物語の続きをあの一瞬。
時計の針は動くのをやめて風だけが通り過ぎる。
アタシの心はフードから垣間見えた翡翠の瞳に吸い込まれ胸に大きな波紋が広がった。
ねぇ、運命って信じるかしら。
キングスカラー先輩。
式典が終わり、ヴィル・シェーンハイトはポムフィオーレ寮へと導かれた。
そして同室の生徒が話しているのをその時小耳に挟んだのだった。
レオナ・キングスカラー先輩。
サバナクロー寮の寮長、マジフトがとても上手で部長も務めてる。マジフトファンの間では絶対的な憧れの的であると。それから夕焼けの草原の第二王子であるとも。手作り感満載なポスターや雑誌を見せあって嬉嬉として少年たちは話題に夢中になっている。
そういえば、サバナクローの寮長として前に立ってお話してた彼。遠くてお顔は見えなかったけど。
あの一瞬、すれ違っただけの彼が、彼であるという何の根拠の無い確信がヴィルの中で芽生えては何度も何度も彼の名前を心で唱えた。
だって初めてなのよ。こんな気持ちは知らないわ。
そして、かちりと噛み合った歯車はギシギシと音を立てながら動き始める。
「……オナ、レオナ!いい加減起きてちょうだい!!」
よく聞き慣れた声が上からどさどさ降ってくる。
しかしここで目を開けたら俺の負けを意味するから意地でも寝たフリをきめる。
「もうあと五分しかないのよ!起きているんでしょう?急ぎなさい」
「……行かねぇ」
「いいえ、行くのよ。もう、本当にだらしがない。寮長としての示しがついたもんじゃないわ」
パシンッ
鋭い痛みがダイレクトに尻にヒットする。
「ヴィル!」
ギロりと睨みつけると満足そうにこちらを見下ろすアメジストの瞳とぶつかる。
「あらおはよう。寝坊助さん。早くアタシに付いてきなさい」
「命令すんじゃねぇよ」
渋々上半身を起こす。
「そう思うんだったらアタシにも命令しないで貰えるかしら」
カツカツと音を鳴らしながら植物園を抜け、廊下を颯爽と駆け抜ける。
「ねぇ、レオナ。アタシ昨日も言ったわよね?」
「何をだ?」
「今日の放課後は寮長会議があるって事よ!」
「あー、あー、」
「覚えてないなんて言わせないわよ」
「うるせぇ」
小声で悪態をつくと、ぐるりと後ろを向いてこれまた冷ややかな視線で貫かれる。
「聞こえてるわよ」
「聞こえるように言ったんだ」
べぇっと舌を出して対抗する。
「レオナ。そんなタラタラ歩かないで!アタシまで間に合わなくなるわ」
ぐいっと腕を引っ張られたついでにキンキンした声が耳を貫いた。
「別に良いじゃねぇか。どうせ俺たちがいなくても話は進む」
「そういう問題じゃない」
「へーへー行けばいいんだろ?」
「あったり前じゃない。それから前日に伝えたことくらいちゃんと覚えといて。毎回呼び出しを指名されるアタシに迷惑が掛かるのよ。ほんっとアンタって」
勢いよく扉を開ける。
「「顔だけの男」」
同時に呟いては顔を見合わせる。
「だろ?」
「……分かってるのね」
何故か得意げにニヤついた顔を浮かべるレオナに小さくため息をこぼす。
「お前が何回もこう言うからな」
「だったら…」
「おや、ヴィルさんにレオナさん。今日も仲が宜しいようで」
「「別に仲良くなんか…」」
「ブフォ。息ピッタリでござるなぁ」
再び口をついて出た言葉が重なり、イデアの笑い声に二人とも眉をひそめて口を閉ざす。
「でも、今日もレオナはヴィルにここまで引っ張ってきてもらったんだろ?よかったな!!仲良くなかったら置いてかれてたぜ!!俺もジャミルに送ってきてもらわなければすっかり忘れてたなぁ!」
屈託のない笑顔と一切悪気のない言葉。
ヴィルは掴んでいた腕をぱっと離し、レオナは怒ることも出来ずグルグルと小さく鳴いた。
「……ゴホン!皆さんお揃いですね。では翌週に迫ったマジフト大会の話を」
「学園長、マレウスが来てないぜ!」
「おや、ちゃん呼びましたよ。私、優しいので!
しかし、本当に来てないようですねぇ。仕方ない。会議が終わったら誰かディアソムニア寮まで資料を届けてくれませんか?うーん、どうでしょう、キングスカラーくん?」
「俺はパスだ。この後用事がある」
かったるそうに頬杖をつきながら片手をあげる。
「困りましたねぇ〜。明日のマジフト大会についてなので今日中に届けて貰いたいんですよ。誰かー」
だらだらと始まった学園長の話を他所にふんわりと漂う彼の香りに一年の頃を思いだした。
レオナとちゃんと話したのは仕事と学校の両立が順調に進み、少し余裕ができた頃だった。
植物園で個人的な研究用の植物を人気のないところで育てることにしたのだ。
小さな如雨露を持って先日取った場所へ行けば大きなライオンがそこで昼寝をしていた。
「……あの、すみません」
大きな背中に向かって声を掛ける。
「少しどいてくれませんか?」
再び声を掛けるがピクリと耳が動いたっきり返答がない。
「あの!!」
「……っち、うるせぇな。誰だ俺の縄張りでピーピー騒いでるのは」
やっと聞こえたその声は、ほとんど暴言に近い言葉を並べたもので無意識に顔を顰める。
「……ここにある植物に水をあげたいので、どいて貰えますか?」
「あぁ?嫌だ」
「何故ですか?」
「めんどくせぇ。俺が先にこの場所で寝てるんだ。お前が場所を変えろ」
プツンと糸が切れた。この短い会話で人をイラつかせるなんて。
「アタシは」
「おい、まだ喋んのか?」
「……まだ喋るのか、ですって?何よ!アタシがこんなに丁寧にお願いしているでしょう?それに私がここを選んだ時、アナタはここにはいなかったわ!アタシの方が先よ。何でアタシが場所を変えなきゃならないのよ!!それともアナタも植物なの?あぁ、植物なのね。ええ、いいわ。アナタにもお水をあげる!」
怒り任せに如雨露を傾けー、いや逆さまにして寝転がったままの頭にかける。
「……おい」
まだ収まりきらない苛立ちにまた水を蓄えようとペンを振ろうとしたその時、
「きゃっ」
グイッと突然足首を掴まれ、少し高さのある靴にスラッとした細い足首はバランスを崩し彼の方へ倒れ込む。
「よくも俺様にやってくれたなァ?」
間近にある顔はペしゃりとした前髪でだいぶ隠れているが誰かはわかる。いいえ、後ろ姿を見つけた時から分かっていた。
「謝らないわよ」
一筋の傷が入った左眼がヴィルを凄むが、負けじと同じ熱量で睨み返す。
「お前……」
ザァー……
今度は如雨露からじゃなく、もっと上から如雨露の五倍はある量の水が降りかかる。
「何?」
服が濡れるのやメイクが崩れるのを心配するよりも先にこの状況が飲み込めずキョロキョロと周りを見渡していると、クツクツと愉快そうな笑い声が響き渡った。
「何よ?」
「知らねぇでここに来たのか?ははっ、スコールだ。この時間になると毎日降る」
「……知らなかったわ。じゃあ水はこの時間にあげにこなくて良さそうね。それより何でアナタはここで寝ていたの?きっとアタシが来なかったらビショ濡れだったわよ」
「んなヘマ俺がするかよ。ここは暖かくて昼寝に最適だ。が、俺はスコールがこの時間に降ることを知っている。それで今起きようとした所にお前が来た。ドカドカと俺の縄張りに踏み込んだ奴がいたもんだから、ちとからかってやろうと思っただけだ。まぁ、見ての通りタイムオーバーだが」
先程までピンと張っていた耳はぺしょりと垂れ下がっている。
「ふふ、そうね。男前な顔が台無しですよ」
垂れている前髪を少量掬いあげれば焦れったそうに耳をパタパタ動かす。
「お前もな」
同じく片目を隠すように濡れた前髪を耳の方へ待ってかれた。
「所でこの薬草は亜熱帯で生えてるもんじゃねぇだろ。何でここに置いたんだ?」
「あら、知っているんですか?これはアタシの国でよく育つんだけど暖かい気候で上手く成長させると成分が変わってくるんです。それにちょっと分配を変えてみたから…ふふ、成長するのが楽しみだわ」
「ふぅん。薬として使われるコレを強力な毒薬にするって訳か」
「……博識なのね」
「さあな」
遠くで聞きなれた鐘が鳴る。
「……ヴィル」
名前を呼ばれてはっと我にかえれば五時を知らせる鐘の音と共に学園長が羽ばたいてゆく所だった。
「おいおい、俺を起こしといてヴィル様は心ここに在らずじゃねぇか」
「…ちゃんと聞いてたわよ」
「あっそ。おい」
「リドルさん、宜しければ僕が持っていきましょうか?」
「その必要は無いよ、アズール。君の手は震えている」
「そんなことありません!というか貴方、学園長に押し付けられた時物凄い嫌そうな顔してたじゃないですか!」
「お!2人とも楽しそうだな!よぉし、俺がマレウスに届けに行こう!」
「「それだけはやめてくれ」」
2年がガヤガヤ騒いでいるのを横目に、隣に座っているレオナに耳を傾ける。
「何?」
「この後空いてるか?」
「コラムを書く予定があるわ」
「なら大丈夫だな。一昨日言った本が見つかったが読むか?」
「ええ。勿論」
「じゃあ、このまま俺の部屋に来い」
「……行くわ。行くけど、何でアンタはそんなに偉そうなのよ」
「それは、俺が偉いからだ」
レオナの後に続いてサバナクローへと繋がる鏡をすり抜けた。
あの鐘が鳴った後、ヴィルは顔色を変えてポケットから鏡を取り出しては急いで身なりを整え始めた。
「もうこんな時間!こんな格好で…間に合うかしら」
「どうしたんだ?」
「この後お仕事が入っているんです。ここでお昼寝しているアナタと違ってアタシは忙しいの」
「……そうかよ」
次の瞬間、ぶわぁっと全身が暖かい風に包まれる。
ペタリと肌に張り付いたシャツもパンツもさっぱり乾き、髪もさらさらと首元を掠めた。
「何?」
「ほら、これで乾かす手間は省けただろ?」
「え、ええ。……ありがとうございます」
謝らないわ!と大きく出た手前、感謝の言葉を小声でこぼす。ニヤニヤと笑う男を見ないようにして崩れたメイクを直していく。
「お前名前は?」
「人に尋ねる前に先にまず自分の名前を教えたらどうですか、先輩?」
「聞かなくても分かるだろ」
「それを言うなら、アナタだってアタシの名前くらい知ってるんじゃないですか?わざわざ聞かなくとも。でもそうね、アタシはアナタの口から名前を聞きたい」
「キングスカラー。レオナ・キングスカラーだ」
グルグルときまり悪そうに喉を鳴らしながら答える。
「アタシはヴィル・シェーンハイトよ」
艷めく唇が妖美に弧を描き、嬉しそうにはにかんだ。
「ほら、これ」
レオナの部屋のソファに腰を下ろし、差し出された本の表紙をなぞる。
「こんな古い本よく持ってるわね」
「ウチにあって、ホリデーの時にちょうど持ってきたのを忘れてた」
「ふぅん。…ここで読んでも良いかしら?」
「好きにしろ」
一応許可を得て、大きなクッションが乱雑に置いてあるソファに腰掛ける。
古代の記録に残る数々の呪文とその代償。
古びた紙はしなしなと手に馴染みゆっくりと文字を追ってはページを捲る。
「寝る」
そう言ってレオナはベッドから降りてこちらへのそりと近づいては、ゴロンと寝転がる。そう、気まぐれなネコのように。
揃えられた太腿の上に頭を置き、ソファに収まるように腰を丸めては目を閉じた。
「…ベッドで寝なさい」
「俺の部屋だ。好きな所で寝てもいいだろ」
ヴィルが顔を覗き込めば今にも閉じそうな重い瞼を押し上げながら、そう答える。
「困った仔猫ね。特別、アタシが読み終わるまでよ」
「ん」
枕が硬ぇ。ボソッと呟いては、ヴィルの腹を見るように横向きになって直ぐに規則正しい呼吸が聞こえてくる。
あぁ、また。目の下の隈が濃くなっている。
コイツに限って、睡眠不足など有り得ない。有り得ないはずなのだ。胸がザワザワするような、変に嫌な予感を感じつつも綺麗な、それでいて癖のある髪を梳いた。
アタシ達は同学年で寮長でデュオ魔法のバディ。一緒にいる時間が多いから、ちょっとした変化に目がいってしまう。
それだけのはずだ。
ただ、そのいつもと少し違うだけがどうしてこんなにモヤモヤするのかしら。
脳内会議が幕を開く。が、出るはずもない答えは頭の中でぐるぐる巡っては、ドロドロと心の奥底に溜まっていく。
いっそ考えないようにと文章に集中するが、黒字はズルズルと滑りぐにゃぐにゃと形を変えて溶けだすだけだった。
「はぁ」
小さく息を吐いた時、
「レオナさぁーん!」
元気な声と共に扉が開いた。
「いってぇ!ヴィル」
「ん?どうしたんスか?あぁ、ヴィルさんこんにちわっス」
「こんにちは、ラギー。どうしたの?」
レオナの代わりにラギーに尋ねる。
思いっきりヴィルに突き飛ばされて床に転がるレオナをラギーが不思議そうに見つめた。
「そうッス!えーっと、バルガスが今すぐレオナさん連れてこいって」
「レオナ、あんた部活またサボったの?」
「別にいいだろ」
「良い訳ないでしょ。明日の大会に備えてるんだと思ったわ。そんなんじゃアタシの寮に負けちゃうわよ?アタシは戻るわ。これ、ありがとう」
「ん」
ゆったりと左右に揺れる尾がチラリと視界に映ったのが最後だった。微かに香る彼の魔法の匂い。気付かないふりと言うよりかは、態々口を突っ込む間柄ではないから。それがやけに引っかかるのだ。レオナに借りたこの本を差し込めば自室の棚の一列は綺麗に整った。
恋をした事の無いアタシには分からなかった。