つげ櫛 朝の眩しい日差しと鳥たちの囀りで目を覚ました。いつも自分を温めてくれる温もりは既に無く、また起きられなかったか、と少しばかり落胆する。とは言え、温もりの主は本丸の皆の朝餉の準備のために朝が早いのだから仕方のない事ではあるのだが。
どうにも温もりの主こと小豆は、共寝の相手の眠りを邪魔することなく布団から抜け出し、朝の支度をして部屋を出るのが異様に上手なので未だに朝の支度を共にすることは叶わないが、その分美味い朝餉が用意されているのでまぁいいかと思っていた。
布団から抜け出し姿見の前で枕で少しばかりぼさついた、絹の様だと褒めたたえられる銀色の長い髪を愛用の櫛で梳かしていると、不意にパキンッと何かが折れた音がした。何が折れたのかと手に持っていた櫛を見てみれば歯が一本、見事に折れていた。手櫛で髪をさっと梳かせばポロっと折れた櫛の歯が床へと落ちる。
「おやぁ…参ったなぁ…。」
ため息を付きながら落ちた破片を拾い上げる。顕現した時にあった方が良いだろうと主から支給されたもので、なにかと使い勝手が良かったので愛用していたのだが思っていた以上に別れが早かった。
「後で供養してもらわんとな。」
机の隅に折れた櫛と破片を置き、残りの身支度を整えて朝餉の用意されている広間へと向かった。
「おはよう、大般若。よくねむれたかい?」
広間へと辿り着けば丁度朝餉の準備を終えた小豆と遭遇した。美味しそうな朝餉の乗ったお盆を手に持っているところを見るに、今日は共に朝餉を取れそうだ。
「あぁ、おかげさまでな。朝餉はこれからかい?」
「そうだよ。きみのぶんのせきもとっておくから、あさげをもらっておいで。」
「そうするよ。」
朝餉を貰って来れば、こっちだよ、と手を振る小豆の姿が見えたので隣に座って朝餉を取る。今日も美味いな、と舌鼓を打ちながらこの後はどうするかと考えていれば、急に髪を触れられた。
「どうした?」
「いや、きみにしてはめずらしくかみがぼさついているなとおもってね。てぐしでもうしわけないけれどなおさせてもらったよ。」
「あぁ…。実は梳かしているときに丁度、櫛が折れちまってなぁ。」
「なるほど…。ではあたしいものをよういしなければね。」
「そうなんだよなぁ…。この後買いに行こうかと思っているよ。」
「ふむ…。ならちょうどいいかな。」
「ん?」
「へやにもどったときの、おたのしみというやつだよ。」
「なんだそれ、気になるなぁ」
「あとで、だぞ。」
「むぅ…。」
「ごちそうさまでした。わたしはかたづけがあるから、さきにもどっていてくれるかい?」
「分かった。待ってるよ。」
言われたとおりに盆を下げ、先に部屋に戻って小豆を待った。
「おまたせ。」
部屋に戻ってから数十分後、小豆が部屋に戻って来た。
「待ってたよ。それで、お楽しみとやらはなんだい?」
「そうせかさないで。えぇとたしかここに…。」
小豆はごそごそと棚から木箱を取り出して大般若の前に置いた。
「これは?」
「あけてみて。」
そっと箱の蓋を開ければ、見るからに上等なつげ櫛と手入れ用の椿油が入っていた。
「いつの間にこんないいものを…。」
つげ櫛を箱の中から取り出しよく観察する。良く手になじむし、桜の模様が入っていて結構好みだ。小豆が選んでくるものは本当に良いものばかりだ。
「きかいがあれば、きみのうつくしいかみをとかしてあげたいとおもっていたのだけれど…なかなかきかいがなくてね。ちょうどいいきかいだから、これできみのかみをとかさせてくれないかい?」
「今回と言わずに毎朝梳かしてくれて構わないんだがな?」
「しあわせそうにねてるきみをおこすのはしのびなくて…。」
「起こしてくれて構わない、というか起こしてくれ。朝寒いのは嫌だからな。」
「わかった。あしたからおこすよ。」
「頼んだ。んじゃ、さっそく梳かしてくれないかい?」
「もちろん、まかせてくれ。」
つげ櫛を小豆に渡して後ろを向けば、小豆は丁寧に大般若の髪を梳かし始めた。慈しむ様な手つきで髪に櫛を通し梳かしていくのが心地よくて、この時間が終わるのが惜しく感じる。けれども、これからは毎朝この時間が訪れるのだと思うと悪くはない。
おまけ(後日)
「なぁ、なんか…色々増えてないかい?ケア用品…」
「どうせならちゃんとていれしたくて…。だめかい?」
「いや、小豆が楽しいのであれば構わないが…。」
「なら、もんだいはないね。さ、うしろをむいておくれ。」
「あぁ。今日も頼んだよ。」