斑猫ゆき
DONE精神科の患者タンジロと医者たみおさんの炭魘シーズン2です。夢から醒めたふたりの後日談。誰かの夢は誰かの現実。これで本当に最後の最後です。今まで読んで頂いて本当に有り難うございました。夢限王国の復権 終礼がかかるなり、教室には賑やかしい空気がそこかしこから湧き出し満ちていった。窓から見える校庭の桜はもう大分花びらを落としている。瑞々しい色の葉が生えかけた隙間に、まだ落ちきっていない萼が淡い紅色を添えて、季節のさかいめを彩っていた。去年には、見られなかった色。それが遠目に見えた途端、俺は目が離せなくなる。まるで抜け落ちた経験を吸い上げているかのように。
「炭治郎、お昼行こ」
席に座ったまま窓の外をぼうっと眺めていると、隣から声がかかった。夢の中から聞こえてくるような、柔らかい響き。
声の方を見やれば、民尾が机に両手を突いてこちらを見下ろしている。勿忘草色の瞳が細められて、艶やかな光を渡らせているのが眩しい。
13980「炭治郎、お昼行こ」
席に座ったまま窓の外をぼうっと眺めていると、隣から声がかかった。夢の中から聞こえてくるような、柔らかい響き。
声の方を見やれば、民尾が机に両手を突いてこちらを見下ろしている。勿忘草色の瞳が細められて、艶やかな光を渡らせているのが眩しい。
斑猫ゆき
DONE精神科の患者タンジロと医者たみおさんの炭魘シーズン2です。失われてしまったたみおさんを見つけるべくタンジロがもう一度手を伸ばす話③。夢路の果ての大団円、ですがもうちょっとだけ続きます。星屑の証明・Ⅲ 強い日射しが、街路樹の葉に夏を焼き付けていた。黒焦げになった葉のかたちが歩道に落ち、影を作っている。その下に入って陽を避けながら、炭治郎は図書館への道を急いでいた。時折熱で揺らめいて見える遠くの景色は、近づく度に定まって、行き過ぎる。抜けるような空の上に波形をかたち作っていた信号機が、その下を通過する頃には鉄の重たい質感を取り戻す。首筋を滑り落ちる汗が、じくとシャツに染みては不快感をまとわりつかせていった。
肩から提げた鞄は重い。その中には、ハンカチや小銭入れといった普段使いの品を除けば、ただひとつしか入ってはいないというのに。鞄の中に眠るそれが、炭治郎を無言の内に引き留めているようにも思えた。腕を引く重みを振り切って、炭治郎は前へと進む。アスファルトから立ちのぼる陽炎が、夢のように大気を震わせる。
15070肩から提げた鞄は重い。その中には、ハンカチや小銭入れといった普段使いの品を除けば、ただひとつしか入ってはいないというのに。鞄の中に眠るそれが、炭治郎を無言の内に引き留めているようにも思えた。腕を引く重みを振り切って、炭治郎は前へと進む。アスファルトから立ちのぼる陽炎が、夢のように大気を震わせる。
斑猫ゆき
MAIKING精神科の患者タンジロと医者たみおさんの炭魘シーズン2です。失われてしまったたみおさんを見つけるべくタンジロがもう一度手を伸ばす話。今回たみおさん出てきませんが根底はたんたみです。星屑の証明・Ⅱ とっぷりと暮れた夜にも、未だ夕焼けの名残が残っていた。東の空の端に溶け残った薄桃の明かりが、商店街のアーケードにささやかな照り返しを預けている。けれどそれもすぐに黒に溶けて、二色に塗り分けられた幌の柄の区別はつかなくなる。
炭治郎はそれに背を向けて、善逸と禰豆子とともに学校への道を歩き始めていた。商店街から学校へとまっすぐに続く舗道は、炭治郎が入院する前と同じような顔をして三人を出迎えてくれる。店の配置も、街路樹の背丈も、バス停の剥げかけた時刻表も、あの頃と同じだ。
(……だけど)
すれ違った掲示板に貼られたポスターを一瞥して、炭治郎は胸の中ひとりごちる。少年科学館のプラネタリウムの広告。夜空の青を退色させたそれは、十二星座の物語をテーマにしたプログラムを宣伝していた。確か、入院する前は子供向けアニメのキャラクターが天体の豆知識を語るという番組だった筈なのに。
15111炭治郎はそれに背を向けて、善逸と禰豆子とともに学校への道を歩き始めていた。商店街から学校へとまっすぐに続く舗道は、炭治郎が入院する前と同じような顔をして三人を出迎えてくれる。店の配置も、街路樹の背丈も、バス停の剥げかけた時刻表も、あの頃と同じだ。
(……だけど)
すれ違った掲示板に貼られたポスターを一瞥して、炭治郎は胸の中ひとりごちる。少年科学館のプラネタリウムの広告。夜空の青を退色させたそれは、十二星座の物語をテーマにしたプログラムを宣伝していた。確か、入院する前は子供向けアニメのキャラクターが天体の豆知識を語るという番組だった筈なのに。
斑猫ゆき
MAIKING精神科の患者タンジロと医者たみおさんの炭魘シーズン2です。失われてしまったたみおさんを見つけるべくタンジロがもう一度手を伸ばす話。今回ぜんねず要素あり。星屑の証明・Ⅰ 部屋の中には、部屋があった。
机の上に乗るほどの小さな人形の家は、しかし締め切られた居室の中でそれ自身がこの空間を構成する主体であるかのような存在感を放っている。少なくとも、部屋の主である炭治郎にはそう感じられていた。
家の壁は隣接した二辺だけに張られ、開けた残り二辺から中が覗けるようになっている。淡い色彩で統一されたシールで平面上に内装が表現されていて、そのなかにふたつだけ、ぽつんと浮き出したように人形が立っていた。紙粘土で拙くこね上げられたそれは、床に貼られた鉄道模型のシールを覗き込むかたちで慎ましく身を寄せ合っている。
そのうちの黒髪の人形に向けて、炭治郎は話しかける。机の上に半ば寝そべるように視線を合わせ、縋るように。
12264机の上に乗るほどの小さな人形の家は、しかし締め切られた居室の中でそれ自身がこの空間を構成する主体であるかのような存在感を放っている。少なくとも、部屋の主である炭治郎にはそう感じられていた。
家の壁は隣接した二辺だけに張られ、開けた残り二辺から中が覗けるようになっている。淡い色彩で統一されたシールで平面上に内装が表現されていて、そのなかにふたつだけ、ぽつんと浮き出したように人形が立っていた。紙粘土で拙くこね上げられたそれは、床に貼られた鉄道模型のシールを覗き込むかたちで慎ましく身を寄せ合っている。
そのうちの黒髪の人形に向けて、炭治郎は話しかける。机の上に半ば寝そべるように視線を合わせ、縋るように。
斑猫ゆき
DONE精神科の患者タンジロと医者たみおさんの炭魘シーズン2です。『ジョハリの箱庭』本編の裏で起こっていたことをタンジロとむざさま+上弦が解説してくれる話④。とりあえずこれでいったんおしまいです。Lycoris radiataの生活環・Ⅳ「それでは、失礼します」
童磨に伴われて、炭治郎は応接室をあとにする。
そういえば、病室へと案内して貰う途中だったか。そんな記憶がやっと意識の表面に浮かんでくる。途端にずしりと重くなる肩。随分長い間話し込んでいたようで、もう窓の外では日光が夕に色づき始めていた。扉をくぐろうとしたところで、無惨が思い出したかのようにふたりを呼び止めた。
「ああ、童磨。ついでにこれを資料室に持って行け。もう、必要のないものだからな」
首の向きだけで、無惨はドアの傍らに立つ本棚を指し示す。中程の段に書類ラックが突っ込まれており、中にはカルテらしきバインダーが数枚詰まっていた。童磨は軽く会釈をしてそれを抱えると、再び炭治郎を促して扉の外へと出る。
6536童磨に伴われて、炭治郎は応接室をあとにする。
そういえば、病室へと案内して貰う途中だったか。そんな記憶がやっと意識の表面に浮かんでくる。途端にずしりと重くなる肩。随分長い間話し込んでいたようで、もう窓の外では日光が夕に色づき始めていた。扉をくぐろうとしたところで、無惨が思い出したかのようにふたりを呼び止めた。
「ああ、童磨。ついでにこれを資料室に持って行け。もう、必要のないものだからな」
首の向きだけで、無惨はドアの傍らに立つ本棚を指し示す。中程の段に書類ラックが突っ込まれており、中にはカルテらしきバインダーが数枚詰まっていた。童磨は軽く会釈をしてそれを抱えると、再び炭治郎を促して扉の外へと出る。
斑猫ゆき
MAIKING精神科の患者タンジロと医者たみおさんの炭魘シーズン2です。『ジョハリの箱庭』本編の裏で起こっていたことをタンジロとむざさま+上弦が解説してくれる話③。長いので複数回に分けての投稿ですLycoris radiataの生活環・Ⅲ 呆気にとられた表情で、炭治郎は無惨と童磨を見つめていた。
別の世界の、夢。
幾度も己が繰り返してきたそれが、ひとつの現象へと収斂していく。俄かには信じがたかったけれど、眼前の二人の振るまいからは、ひとかけたりとも放埒な嘘の匂いなどしなかった。余りにもひたむきで、混じりけのないそれに、炭治郎はおずおずと質問を差し出す。
「え、っと……それ、俺に話してもいいことなんですか?」
「うん。だって、君がそれを誰かに吹聴したところで、誰もマトモに信用しないだろう? 夢ばっかり見てる子供の戯れ言だって。俺たちもそうだった。ただ一人、無惨様以外は」
ほんの僅かだけ、童磨の顔が曇った。
極彩色の瞳は光を弾くことなく留め、白橡の髪が陰った陽に白く濁る。それは他人を映す鏡である彼が見せた、本来の輝きのようにも見えた。それを机越しに眺めやりながら、炭治郎の頬が僅かに強ばる。
6090別の世界の、夢。
幾度も己が繰り返してきたそれが、ひとつの現象へと収斂していく。俄かには信じがたかったけれど、眼前の二人の振るまいからは、ひとかけたりとも放埒な嘘の匂いなどしなかった。余りにもひたむきで、混じりけのないそれに、炭治郎はおずおずと質問を差し出す。
「え、っと……それ、俺に話してもいいことなんですか?」
「うん。だって、君がそれを誰かに吹聴したところで、誰もマトモに信用しないだろう? 夢ばっかり見てる子供の戯れ言だって。俺たちもそうだった。ただ一人、無惨様以外は」
ほんの僅かだけ、童磨の顔が曇った。
極彩色の瞳は光を弾くことなく留め、白橡の髪が陰った陽に白く濁る。それは他人を映す鏡である彼が見せた、本来の輝きのようにも見えた。それを机越しに眺めやりながら、炭治郎の頬が僅かに強ばる。
斑猫ゆき
MAIKING精神科の患者タンジロと医者たみおさんの炭魘シーズン2です。『ジョハリの箱庭』本編の裏で起こっていたことをタンジロとむざさま+上弦が解説してくれる話②。長いので複数回に分けての投稿ですLycoris radiataの生活環・Ⅱ なおも童磨の講義は続く。ひんやりとした応接室の空気に、入り交じっていく言葉。カーテンを揺らした風が、また金木犀の香を鼻先まで運んでくる。
艶やかな甘さを空気に感じる度、炭治郎は奇妙な感覚に襲われていた。窓は開け放されたままで、ずっと花の香りはこの部屋に満たされていたはずなのに、それに気づくたびに新しく生まれてきたような気すらする。居心地の悪い非連続性。まるで夢から覚めて、また別の夢の中にいるかのように。
「さて、ここから本題に入ろう。今言ったように人間と蝶では感覚器官の差異が激しすぎて、夢をそのまま現実と受け取ってしまうことはそうそうない。だけれど、現実世界とほぼ同じ『自分』の視点で夢を見たとしたら、どうだろう」
5059艶やかな甘さを空気に感じる度、炭治郎は奇妙な感覚に襲われていた。窓は開け放されたままで、ずっと花の香りはこの部屋に満たされていたはずなのに、それに気づくたびに新しく生まれてきたような気すらする。居心地の悪い非連続性。まるで夢から覚めて、また別の夢の中にいるかのように。
「さて、ここから本題に入ろう。今言ったように人間と蝶では感覚器官の差異が激しすぎて、夢をそのまま現実と受け取ってしまうことはそうそうない。だけれど、現実世界とほぼ同じ『自分』の視点で夢を見たとしたら、どうだろう」
斑猫ゆき
MAIKING精神科の患者タンジロと医者たみおさんの炭魘シーズン2です。『ジョハリの箱庭』本編の裏で起こっていたことをタンジロとむざさま+上弦が解説してくれる話。長いので複数回に分けての投稿ですLycoris radiataの生活環・Ⅰ「こんな山奥に、よく来たなぁ。疲れたろう?」
先導する男が笑う。
童磨と名乗った医師の、白橡の髪を視線でなぞりながら、炭治郎は白い廊下を進んでいた。リノリウムの床に、歩幅のまるで違うふたつの足音が輪唱する。
今いるこの四階に、自分の病室があるのだという。
先程上がってきたエレベーターの中で説明された筈の情報ではあるが、どうにも実感が湧かなかった。それどころか、今日からこの診療所に転院してきた自分を、童磨が施設の入り口で出迎えてくれたときの情報も、もう既に酷く遠い。記憶は確かなのに、まるで、ほんの少しだけ過去の自分と現在の自分が、透明な壁で隔てられてしまっているかのように。
視界は明るく、そして白い。右手にある窓の外には先程車を走らせてきた樹海が犇めいている筈なのだが、壁側に寄っているせいか、炭治郎の位置からは雲の張り詰めた空だけが見える。白と黒と、その濃淡だけで構成される景色。ときたま視界を掠める色は、雲間から零れる日射しの白から分けられたものでしかなかった。
8685先導する男が笑う。
童磨と名乗った医師の、白橡の髪を視線でなぞりながら、炭治郎は白い廊下を進んでいた。リノリウムの床に、歩幅のまるで違うふたつの足音が輪唱する。
今いるこの四階に、自分の病室があるのだという。
先程上がってきたエレベーターの中で説明された筈の情報ではあるが、どうにも実感が湧かなかった。それどころか、今日からこの診療所に転院してきた自分を、童磨が施設の入り口で出迎えてくれたときの情報も、もう既に酷く遠い。記憶は確かなのに、まるで、ほんの少しだけ過去の自分と現在の自分が、透明な壁で隔てられてしまっているかのように。
視界は明るく、そして白い。右手にある窓の外には先程車を走らせてきた樹海が犇めいている筈なのだが、壁側に寄っているせいか、炭治郎の位置からは雲の張り詰めた空だけが見える。白と黒と、その濃淡だけで構成される景色。ときたま視界を掠める色は、雲間から零れる日射しの白から分けられたものでしかなかった。
斑猫ゆき
DONE精神科の患者タンジロと医者タミオチャンの炭魘のシーズン2です。退院したタンジロ視点の後日談。何でも許せる人向けかつ今までのを読んでないと意味が分からないので注意。Luciola cruciataの生涯 目の前を、ちいさな光が通り過ぎる。
ゆるやかに明滅するそれは浮き上がって暗闇の一点へと止まり、黒に沈んでいた木立の輪郭をわずかに削り出す。そんなささやかな明かりがいくつも飛び回り、川面をちらちらと星の代わりに照らしていた。ねっとりとした夏の空気が肌に絡みついて汗を呼びつけるけれど、水の上を渡ってくる涼やかな風のおかげで、不快感はほとんどなかった。音のない夜が、俺たちを包み込んでいる。
「わぁ……」
飛び回る蛍の群れに、俺は感嘆の息を漏らす。突き出した背の高い草に足が触れて、掻き分けられた地面から蒼い匂いが立ちのぼる。水面を踏まないぎりぎりのところまで身を乗り出して、俺は両手を掲げた。
「見えますか、民尾先生? 綺麗ですねぇ」
7933ゆるやかに明滅するそれは浮き上がって暗闇の一点へと止まり、黒に沈んでいた木立の輪郭をわずかに削り出す。そんなささやかな明かりがいくつも飛び回り、川面をちらちらと星の代わりに照らしていた。ねっとりとした夏の空気が肌に絡みついて汗を呼びつけるけれど、水の上を渡ってくる涼やかな風のおかげで、不快感はほとんどなかった。音のない夜が、俺たちを包み込んでいる。
「わぁ……」
飛び回る蛍の群れに、俺は感嘆の息を漏らす。突き出した背の高い草に足が触れて、掻き分けられた地面から蒼い匂いが立ちのぼる。水面を踏まないぎりぎりのところまで身を乗り出して、俺は両手を掲げた。
「見えますか、民尾先生? 綺麗ですねぇ」
斑猫ゆき
MOURNING精神科の患者タンジロと医者タミオチャンの炭魘の蛇足のようなもの。読んでも読まなくても本編にはあまり関わりない裏話的なやつ。ジョハリの箱庭・補遺『蛇足』
昔むかし、あるところに鬼狩りの少年がいました。
少年は、とても優しい心の持ち主でした。刃を向けるべき相手である鬼にも慈愛の心を忘れず、もし対峙した鬼から後悔や悲しみの念を感じ取ったならば、必ずその心に寄り添っていたのです。
けれども、少年はある日ひとりの鬼と出会います。その鬼は夢を操る眠り鬼で、優しい、いつわりの夢を見せて、人の心を蝕んではそれを愉しんでいたのでした。
少年も、夢を見せられました。失った家族の夢です。
勿論、少年は怒りました。人の心に土足で踏み入り、それを嘲笑うことは、許されないことなのだと。
首を刎ねられ、死んでいくときも、眠り鬼には己の所業への後悔なんてひとかけらもありませんでした。きっと、ひとの身である頃から彼は歪んでいたのでしょう。だから、少年も彼のことは絶対に許さないと心に誓ったのです。それは、今に至るまでも変わりません。
3542昔むかし、あるところに鬼狩りの少年がいました。
少年は、とても優しい心の持ち主でした。刃を向けるべき相手である鬼にも慈愛の心を忘れず、もし対峙した鬼から後悔や悲しみの念を感じ取ったならば、必ずその心に寄り添っていたのです。
けれども、少年はある日ひとりの鬼と出会います。その鬼は夢を操る眠り鬼で、優しい、いつわりの夢を見せて、人の心を蝕んではそれを愉しんでいたのでした。
少年も、夢を見せられました。失った家族の夢です。
勿論、少年は怒りました。人の心に土足で踏み入り、それを嘲笑うことは、許されないことなのだと。
首を刎ねられ、死んでいくときも、眠り鬼には己の所業への後悔なんてひとかけらもありませんでした。きっと、ひとの身である頃から彼は歪んでいたのでしょう。だから、少年も彼のことは絶対に許さないと心に誓ったのです。それは、今に至るまでも変わりません。
斑猫ゆき
DONE精神科の患者タンジロと医者タミオチャンの炭魘⑦です。とりあえずこれでおしまい。原作程度の残酷描写があります。相変わらず何でも許せる人向け。ジョハリの箱庭・Ⅶ『箱庭』
肩に触れた手から、つめたいものが伝わる。
力など殆ど込められていないはずなのに、振り払えない。何某かの行動を踏み出せば、時間が移ろってしまう。予想もつかない破滅的な何かが、やってきてしまう。毒蛇に噛まれた瞬間を濃縮して永遠に引き延ばしているような、諦観にも似たつめたさ。
「お前、お前は……」
あり得ない。
全て、お前の妄想だ。
否定の弁ならいくらでも思いつくのに、上手く言葉に紡ぐことが出来ない。唇が、喉が、震えて。唾液が引いてしまった口の中が、からからと乾いて、声を摩滅させる。結びついてしまった記憶が、可能性を切り落としていく。眼球が軋む。瞬きすら満足に出来なくて。勿忘草色の光彩が、引き絞られる。ただ、目の前の扉がひどく遠く見えて。
11530肩に触れた手から、つめたいものが伝わる。
力など殆ど込められていないはずなのに、振り払えない。何某かの行動を踏み出せば、時間が移ろってしまう。予想もつかない破滅的な何かが、やってきてしまう。毒蛇に噛まれた瞬間を濃縮して永遠に引き延ばしているような、諦観にも似たつめたさ。
「お前、お前は……」
あり得ない。
全て、お前の妄想だ。
否定の弁ならいくらでも思いつくのに、上手く言葉に紡ぐことが出来ない。唇が、喉が、震えて。唾液が引いてしまった口の中が、からからと乾いて、声を摩滅させる。結びついてしまった記憶が、可能性を切り落としていく。眼球が軋む。瞬きすら満足に出来なくて。勿忘草色の光彩が、引き絞られる。ただ、目の前の扉がひどく遠く見えて。
斑猫ゆき
MAIKING精神科の患者タンジロと医者タミオチャンの炭魘⑥です。直接的な表現はありませんが性行為の描写があります。相変わらず何でも許せる人向け。ジョハリの箱庭・Ⅵ『盲点』(2/2)
夕食を終えて、弛緩した空気が部屋には流れていた。くちくなった腹を持て余しながら、民尾はリクライニングチェアに座りぼんやりとコレクションの棚を見つめている。四八五系の丸みを帯びた赤いラインが、ディスプレイボックスに反射する光で滲んで、白く塗りつぶされていた。首を揺らすと、角度のせいで丁度光が凝集され、民尾の目を刺す。思わず床を蹴り、椅子を回転させて身体全体を逸らした。
半回転して後ろを向けば、炭治郎がベッドに腰掛けてうつらうつら船を漕いでいるのが見えた。民尾を待っているつもりなのかも知れないが、別に頼んだつもりもない。寧ろ炭治郎が寝ている間しか実質的に民尾に自由はないのだから、良い迷惑だ。穏やかな微笑みの皮を被って、民尾は立ち上がる。
12743夕食を終えて、弛緩した空気が部屋には流れていた。くちくなった腹を持て余しながら、民尾はリクライニングチェアに座りぼんやりとコレクションの棚を見つめている。四八五系の丸みを帯びた赤いラインが、ディスプレイボックスに反射する光で滲んで、白く塗りつぶされていた。首を揺らすと、角度のせいで丁度光が凝集され、民尾の目を刺す。思わず床を蹴り、椅子を回転させて身体全体を逸らした。
半回転して後ろを向けば、炭治郎がベッドに腰掛けてうつらうつら船を漕いでいるのが見えた。民尾を待っているつもりなのかも知れないが、別に頼んだつもりもない。寧ろ炭治郎が寝ている間しか実質的に民尾に自由はないのだから、良い迷惑だ。穏やかな微笑みの皮を被って、民尾は立ち上がる。
斑猫ゆき
MAIKING精神科の患者タンジロと医者タミオチャンの炭魘⑤です。今回長いので1章を半分に分けています。相変わらずなんでも許せる人向け。ジョハリの箱庭・Ⅴ『盲点』(1/2)
『たみおくん』
誰かが呼んでいる。
『民尾くん』
懐かしい声。
『ねえ、また聞かせてよ。列車の話』
柔らかい笑顔が、民尾の隣に咲いた。
気づけば、また民尾は夢の中にいる。あの、幼い頃の記憶を継ぎ接いだ世界に。
普段はそれを認識した途端に意識が現実を指向し始めるのだけれど、今日は勝手が違った。隣にいる幼い友人が呼んでいるから。その声が、微笑みが、民尾のたましいを優しく掴んで、留め置いてくれている。あどけない面立ちの後ろで、鉄道模型が無限の轍を巡り続け、車体がレールを引っ掻く軽い音だけが、子供部屋には満ちていた。
『しょうがないなぁ』
勿体ぶってみるけれど、緩む口元は抑えられない。
本当は、こうやって友人と時間を共有できることが、嬉しくてたまらないのだから。背伸びをして、わざと冷淡に振る舞ってみせても、彼はそれを嫌味と取ることもない。いつでも心から驚嘆し、素直な歓声を上げてくれる。それを確かめたいからこそ、民尾はいつも無理に彼へすげない態度を取っていた。
10206『たみおくん』
誰かが呼んでいる。
『民尾くん』
懐かしい声。
『ねえ、また聞かせてよ。列車の話』
柔らかい笑顔が、民尾の隣に咲いた。
気づけば、また民尾は夢の中にいる。あの、幼い頃の記憶を継ぎ接いだ世界に。
普段はそれを認識した途端に意識が現実を指向し始めるのだけれど、今日は勝手が違った。隣にいる幼い友人が呼んでいるから。その声が、微笑みが、民尾のたましいを優しく掴んで、留め置いてくれている。あどけない面立ちの後ろで、鉄道模型が無限の轍を巡り続け、車体がレールを引っ掻く軽い音だけが、子供部屋には満ちていた。
『しょうがないなぁ』
勿体ぶってみるけれど、緩む口元は抑えられない。
本当は、こうやって友人と時間を共有できることが、嬉しくてたまらないのだから。背伸びをして、わざと冷淡に振る舞ってみせても、彼はそれを嫌味と取ることもない。いつでも心から驚嘆し、素直な歓声を上げてくれる。それを確かめたいからこそ、民尾はいつも無理に彼へすげない態度を取っていた。
斑猫ゆき
MAIKING精神科の患者タンジロと医者タミオチャンの炭魘④です、今回微グロ表現あり。相変わらずなんでも許せる人向け。ジョハリの箱庭・Ⅳ『未知』
硝子扉を開けるなり、夏の吐息が首筋を撫でた。クーラーに慣れきった肌が、段々と熱を吸い取っていく。運動場の赤茶色い平坦なトラックが、眩い太陽光の中で揺らいで見える。数メートル間隔で壁同士を接合しているはずのコンクリートの塀は、日射しを受けてまるで一枚の鏡のように仄白く光っていた。まるで書き割りのような平坦な風景。塀の上から除く樹冠だけが、穏やかな風に揺れて景色を塗り替える。
白線を跨いで数歩、トラックの内側まで辿り着くと、民尾は隣に並ぶ炭治郎の顔を覗き込んだ。
「それじゃ、普段通りのプログラムでトラック三周とボールハンドリング二十分。そこまで気温は高くないみたいだけど、水分補給は忘れずに。それと、眠くなったらすぐに言うこと」
13113硝子扉を開けるなり、夏の吐息が首筋を撫でた。クーラーに慣れきった肌が、段々と熱を吸い取っていく。運動場の赤茶色い平坦なトラックが、眩い太陽光の中で揺らいで見える。数メートル間隔で壁同士を接合しているはずのコンクリートの塀は、日射しを受けてまるで一枚の鏡のように仄白く光っていた。まるで書き割りのような平坦な風景。塀の上から除く樹冠だけが、穏やかな風に揺れて景色を塗り替える。
白線を跨いで数歩、トラックの内側まで辿り着くと、民尾は隣に並ぶ炭治郎の顔を覗き込んだ。
「それじゃ、普段通りのプログラムでトラック三周とボールハンドリング二十分。そこまで気温は高くないみたいだけど、水分補給は忘れずに。それと、眠くなったらすぐに言うこと」
斑猫ゆき
MAIKING精神科の患者タンジロと医者タミオチャンの炭魘③です。相変わらずなんでも許せる人向け。ジョハリの箱庭・Ⅲ『秘密』
話題を変え、他愛ない近況と無駄話を交わしているうちに、とっくに陽は落ちていた。
炭治郎の部屋を出た民尾を、また白い廊下が出迎える。白熱灯が低い音を鳴らして、廊下を照らしている。窓から見える森の影は夜空に溶けて、平坦な黒い矩形へと変わり果てていた。目を凝らせば、枠内の上三分の一くらいにほんの薄明るい星が申し訳ばかりに鏤められているのが見えたが、それだけだ。
黒と白の濃淡だけを塗り込めた夜を、民尾は足早に過ぎていく。
これで今日の業務はあらかた終わった。あとは鬼舞辻所長と数人の同僚達に報告のメールを送れば、明日まですることは何もない。現在炭治郎ひとりしか患者のいないこの施設の資金源は、専ら外部での講演と製薬特許だった。よって院長並びにその全員が民尾より先輩に当たる同僚達は大体が外を飛び回るか、あるいは別フロアで研究に没頭している。調理や清掃のスタッフを除けば、患者のケアに当たる実働隊の医師は実質民尾一人だった。
11019話題を変え、他愛ない近況と無駄話を交わしているうちに、とっくに陽は落ちていた。
炭治郎の部屋を出た民尾を、また白い廊下が出迎える。白熱灯が低い音を鳴らして、廊下を照らしている。窓から見える森の影は夜空に溶けて、平坦な黒い矩形へと変わり果てていた。目を凝らせば、枠内の上三分の一くらいにほんの薄明るい星が申し訳ばかりに鏤められているのが見えたが、それだけだ。
黒と白の濃淡だけを塗り込めた夜を、民尾は足早に過ぎていく。
これで今日の業務はあらかた終わった。あとは鬼舞辻所長と数人の同僚達に報告のメールを送れば、明日まですることは何もない。現在炭治郎ひとりしか患者のいないこの施設の資金源は、専ら外部での講演と製薬特許だった。よって院長並びにその全員が民尾より先輩に当たる同僚達は大体が外を飛び回るか、あるいは別フロアで研究に没頭している。調理や清掃のスタッフを除けば、患者のケアに当たる実働隊の医師は実質民尾一人だった。
斑猫ゆき
MAIKING精神科の患者タンジロと医者タミオチャンの炭魘②です。なんでも許せる人向け。※精神疾患やその治療などに関する記述がありますが、あくまでフィクションであり現実に精神疾患を患った方を揶揄する意図はありません。
ジョハリの箱庭・Ⅱ『解放』
四十五分丁度に四〇一号病室へと足を踏み入れた民尾を、彼は柔らかい笑みで迎えた。昼間は眠っていることが多い彼にしては珍しい。そんな考えをおくびにも出さず、民尾は穏やかな微笑みを作って返した。
開け放たれた窓からは新緑の匂いが風に乗って、薄いカーテンを揺らしている。目の粗い生地を突き抜けた淡い光が、ベッドの上に落ちては揺れ、かたちを変えていく。そうして砕かれた影が、壁の翡翠色を含んで少年の額にある大きな痣にかかっていた。
「あ、民尾先生。こんにちは」
「こんにちは、起きてたんだね」
「はい、最近はこの時間もあまり眠くならなくなってきて」
少年の診断名はナルコレプシーだった。
嗜眠症の一種であるそれは、一般的には日中の強い眠気や睡眠発作、脱力症状が主な症状とされている。少年はそれに加えて入眠及び覚醒時の幻覚が酷く、やっと眠りについたと思えば叫びながら起き出すのが少し前までは日常茶飯事だった。こちらに転院して間もなくは民尾を罵りながら掴みかかってきたことすらある。それを思えば、大分落ち着いたものだろう。民尾は満足げにうなずく。
4196四十五分丁度に四〇一号病室へと足を踏み入れた民尾を、彼は柔らかい笑みで迎えた。昼間は眠っていることが多い彼にしては珍しい。そんな考えをおくびにも出さず、民尾は穏やかな微笑みを作って返した。
開け放たれた窓からは新緑の匂いが風に乗って、薄いカーテンを揺らしている。目の粗い生地を突き抜けた淡い光が、ベッドの上に落ちては揺れ、かたちを変えていく。そうして砕かれた影が、壁の翡翠色を含んで少年の額にある大きな痣にかかっていた。
「あ、民尾先生。こんにちは」
「こんにちは、起きてたんだね」
「はい、最近はこの時間もあまり眠くならなくなってきて」
少年の診断名はナルコレプシーだった。
嗜眠症の一種であるそれは、一般的には日中の強い眠気や睡眠発作、脱力症状が主な症状とされている。少年はそれに加えて入眠及び覚醒時の幻覚が酷く、やっと眠りについたと思えば叫びながら起き出すのが少し前までは日常茶飯事だった。こちらに転院して間もなくは民尾を罵りながら掴みかかってきたことすらある。それを思えば、大分落ち着いたものだろう。民尾は満足げにうなずく。
斑猫ゆき
MAIKING精神病院の患者タンジロと医者タミオチャンのお話です。なんでも許せる人向けジョハリの箱庭・Ⅰ『プロローグ』
白い建物には、単調な足音だけが満ちていた。
空白だけで埋め尽くされた廊下を、魘夢民尾は歩いていく。打ちっぱなしのコンクリートで固められた壁はほんの僅かなくすみも見いだせず、リノリウムの床は足跡一つ無い。それを踏みしめる彼の洗いざらした白衣が、無色の上にまた無色を重ねて翻る。ゆるりとした足取りで揺れる彼の肌も抜けるように白く、ともすればこのまま立ち止まってしまえば周囲の白に溶け込んでしまうのではと危ぶまれるほどに色がない。
視界の中に見える唯一の色彩は、右手側に並ぶ窓くらいのものだった。青々と茂った樹幹が切れ目なく敷き詰められ、遠くへ行くにつれて蒼く霞んでいる風景。矩形に区切られたそれが数メートルごとに廊下の壁に張り付いている。色彩があると言うだけで、特に代わり映えがある訳ではない。時折吹く風が、梢を揺らして、濃淡を塗り替えていくくらいのもので。
2790白い建物には、単調な足音だけが満ちていた。
空白だけで埋め尽くされた廊下を、魘夢民尾は歩いていく。打ちっぱなしのコンクリートで固められた壁はほんの僅かなくすみも見いだせず、リノリウムの床は足跡一つ無い。それを踏みしめる彼の洗いざらした白衣が、無色の上にまた無色を重ねて翻る。ゆるりとした足取りで揺れる彼の肌も抜けるように白く、ともすればこのまま立ち止まってしまえば周囲の白に溶け込んでしまうのではと危ぶまれるほどに色がない。
視界の中に見える唯一の色彩は、右手側に並ぶ窓くらいのものだった。青々と茂った樹幹が切れ目なく敷き詰められ、遠くへ行くにつれて蒼く霞んでいる風景。矩形に区切られたそれが数メートルごとに廊下の壁に張り付いている。色彩があると言うだけで、特に代わり映えがある訳ではない。時折吹く風が、梢を揺らして、濃淡を塗り替えていくくらいのもので。