あと一息だよ七海!なんてことはないはずの二級任務。そこで灰原は瀕死の重症を負い、リハビリを経ての退院まで反転術式を多用しても数ヶ月を要した。その間、七海は任務の合間を縫って見舞いやリハビリに付き合い献身的に支えてくれた。でも。
(口説いてはこなかったんだよな)
退院した日の夜にそんなことを考えながら床につく。入院前まで二人で寝ていたベッドは一人分の体温だと少し肌寒かった。
(もう添い寝をすることもないんだ)
顔と腹には大きな傷跡が残り、お世辞にも綺麗とは言えない身体。例の任務を思い出させるそれを積極的に見たいとは思わないだろう。
(これでいいんだ)
七海が自分に興味がなくなったならそれでいい。元々ゲイだった自分とは違う彼には真っ当な幸せを手に入れて欲しい。そのために必要な相手は、決して自分ではない。
久しぶりの日中の活動による疲れからか、いつもより早めに眠りの世界へ誘われていると控えめにドアを叩く音が響いた。だが起き上がる元気もないので聞かなかったことにする。まだ消灯には少し早いが相手も察してくれるだろう。そんな灰原の考えを他所にゆっくりと扉は開かれた。
「寝てるのか?」
来訪人は七海だった。壁の方を向いているからその表情はわからないが声音から心配してる様子が伺える。気を遣って様子を見にきてくれたのだろう。寝たふりをした手前動けずにいると扉の閉まる音がして室内が再び暗くなる。帰ったか、と寝返りをうつと正面に七海の顔があった。
「なんで!?」
「起きてたのか」
灰原の疑問に七海は飄々と答える。なんてことはないように腰にゆるく腕を回す彼に戸惑いが隠せなかった。
「七海はもう僕に興味ないんじゃなかったの?」
「…何故そう思った?」
「だって、入院してる時口説いてこなかった!」
「病人に手を出すような人間じゃない」
むぅ、と口を尖らせ腰に巻き付いた腕に力が籠る。さらに密着したことにより気づくことがあった。
「七海、筋肉ついた?」
「ああ。あの任務以降、必死で鍛えたから」
「…僕は筋肉も萎んでるのに」
「それでも昔の私よりはある。リハビリも頑張ったじゃないか」
リハビリ。それは日常へと戻るための訓練であり、七海のように戦うためのものではない。今の灰原は事件前より腕力も筋肉も落ちていた。
「悔しいな…」
今の自分では七海の横に立つことはできない。そんな気持ちを汲み取ったのか、七海が頭を撫でてきた。
「焦らなくていい。また一緒に任務に行けるまで待っているから。怪我をさせないくらい強くなって。…だから、今日はもう寝よう」
話を切り上げると七海は体を移動させる。事件以前はベッドの下の方に下がり灰原の胸に顔を埋めていたのに、今回は違った。上に体をずらし灰原の頭を胸筋で包み込んできたのだ。
「まだまだ灰原の理想には遠いかもしれないが、今はこれで我慢してくれ」
「……」
「灰原?」
「…ありがとう」
七海の優しさにこれ以上甘えてはいけない。そう思うのに、優しい声音と温かい身体に包まれたこの幸福を手放せそうになかった。