愛と呼ばせてくれ「ミヤジ」
「いっ!?」
名前を呼ばれると同時に額を弾かれて、ミヤジは痛みに呻いた。腕の中の愛しいひとに向けて、批難混じりに「痛いよ」と訴える。彼女は苦笑して、ほっそりとした指先で労るようにミヤジの額を撫でてくれた。
「だって、ミヤジが一人で悩んでいても仕方のないことをぐるぐる考えていそうな顔をしていたから」
「そ、そうか……」
それは一体どんな顔なのだろうと考えてみるが、ミヤジには想像もつかない。そもそも、ミヤジは自分のことを表情の乏しい男だと思っていた。僅かな表情の変化から、細かな心情を察することのできる、彼女の洞察力がすごいのだ。
「それで?」
「うん?」
「なにを考えていたのか、教えてはくれないの?」
穏やかに問われて、ミヤジは困ったように眉尻を下げた。
たしかに彼女の言うとおり、ミヤジが先ほどぐるぐると悩んでいたことは、一人で考えていたところで答えなど出るはずのない問いだ。しかしそれをありのまま話して聞かせるには、少々の勇気が必要だった。
なぜならそれは、己の抱える暗く重い感情を、愛するひとへさらけ出すのと同義だからだ。
「ねえ、ミヤジ」
「っ……ああ」
「話したくないのなら、無理には聞かないけれど。こんなに傍にいるのに、力になれないのは……寂しいよ」
頼ってもらえないことが、寂しい。それは、ミヤジにも覚えのある感情だった。甘えることの下手くそな彼女が、ミヤジに寄りかかり、助けを求めることを覚えるまでの間、幾度となく感じた思いだから。
胸に擦り寄り、寂しい気持ちを素直に伝えてくれる彼女が愛おしい。ミヤジはほうと息をつき、早々に白旗を降った。
「手を離すことを愛と呼ぶなら。……あなたを自分の元に繋ぎ止めておきたいと願う私のこの感情は、一体なんと呼べばいいのだろうかと。そんなことを考えていたんだ」
「そ、れって……結構前に話したことだよね? よく覚えてたね……」
「結構衝撃的な内容だったからね」
とは言うものの、ミヤジは彼女と交わした会話の内容であれば、だいたい覚えている。生きて傍で過ごせる時間は有限だ。だからこそ、できる限り忘れずにいたかった。
「あなたなら……私のこの思いを、なんと呼ぶのだろうね」
「そうだなあ……」
むむむと眉間に皺を寄せて考え込んだ彼女は、やがてぽつりぽつりと落とすように言葉を紡いだ。
「執着、恋、あるいは依存、とか? ……でも」
ひた、と黒に近い濃褐色の瞳が、ミヤジの瞳を見つめる。彼女は向かい合った薄青の瞳に自分が映っているのを認めて、とろりと目元を緩めた。
「それもまた、愛の一つの形なんだろうなあと思うよ」
「そう、だろうか」
「そうだよ。感情の在り方なんて、一つじゃないだろうし」
それにね、と。彼女は身動いで、ミヤジの耳に唇を寄せた。温かな息がかかるのがこそばゆい。ミヤジは彼女の言葉を聞き逃さないよう、聴覚に意識を集中した。
「ミヤジが私に向けてくれる感情なら、私はそれを、愛と呼びたいよ」
それは、これ以上ないほどの、愛の言葉だった。ミヤジは愛しいひとの体を、力に任せてかき抱いた。
ミヤジはこれまで、ずっとわからずにいた。手を離せない自分が、縛りつけることを望んでしまう自分が、愛しているという言葉を使っても許されるのだろうか、と。
けれど、ほかでもない彼女が、ミヤジの思いを愛と呼んでくれるのならば。ずっと伝えたかった言葉があった。これでやっと、声に出せる。
「愛している――心から愛しているよ、私の、いとしいひと」
「うん。私も――愛してるよ、ミヤジ」
重ねた唇は、今までにないほど熱かった。
目に映らない思いは不確かで、寄る辺ない。それに比べて、触れた場所から交わる熱は鮮明だ。それなのに温度だけでは満足できないのは、見えなくとも思いは確かにそこに在ると知っているからなのだろう。
ミヤジの思いはここにある。それをどうにかして伝えたくて、彼は愛の言葉を繰り返し、愛しいひとの唇に注ぎ込んだのだった。