みてみて「クロー!」
宿題を片付けていると、外の方から僕を呼ぶ声がする。呼ばれるままに戸を開ければ、六時半だと言うのに空はもう深い暗い青が降りていた。吐く息が白い。
「どうしました?」
「見ろ! 初雪降ってきたぞ!」
相変わらず合わせ目の緩い着物姿ではしゃぐ姿は少し寒そうで心配になるけれど、弾むその声にひかれて出ていけば、確かに水気を含んだ大きな雪が、はらりと空から落ちてくる。それは手のひらに触れて、あっという間に解けて水になる。
雪なんて毎年降るのに。それも、嫌になるくらい。雪を見て嬉しくなって僕を呼ぶ姿は、いつものような子供っぽい振る舞いであるはずなのに、温かい。
「あっ、ほらクロ、こっちも見て!」
先生の指差す方角を追う。
「船の灯りで川と雪が光ってて、すげー綺麗」
夕鶴川に浮かぶ船の左右の照明が、周囲を照らす。その光の中に雪が舞うのが見えて、温かな光を反射して揺れる水面に輝く。
「綺麗ですね」
「だろ? あっ、すげー星もよく見える!」
今度は空を見上げる。次から次へと動く先生の目に映る世界を追いかければ、たくさんの綺麗なものが目に入る。星の瞬きさえ聞こえてきそうな冬の夜だ。
「初雪だったからさ、お前に見せたかったんだ」
一年に一回だぜ! と屈託なく笑うその顔は、僕と輝く景色を共有できた喜びに満ちているように見えた。まるで、『みてみて』と親の手を引く、幼い子どもみたいに。
胸がずく、と重く痛んだ。自分の視ているものが、家族に共有できないと気づいた日のことを思い出してしまって。自分だけがみんなと違う世界を視ているのかもしれないと思ったあの日、単に頭がおかしいという可能性すら突きつけられたあの日。僕はひとりぼっちになった。自分の世界に、確信が持てなくなった。
先生は、どうだったんだろう。先生の『みてみて』を聞いてくれた人は、いたんだろうか。見ようとしてくれただけでもいい。でも、いなかったんだろうなとは、なんとなく思っているけれど。でなきゃきっと、あの時、僕にあんな泣きそうな顔は見せていない。あれはきっと、先生の中に今もいる、ひとりぼっちの子どもの顔だ。
先生の視ている世界を初めて認めてあげたのは、誰だったんだろう。やっぱり、あの人なんだろうか。感謝と、多少の嫉妬が入り混じる。けれど、過去に先生の視ているものを視てくれる人がいなかったら、今頃先生は、きっとこの世にいない。
誰かが先生の視ているものを見てくれたから、僕もちゃんと、この世界にいるんだ。
「先生」
「お、なんだ?」
呼びかけると、こちらを見てくれる。
「雪も、川も、星も、綺麗ですね」
「おう」
嬉しそうに笑った。きっと先生は、自分の見ていたものを、僕にも見せたくなっただけなんだろう。それを僕は、ちゃんと見ただけ。
それがどれだけ嬉しいことか、僕は知っている。