イワシカレーチャレンジ!一連の騒動に終止符が打たれ、すっかり平和を取り戻した魔界であってもフーカは大いに不満を抱いていた。それは結局この悪夢が覚めなかったことに対してもだが自分の夢だというのに自分の待遇が大きく変わらなかったことに対してである。
「おねえさま~ヴァルっちさんから日給のイワシを貰ってきたデスよ」
ちょっと姿が変わっているが健気で可愛い妹が目の澄んだ新鮮なイワシを携えてやってくる。別にイワシは良い、嫌いじゃ無いしでも。
「あー!もう!なんで世界を救ったのに私の日給がイワシなのよ!?毎日毎日イワシってせめてチョコレートとかにしなさいよね!」
「チョコレートなら良いんデスか?」
フーカはデスコが持って来た艶々としたイワシの尾を摘まみあげると恨めしげに見つめる。そう、結局フーカの待遇はプリニーと大差無いままここまで来てしまったのである。イワシ自体は食べられるが、こうも毎日同じ魚が続くと飽きが来る。せめて高級和牛並みの味になってくれれば……。
「おねえさま、それはイワシに求めるポテンシャルじゃないデスよ……」
「でもアンタだって毎食イワシじゃあ嫌でしょ?こう良い感じに美味しくなってくれれば良いのに」
生姜煮も甘露煮も炊き込みご飯も試した。他にどうしろというのかとフーカが頭を悩ませているとデスコが何か閃いたようにおもむろにリーフレットを取り出す。
「何よ、それ?」
「これはヴァルっちさんが監修しているイワシのレシピなのデス。イワシの布教のために毎週刊行してるらしいデスよ」
「何でそこまでイワシに情熱を注げるんだか……。で、それには何の料理が載ってるの?」
「なんとこれにはイワシカレーの作り方が載っているのデス!」
「か、カレー?イワシの?」
魚介類を使ったシーフードカレー自体は知っているし、食べたこともあるがあれはどちらかというと貝類やエビがメインの料理である。イワシを入れても美味いのかと半信半疑でリーフレットを覗き込むと、想像に反して美味しそうな見た目の写真が視界に映る。
ただイワシ一匹がまるごと豪快にルーに載っていたのは驚いたが。
「へー、美味しそうじゃない。カレーかぁそういえば最近食べてないわね」
「今なら厨房借りられそうデスよ、作ってみるデスか?」
「そうね!それにたまには乙女の嗜みとして料理するのも悪くないわね」
時刻は夕刻を指していた、そろそろ有職の頃合いである。空腹もあってフーカとデスコは足早に厨房に向かった。
「さーてクッキングの時間よ、じゃあまず食材を切らなきゃね。カレーなんだから人参とジャガイモと玉ねぎが欲しいわね」
「食材持ってきたデス、デスコが魔チェンジして切った方が良いデスか?」
「そんな大剣使ったら粉々になっちゃうでしょ。まぁ見てなさい、私だって実質一人暮らししてたんだからね、このぐらい朝飯前よ」
自信満々に言うと腕まくりをしてフーカは包丁を握った。ゆっくりではあったが洗った食材を一口大に切っていき、食材をボウルに入れていく。さて次はと目線をさまよわせるとデスコがバットに入ったイワシを持って来た。
「じゃあ次はイワシデスね」
「任せなさい、って言いたいところだけど魚は流石に捌いたこと無いのよね。どこをどうすんのこれ?」
「レシピによると一口大に切ったイワシと一匹まるごとのイワシの二匹を使うと書いてあるデスね。そのイワシはさっきみたいに切っていけば良いんじゃないデスか?」
切り方そのものはそうだろうが確か魚は下処理とかいうのがあったはずとフーカは包丁片手に考えを巡らす。
「うーん、えっとまず頭は食べないわよね。それから尻尾も良いはず……。あっワタも取るんだったわ!確か!ええと適当に腹を切ればできるはず」
「おお流石ですおねえさま!ぽいデスよ」
「ふっふーん、何とかなっちゃうのよね。じゃあこれでぶつ切りにして……、よし後は炒めて煮込めばできあがりよ」
手頃な大きさの鍋に油をひき、食材を入れて炒めていく。イワシに火が通った頃合いをみて水を追加し煮込む。時々リーフレットを確認してイワシをまるごと入れたりアクを取ったりして最後にルーを溶かせば厨房中にカレーの匂いが広がった。
少し冷ましてから食べようと思ったがカレーの香りに刺激された空腹を抑えることは難しく、味見だからと言って二人はカレーを少し取ってぱくりと口に入れた。
口に広がるスパイシーなカレーの風味によく煮込んだ野菜の甘みが絶妙に混ざり合う。そしてそこにイワシの……イワシ……あれ?
「な、なんかさー」
「生臭い?デス、ね?」
「ど、どうしてよ!ちゃんとレシピ通りに作ったのに!」
「何か間違えちゃったんデスかね」
途中までは間違いなく美味しいカレーだったはずなのに魚特有の生臭みが後から追い掛けてきてその味を破壊し尽くしてしまっていた。折角張り切って作った料理が明らかに失敗で、フーカとデスコはがっくりとうなだれる。
この生臭いカレーをどうしたものかと二人が悩んでいるとそこに固い靴音が近づいてきてその靴音を響かせながらある人物が厨房の入り口から顔を覗かせた。
「なにやらカレーの匂いがすると思って来てみれば、お前たちだったか。落ち込んでいるようだが、何かあったのか?」
小首を傾げてそう尋ねてくるヴァルバトーゼにフーカはリーフレットを掴んでそれを広げた見せた。
「あ、ヴァルっちー!ねぇこのレシピ不完全じゃ無いの?この通りに作ったんだけど美味しくなんなかったんだけど」
「ふむ、ああイワシカレーかこれがお前たちが作ったものか?」
「そうなんだけど、生臭いのよ」
「イワシの生臭さを飲み込めぬとはなんと嘆かわしい、修行が足りておらんぞ。まぁ良い、どれ……」
スプーンを取ってヴァルバトーゼがまだ鍋に残っていたカレーを掬って口に入れる。もぐもぐと咀嚼してじっくり味を確かめると静かにスプーンを置いた。どんな感想が出てくるやらと若干身構えていると意外にもヴァルバトーゼは悪くないぞと言った。
「これはこれでイワシの素材そのままの味で良いと思うのだがな。恐らくお前たちはイワシをそのまま入れただろう。こういう魚料理の時は一度湯にくぐらせてから使うのだぞ」
「えっ!そうなの!?」
そんなことはレシピのどこにも書いていなかった気がするがと思っているとリーフレットを読んでいたデスコが後ろのページを向けてフーカに差し出す。そこには丁寧に図説的でイワシの下処理と生臭みの処理について記されていた。
「おねえさまリーフレットの後ろのページにイワシの処理についてちゃんと書いてあったデス……」
「そうだ、初心者向けにも食べやすい方法はいつも載せてある。確認不足だな」
確かにそのページには初心者向けに簡単な方法での処理方法を示していた。けれど中身のレシピばかり見ていて後ろのページには気がつかなかったフーカ達にとっては今更どうしようも無くショックだった。
「えぇー、でもこれもう食べるのキツいし……」
「うぐっラスボス修行の一環と思えば……!デス」
「全く、情けないぞ。そんな体たらくではイワシの力を十分に得ることはできないというのに。仕方ないなそこの冷蔵庫を開けてみろ」
いっそ花を摘まんで食べるか?と考え始めていたフーカが何かあるのかと開けていない大型冷蔵庫の戸を開けると中には鍋が入っていた。そしてその鍋から食欲をそそる香りがふわりと漂う。
「えっ、これって」
「それは俺が昨晩作ったイワシカレーの残りだ。お前たちはそれを喰うと良い」
「良いの?けどこれ生臭かったりは」
「安心しろ、それはオレが初心者向けのレシピを考案する際に作った試作品だ。当然生臭さは取り除いてある」
「そうなの、じゃあ貰っちゃうわね。ありがとヴァルっち!」
失敗したイワシカレー鍋の横で火にかけて、温めなおすとフーカとデスコは今度こそほかほかの白飯にカレーをかけて手を合わせる。そして一口目を食べると口の中にスパイスの風味とそこに溶け込んだ魚の旨味が広がった。
「すごい、美味しい!」
「もうおかわりが欲しいくらいデス」
さっき作ったものと一応同じレシピでできているとは思えないほどクオリティが違う。何ならお店に出せそうなくらいの仕上がりだ。もぐもぐと夢中になって食べていたがふと静かにしているヴァルバトーゼが気になったのでそちらを見るとヴァルバトーゼはフーカとデスコのカレーをもくもくと平らげていた。
「えっヴァルっちそれ食べれるの?」
「これはこれでイワシの味を感じられる、悪くない味だ。それに全てのイワシは美味しく食べねば失礼というもの」
「普段から生食してるだけあるデス」
「へ、へぇ~人間には分からない味覚だわ」
既に半分程平らげてしまった自分のイワシカレーの皿に視線を落とす。1日経ってより味に深みが出たカレーはとても美味しいが正直悔しい。フーカだってそれなりに自炊の経験はあるし、食事を振る舞った友人からも美味しいと褒められたことだってあるのだ。今回はたまたま扱ったことのない食材を使ったから失敗しただけだと思うが、やはり納得がいかない。
それにこれは乙女のプライドも掛かっているのだ。
「むむぅ悔しいわ。まさかヴァルっちに料理の腕を越されるなんて、乙女としても許せないわ。後で絶対にこれより美味しいイワシカレーを作ってやるんだから」
そう言ってから残りのカレーをぱくぱく口に入れる。そしてヴァルバトーゼは挑戦とも言えるような発言に小さく喉を鳴らして笑った。
「ほぅ言ったな小娘、ならばやってみるが良い。言っておくが俺はイワシ料理においてはかなりうるさいぞ」
「おおーこれがいわゆるクッキングバトルというやつなのデスね!おねえさま、デスコお手伝いするデス~」
ラスボスの参考になるのかデスコはきらきらと目を輝かせて二人のやり取りを眺める。そんなデスコとは対照的に一心にカレーを食べ進めるフーカはこの後どうやってカレーを作っていくかの算段を立て始めていた。
それから後日。執務室で業務に励んでいたヴァルバトーゼは腹の具合からそろそろ昼かと見当を付けた。昼食ならばいつものごとくフェンリッヒが運んでくるはずだがと思ってちらりと扉に目をやると丁度ノックが鳴った。フェンリッヒだろうと思って開いてるぞと声を掛けると入ってきたのは執事ではなくフーカとデスコだった。お盆に深皿を載せて持って来たようだがやたら得意げそうな顔をしているのが気になる。
「何だ、お前たちか。何かあったのか」
「ふっふーん、ヴァルっちお昼まだでしょ?私たちご飯作ったから今日はこれ食べてみてよ」
「自信あるのデス、熱いうちにどうぞなのデス!」
「珍しいこともあるのだな。まぁ良い、丁度腹が減っていたところだ。貰おうではないか」
手を付けていた書類やらを脇にどけるとフーカが上機嫌に盆を持って来て机の上に置いた。盆の上には深皿とスプーン、そして肝心の皿の中身は。
「む、カレーか。それも、これはイワシカレー!」
「ふふ、前に言ったでしょ絶対に美味しいの作ってやるって。色々工夫したのよー。さ、食べて食べて」
「そうかそれは楽しみだな」
香りや見た目は非常に良い、特に煮崩れせずイワシまるごとを盛り付けているのは高評価できるだろう。問題は味だ、スプーンを手に取って早速一口分のカレーを掬う。そしてヴァルバトーゼは自信作というそれを食べ始めた。
数日後、今週のイワシレシピリーフレットとして配られたそれにはイワシカレーの改訂版が載っていた。それを見てフーカとデスコは嬉しくて思わずハイタッチを交わした。