あまく、まどろむ イエローウエストの研修チーム、その生活圏である部屋には、主な家電製品はひと通り揃っている。そもそも掃除や洗濯といった、日常生活を送る上で欠かせない細かな作業は、大半が補助ロボットの役目でもある。テレビの画面の先、何百何千という客にモノを売ってきたであろう司会者の話術で紹介されているロボット掃除機は、ディノにとってもこの部屋にとっても明らかに不必要な品物だった。
「でも、二つでこの値段はお得すぎる……!」
独り言は深夜のリビングに溶け込んでいく。そろそろ切り上げて就寝しなければ明日の業務に差し支えるとわかっていても、ディノは司会者の流暢な喋り、そして魅力あふれる品々から目が離せない。通販番組とは、もしかしたら世界的なサッカーの試合よりもディノの心を踊らせるエンターテインメントかもしれない。
「ねえ。この前、掃除機は要らないって話、したばかりじゃない?」
「わっ!」
予期せぬ背後からの声に、ディノは反射的な大声を喉から飛び出させ、腰はソファから五センチほども浮いた。
しい、と厳しい表情で口と人差し指をクロスさせているのはフェイスだった。二時間ほど前におやすみの挨拶をしたはずだが、ディノがテレビに齧り付いている間に部屋から出てきたらしい。
「そんなに驚かないでよ、全員起きちゃうでしょ」
「う、ごめん……」
今となっては無意味なことだが、ディノは両手で口元を抑えてみせた。フェイスは鼻から抜けるようなため息を漏らし、同時にソファへ腰を下ろす。聞くと、ここ数日間どうにも寝つきが良くないそうだ。
「ええ、大丈夫なのか? もっと早く言ってくれれば……」
「別に、寝られてないってわけじゃないから。……今日はディノがまだ起きてたから出てきただけ」
ディノの右肩に顔を寄せて、フェイスの声はミルクをねだる子猫のように甘やかだ。
「フェイス……ごめん、ちょっと待っててくれる?」
「え……?」
怪訝な顔のフェイスをソファに残し、自室へ入る。親友の地鳴りのようないびきは平和の象徴だ。キースから雑貨屋がまるごと引っ越してきたようだと皮肉をもらった自分のスペースから、ディノはとあるものを持ち出してリビングに戻った。
「はい、これ。良かったら使ってみて」
「なにこれ……クッション?」
フェイスに差し出したのは、S字型に細長い抱き枕だった。中に詰められた細かなプラスチック原料が柔らかく身体にフィットし、快適な睡眠を約束するという優れもの――ただし、ディノ自身はまだ試したことがない。
「もしフェイスが使ってみて良さそうなら、もう一つ買っちゃおうかな」
「ふうん……」
目にも優しいベージュカラーに頭を預けて、フェイスは愛おしそうにクッションを抱きしめる。
「確かに、気持ちいい、かも」
「……だろ?」
先ほど肩に寄りかかられた時と同じ、安心しきったフェイスの無防備な表情は、どうにもディノの心を波立たせる。自ら私物を差し出しておいてと申し訳なく思いながら、ディノはS字の下の窪みから手を差し込み、一旦クッションを預かり、ソファの背もたれを支えに立てかけた。
「ディノ……?」
クッションを抱く側から、ディノに抱かれる側へと役目を変えたフェイスの戸惑った声が耳元で掠れた。庇護欲と支配欲のちょうど中間あたりを、羽毛で優しく撫でられているようだ。このままこの身体を抱き包んで眠りたかった。
「うん、ちょっと……やきもち」
「あは、何それ……」
その背中を一定のリズムで叩いてやると、フェイスは子供扱いするなとばかりにディノの胸から顔を上げ、小さな反抗があった。交わる舌先にわずかに残るミントの清涼感は、数時間前のものだろう。
「これで十分だから、抱き枕は返しておくね」
「え、持っていってもいいんだぞ?」
「いらない。……我慢できなくなっちゃうし」
縋る手が示す先が自分の身体であることを察する。「このまま眠りたい」と思うのはお互いに同じことのようだ。惜しみながらもフェイスを寝室に見送る一歩手前で、頬と額に口付けを贈る。
「おやすみ、フェイス。良い夢を」
「うん、ディノも。……おやすみ」
メンティー部屋の扉が閉まった後、リビングを振り返ると、熱中していたはずの通販番組はエンディングを迎えていた。掃除機は次の機会でいいかもしれないし、フェイスの言う通り、本当に使わないかもしれない。
ソファに立てかけられたまま役目を失ってしまったクッションは、ディノの部屋の隅で、出番が来るその時を再びじっと待つことになった。