺が走り抜けても問題ない程度の空間はある。出来れば最終手段にしたいが。
それに下手に背中を見せると絶賛色ボケ中の狩猟本能的な何かを刺激しかねない。持て余すくらいならさっさとレーナに向けてきて欲しい。切実に。
慎重に視線を巡らせる俺に対し、シンは言う。
「おれを前にして余所見とは良い度胸だな。誰か気になる相手でもいるのか?」
「ちげぇよ馬鹿」
……思わずツッコんだ時点で俺の敗色は濃厚になった。
というか大浴場での話題を続ける気かこいつ。やめて欲しい。その類いの話題は俺に分が悪すぎる。
軍隊という男性社会を生きる女性にありがちな明け透けさと、機動打撃群において上官の地位に就く者の不均衡な男女比が織り成す悪夢的なデリカシーの無さ。
少女兵は終始なんか楽しそうだったが、少年兵は終始気まずかった。
――「レーナには指一本触れさせない。代わりと言ってはなんだがおれなら構わない」と。
無駄に覚悟が籠った台詞。ただえさえテンションがおかしくなっていた少女たちの色めき立った歓声というか高周波砲撃。あるいは獲物を狩る前の遠吠え。「駄目、駄目です! わたしのためにシンが犠牲になるだなんて……!」という銀鈴の声音は置いてけぼりに。熱狂に等しいボルテージの上がりよう。
加えて男子側でも「……女騎士?」とかいうリトの呟きでセオを含めた複数名が腹筋を引き攣らせて撃沈。皇帝像を隔てた向こう側で好き勝手に騒ぐ少女たち相手に制止の声を上げられる者もおらず。かといって湯舟から出るのもばつが悪いしで、大分地獄絵図だった。
男子側を包み込んでいた不自然な沈黙に気がついていなかったわけがないだろうに。
シンはのたまう。
「お前の古傷も評判が良かったぞ」
「それを知ってどうすりゃいいんだよ俺は」
「さあ。おれにはそういう良さは分からないからな」
「ぇっ」
マジか。……いやなんでショックを受けているんだ俺。
自分の情動に内心で首を捻る俺を、紅い瞳がじぃと見つめる。「好みを知りたい相手がいるなら尋ねておいてやろうか」などと言う口の端が持ち上がっていて。揶揄われているらしいと気づく。
感じた苛立たしさはそのせいだ。
そういうことに、しておく。
「つーかよ、」
俺は大きく息を吐いた。
「シデンが一番目立ってたけどよ、お前ら全員大なり小なり、」
デリカシーがない、と。
言おうとしたが、何故かシンはむすりとした顔で。
「小さくて悪かったな」
「大小ってそういう意味じゃねぇよ馬鹿この色ボケむっつり」
膝が跳んできた。
「うぉっ!?」
身長差があろうとお構いなしに放たれる、膝頭から繰り出すアッパーカット。相変わらずのちょっと意味が分からない身体能力。
咄嗟に仰け反った俺の顎先を風切り音が掠めていく。
背筋に冷や汗が流れるが、それに加えて。
「ちょ、おい――」
風呂上がりである。
俺もシンもホテルに備え付けられている館内着。――レーナやアネットなどは早々にきちんとした服装へと着替えていたが、風呂上がりの湿った肌には簡素ながらも通気性の良い衣服が好ましいと、プロセッサーたちは男女問わずに殆どがロッカールームに置かれていた館内着を選択していて。
そして男性用のロッカールームにはTシャツとハーフパンツが置かれていたが、どうやら女性用のロッカールームにはワンピースタイプのものが置かれていたらしい。
だからまあ。
「ばっっっか! おい待てせめて蹴り技はやめろ馬鹿! 今の自分の服装分かってんのか見えるってか見えてる!!」
「見なければいい」
「見なかったら防げねぇだろうが!」
不本意ながら悲鳴の響きを帯びた俺の訴えに構わず放たれる中段蹴り。横隔膜を狙う正確無比な一撃を、腕を挟み込んで防ぐ。――受けたと同時に背後へと重心を移動させて威力を殺す、が、それでも骨まで響く威力がある。
歯噛みする俺に対してシンは舌打ちを一つ。治安が悪い。
なお、ここは大広間だ。
男女混合大浴場から出てすぐの休憩スペース。
そして第八六機動打撃群第一機甲グループのプロセッサーたちが風呂上がりでぐだぐだしている真っ最中な空間なわけで。
――何かを言う前にユートに口を塞がれてふがふがもごもごと呻いているリトと、「なにをやっているんだ卿らは」と呆れたようなヴィーカと、ゲラゲラと腹を抱えて笑っているシデン――等々エトセトラ。
なにせ貸し切り。
周囲は殆どすべてが知り合いだ。
何人か気のつく奴らが給仕の女性たちへと「放っておいて大丈夫」みたいなことを言っているが気を回す部分を間違えているし、大多数は囃し立てている。少年プロセッサーたちの一部に至っては大浴場の意趣返しみたいな雰囲気が滲み出ている有様だ。
とても治安が悪い。
「っ、」
蹴技が続く。流石のシンとて場所を弁えているのか下段蹴りが中心で、回し蹴りのようなスペースを必要とするような大技は放ってこないが、そういう問題でもない。ちらちらと。脚の動きに併せて捲れ上がった裾から際どい部分が覗いているというか見えている。
鞭のようにしなる脚を躱して受けて流しつつ。こめかみを引き攣らせる俺に向けられる、紅い瞳。
「というか、今更気にするのか?」
「今更気に出来ねぇよおかげさまでなぁ!」
見慣れるどころの話ではない、と。言外の意味まで滲ませたつもりはないが、近くにいながら明後日の方向を見ていたマルセルとダスティンがぎょっとした目を俺に向けてきたので少しマズかったかもしれない。
浴場で唐突に始まった傷跡自慢においてもドン引きしていた二名である。まったく。健全な感性だ。
つまり。
「俺はともかく、気にする奴らも周囲に増えてんだろ!」
この際言うが。
「お前本当にこういうのはいい加減に改めろよ! ノルトリヒト戦隊のおっさんたちが困ってるからな!」
強面揃いの彼らだが、上官かつ自分たちの子供と同世代の少女相手に慎みを持って欲しいと直接言えない程度の繊細さはあるらしい。代わりに俺へと上申がくる。本当にやめて欲しい。
「はっ」
しかしてシンは鼻で嗤う。
「そんなだから女々しいなんて呼ばれるんだぞ」
「うるせぇ俺は間違ってねぇからな!」
シンプルな悪口に俺はちょっとキレた。
ダイヤやクジョーはそんな意味で使っていなかったことぐらい、分かっているので。
「このやろ……!」
びゅん、と。風を斬り裂く一閃を上腕部で受け止め、押し込む。――蹴りの威力をまともに受けた片腕は暫く痺れが取れないだろうが、シンとて本気ではない。せいぜい数十分の辛抱だ。
俺は蹴りを受けた方とは逆の腕を伸ばす。狙いは体勢を崩したシンの利き腕。放っておけば拳か手刀となって放たれるであろうそれを先んじて掴み、
「――――」
かぼそいてくび。
「っ、!」
ごく一瞬。
思考と身体が硬直した俺に対し、シンは掴まれた手首を即座に抜き取り蹴撃を再開。――暴力に慣れた身体は思考よりも先に動いて防御の姿勢を取る。
「……」
目前。
向けられる血赤の瞳は平然と。
俺の動揺を見透かしているようで。
「――ぁ、」
周囲。
向けられる数多の色彩の瞳は賑やかに。
俺の動揺を察した者など、ごく一部。
「――――、」
そう。
今、ここは群の中。
ならば副長がするべき言動は、
「お前、」
口を動かす。
「レーナにはしたないとか言われたらどうすんだ立ち直れねぇだろ!!」
ぴたっっと。
シンの動きが停止した。
そうして自らの身体を見つめ、そそくさと、はだけていた服装を直す。
目尻が赤らんでいるあたり、自らの恰好を省みれる程度の羞恥心は芽生えていたのかもしれない。
「……」
やばい泣きそう。
「苦労してんだなぁ、“お母さん”!」
目頭を抑える俺の背中をシデンがばしんっと叩いた。痛い。
彼女は豪快に笑いながらシンの顔をぐいと覗き込む。――シンとて少女としては背が高い方だが、シデンは少年プロセッサーの中に混じっても高い。
濃藍色と雪白色の双眸に見下ろされて、多分それ自体が腹立たしいのであろうシンが眉間に皺を寄せる。
しかしシデンはどこ吹く風だ。
「面白かったぜ? 死神ちゃん」
「見世物のつもりはない」
「いやマンザイっての? まるきりそれだったし」
「……」
「おー、こっわ。睨むなって。――ちょっと面貸せよ」
「……なんで」
「オンナ同士のオハナシと洒落込もうぜ? 当日に向けて色々と用意してきてんだよ。例えば――、」
シデンはワニみたいに笑って、
「女王陛下の下着」
「は?」
「エッロいの」
「はぁ??」
俺、慎みを持てと言ったところだよな。
しかし俺の無言の訴えは放置された。
「また汗掻いちまっただろうし、あたしの部屋のシャワー使っていいぜ?」
わきわきと広い手指を動かすシデンはワニというか、肉食獣そのものな笑みを浮かべている。
……シデンの客室に連れ込まれようとしているのは大丈夫かと思わなくもないが。
まあシンは嫌なら跳ね除けるし今肘入ったし。
ぎゃおぎゃおと騒がしく連れ立って出て行くシンとシデンを皮切りに、そろそろ解散しとこうか、みたいな空気に大広間が包まれていく。
――「これどっちの勝ち?」「レーナじゃない?」「誰か大穴に賭けてる?」――賭けが発生していたらしいやり取りは聞き流して。
――「お前ら実際ちょっとは恥じらえよ」「うんまあごめんね?」――男子側が言い辛いことを口に出せる雰囲気になったらしいことを確認して。
「……」
ふいに。
見慣れた翠緑種の金髪が近くを横切ろうとしたので、俺は腕を伸ばす。
「うげっ」
俺に手首を掴まれたセオが心底嫌そうな声を上げた。
「なに? 僕は巻き込まれる気はないんだけど」
俺は掴んだセオの手首を見下ろしながら、
「……あいつ、今、お前より手首細いんだな」
内圧を下げるみたいな溜め息。
「……誰が一番とか誰のせいとか。そういうのは不毛だけどさ、」
同年代の少年と比較しても小柄な戦友は呆れきった表情を浮かべている。
「素手の腕力で勝てるって確信したことに落ち込んでいるライデンも重いよ」
セオは肩を竦めた。
「あとシンの手首が細くなったわけじゃないから。ライデンと僕の手首が太くなっただけだから」
「……おー……」
骨格と筋肉の付き方の違い。異なる性別の身体。ごくごく当たり前のこと。
……ごくごく、当たり前のことなのに。
「昔から周りより頭一つぶんは大きいくせにそういうところが抜けてるっていうか欠けているっていうか。……まあエイティシックスらしいって言ったらそうだけどね」
セオがするりと手首を引き抜いた。
「まあいい加減、解放してあげないとっていうのは分かっているけどさ」
難しいよね、と。自嘲の響き。
ひらりと片手を振って去っていくセオの背中を見送って。
「……」
額を抑えようとした俺は、びりびりと痺れたままの腕に気がついて、顔を顰めた。
【偶像崇拝はもうお仕舞い】
倉庫いっぱいの白骨死体より。
断崖を埋める友軍機の残骸より。
俺はお前に、俺より先に死なれることの方が怖い。
* * *
無事でよかった、と。
〈ラフィングフォックス〉から響くセオの声。心底からの安堵と心配が滲む声音。
常日頃から口の悪い少年であるけれど、それは言い辛いことを皮肉に包んで口に出す役割を自ら買って出ている節があるゆえだ。本質は情に篤いし周囲の機微に敏い。
シンとて勿論分かっているのだろう。――共和国製のそれより『多少上等』なアルミの棺桶の、比較にならないほど解像度の高い光学スクリーンの向こう側で、申し訳なさげに眉尻を下げている腐れ縁。この愁傷さは俺相手には向け得まい。
まあ。俺とて今、シンと直接顔を合わせたら罵倒と罵声を浴びせかねないが。――ばーかばーかばーかこの野郎ほんとに馬鹿――と。一度言った程度では収まりがつかない子供じみた罵りは、感情ごと切り離して。俺はシンの『副長』たるヴェアヴォルフとして、とるべき行動をとる。
即ち。負傷者の保護と、〈無慈悲な女王〉の回収。
行動不能になった総隊長の代理としての指揮。
素直になんて、なってやれる暇がない。
シンについてはセオに任せて、俺自身は〈無慈悲な女王〉の回収作業の警護にあたる。
〈アンダーテイカー〉ほど極端でなくとも近接型の〈ラフィングフォックス〉はプロセッサーの技量も相まって身軽であるし、セオの体格の都合上〈ヴェアヴォルフ〉と比べてコックピット内にも余裕がある。適切な役割分担だ。
『ライデン、なんかちょっと失礼なこと考えてない?』
俺のみに繋げた知覚同調越しにセオが唇を尖らせる気配。んなこたねぇよ、と俺は口の端を持ち上げつつ指示を出す。――少し、息を吐く音が届く。
『……適切な判断だよ。副長』
微かに皮肉げな声色は俺だけに。
無線通信越しに響くのは「わかってる」という頼もしい戦友の応え。
〈ラフィングフォックス〉が要救護者たるシンを回収していったのを確認しつつ、俺は俺自身に課した役割に徹する。
とはいえ今更新手のレギオンが現れることもなく――近づいてきていればシンが警告を発しているだろう――形ばかりの周辺の警戒。しかし油断はない。馴染んだ緊張が身体と思考を冴えさせる。
レギオンの脅威以前に極めて負荷の高い環境だ。〈ヴェアヴォルフ〉の計測器が指し示す外気温は生身の人体が耐え抜ける温度をゆうに越している。――あの馬鹿は、こんな空間に生身を晒していやがったが。
「……」
斥候型とはいえレギオンの装甲相手にはあまりに貧相なアサルトライフルを抱えて――それはいい。生き足掻くための行動だ――問題なのは、それ以前にとったのであろう行動。
〈アンダーテイカー〉は脚部を破損されていれども、コックピットまで破壊されたわけではない。機体の損傷具合を見るに冷却系もイカれているのかもしれないが――溶岩地帯に直接生身を晒すよりは、まだマシだ。例え死期が数十分伸びる程度の猶予であったとしても。
あいつは、シンは。
自ら死期を早める選択をした。
奥歯を噛む。下手な言葉は吐けない。ミッションレコーダーの存在を度々忘れるあの馬鹿と同じ轍を踏む気はない。
だからまだ、冷静だ。
……そのはずだ。
「…………」
激しい戦闘の爪痕が残る洞窟内。
俺を含めた複数を相手取ってなお倒し得なかった高機動型を一騎打ちで倒し、引き換えのように破壊された〈アンダーテイカー〉。
俺の脳裏に反響する、皮肉げながらも俺を心配するかのようなセオの声。
俺の脳裏に染みついた、あと少し俺たちの到着が遅れていれば――死んでいたのであろうシンの姿。
「――――」
操縦桿を握る掌に狂いはなく。震えなどありようもなく。
しかして薄暗い光学スクリーンに反射する、年齢不相応に大人びた自分の顔が。
迷い子めいていることに。
いい加減、自覚しないわけにはいかなかった。
* * *
それでもまあ。
やるべきことは山積みで。
シンの代理としての業務は八六区にいた頃の比ではない。主に書類仕事が。
予備陣地帯へと帰還する最中。タブレット端末と紙の束へと向き合っていた俺に、セオが「抱え込むとこばっか似てるのやめてくれない?」と半ば怒ったように手伝ってくれているが。
「あの馬鹿のやらかしは指揮官に委細報告済みだ」
せいぜい怒られやがれ馬鹿野郎、と。怨嗟を吐きつつ俺はセオの差し入れであるシリアルバーを齧る。合成チョコレートの風味。ねっとりとした歯触り。
「俺らが言うよりよっぽど効果あんだろ」
言いたいことは山程あるが。俺たちが言ったところでろくに聞き入れやしないことは実績が証明している。最悪だ。
「甘すぎ」
カフェイン添加の代用コーヒーを啜るセオが言う。
俺はタブレット端末に視線を落としたまま、
「砂糖入れすぎたか?」
「分かって言ってるでしょ。……いいけどさ。結局僕らはシンに甘くなっちゃう」
潜めた声でセオが呟く。男女で分かれて乗せられた輸送車の中。申し訳程度に引かれたカーテンの向こうからはいびきが聞こえる。戦闘任務の後だ。疲れて寝ている者も多い。
「……無茶したことは、悪いと思ってくれているみたいだけど」
洞窟から輸送されている最中のシンは、どうもわりと落ち込んでいたらしい。
「謝れるようになっただけ進歩っちゃあ進歩か……」
俺に対しても「悪い」だなんて台詞が飛び出してくるのは進歩ではあろう。だがもう少し状況を鑑みてから言葉を発して欲しい。下手したら気道を火傷していた。頭の回転が速いから思索を挟まずに身体を動かす傾向がある。本能的に動く頭の良い馬鹿とか最悪だ。
そして。
そもそも謝るべきはシンではなくて。
「……シン。一人で倒しちゃったんだよね」
八六区における“号持ち”であり、仮にも精鋭揃いの戦隊を殆ど一方的に行動不能へと追い込んだ高機動型相手に、シンは一騎打ちで勝利した。
結局、シンが一番強い。
「……今更だし。分かってはいるけどさ」
シンと。“死神”と。〈アンダーテイカー〉と。轡を並べて戦い続けるということは自らの無力感を噛み締め続けることと同義だ。
「ライデンはよくやってるよ。本当に」
「別に。それこそ今更だからな」
例えば年齢や性別を理由に、シンには従えないと無意味なプライドを翳したプロセッサーたちは死んだだけだ。
あの馬鹿は頭がおかしいし、社交性を含めた諸々が大分アレだが、『強い』ということはずっと認めている。癪だが。
「……」
強いから、シンは死ななくて。
けれど。
「はい。これ、確認お願い」
セオが書類を差し出してくる。
そうされて、俺はタブレットペンを持つ手が止まっていたことに気がついた。
「……ん、」
文字列を視線でなぞる。
癖の強い字。だが読めないほどではないし、スペルミスの類いもない。
俺は少し、息を吐く。
「俺に押しつけてたくせに、お前らだってやれば出来るんだよな」
「ごめんて。悪いことしたって、ちょっとは思ってるよ?」
ちょっとかよ。
俺の呆れを悟ったか、セオが肩を竦める。
「読み書きが苦手なままで困るだなんて思ってもみなかったし。……まあ。そんなことも言ってはいられなくなったわけだけど」
備品扱いの八六区ならともかく、正規軍人として勤める以上は読み書きどころか書類仕事からは逃げられないわけで。
「それにほら。今回の作戦が終わったら例の学校でしょ? 流石に少しはどうにかしておかないとね」
セオは指先でペンを回す。
「僕は学校に通った記憶なんて殆どないけれど――ライデンはやっぱり違う?」
「寮に匿われていたのを、学校に行っていたと称していいのかは分からねぇけどな」
相応に教育は施されたが。それ以外に出来ることの方が少なかったので。
「楽しみ?」
セオの瞳が俺を映す。
口調こそ揶揄い混じりで、しかし妙に切実な眼差し。
「どうだろうな」
だから俺も真面目に答える。
「正直、分かんねぇよ」
未来の見据え方なんて、まだ。
「……うん。僕も」
翠眼は安堵と焦燥と自責が混ざり合った感情を浮かべる。
きっと、俺も似たような目をしているのだろう。
* * *
『学生生活』は順風満帆。愉快に楽しく賑やかに。
自らに定めたアイデンティティはともかくとして、適応能力と社交性そのものは高い(一部例外はいる)エイティシックスたちだ。軍服から学生服に着替えて、学生生活を楽しむことだって、もちろん、出来る。
俺とて例外ではなく。
だから心配していたのは例外枠の、社交性が欠如しておられる我らが“死神”であったわけだけれども。
「――――、」
中庭。
青々と茂るニレの樹。木陰に設けられたベンチへと腰掛ける女生徒の姿。
まっすぐに伸びた漆黒の髪。白皙の美貌。血赤の瞳は僅かに伏せられて、手元の文庫本の文字を追っている。
物静かな文学少女、といった有り様にひどい詐欺だと俺は思う。なまじ顔が良いから何をしていても絵になる。今のように本を片手に読書をしていても――拳銃を構えて引き金に指を掛けるときも。等しく、他者の意識を惹きつける魔性じみた容姿。
柔らかな風がシンの髪を散らす。溶岩地帯に生身を晒すという馬鹿をしやがったせいで縮れて痛み、少し切る羽目になっていた黒髪。けれどなおも八六区にいた頃よりは長い髪。
あの頃。
シンの髪を切っていたのは、シンの副長である俺だった。
「……」
血赤の視線は本へと落されて。
俺の方へと向けられることはなく。
しかし。
がくんっ、と。
小さな白い顔が、傾いた。
「――って。おいおいあの馬鹿眠いのか……!?」
がくんがくんと。頭を左右に揺らして船を漕ぎ出したシンに俺は慌てて駆け寄る。
初夏の陽射しは眩しくて少し汗ばむくらいだが、木陰に入ると随分涼しい。読書をするにも適しているだろう。――心地の良い空間を見つけて陣取り、挙句に寝こけ始めたシンの行動は本能的というか野生的というか猫じみているが。
やっぱ詐欺だろ、と。思いつつ、俺は無駄に造りの良い顔を覗き込む。
「おいこらシン、」
こんなところで寝るな、と。
ぐらぐらと不安定な肩を支えてやって――その華奢さと、力の入っていない身体に、腹の底がすっと冷え込むような錯覚。
「……なんだ」
俺を見上げてくる血赤の双眸。
無意識のうちにシンの口元に翳して呼吸を確認していた掌を、俺は引っ込めた。
「生きてるな、と」
なに意味の分からないことを言っているんだお前、と。
言わんばかりの表情が向けられたので、うるせぇ馬鹿、という表情を返してやった。
「ったく」
呼吸もあるし喋っているし生きている。
ここは学校で、寸前まで知覚同調越しに会話をしていた相手が次の瞬間に吹き飛ばされているような戦場ではない。
意識して、息を吐く。
「眠たいなら外での読書はやめとけ、虫とか刺されるだろ」
俺はシンの手から文庫本を抜き取り、膝の上に置いてやる。……スカートだな、とふと思う。
八六区ではプロセッサーの服装に男女差などあったわけもなく、連邦軍の軍服でもシンはパンツスタイルを選択しているから、少し、新鮮に映る。
「……ん……」
むにむにシンが唇を動かす。赤い唇。――機動打撃群の少女の例に漏れずシンも化粧を嗜むようになっていて、けれど時と場合による使い分けはまだあまり出来ていないらしい。あるいは単に面倒くさがっているだけかもしれないが。
ともすれば血のようにすら見える真紅。学生服には不釣り合いではないかと思える鮮烈な真紅は、しかしシンの黒髪によく映えている。
「……」
頬の上にも軽く粉を乗せているようだから、分かりにくいが。
「キツいようだったら保健室行けよ。寝させてもらうぐらい出来んだろ」
なんだったら俺が担いでいってもいい。異能に由来する過剰な眠気――という詳しい説明までは保険医に知らされてはいないだろうが、単に体調不良でベッドの一つを借りるくらいは出来るだろう。
しかしシンは緩く首を振る。
「……違う」
「ん?」
「…………今日はこのあとレーナたちと昼食の約束をしているから。保健室には行かない」
「まあお前がそう言うんだったらいいけどよ」
俺は後頭部を掻く。
肩から手を離した俺を、じぃと見つめる紅い瞳。
「お前も一緒に食べるか?」
「ちなみに面子は?」
「レーナとアンジュとクレナとシデンとシャナ」
微妙に良く分からない面子だ。多分レーナ繋がりだろうが。
あと全員女子だ。
「いやパス」
流石にアウェーがすぎる。
首を振った俺にシンは一つ瞬いて、
「………………。そうか」
長めの沈黙を経て、シンは頷く。
多分なんか言おうとしたし思ったのだろうけれど、口に出さないのであれば察してはやらない。
「じゃあ、俺は行くけどよ。あんま無理すんなよ」
まあレーナと合流するのならば大丈夫だろうが。
俺は軽く手を振って校舎へと戻る。
……そういえば。ここ暫くは別々に行動することが増えたな、と。
ふと気づく。
別に何か切っ掛けがあったわけではないが。
単に割り当てられたカリキュラムの都合であるし、学校というのは男女が別れる機会も多い。学生寮も男女別だ。
八六区では無いに等しい『男女別』という概念がむしろ新鮮なせいか、『学校生活』の一環として面白がって受け入れられている節がある。
「体育とかは男女別で正直助かったって思うけどね」「試合とかになったらあいつら絶対に容赦しないし怖い」「そもそも普段の行軍訓練とかでは俺らと変わらない重量のもん背負ってるしなあいつら」
一日のカリキュラム終了後の、食堂。
なんとなく、セオやリトなどの少年プロセッサーたちと一緒にテーブルを使いながら俺は彼らの会話を聞き流す。
ちなみに体育――気晴らしのレクリエーション扱いだが――において「わざわざ男女で分ける必要性があるとでも?」と若干気を悪くした様子であったのは少女プロセッサーたちの方だ。数少ない『少女の生き残り』であるという自負がある彼女たちは下手をすると少年プロセッサーよりもプライドが高い。
「元“女王の家臣団”の人たちとか凄いもんねぇ」
強くて頼もしい、と。どこかのほほんと笑いながらリトがスナック菓子へと手を伸ばす。広げられたテキストには一向に触れられる気配がない。
「どこもそうでしょ。下手なちょっかい掛ける命知らずとか……まあいるにはいたけど」
計算問題と戦っているセオが何かを思い出したのか眉間に皺を寄せた。
「下手すりゃ弾丸を撃ち込まれかねぇってのによくやるな」
俺は周囲から回ってきたテキストやらプリントに赤いペンで書き込んでいく。
何故俺が教師の真似事などしているのか。
単に一番課題が早く終わったからだ。
貧乏くじだった。
「初弾入りの拳銃なら投げられてたよ、ダイヤが」
「あいつ……」
なんで二年も前に死に別れた戦友の愉快な逸話を知らねばならないのか。遠い目をする俺と、「ええー……知りたくなかった……」と呻くリト。
のんべんだらりと無為な会話は続いて。
ふいに。
「あ、そうだ。シュガ副長」
ようやくペンを手にしたリトが、けれどやっぱり散漫に思考を飛ばしながら俺を見る。
「ノウゼン隊長が保健室に運ばれたって聞いたんですけど、大丈夫だったんですか?」
「は?」
初耳だ。
思わず見返す。「ひぇ」と身を竦めたリトの肩を、「なんでそう間が悪いのかなぁそれと僕も今知ったんだけど!?」とセオが掴んでがくがくと揺らす。
俺は席を立った。
「セオ」
「了解」
行ってらっしゃい、と。リトに詰め寄りつつもセオは応える。
俺は自分の荷物を手早く纏めて食堂を出た。
向かうは当然、保健室で。
しかし。
「おっと! お邪魔虫だぜ色男!」
保健室へと続く廊下に立ち塞がるように立つ長身の人物。
男性並みに高い身長と陽に焼けた肌を備えた少女――シデンだ。
「……いやなんでシデンがいんだよ」
「なんでとは言い草だなぁ! あたしらの女王陛下にハシより重たいモンを持たせるワケねぇだろ!」
むやみやたらに多分意味もなくハイテンション。シンとは真逆の方向性にアレな相手。……ハシってなんだ。東洋の食器だったか?
とはいえまあ。
「……あー。シンを運んでくれたのがお前なんだな。ありがとよ」
「素直に礼を言われると逆にイラっとするな」
「なんでだよ」
俺は呻く。
シデンは赤毛と肌の色に映える、南国の花みたいな色を乗せた唇を大きく開いて、
「恨みはねぇけど腹が立つ!」
「言いがかりじゃねぇか」
「単なる同族嫌悪よ。みっともない」
シデンの斜め後ろで静かに佇んでいたシャナが口を挟んだ。
シデンと比べれば随分と物静かな――なお当然大人しいという意味では全くない――シャナの、『同族嫌悪』という言葉に俺は片眉を引き上げる。シデンと俺の、一体どこに共通点があるというのか。
俺の怪訝を見て取ったか。シャナは片目を細めた。
「あら。自覚もしていないの」
揺れる水面のような。
冷ややかな、声。
「“死神”は女王陛下が看病してあらせられるわよ。……単なる貧血。あなたの出る幕はないわ」
対して親しいわけでもない、別の戦隊の相手に自らの戦隊長について断じられて。流石に良い気分ではない。
「……ぁ、?」
何故か間に立つシデンが殺気を滲ませて。
それでもシャナは悠然と腕を組んだ。
「副長同士のよしみで言ってあげる」
窓から差し込む陽光に照らされた、砂漠褐種特有の豊かな黒髪が波を打つ。
「代わりがいるのよ。私たち」
告げられて――息が止まる。
俺の様子をどう見たか。冷淡な印象すらある唇は呆れたように息を漏らした。
あるいは、苛立ち。
「一人で……二人で。なんでもやらないといけなかった八六区の戦場じゃないの。……“死神”の異能は機械でも代用が効かないそうだから、確かに彼女だけは例外なんでしょうけれど」
けれどそれ以外ならば。
戦闘においても書類仕事のような業務に関しても。
誰か一人がやらないといけないことなど最早ない、と。シャナは言う。
「――――っ」
言い返せない。
だから俺だってとっくに気づいていたということを、自覚する。
* * *
すごすごと。
そんな形容詞が似合ってしまう長身の背中を見送りつつ、シャナは肩の力を抜いた。
見かけに反して随分と『甘い』性格の持ち主であるらしいが、まあ、体格に伴う威圧感というものはある。
ライデンの姿が曲がり角へと消えるまで睨みつけていたシデンが、ちら、と色違いの双眸を向けてきた。
「やっぱ一発ぐらい殴っておいても良かっただろ」
「八つ当たり以外のなんでもないでしょう」
息を吐く。アンジュとクレナに続いて自分たちも保健室を後にして、ライデンと鉢合わせたのは偶然だが、わざわざ追い返すかのような言動を取ったたのはシデンの意思だ。
わざわざ想い人と恋敵の逢瀬を護ってしまった戦隊長に、これ以上の貧乏くじは引かせたくない。
それに。
「……」
きらきらと。
初夏の陽射しを受けて、癖の強い赤毛が金の光を帯びている。
綺麗だな、とシャナは顔には出さずに思う。夏の光が似合うひとだ。生命の輝きに照らされ照り返して。鮮烈。太陽のような。
シャナのルーツである砂漠褐種が多く暮らす砂漠地域では乾きを齎す太陽は忌まれることもあるというけれど。少なくともシャナにとっては忌まわしいものではない。比較的寒冷な地域に長くいたから、むしろ凍える身体を温めてくれるものに他ならないとさえ思う。
「甘いもの、食べに行くんでしょう?」
シャナはシデンの腕を引く。
「……女王陛下は残念だけれど。代わりに付き合ってあげるわ」
本当はレーナに喜んで欲しくてシデンが探してきたお店だと知っているけれど。保険室でシンに付き添っているのだから仕方がない。
持ち帰りのようなものがあれば良いのだけれど、と。つらつら考えるシャナに、切り替えが済んだシデンの、にぱりとした笑みが向けられる。
「……」
こんな、戦場も程遠い場所で彼女の屈託のない笑みを見ていることは僥倖であろう。
多分きっと間違いなく。八六区に閉じ込められていなければ、お互いに、関わろうとも思えなかった相手であるけれど。
だからまるで都合の良い夢のように――シャナはシデンを見つめて。
まったく。
同族嫌悪だと自嘲を覚える。
「あの男についてはもういいわよ。これ以上苛めたら墓掘りに睨まれるわ。私は嫌よ、そんなの」
先程の、自らの戦隊長の危機と思い込んで駆けつけた副長の顔は。
導を見失った迷い子みたいで。
なんだか、ひどく苛立ってしまった。
「私のお墓はシデンが掘ってくれるんでしょう?」
本当に。
みっともない。
* * *
シンの体調不良は一時的なものであったらしく、翌日にはけろりとした顔で登校してきていた。
貧血と聞いたが実際のところは何であったのかとアンジュとクレナに尋ねてみたら「そうだよね来てなかったもんね」「八六区の頃はね……」とよく分からないことを言われつつシン本人には絶対に尋ねないようにと念押しされた上で、理由についてははぐらかされた。
俺の心配をよそに、シンは『普通』に学生生活を謳歌しているらしい。
それが出来るだけの余裕を、いつの間にか得ていたらしい。
シンについて、俺が知らないことは随分増えた。
……違う。そもそも。
昔から、俺がシンについて知っていることなんて大してない。
ホテルの朝食の席にて。
今日も今日とて二人の世界を展開しているシンとレーナと、あの二人をくっつけるにはどうすべきかと。特に潜めてもいない声で作戦内容を交し合う少年少女たち。
ホテルの滞在も幾日か過ぎて。そろそろ朝食時の作戦会議自体がイベントの様相を醸し出してきた。というか俺たちは今のところ特に何もしていないし。俺たちが何かするまでもなく勝手に仲睦まじかったり、よそよそしくなったりな甘酸っぱい恋愛模様を繰り広げている二人なわけで。
だからもう、正直、
「……」
浮かんだ思考には気づかない振りをして、俺は腸詰めに被りつく。美味い。
俺以外の奴らはガイドブックなどを広げている。このスポットが良さそうだとか、実際言ったけど良かっただとかの情報を交わす声。
……あと、どうもこの数日間でくっついたっぽい奴らも何組かいる。作戦指揮官殿と戦隊総隊長殿が亀の如き歩みで進んでいる間に電光石火の展開だ。見習えばいいと思う。多分シンもレーナも今はあまり周囲に目が行っていなさそうだけれど。
本当に、正直、
「シュガ副長、」
「リト。この腸詰め美味いぞ」
手首のスナップを効かせて、俺はテーブルに盛られたばかりの腸詰めをリトの口の中へと放り込む。「あっふい!」と言いつつもはぐはぐと食べているリトを横目に、息を吐いた。意識して。
多分、あまり。
良好な精神状態ではない。
「……ねぇライデン!」
セオが弾むような声を出した。気を遣わせている。そうさせた自分に嫌悪を覚えて。
だから。
「悪い。今日はちょっとパス」
席を立つ。
トレーを片づけて、そのまま出入り口へと向かう。振り返らずに。
――横目で伺ったシンはこちらに気づいてもいなさそうで。
「……」
正直、もう。
俺が世話を焼く必要なんて、ないのでは。