特定の人には見える灰原の話【猪野side】
今日は七海サンとの合同任務。俺は待ち合わせ場所にいた二人に声をかけた。
「おはようございます七海サン!灰原サン!」
「おはようございます」
『おはよう猪野くん!』
七海サンは丁寧に礼をし、その後ろにいる灰原サンは手を振っている。その笑顔に思わず手を振り返していると七海サンのため息が聞こえてきた。
「いつものことですが猪野くんには何が見えてるんですか…」
問いかけというよりつぶやきのような声を無視して灰原サンは話しはじめる。
『七海最近寝不足なんだよね。だから今日は早めに仕事上がれるといいんだけど』
「そうなんスね!俺頑張ります!」
『あと今日の呪霊、資料見た感じだと近接戦のほうがいいかも』
「わかりました!」
「私抜きで話を進めないでください」
呪霊でも怨霊でもないという灰原サン。俺には姿が見えているし意思疎通も可能だが七海サンはそうではないらしい。だが言動と雰囲気から俺たちの会話を推察することには長けていた。
「無駄口叩いてないで行きますよ」
「了解ッス!」
『がんばってねー!』
そんな不思議な存在である灰原サンは、いつも妙なタイミングで姿を消すことが多かった。
***
【七海side】
死んだ灰原が見える人物が複数いる。始まりは五条さんだった。
「なあ七海、今後そいつはどうするつもりだ?」
そいつ、と言いながら私の斜め後ろの空間を指さす。なんのことかと聞き返せば「灰原だけど」と先日亡くなった恋人の名前が出てきて柄にもなく狼狽えてしまった。
「灰原…?」
「死んでからずっと七海の周辺をウロチョロするようになったけど、呪霊じゃないから祓えないし、あの世にでも行けって言っても嫌の一点張りなんだよな」
「はあ!?」
自分にはその姿すら見せないのに、先輩である五条さんとは意思疎通もできるということに苛立ちを感じた。
「無理矢理消滅させることもできるけど、お前は嫌だろ?」
「当然です」
消滅という言葉に思わず声を荒げる。そんな様子に怒ることもなく「じゃあさ」と話を続けてきた。
「そいつを説得してくれる?」
説得?と眉を顰めると「視界に入るとノイズなんだよ」と返って来る。曰く、私の後方を浮遊しているため遠目だと呪霊や怨霊に空目してしまうことがあるのだという。何その羨ましい環境変わってくれという言葉を飲み込み、自分には見えないし意思疎通もできないということを伝える。確認のためか灰原がいるらしい方向をじっと見つめた後、納得したように口を開いた。
「とりあえず灰原には俺と七海が二人きりの時だけ出てくるように言ったから、奴の言葉が聞きたかったら来い。たまになら付き合ってやるよ」
灰原が見えるという人間は在学中は五条さん一人だった。忙しい任務の合間に会うと灰原の様子を教えてくれた。しかし高専を卒業し呪術師をやめると当然五条さんとの接点もなくなり、灰原が私の側にいるということも忘れていった。
それから数年後、呪術師に復帰して調子を取り戻した頃、もう一人の『死んだ灰原が見える人間』が現れた。
「よろしくおねがいしま…?」
当時学生だった猪野くんである。挨拶が途切れ何事かと様子をうかがっていると彼の視線が私の斜め後ろに向いていた。
「どうしました?」
「えっと…」
猪野くんは私とその後ろの空間を交互に見ながらしどろもどろに答える。
「七海サン、と、灰原サン?ですか?あの、よろしくお願いしま…」
「灰原ァ!!」
思わず叫んでしまったのは悪くないと今でも思っている。猪野くんには事情を説明して害がないことは伝えた。そのことがきっかけとなり猪野くんとはよく話すようになった。
そして今日、またしても死んだ灰原が見える人間が現れた。五条さんに紹介された宿儺の器のこども。彼は元気よく挨拶した後、丁寧に挙手をした。
「早速質問なんですけど!」
「なんでしょう?」
「ナナミンの後ろにいる人はナナミンの式神?的なものでいい…デスカ?」
「だから!なんで肝心の私の前に姿を現さないのですか!?灰原!!」
「灰原さん笑いすぎですよ!よろしくお願いします!虎杖悠仁です!」
何もない空間に叫ぶ私とその場所に頭を下げる虎杖くん、という妙な空間が出来上がってしまった。
***
【五条side】
挨拶がひと段落し、歓談をする後輩と生徒を少し離れたところで見ていた五条は「灰原」と小声でもう一人の後輩を呼んだ。
「なんですか」
ふよふよ、という表現が似合う動きで灰原は五条の隣へと移動した。その姿は十年前と変わらず…死に際同様胴体より下はない状態だった。
「灰原、お前性格悪いな」
「今更ですか」
豪快に笑う姿はあの頃と変わらない。七海に気づかれないように小声で会話を続ける。
「お前、七海に新しい恋人をあてがおうとしてるだろう」
「そうですよ」
七海の死に別れた恋人であるはずの灰原はあっけらかんと答える。
「なんでだよ。お前が七海に姿を見せれば済む話だろ?」
「だって」
感情豊かな顔から表情が消えた。
「だって、そうでもしないと僕が七海を諦めきれませんから」
浮いているせいで目線より上にあるその顔を見る。うつむくその顔が泣きそうだと思ったのは気のせいではないだろう。
「僕は七海が好きです。それこそ死んだ今でも。そして七海も、死んだ僕を想ってくれている。でも、それじゃダメなんです」
灰原の丸い目が歪んでいく。
「七海には生きているこの世界で、幸せになってほしいんです。死者の僕ではなく、生きてる誰かと一緒に…」
声が震え最後のほうはほぼかすれていた。言ったことは事実、灰原が考えていることだろう。それに気持ちが追い付いていないだけで。
(でもなあ、灰原)
七海が明るい人間が好きなのはお前の影響だし、彼らを見ることで灰原を思い出している時もあるぞ。灰原はいつも七海の後ろにいて、顔を見ていないから知らないかもしれないけど。
だが、五条にはそれを教える義理も義務もない。
「まあ、せいぜいその日が来るまで七海を長生きさせてよ」
「もちろんです!」
元気よく答えた灰原は顔をあげ虎杖の元へ飛んでいく。先ほどの哀愁が嘘のように明るく振る舞い、虎杖ともすぐに打ち解けていた。
(事の真相を知ったら七海は切腹しそうだな)
怖いから黙っとこ、と五条は独りごちた。