悟空は修行に打ち込むとしばらくは帰宅することすら忘れて夢中になってしまう性質ではあるが、家が嫌いというわけではない。むしろ、悟空にとってパオズ山の自宅は落ち着ける大切な場所である。
さて、その自宅に久方振りに悟空が戻ってきたのだが、自宅の様子がいつもと違った。
妻であるチチが不在だったのである。いや、それ自体は珍しいことではない、彼女とて出かけることはある。ただ、悟空が我が家に戻ってきたのは夜だったので、その時間に彼女がいないことに彼はとても驚いた。
「おらはちゃあんと、悟空さのスマホにメッセージ送っただよ。何だったらウチのテーブルに手書きのメモだって書いて置いたおいただ」
「はは……いや、その…悪ィ」
苦笑し鼻の頭をする悟空の向かいには、彼の妻であるチチがいる。
彼女の不在を認識した悟空は至極当然に瞬間移動を行い、目的通り妻の元へと参じたのだが、そこは―――――。
「それにしても気持ちいいな、ココ」
「だべ? おっとうがおすすめしてくれた温泉だべ。湯治にとてもいいそうだべ。まぁ、ちいっと不便な場所にあっから来る人あんまりいねぇって話だけんど」
「ジェットフライヤーは降りるとこねぇし、エアカーでも結構すんげぇ道通ることになるもんな」
「でもおらはここ好きだべ。ちょっとパオズ山に雰囲気似てるだ」
「だな。オラもそう思う」
言いながら悟空はちゃぷんと薄緑がかかった湯を片手で掬い、眼を細める。
悟空が瞬間移動した先に、妻はいた。ただ、この露天風呂にて入浴中であった。悟空はもちろん湯の中に着衣のまま現われることとなり、まずはチチの鉄拳を食らった。
『服着たまんま風呂さ入るでねぇー!!』 という、彼女らしいそれであったけども。
とりあえず服を脱ぎ、共にこの露天風呂に入ることにして(服を脱いでいる間にチチがこの湯治宿を経営している老夫婦に悟空のことは話に行ってくれた。)チチから聞いたところ、牛魔王が自分の体調を心配して湯治を勧めてくれたらしい。医者にかかるほどではなさそうだが、疲労やら最近は肩こりも自覚していたチチはそれを受け入れることにしたのだという。
家を守るという意識は変わりはないが、自分のケアとて大切だし必要であると、時の流れに伴いチチも柔軟な思考になってきていた。そこにはとっくに所帯を持った長男や、年頃になり家よりも外に出たがる次男も影響しているのだろう。子離れと親離れがいい塩梅に影響している。
それを少し寂しいと思うのは、悟空だ。
この変化を悪しきと拒むつもりは毛頭ない。しかし、我が家と言われて真っ先に浮かぶのは我が子達と妻がいるあの自宅だ。その光景があるものと無自覚に思い込んで扉を開けたときの感覚は何とも表現し難い。
「さて、そろそろおらは出るだ。宿のおかみさんにお願いして悟空さの飯も用意してもらえるようにしただ、まだ入ってるけ?」
「…! オラも一緒に泊まってていいんかっ?」
「あんれ、そのつもりだと思ったんだけんど、違ったか?」
「違くねぇっ、あ、メシの心配してるからじゃあねえぞっ?」
「わかってるだよ。まぁ腹は減ってるんだろうけど、悟空さのおらのこと大好きだべ。おらがいるのにひとりのパオズ山のウチさ戻るとは思ってねぇだよ」
言いながら、チチは湯から立ち上がる。惜しみなく晒される肌。髪をまとめていたタオルも解かれたので湯で温められた肌に黒く長い髪が下りる。夜空を背にしたその光景に、悟空は思わず言葉を失い見惚れた。
「悟空さはまだ浸かってるんけ?」
「オラも出る」
即答したのは直視し続けていると、ちょっと大変なことになりそうだったから。
とはいえ、脱衣所に用意されていた、宿の浴衣を着始めた妻を前にして思わず三つ目の超化をしてしまったのだが。
「なんでまたそのおっかねぇカオになったんだべ」
「……仕方ねぇだろ。チチすっげぇなんかサバサバしてんのによぉ、もうこの首とかフロであったまって色っぺぇ色しててこのうっすい浴衣がまぁムネとかコシとかケツとか見せねぇくせに、なんつうの? こうアピールさせてくるっていうかさー」
「こら、帯引っ張るでねぇ」
「だってよー」
「クチ尖らすんじゃねぇだ、温泉入ったばっかでこれからメシだべ。湯治宿だからがっつりしたものじゃあねぇけど、滋養があっておいしいお料理だそうだべ」
「…………」
「あのなぁ」
「…………」
「そのイカつい顔で、その浴衣姿。反則だ、おらだってドキドキ揺らされてるんだべ」
「へ?」
「こっからどうするかは…まぁ、飯食いながら考えるべ。な?」
「お、おうっ!」
結果については、布団の外で絡みついたふたり分の帯が物語っていた。