子守唄クロック 草木も眠る静かな夜。時計の秒針が厭に耳に残る時間帯に、ふと目が覚めてしまったオレは何度寝返りを打ってみても再び寝付くことができず、同室のサクラくんを起こさないようそっと部屋を抜け出していた。朧げな非常灯を頼りになんとなく廊下を歩いていると、共有ルームの間口からほのかに明かりが漏れていることに気づく。次いで、トントントントン……と何やらリズミカルな音も聞こえてきた。
「こんな時間に誰ですかねぇ〜?」
あんまり知らない人だったら声かけ難いな……。気づかれないように、と。ひょっこり顔を覗かせてみれば、併設されたキッチンから芳ばしい香りが漂ってきた。思わず、ぐぅうう…と腹が鳴る。
「ぁ……。やべ」
「じゅん?」
「茨?」
いつもより少し舌ったらずな声でオレを呼んだ茨は、大きな青い瞳を瞬かせて手を止めた。
「あぁ〜……、すんません。邪魔しました?」
「いえ、大丈夫ですよ。それより、ジュンがこんな時間まで起きていることに驚きました」
「なんか目ぇ冴えちまって……。茨なに作ってるんすかぁ〜?」
「これですか?これは、……出来上がってのお楽しみです。丁度いいのでジュンも手伝ってください」
「別にいいっすけど。茨が作るような料理じゃ、オレあんま役に立ちませんよ〜?皮むきとか……」
「ジュンにもできる簡単なお仕事ですよ……っと」
ごろごろ…とコンロの鍋にまな板からじゃがいもが滑り落ちていく。その上から計量器の水とお酢、なにかはわからない香辛料のような葉っぱと高そうなワインを入れて火にかけた。隣に寄って透明な蓋から中を見ると、美味しそうに焼き目のついた鶏肉が。
「さて、ジュン。仕事ですよ」
「うぃ〜っす」
「そこ座って」
パタムと冷蔵庫を閉じた茨が、小瓶を抱えた腕でコンロの近くにあった丸椅子を指差した。言われるがままに腰を下ろす。火の番をしろってことですかねぇ〜?
「歌ってください」
「はっ?」
「そうですね。ジュンのソロ曲なんかいいと思います」
「えぇ〜?まあ、歌いますけど……。仕事ってこれ?」
「いいから早く」
「はいはい。…………〜〜〜♫」
観客は、いつもステージで隣に立っているヤツと鍋の中のお肉とじゃがいも。他には何もいないひっそりとした闇に囁きを溶かしていく。茨はその間もステップを踏むように動き回っていて、小瓶から掬い出したジャムと蜂蜜を混ぜ合わせたり、フライパンでブロッコリーを炒めたりしていた。けれど、事務所にいる時のような忙しなさは感じられなくて、とても暖かでゆったりとした時間が流れているように思える。くすぐったい気持ちが歌詞に滲んで、それに小さく微笑む茨の姿に、また堪らなくなって足を揺らす。
「───〜〜〜♪」
オレのソロが終わった後も、茨は「次はあれ」「次はこれ」と結局4曲も強請ってきて、Psyche‘s Butterflyの合いの手がなければ流石に文句のひとつでもつけているところだった。
「───〜〜〜♬」
「そろそろですね」
4曲目の終わりに合わせてそう呟いた茨は、おもむろに煮込んでいた鍋の火をとめて蓋を開く。
「ぁ〜〜……、旨そう……」
「見てもないでしょう」
「匂いがもう美味いんですもん。はぁ……。腹減ってきた」
「いいですよ」
「えっ」
自分でも語尾がきらきら光るのがわかった。菜箸を片手にした手招きに引き寄せられて、いそいそと小走りに近づいていく。差し出されたつやつやに照るじゃがいもをパクリと食めば、口の中に広がるさっぱりとした旨味。
「はふはふ……っ。うんまっ」
「でしょう? ま、これまだ完成じゃないんですが」
「んえ!?こんな美味いのに」
「最後にこっちのフライパンでジャムと煮詰めて完成です」
鍋を傾けて具を移す手伝いをしていると、フライパンのソースから甘酸っぱいジャムが香ってきた。2度目の腹が鳴る。
「これ、なんて言うんすか?」
「え? ああ……。鶏もものアプリコット煮ですよ」
「あぷりこっと」
「杏です」
「ふ〜ん……。完成したら、もっかい味見してやってもいいっすよぉ〜」
「肉はダメですからね」
「ちぇ……」