初めて二人きりで飲んだ時に浮奇が「俺のために一杯作って?」とねだってくれてから、二人で飲む時は毎回その時の気分で浮奇の好きそうな酒を作ってやっていた。
最初は、そうだ、ちょうど俺のお気に入りの白ワインを開けていて、でも浮奇は好みの赤ワインばかり飲んでいたからこっちも美味いんだぞと教えてやりたくなり『キール』というシンプルなカクテルを作った。白ワインにカシスリキュールを入れるだけであっという間に作れるけれど美しく美味しいそれを浮奇の前にサーブすると、浮奇はうっとりした目で「ふーふーちゃんの色だ」と呟いた。全く意識していなかったから呆気に取られ、それから声を押し殺して笑う。
キールのカクテル言葉は『最高のめぐり逢い』。浮奇をイメージして作ったのにその色が俺だなんて、無意識で最高のめぐり逢いができたようだな。ロマンチスト過ぎて恥ずかしいから浮奇には内緒にしておこう。
「ん、おいしい」
「良かった。次作る時は浮奇の色のカクテルにしような」
「俺の……紫? お酒にもあるの?」
「もちろん。次飲む時までに手に入れておくよ」
「えへへ、ありがとう。でもそしたら、それはふーふーちゃんに飲んで欲しいな」
「俺?」
「うん、俺のこと、飲んでくれる?」
「……あー、酒が回るのが今日は早いな。ちょっと水を飲んでくる」
「ひひ、はぁい、いってらっしゃい」
酔った浮奇のあまい声とセクシーな喋り方は心臓に悪い。アルコールのせいじゃなく早まる鼓動を深呼吸で落ち着けた。
その後も何度か二人で飲む機会があり、その度に俺は浮奇に一杯の酒を作った。浮奇はそこまで深くお酒の知識があるわけではないようで、俺が含ませたカクテル言葉には全く気がついていない様子だった。
おいしい、と弧を描く唇に何度も魅了され、理性のない行動を取らないように水を飲み酒の量をセーブした。「一緒に酔っちゃおうよ」だなんて魅惑的過ぎる誘いに打ち勝った理性には表彰状をやらなくちゃいけない。
何度目かのバータイム。浮奇は今朝からずっと上機嫌だった。俺がもし夜に時間が合うならと誘った時に、今日はクレーム・ド・バイオレット──紫色のリキュールの用意があると伝えたからだった。以前お試しで買った小さな瓶は、自分の色の甘いリキュールを気に入った浮奇があっという間に空にしてしまって、また飲みたいと言っていたのだ。浮奇と飲む口実になるなら喜んで購入するに決まってる。
いつものようにカクテルを作り、浮奇に贈る。目を見開いてそれに夢中になる浮奇は、俺がすこしだけ緊張していることには気が付かないだろう。
「わお、綺麗な紫だ……これはなんてカクテル?」
「ユニオン・ジャック」
「イギリスの?」
「イエス。すこし強いからゆっくり飲めよ」
「……いい香り。いただきます」
透き通る紫色を口に含み、飲み込んでふわりと顔を綻ばせる。どうやら口にあったようだ。すぐに酔うくせに、浮奇は酒の味が好きらしい。
「おいしい。ありがと。ふーふーちゃんも飲んで?」
「浮奇に作ったのに?」
「俺の色の時はふーふーちゃんも飲むルールなの」
「いつのまに。オーケー、それじゃあ一口。……んー、バイオレットの良い香りだ。甘すぎたか?」
「ううん、おいしいよ。本当はあまり甘くないの?」
「浮奇が飲みやすいようにすこし甘くしたんだ。気に入ってくれたなら良かった」
「……ふーふーちゃん」
「うん?」
「……だいすきだ……」
「あはは、顔が赤い。もう酔ってるな?」
「本気だよ……本当に……いちばん好き……」
「ありがとう。水を持ってこようか?」
「まだ酔ってないもん」
ん〜と猫のように唸って、浮奇が上目遣いで俺を見つめる。好きな子と二人でお酒を飲んで好きだと言ってもらえるなんて、俺は前世でどれだけ徳を積んだのかな。
「ふーふーちゃん」
「うん」
「……おれ、ずっと、気づいてて」
「ん? なにに?」
「なにをすればふーふーちゃんがくれたのと同じだけの嬉しい気持ちを返せるか、考えてたんだ」
「……浮奇? やっぱり酔ってるか?」
「ねえ、これ、どうして俺に作ってくれたの?」
「どうしてって、浮奇の色だから、浮奇にあげたかった」
「バイオレットのカクテルは他にもあるでしょう。どうして、これ?」
「……俺が持ってる酒で作れるから」
待て、浮奇は何を聞きたがっているんだ。まだ飲み始めて少ししか経っていないし、訳がわからなくなるほどの量も飲んでもいない。俺も、浮奇も、まだ酔うというには酒が足りないはずだ。
「俺はね、ふーふーちゃん、好きな人のことは知り尽くしていたいタイプなんだ」
「ああ……?」
「ふーふーちゃんが好きなお酒のこと、俺が全然知らないこどもだと思ってる?」
「……つまり?」
「カクテル言葉くらい調べればすぐに出てくる。今までのも全部ちゃんと分かってて、今日のも、今調べちゃったよ。……俺、誘われてる?」
「っ! 嘘だろ」
「ほんと。ねえ、酔っちゃう前に、俺がちゃんと覚えているうちに教えて。どういうつもりで今までのお酒を作っていたの」
テーブルの上で浮奇の手が俺の指を捕まえる。まだ酔っていないのに、俺たちの手は信じられないくらい熱くなっていた。赤い顔も、うまく回らない脳みそも、アルコールじゃなくて全部浮奇のせいだ。
「……カクテル言葉は、……ああ、もう、その通り、おまえが調べた通りの意味で受け取ってくれて構わない。今日のも、全部だ」
「つまり?」
「……好きだよ、浮奇」
「ふ、へへ……ふふ……まだ酔ってないのに、酔ったみたいにふわふわする。夢じゃないよね?」
「夢でよかったのに」
「ダメだよ、絶対忘れてあげないからね。……ユニオンジャックのカクテル言葉は『誘惑と戸惑い』。ふーふーちゃんはなにを誘惑して、なにに戸惑ってるの?」
確信的な笑みを浮かべて、浮奇は俺を追い詰める。その生意気な顔は、正直なところめちゃくちゃ好みでもっと色々と言ってほしいけれど、……全てを言葉にしてしまおうだなんて無粋じゃないか、お互いに。
俺はカクテルグラスを倒してしまわないようにテーブルの端に寄せ、触れている浮奇の指の間を擦るようにそっと手を動かした。ピクっと震えて、それでも浮奇は俺を見つめ続けてる。
「……今日は、まだアルコールが回ってないよな」
「うん……?」
「おなかは空いている?」
「……どういう意味で」
「そういう意味で」
「すいてる」
「ふっ」
食い気味で返ってきた返事に吹き出して、浮奇が拗ねてしまう前に身を乗り出し唇を奪った。初めて触れた唇はバイオレットの香りが残っていて、あまりにも浮奇のイメージ通り過ぎて可笑しい。姿勢を戻した途端今度は浮奇が腰を浮かせて俺に顔を寄せた。唇が重なって、食まれて、甘い舌が伸びてくる。性急な行動もおまえなら不快だなんて思わない。
「ふーふーちゃん、ベッドルームに入ってもいい?」
「んぅ、……ああ、そうだな、ここじゃ何もできない」
テーブルを回ると浮奇がギュッと俺のことを抱きしめて、そのまま持ち上げて行こうとするから頭を叩いてやった。俺を見上げる拗ねた顔にキスを落として「恥ずかしいから嫌だ」と本音を溢せば、浮奇はとろけるような笑みを浮かべた。
「恥ずかしいだなんて思う隙がないくらい、いっぱい愛してあげるよ」
なんでもかんでも言葉にしやがる若者め。赤い顔を隠すため、ベッドルームに着くまでに何度もキスを繰り返した。