【仮初の仲間】 重厚な蓋を持ち上げれば敷き詰められた黒百合の花びらが舞った。狼男の鼻にはきつく感じられる、甘やかな香り。中を覗き込めば端正な顔立ちの男が瞼を閉じ、寝床に収まっている。その寝床が棺桶であることも相まって男はまるで絵画に描かれた死者のように見えた。彼はノーライフキング、死からはほど遠い存在であるはずなのだが。
狼男は尚も寝息を立て眠る暴君ヴァルバトーゼの姿に眉をひそめた。
間抜けな奴。たった半日行動を共にしただけのオレを信用し切って眠りこけて一体どういう了見だ?
「血染めの恐怖王」として魔界中から畏怖される吸血鬼。噂に名高い暴君ヴァルバトーゼがまさかここまで不用心だとは思っていなかった。
机の上には暗殺用にあからじめ用意しておいた毒入りワインとグラス。反吐が出るが都合は良い。オレたちが「仲間」になった記念だとでも言って差し出せばこいつは喜んでグラスをあおるだろう。そうだ、これまでの言動から推察するに十中八九疑いもせずに。
この男が毒に侵される姿を想像する。オレの見立てではこうだ。
ワインが喉を通り数分が経過した頃、毒に触れた口唇、舌から徐々に痺れを起こす。麻痺して呂律が回らなくなり、嘔吐してようやくこいつはオレのことを睨みつけるに違いない。そのタイミングで腹に何発か、蹴りでも入れてやれば良い。その頃には全身に毒がまわり、恐らく呼吸さえままならない。
このまま棺桶の中で吸血鬼は永遠と眠り続けることになる。不吉な黒百合が良く似合いだ。
「フェンリッヒ」
ようやく目を覚ました吸血鬼がオレの名を親しげに呼ぶ。畏怖の目覚めに部屋の灯りがゆらり揺れる。こちらの腹の内も知らず「眠れないのか?」などと気を遣うこの男はやはり変わっていた。悪魔らしくなかった。
「寝酒か?」
その変わり者の悪魔が目ざとくテーブルのワインを見つけ、問う。もっと先に問うことがあるだろう。何の用だと、何故聞かない。勝手に部屋に入るなと、何故構えない。
「いや、これはお前のために用意した」
「……俺に?」
「その、仲間になった記念に。お近付きのしるしに」
仲間、と自分で口にすれば鳥肌が立った。瞬間、「仲間だ」とぎこちなく笑って見せた暴君の昼間の表情が白昼夢のように蘇る。
吸血鬼はきょとんとした顔でオレを見、しかしすぐに表情を綻ばせた。
「手渡しされると嬉しいものだな」
「は?」
「近頃、贈り物が良く届く。大抵が十字架やニンニクなのだが、差出人が分からず困っていた。礼のしようもない」
「お前、それは……」
微笑み立ち上がったヴァルバトーゼが机上のワインに手を伸ばす。ボトルの首に巻かれたリボンを白手袋の手が解いていく。今すぐにでも贈り物の味を確かめようというのだろう。込められた悪意に気付きもせずに。
良いのだろうか、これで。
よぎった疑問。脳が解を割り出すよりも先に、己の手が伸びる。気が付けば、ソムリエナイフを手に取る暴君の腕を掴んでいた。
「……こいつはまだ若い。数年寝かせてようやくまともに飲める、そんなワインだ。もう少し待った方がいい」
何を言っているのか、自分でもわからなかった。オレはこの男を殺すために毒入りワインを仕入れのだ。何故絶好の機会を先延ばしにするような言葉が口を突いて出たのか、折角の仕込みを無駄にするのか。自分の考えが、行動が、何ひとつ理解出来なかった。
「そうか。ではこれはお前と巡り会った記念に取って置くとしよう。飲むのは五年後か、十年後になるか……」
暴君は解いたリボンを不恰好に巻き直す。ボトルを撫で、楽しみだと柔らかく笑った。
狼男は堪え切れず、ヴァルバトーゼに背を向ける。フェンリッヒ、と掛けられる声を無視して部屋を後にした。
暗殺者は閉めた扉に背をもたれ、胸を抑える。心の臓、鼓動がやかましくいつまでも鳴り止まない。酷く苛立って、けれど苛立つ理由が不明瞭で、どうしようもなく不愉快だった。
「クソが」
誰もいない廊下、闇の中で舌打ちが響いた。