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    zeppei27

    @zeppei27

    カダツ(@zeppei27)のポイポイ!そのとき好きなものを思うままに書いた小説を載せています。
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    zeppei27

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    マーカス、君とはもっといろいろ話ができると思っていたのに!横浜貴賓館関係メンバーでワイワイしたい!マーカスのお悩み相談会に、刀が伊賀七とサトウと取り組む話です。諭吉は最後に登場します。

    >前作:影遊び
    https://poipiku.com/271957/10694953.html
    >まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ror.html

    #小説
    novel
    #主福
    #隠し刀(男)
    #RONIN

    ありふれた椿事 世界は広い。日々の生活に追われていると、目先の環境しか考えられないものだが、その目先をどんどん遠くに伸ばしてゆくとやがては海を出て、そうして別の国にとたどり着くのだから面白い。自分は日本のどこか、ではなく世界のどこか、に暮らしているのだと唐突に思い当たって驚かずにはいられない。隠し刀も、福沢諭吉に出会うまでは自分の住む陸地のことを考えるので精一杯だった。だからこそ、自分の片割れを見つけることができなかったとも言える。
     理屈はすんなりと飲み込めた。さりとて日常生活の中で異国に想いを馳せることはまだまだ少ないのが世情で、時折異国のものを見かけ、異人を目にして、ああ世界は広いと想起される程度のことである。ある意味自分よりも、尊王攘夷を唱える志士たちの方が世界を実感していると言えよう。忌み嫌う人間の方が高い意識を抱いているというのは皮肉な話だった。
    「完全に行き詰まりだよ」
    そんな隠し刀に異国を教えてくれる人物の一人、マーカス・サミュエルは隠し刀の長屋で浮かない表情で頭を抱えていた。新進気鋭の野心に満ち溢れた青年実業家である彼が、こうまで頭を悩ませるのは珍しい。出会いこそ隠し刀の救いあってのものだが、訪問するたびに何かを得るのは大概こちらの方である。そのお返しの気持ちも込めて、隠し刀は青年に話を促した。
    「悪いな。ここにはただ気晴らしに茶でも飲もうと思っただけだっていうのに……サトウさんも、伊賀七も同じだろう?」
    「構わないとも。茶飲み話は立派な肴だ。それに、君の話は興味深い」
    「そうそう。僕だって、マーカスのお世話になっているからね」
    同じく茶を飲んで炉端に座っていた、アーネスト・サトウと飯塚伊賀七が快く請け合う。彼らも隠し刀が招いたでなしに、偶然ここに集まった風来坊たちだ。ただ、それぞれ茶菓子を持ち寄っているので、ちょっとしたお茶会の様相を呈している。ここに情人である諭吉がいたならば完璧だったのに、と惜しみつつ隠し刀は片目をつぶって見せた。
    「だ、そうだぞ」
    「はは、それじゃ、ありがたく相談させてもらうよ。悩んでいるのは他でもない、売り物についてなんだ。僕が最近は東洋の雑貨、特に貝殻細工を本国に輸出して売っていることは話したと思う。サトウさんたちには詳しく話していなかったかもしれないから念の為説明すると、扇子や手鏡、貝釦(貝ボタン)、向こうの帯締めなんかが多い。大きいものでは茶箪笥も扱っているよ。日本の螺鈿細工を応用した、日本らしい絵や装飾を施したものは向こうで人気なんだ」
    「ああ、ジャポニズムは流行だからな。扇を壁に飾る家庭などもある」
    サトウが日本風という意味だ、と説明を加えて頷いた。
    「そうなんだよ。ただ、流行り物ということは他にも似たようなものを売る業者は多いんだ。浮世絵が取り扱えれば一番良いんだが、あれは政府の規制が厳しいからね。そこでだ。父が、他社と異なる独自の図柄の商品を開発して欲しいと言ってきたのさ。日本の風景や文化が思い浮かぶ、簡単なものはないかだなんて、気楽に言ってくれるよ」
    「日本独自、か」
    伊賀七と目を合わせて、隠し刀は小首を傾げた。何しろ普段日本に暮らしているので、この国のことはよく知ってはいる。しかし異国にもあるのか、ないのか、何が特別なのかはとんと見当もつかない。それが分かるのは異邦人であるマーカスやサトウだろう。腕を組んで考え込み始めたサトウは、いよいよこの話題に関心を寄せているらしい。隠し刀は立ち上がると、部屋の隅から反故紙の束と矢立を持ってきた。
    「何が特別かはわからないが……それぞれ、この国で特別かもしれないと思うものを描いてみてはどうだろう?こういう時は考えている内容を書き連ねていくのも頭の整理になると諭吉が言っていたんだ」
    「福沢君らしいね。よし、僕の絵心を見せてあげよう」
    「ふむ。面白い提案だな」
    どうせ案が出なくとも駄目元で、この場にいる人間にとっては時間潰しに相違ない。気楽に考えているうちにふと思いつくこともあるだろう。マーカスにも紙を渡すと、うろ、と申し訳なさそうに眼が揺れる。笑って紙を押し付けると、瞳は感謝の念に染まった。
    「ありがとう。君には度々世話になるな」
    「それはこちらの台詞だ。それに、まだ世話をしてはいない」
    何しろこれは手慰み、当たるも八卦当たらぬも八卦の遊びである。いかに世界を観察すると大上段に切り上げても何も出なかったのだ、肩の力を抜いた気晴らしがちょうど良い。そういえば自分は絵心がないのだったと思い出しつつ、隠し刀も筆を取った。




     自由とは、一般に言えば窮屈である。実際完璧な自由など存在しないし、己自身が第一の枷だ。もし完璧な自由を再現できるとすれば、それは現実世界ではなく、茫漠たる画布の上であるかもしれない。マーカスは職業柄、他者への説明のために絵図面を引くことはあっても(言葉が通じずとも絵であれば分かることもあるのだ)趣味として絵を描くのは幼少期以来のことだった。
     何を描くべきか。お題は自分が求めている、競合他社にも張り合える図柄だ。本物でなくとも構わず、日本という異国を身近に感じさせてくれる象徴が欲しい。サミュエル商会で取り扱う雑貨は身の回りの商品、特に装飾品の類に力を入れているので、小さくとも判別がつくものが良いだろう。近頃大流行りなのは芸者や侍、変わり種では相撲取で、明らかに異国の人間だと分かる風体が理由であるらしい。
     では花鳥風月か。残念ながら、マーカスは商売人としての目はあっても審美眼はない。文化的に豊かであるとは言い難かった。その点、名に聞こえた日本通であるサトウの回答は気になるところである。彼ならば、自分では到達し得ない和の心に触れられるかもしれない。せいぜい自分が知る日本は、移動許可の都合もあって横浜近隣という狭い範囲に収まってしまう。
     収まると言えば、近所に良い団子屋ができた。自在団子という、たっぷりの餡子が見事で腹持ちする優れものである。団子の形はどうだったろうか、と丸を描いて線を引き、マーカスは髭を歪めた。果たしてこれが団子だと分かる人間が母国にいるだろうか?団子屋があるならばまだしも、食文化の伝播はまだまだ不十分だ。たとえば団子を食べる侍を描けば、と思うも今度は図柄が小さくなってしまう。直線と丸という素朴さはマーカスの好むところであるものの、この案は棄却した方が良さそうだ。続け様に思い浮かぶもので白紙を埋めるも、どうも団子が誘い水になったらしく延々食べ物を生み出してしまう。これはいけない。仕方がなしに他の参加者の様子を伺うと、もうほとんど終わった風を漂わせるサトウに声をかけた。
    「サトウさんは何を描かれましたか」
    「日本の風景だ。芸者や侍といったモチーフが好まれる理由は理解できるが、やはり日本の文化を育んだ自然そのものも固有の事物だろう。桜、紅葉、梅に鶯、それに……なんと言っても富士山だな。オールコック卿が登山を企画しているのも尤もだ」
    「なるほど。確かに、富士山の形は独特ですからね」
    なだらかに、末広がりという日本語をそのまま表した形は面白い。単に山の形だけでは物足りなくとも、桜ふぶきを散らせれば十二分に異国情緒を主張することができそうだ。流石サトウだ、と心の底から敬意を表すると、謹厳実直な青年はぎこちなく礼を述べてそっぽを向いた。どうやら照れているようだ。目の淵の赤さに微笑んでいると、ずい、と新しい紙が目の前に突き出される。
    「おっと、もうできたんだな。伊賀七、これは日本の花かい?僕には菊のように見えるけれども」
    「違う違う!浮世絵が人気なら、花の絵は出尽くしてるんだろう?これはね、ふぐさしさ!」
    心もち胸を張ると、伊賀七はフグサシなる珍妙な日本食について説明した。なんでも毒のある魚をその道の達人が毒を抜いて捌き、その身を刺身として食べるのだという。薄く切った身は透けるようで、淡雪のような白さが美しいそうだ。切り身の薄さは職人の腕前を示すものだそうで、花のように並べるのは皿が丸いからであるらしい。残念ながらマーカスが思いついた団子と同じで、フグサシの魅力はまるで異国では通じぬだろう。しかしながら毒の話は興味深い。サトウも心もち前のめりになっている風だった。
    「毒のある魚をわざわざ食べるだなんて冒険だな。それほど美味しいのかい?あるいは、毒と言ってもあまり苦しまない程度のものなのか」
    「毒は毒、当たれば死ぬことだってあるよ!ふぐは美味しいんだけれどもね、藩に……ああ、地域によっては食べることを禁止しているって聞いたこともある。ふぐはね、別名鉄砲って言うんだ」
    「死ぬかもしれないと思いつつもやめられない、と聞くと、薬物中毒を疑ってしまうな。君たちは妙なところで思い切りが良い」
    肝試しもほどほどにした方が良いだろう、と率直な感想を述べるも、マーカスは自分も似たようなものだと気づいて苦笑した。異国での商売という大きな勝負に出、何度失敗してもやめられない自分の姿は、見ず知らずの他人からすれば狂気に駆られていると感じられるだろう。
    「君たちの心意気はわかったけれども、フグサシの説明をするには手間がかかりそうだ。まだ魚の方が、特徴的な形であれば伝わるかもしれない」
    「説明が必要になると、商品としては売り出しにくいか。使えばわかる、というものでもないものなあ。ううん、ふぐの形が変わったものかはわからないけれども、面白い見た目かもしれないね。よし、一つ描いてみよう」
    一人で語って一人で終わり、そして次へと進んでゆく伊賀七の切り替わりの速さは尊敬に値する。自分がうだうだと悩んでいたのが馬鹿馬鹿しい。ともかく行動する、それが自分の持ち味ではなかっただろうか?伊賀七が描く矢鱈と大きなふぐの絵を横目にちら、と隠し刀の方を見遣って、マーカスはおやと驚きを溢した。
    「どうした、何か考え事かい?発案してくれたのは君だろう」
    「いや、最初から特に案はなかった」
    こんこん、と額を曲げた指で叩く隠し刀の目の前に広がるのは丸切りの白だった。サボっているわけではなく、本人が至って深刻に悩んでいることは見て取れる。今の今までマーカスは、隠し刀のことを万事苦もなくやり果せる器用な人物だ、とどことなく神聖視しつつあった。しかし蓋を開けてみればどうだろう、自分と同じく悩む一人間に過ぎない。彼にも苦手なことはあるのだ。そして、出来物でさえ悩むお題であれば、自分が悩むのも当然と言えよう。
    「身近なもので、けれども他所の国では見られないものを考えているのだが、どれもありふれたように感じられてしまってな。諭吉なら、私よりも気の利いた答えを出せるかもしれない」
    「君が言うなら、間違いないだろうね。ふう、それじゃあ明日にでも聞いてみるとしよう」
    隠し刀は、この場にいる誰よりも諭吉に詳しいだろう。言うなれば、隠し刀の目に映る日本の日常には諭吉の影があるのだ。ひょっとすると、諭吉を通じてこの謎めいた友人の人間味をまたひとつ垣間見ることができるかもしれない。二重のお楽しみに、マーカスの気分はいよいよ盛り上がっていた。
    「諭吉なら、」
    不甲斐ない、とぼやいていた隠し刀がふ、と縁側を見やる。釣られて目を向けるも、開け放たれた雨戸の向こうは無人のまま、風が吹き抜けるばかりである。だが、友人には異なる風景が写っていたらしく、突如として筆は白紙の上を踊った。滑らかな筆致で、迷いがない。フグを描き上げた伊賀七もサトウも皆が固唾を飲んで見つめる中、隠し刀は一枚の絵を仕上げて見せた。
    「これは……猫、かな」
    「三毛猫だ。以前に聞いたのだが、そちらの国では三毛猫というのは存在しないのだろう?」
    かろうじて猫と判別されるもやもやとした形は、確かに三色風の色分けが墨の濃淡で表現されていた。猫、それは母国でも愛されるありふれた存在である。だからこそ、マーカスにとっては盲点だった。三毛猫自体も浮世絵などでちらほらと描かれていたかもしれないが、猫そのものが貴重だという目で見たことは恐らくない。わかりやすく、だが珍しい。正に自分が求めている要素の一つだ。
    「ミケ。ミケ、良いじゃないか!今日は豊作だな。ここに来て良かったよ」
    「助けになれたならば良かった」
    良い時間を過ごせた、と参加者たちが微笑む。そうと決まれば行動だ!今度は良い茶菓子を持ってこよう。その時にはもちろん、試作品を携えて。絵の束を抱えると、マーカスは足取りも軽く長屋を出た。




     客人たちが去り、ひとときの賑わいを失った長屋は全身で虚を訴えるかのように伽藍としていた。四方八方から押し包まれる感情をやり流しながら、隠し刀は昼に観た幻想を心に浮かべた。この国でしか観ることの叶わぬ事物。外つ国を知らぬ人間がうんと唸って考えようにも、ありふれた景色はありふれたままだった。特別なものと言われてしまうと、それこそ盆と正月や祭りといった非日常がうっすらと頭に浮かぶ。
     だが、日常の中で異国ならではの風景は、と言われればどれも似たり寄ったりだ。ありふれた景色が、この地平の先では得難い珍事となる。目に映るものひとつひとつに尋ねてもわからぬ隠し刀が思い浮かんだ特別な光景は、諭吉が佇む長屋の様子だった。彼といれば大概のものが特別に見えてくるのだから、つくづく自分という人間は単純と言えよう。
     炉端に座って茶を飲んで、本を読み、話に花を咲かせて犬猫を可愛がる。異国情緒を探す隠し刀の頭に最後に思い浮かんだのは、縁側でなかなか懐かぬ三毛猫を膝に乗せることに成功した諭吉の姿だった。あれは大輪の花が咲くよりも賑やかで可愛らしい姿で、写真を撮影しなかったことがつくづく悔やまれる。隠し刀の依頼は受けても一向に靡かない三毛猫は、以降も諭吉ただ一人だけを慕っていた。
    「こんばんは。お邪魔しますよ」
    「おかえり、諭吉」
    心の中で名を呼べば、現が応えて労う。果報だな、と隠し刀は三毛猫がとっとと諭吉の足元に滑り込むのを眺めた。三毛猫と、諭吉。どちらもこの国特有のもので、ありふれた日常だった。
    「どうしました?何か面白いことでもありましたか」
    「幸せだな、と思ったのさ」
    何せ、他では見れぬ光景を独り占めできるのだから。怪訝そうに眉を寄せる諭吉の頬を手の甲で摩り、隠し刀はにんまりと笑った。


    〆.
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    Replies from the creator

    zeppei27

    DONEなんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。数年間の別離を経て、江戸で再会する隠し刀と諭吉。以前とは異なってしまった互いが、もう一度一緒に前を向くお話です。遊郭の諭吉はなんで振り返れないんですか?

    >前作:ハレノヒ
    https://poipiku.com/271957/11274517.html
    まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ror.html
    答え 今年も春は鬱陶しいほどに浮かれていた。だんだんと陽が熟していくのだが、見せかけばかりでちっとも中身が伴わない。自分の中での季節は死んでしまったのだ、と隠し刀は長屋の庭に咲く蒲公英に虚な瞳を向けた。季節を感じ取れるようになったのはつい数年前だと言うのに、人並みの感覚を理解した端から既に呪わしく感じている。いっそ人間ではなく木石であれば、どんなに気が楽だったろう。
     それもこれも、縁のもつれ、自分の思い通りにならぬ執着に端を発する。三年前、たったの三年前に、隠し刀は恋に落ちた。相手は自分のような血腥い人生からは丸切り程遠い、福沢諭吉である。幕府の官吏であり、西洋というまだ見ぬ世界への強い憧れを抱く、明るい未来を宿した人だった。身綺麗で清廉潔白なようで、酒と煙草が大好物だし、愚痴もこぼす、子供っぽい甘えや悪戯っけを浴びているうちに深みに嵌ったと言って良い。彼と過ごした時間に一切恥はなく、また彼と一緒に歩んでいきたいともがく自分自身は好きだった。
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    zeppei27

    DONE何となく続いている主福の現パロです。本に書下ろしで書いていた現パロ時空ですが、アシスタント×大学教授という前提だけわかっていれば無問題!単品で読める、ホワイトデーに贈る『覚悟』のお話です。
    前作VD話の続きでもあります。
    >熱くて甘い(前作)
    https://poipiku.com/271957/11413399.html
    心尽くし 日々は変わりなく過ぎていた。大学と自宅を行き来し、時に仕事で遠方に足を伸ばし、また時に行楽に赴く。時代と場所が異なるだけで、隠し刀と福沢諭吉が交わす言葉も心もあの頃のままである。暮らし向きに関して強いて変化を言うならば、共に暮らすようになってからは、言葉なくして相通じる折々の楽しみが随分増えた。例えば、大学の研究室で黙って差し出されるコーヒーであるとか、少し肌寒いと感じられる日に棚の手前に置かれた冬用の肌着だとか、生活のちょっとした心配りである。雨の長い暗い日に、黙って隣に並んでくれることから得られる安心感はかけがえのないものだ。
     隠し刀にとって、元来言葉を操ることは難しい。教え込まれた技は無骨なものであったし、道具に口は不要だ。舌が短いため、ややもすると舌足らずな印象を与えてしまう。考え考え紡いだところで、心を表す気の利いた物言いはろくろく思いつきやしない。言葉を発することが不得手であっても別段、生きていくには困らなかった。だから良いんだ、と放っておいたというのに、人生は怠惰を良しとしないらしい。運命に放り出されて浪人となった、成り行き任せの行路では舌がくたくたに疲れるほどに使い、頭が茹だる程に回転させる必要があった。
    5037

    zeppei27

    DONEなんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。前作を読んだ方がより楽しめるかもしれません。遅刻しましたが、明けましておめでとう、そして誕生日おめでとう~!会えなくなってしまった隠し刀が、諭吉の誕生日を祝う短いお話です。

    >前作:岐路
    https://poipiku.com/271957/11198248.html

    まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ro
    ハレノヒ 正月を迎えた江戸は、今や一面雪景色である。銀白色が陽光を跳ね返して眩しく、子供らが面白がってザクザクと踏み、かつまた往来であることを気にもせず雪合戦に興じるものだからひどく喧しい。しかしそれがどんどんと降り積もる量が多くなってきたとなれば、正月を祝ってばかりもいられない。交通量の多い道道では、つるりと滑れば大事故に繋がる可能性が高い。
     自然、雪国ほどの大袈裟なものではないが、毎朝毎夕に雪かきをしては路肩にどんと積み上げるのが日課に組み込まれるというもので、木村芥舟の家に住み込んでいた福沢諭吉も免れることは不可能だ。寧ろ家中で一番の頼れる若手として期待され、庭に積もった雪をせっせと外に捨てる任務を命じられていた。これも米国に渡るため、芥舟の従者として咸臨丸に乗るためだと思えば安い。実際、快く引き受けた諭吉の態度は好意的に受け止められている。今日はもう雪よ降ってくれるなと願いながら庭の縁側で休んでいると、老女中がそっと茶を差し入れてくれた。
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    zeppei27

    DONEなんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。諭吉が隠し刀の爪を切る話。意味があるようでないような、尤もなようで馬鹿馬鹿しいささやかな読み合いです。相手の爪を切る動作って、ちょっと良いですね……

    >前作:黄金時間
    https://poipiku.com/271957/11170821.html
    >まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ror.html
    鹿爪 冬は、朝だという。かの清少納言の言は、数百年経った今でも尚十分通じる感覚だろう。福沢諭吉は湯屋の二階で窓の隙間から、そっと町が活気付いてゆく様を眺めていた。きりりと引き締まった冷たい空気に起こされ、その清涼さに浸った後、少しでも暖を取ろうとする一連の朝課に趣を感じられる。霜柱は先日踏んだ――情人である隠し刀とぱり、さく、ざく、と子供のように音の違いを楽しんで辺り一面を蹂躙した。雪は恐らく、そう遠くないうちにお目にかかるだろう。
     諭吉にとっての冬の朝の楽しみとは、朝湯に入ることだった。寒さで目覚め、冷えた体をゆるりと温める。朝湯は生まれたてのお湯が瑞々しく、体の隅々まで染み通って活きが良い。一息つくどころか何十年も若返るかのような心地にさせてくれる。特に、隠し刀が常連である湯屋は湯だけでなく様々な心尽くしがあるため、過ごしやすい。例えば今も、半ば専用の部屋のようなものが用意され、隠し刀と諭吉は二人してだらけている。
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