ほかほか焼き芋、サツマイモ 子どもの頃のKKにとって、秋と言えばサツマイモ、サツマイモと言えば焼き芋だった。
うろこ雲が彩る夕焼け空と、落葉し地肌を覗かせる山間の木々。赤に黄色に茶色に灰色。色とりどりの落ち葉をかき集めて畑に持って行けば、熊手を片手に待ち受けていた爺さんが、剪定した枝や雑草とともに焚き火にくべてゆく。そして、新聞紙にくるんだ生のサツマイモを、落ち葉の奥にそっと押しこむのだ。
パチパチと音を立てて燃えあがる赤い炎と、天高く立ちのぼる白い煙。うっかり風下に立ってしまうと、あっという間に舞いあがる灰の餌食だ。いがらっぽい喉と、ゴロゴロと違和感を訴える目玉。子どもの手伝いとはいえ畑仕事は重労働で、すっかり重怠くなった身体に、そのきな臭さはひどく堪えた。だが、その疲労感と痛みこそが、これ以上ないほど食欲の秋を満喫できる合図でもあった。
見た目こそひょろひょろと細くくねっていても、爺さんが焼いた芋はほくほくと美味い。すっかり白くなった燃えかすから熱々の芋を掻きだし、真っ黒に焦げたパリパリの皮に爪を立てて毟れば、真っ黄色な繊維質の身が現れる。大口を開けてかぶりついた瞬間に口いっぱいに広がる素朴な甘さと香ばしさは、他の誰でもない、爺さんだけが出せるものだ。
口の中の熱を少しでも逃そうと、はふはふと必死に空気を取りこむKKの頭に皺くちゃの手を置き、「美味いか?」と言わずもがなのことを訊いてくる爺さんの、あの低く嗄れた笑い声は、今でもKKの耳にくっきり焼きついている。
「美味しそう……」
紙ストローから口を離した暁人が、思わずといった風に感嘆の息をもらした。夢見るような表情で、うっとりと呟く。
「いいなあ、できたてほかほかの焼き芋。きっと柔らかくてホロホロで、マーガリンを塗ったらあっという間にとろけるんだろうなあ」
KKの左隣のカウンター席に座り、どこともしれない場所を見つめていた暁人が、一転、しっかりと焦点を結んだ目で詰め寄ってきた。
「ねえKK。僕お腹空いちゃった。サツマイモ料理食べたい。帰りにスーパーでサツマイモと芋けんぴ買おうよ。それか、このままどこかへ食べに行かない?」
鼻息荒く提案する暁人はすでにモンブランケーキを完食しており、右手に握られたプラスチック容器にはまだ半分近くフローズンドリンクが残っている。
KKは顔を引き攣らせた。肩すら触れあう状態からさりげなく距離をとり、周囲の客をはばかって小さな声で叫ぶ。
「いや食ってんだろうが。今! まさに!」
期間限定だから飲みに行こうよと、もう何度聞いたかも分からない台詞をのたまい、なかば強引にこのコーヒーショップをデート先に選んだのは、他ならぬ暁人なのだ。KKが食べれば胸焼け必至の、クリームがたっぷりとのった薄茶色の焼き芋ドリンクを顎で示せば、二十歳を超えてなお食べ盛りの恋人は、見事なふくれっ面を披露してみせた。
「これは飲み物だし、ケーキは栗味! 夕飯やサツマイモのお菓子とはまた別物!」
どうやら暁人の胃袋は、飲み物用と飯用、種類別の菓子用で最低よっつはあるらしい。牛と同じか、それより多い。どうりで燃費が悪いわけだと呆れかえりつつも、KKは念のために低い声で確認した。
「買うのも食うのもかまわねえが、それも芋味なんだろ。さすがに飽きがこねえか?」
「全然!」
暁人の即答には、一片たりとも迷いがなかった。
「ざくざくしたチップスは大学芋の蜜みたいで美味しいし、口に入れた瞬間『お芋!』って感じがして良かったんだけど。カラメルソースも、サツマイモプリンを飲んでる感じで面白いんだけど! でも、だからこそ、飲むだけなのが物足りないというか……。ほら、サツマイモって、白米と同じくらい腹にたまるだろ?」
白く硬質な天井照明の光に照らしだされる暁人の頬は、あの秋の日の夕焼け空もかくやとばかりに上気している。暁人にとっては、芸術より読書より、食欲こそが秋なのだ。
呆れ半分感心半分の心境で、なるほど、とKKは顎を引いた。
「飲む前よりさらに腹が減って、がっつり食いたくなっちまった、と」
言い終わるより先に、なんとも恨みがましい視線が寄こされた。
「それだけならまだ我慢できたんだよ。また明日、ふかし芋でも大学芋でも、自分の好きなもの作ればいいやって。なのに」
暁人がカッと目を見開いた。
「KKが焼き芋の話なんてするから!」
「ただの言いがかりじゃねえか」
肘で暁人の二の腕を小突いて抗議しつつも、KKはすでに頭のなかで地図を開いていた。
屋台、ファミレス、居酒屋、割烹。警察官という職業柄、もともと周辺の地理には強かったが、暁人と付き合うようになってからは、さらに飲食店に詳しくなった。
どこに連れていこうとも暁人は大喜びで食べてくれる。くれるのだが、恋人として年上として、そんないい加減なことはKKの矜持が許さない。爺さんや暁人のように美味いものは作れなくとも、少しでも良いものを食べさせてやりたいと、その一心がKKを駆り立てていた。
「しっかし、サツマイモ料理なあ。旬にはまだ早えからな。どんなのが食いたいんだ? どうせなら芋焼酎も飲むか?」
「連れていってくれるんだ?」
「そりゃ、せっかくのデートだからな」
「やった!」
暁人が胸の前で小さくガッツボーズした。ふたたび紙ストローに口をつけて喉を潤すと、サツマイモと鶏肉の照り焼き、エビも入ったサツマイモの掻き揚げ、出汁を利かせたサツマイモご飯、豚肉とサツマイモの甘辛きんぴら……と、歌うように指折り数えはじめる。
片手の指が一巡してもまだ終わらない料理名の数々に、KKは軽く天を仰いだ。
「あー、つまり、しっかりした和食がいいんだな?」
「うん」
早くも前言撤回したくなったが、嬉しくてたまらないと顔に書いている恋人を見れば、そんな言葉はすぐにどこかへ飛んで行ってしまう。ATMでおろしたばかりの新札へ、KKが胸のうちだけで今生の別れを告げていると、しみじみとした声で名を呼ばれた。
「もうずっと暑かったから、全然秋って感じがしなかったんだけど……」
ずずっ、と残り少ない焼き芋ドリンクをすすった暁人が、感慨深げに目を細めてKKを見た。
「こうやって一緒に秋の味覚を食べたり話したりしてると、やっと実感が湧いてきた気がする。今って、やっぱり秋なんだ」
「ああ」
相槌ともため息ともつかない声をあげて、KKは外に面したガラス戸へと視線をやった。しっかりと下ろされたブラインドの隙間から見えるのは、アスファルトの舗道と忙しなく行き交う人々のシルエットのみ。けれど、この店に入る直前、何気なく見上げた空には確かにうろこ雲が広がっていた。そのときは気にも留めず流してしまった光景が、暁人の言葉たったひとつで、今はこんなにも印象深く思いだされている。なにより、今こうして暁人とデートしていなければ、爺さんの焼き芋がああも鮮やかに蘇ることはなかっただろう。
くすぐったいような切ないような、温かいような熱いような。爺さんの焼き芋にも似たほのかな甘さが、胸から指先まで全身に広がってゆく。KKの唇に微笑が浮かんだ。
「……そうだな。秋だな」
二人で顔を見合わせ、くふくふと笑いあう。
それからしばらくして、ふと真顔に戻った暁人が言った。
「もう秋なんだし、そろそろ衣替えしないとね」
「まだ早くないか?」
KKは片眉をあげた。周囲を見回してみても、二人を含め、店内に長袖を着ている客はほとんどいない。面倒くさいという感情を隠さずに訊けば、暁人が小さく苦笑した。
「僕もそう思ってたんだけど、もうちょっとしたら、夜の気温が二十度近くまで下がるらしくて。今のうちにあったかいものを出して洗濯しておかないと」
「マジか。極端すぎんだろ」
「突然雪が降ってきても驚かないよ、もう……」
暁人はぶつくさ言いながら、空になったドリンクをテーブルに置き、紙ナプキンで天板を拭きはじめた。KKもまた、空になったコーヒーカップを持って立ちあがる。二人は並んでトラッシュボックスにごみを捨てた。
「ところで、晩飯の店なんだが……」
「わ! どこに連れていってくれるの?」
「美味い天ぷらを出す店がこの近くにあってな」
音を立てそうな勢いで、暁人がKKを振り仰いだ。抱きつかんばかりに全身を寄せてくる。
「エビは? エビ天はある? 大きい?」
「おい、サツマイモが食いたかったんじゃねえのかよ」
心底呆れたと言わんばかりに顰めた顔と低い声は、にやける口元を誤魔化すためのただのポーズだ。熱い熱いと大騒ぎしながらできたての天ぷらを堪能する暁人と、そんな彼を見つめて「美味いか」と言わずもがなのことを訊く自分。そんな賑やかな秋の夜長を想像しながら、KKは暁人と連れだって外に出た。
寄り添って歩く二人の頭上、林立するビルの屋上には真っ赤な夕陽がかかり、ころころと丸いうろこ雲が澄んだ秋空いっぱいに広がっていた。