願いは時と風を超えて。———今日も、駄目だった。
寝苦しさと押し潰されそうな感情にがばっと布団から飛び起きる。
いるはずの無い隣、一人で迎える何度目の朝。
あの言葉は、何だっけ。
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「独り占めの景色ってこういう風に映るんだね」
はしゃいでいたのか、咄嗟に出たのはおかしなもので。カゲリエに浮かぶ丸い照明が星のようでキラキラしていて、子供のような気持ちに戻れる。
姿は見えなくともハァと呆れたような顔をしているだろう相棒が口を開いた。
『オレもいるだろ?暁人クン』
茶化すように横槍を入れ、そうだと口をおさえた時にはもう遅い。
誰もいないベンチに腰掛け、赤や黄色、ピンクに彩られたカラフルな電飾を見上げながら三色団子を頬張る。
これこそ風情があっていい、と暁人はそう語っていて、いつもKKは静かに佇むだけ。
「なんかさ、この明かりを見てるとクリスマスツリーを思い出すんだ」
ぼそっと溢す独り言。横でふわりと体勢を変えたKKは俯きながらしばし考え、はっと顔を上げた。
『確かにそうだな。オレはちょっと別で笹の葉飾りを思い浮かべたぜ』
「笹の葉?···あぁ、」
———七夕だ。
口が同時に動いてシンクロする。声を出さずに口角だけ上がる暁人をちらりと見ると、KKは言葉を続けた。
『ここ最近は短冊とか書いてないな。
なぁ暁人。
今この場で考えるなら、お前は何をお願いする?』
にやりといたずらっぽい笑みを浮かべ、ゴロンと宙に横たわる。
投げかけられた突然の問いに腕組みをし眉間に皺を寄せ、うーんと唸りながら暁人は真剣にお願い事を想像した。
家族のこと、友達のこと、ご飯や趣味のバイクのこと。
叶えたい願いは山ほどある。けど欲張ってはいけない。
しばし考え、ようやく答えが絞り込めたのかゆっくりと口を開いた。
「そうだなー。
"渋谷が元の平和な街に戻ること"と、
"塩神をお腹いっぱい食べられますように" かな」
イメージ通りだったのか違ったのか、ふはっと一呼吸吹き出すとKKはうんうんと強く頷いた。
『お前らしい考えだ。悪くないと思う』
そう言って暁人を見守る瞳は優しく、どんな状況でも褒めてくれる一番の理解者であると強く確信できる。
「じゃあKKのお願いは?」
投げかけられた質問に一瞬目を見開く仕草を見せるも、答えは決まっていたようで横の体勢からすっと立て直し、暁人の隣に座る。
『オレの願いはこれだな。
···*****』
ガサガサとノイズが走り、肝心の願いが聞き取れない。
話す横顔は穏やかで得意気で、しっかりと覚えている。
なのにどうしてか言葉だけ、聞こえない。
「···っ!!
またか···」
同じ所で途切れる記憶。
あの夜を越えて一人で生きていくと決めて、たまに見る明け方の夢。
相棒も、自分も、幸せそうに笑っていた。
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ーーー最近の中では涼しい夜。風が心地よく肌をすり抜ける。
いくつか時が経ち、迎えた今宵は七夕。
あれから恒例になっているのがショッピングセンターに飾られる笹の葉と、短冊に願い事を書いて飾ること。
子供達も帰った今、一人で時間を掛けてペンを走らせる。
手に取るのは、黄色い短冊。
最後に書くことは既に決まっていて。
一番叶えたくとも叶わない。それでも微かな可能性を信じて毎年の楽しみとして刻む。
筆先を短冊に乗せた、と同時だった。
ピチョン。
響き渡る一滴の水音。
この音は、紛れもない。忘れるはずもない。
辺りを振り返るも誰一人歩いていない。まるであの夜のようで。
あの日以来、力が消えてしまい同じことが出来なくなったが僅かな痕跡が無いかじっと耳を音に集中させる。
ピチョン。
また落ちた。
音のした暗闇からぼぉっとオレンジの光が浮かび、一筋の線となって笹の葉へ伸びる。
その先を追うと、一枚の短冊の端に絡みついた。
絡んだ短冊に書かれた願いを読む。ただ目で追うだけのはずだった。
それが何故か、口走っていて。
「···"暁人がこれからも幸せに健康に過ごせますように"
これって···」
間違っていた。
あの時、ずっと言いたくて言えなくて後悔していて心の中に引っかかる靄をずっと抱えて。
「KKっ···!!」
返ることの無い闇に愛しき名を叫ぶ。溢れ出る感情は抑えきれず滝のごとく涙が頬を流れ、湿る地に落ちる。
妹の葬儀の時でさえ流れなかった雫。"泣くこと"を忘れた時間が動き出し、幾時振りに己の涙を見た暁人は、右手に残るはずの温もりをギュッと握り込んだ。
「僕も、ぼくも···KKのしあわ、せを···っ」
自身の短冊を胸に抱き、喉を詰まらせる嗚咽に耐えながら息を吐く。
思い出した、KKが願ったことを。
あの時伝わらなかった気持ちを今。願いが叶う七夕ならきっと想い人が見ていると信じて。
『暁人』
風に乗って、囁く声は。あの時の。
『オレはここで見守ってるから』
嫌だ、やめろよ。
『だからな、暁人』
やめろ!
『これからも健やかに生きて、ほしい』
はっきりと聞こえた、見えた。
ゴメンと繰り返し呟き震える肩をそっと叩いて、泣きそうな顔で微笑む、愛しき人。
「KK···
ごめん、よ」
あの時自分のことしか考えきれなかった己を何度も責めた。
好きな気持ちを素直な伝えきれない弱さ、誰よりも人のことを優先する彼の優しさ。
巻き込んでしまった罪悪感から、この夜が明けたら自分らしく生きて欲しいと星に願い、短冊に託した唯一の相棒。
「今なら、言える···。
僕は、KKみたいな人に、なりたい。
強くて優しくて、不器用で、動物が苦手。
嫌いから、好きになった、んだよ···っ」
小雨に弱まる雫を時折飲み込みながら、あの時伝えきれなかった気持ちをようやく吐き出せた。
頭上の声が一つだけ残し、オレンジの光を連れてふわりと気配が薄くなる。
光の粒が消えるまでKKは笑っていた。大丈夫、と語るように暁人の肩に手を添えて、温度が感じなくなるまで。
『···ありがとな、暁人』
ポチャン。
慣れた水音を最後に、気配が静かに沈んだ。
暁人は泣き腫らした瞳を空に向ける。雲ひとつ無い夜闇の向こう側は今にも零れ落ちそうな星のかけらが満開に瞬く。
「ありがとう···、
KK」
ゆっくりと立ち上がり先程まで輝いていた短冊に目をやると、KKの願い事は消えていた。
これから叶えていく、今は少し叶える手前にいるからオレが持っておくと言ってるのだろうか。
ニシシと笑う師匠の笑顔が声と共に見えてくるようで、暁人は抱えた自身の短冊を笹の葉の一番高いところへそっとかけた。
「生きるよ、強く···。
僕の背中をちゃんと見ててよ」
また来るよと一言残し、人のいない街中へと足を向け、七夕は終わる。
毎年の願い、大事な相棒にしっかりと伝わるように。
風に揺れる文字が強く、暁人の背中を押す。
空に渡る天の川。
七夕の夜に一人何を思い、暁人は夜に一人立つ。
そばに相棒がいるから、この先も大丈夫。
強く、生きる、意思を胸に。願いを笹の葉に乗せて。
End