怖い、怖くない「そういえば映画を借りてきたんですが、一緒に見ませんか」
夕食の後、ウォロがシマボシに話しかけると、シマボシは意外そうな顔をした。
「珍しいな。どうしたんだ」
「ちょっと気になってたのがありまして」
にこにこと笑いながら、ウォロが鞄からDVDを取り出して、彼女の前に示す。ディスクの上に記された禍々しい文字列に、シマボシは一歩退いた。
「……あの、一応聞きたいんだが、この映画のジャンルは」
「ホラーですよ。ほら、ちょっと前に話題になったものです。……もしかして、苦手ですか?」
「好んではいない」
少しだけたじろいだ様子を見るに、完全に平気というわけではないが、かといってトラウマになるほど怖がっているようでは無さそうだった。それならば都合が良い。
「じゃ、早速セットしますね」
「わ、わかった、私は茶でも入れてくる」
シマボシがキッチンに退いたのを確認して、ウォロはテレビの電源を入れた。
映画のストーリーは、既に把握している。また、ウォロは特段、ホラー映画が好きではない。
きっかけは、同僚との会話だった。彼の話によると、恋人とホラー映画を見に行った彼は、映画を見ている間、ずっと映画館の暗闇で彼女が手を繋ぐことを要求してきただけでなく、デートの後も、一人が怖いから一緒に居てくれ、と言われるなど、散々甘えられたらしい。自慢げに惚気る彼の話を聞くうちに、自分も同じような良い思いをしたいと思って、気が付けば仕事帰り、レンタルビデオ店に立ち寄っていた。
普段から感情表現の少ない人だ。甘えてほしいなどという贅沢は言わない。ただ、少しだけでも良いから何かを怖がる様子を見て「怖くありませんよ」などと言ってあげたい。
シマボシに伝えれば引かれること間違いなしのそんな計画を実行に移すべく、ウォロは上機嫌にリモコンを操作した。
映画を観ているシマボシは、特段幽霊や怪物の類を恐れているようではなかった。しかし、画面が突然揺れたり、大きな音が出たりすると、びくりと固まる。自分が驚いていては元も子もないため、そのようなポイントも事前にしっかりと調べておいたウォロは顔色を変えず、隣に座る彼女に小声で話しかける。
「怖いですか?」
「……怖くない。驚いただけだ」
努めて平静を装ってはいるものの、やはり少しだけ動揺しているようだった。驚かせるシーンの多いものを選んだ自分を心中で褒めつつ、ウォロはにこにこしながら、ソファの上に投げ出されたシマボシの手の甲に指を添えた。
「怖かったらジブンの手、握ってても良いんですよ」
あくまで向こうから行動してもらうことが狙いであるため、こちらから手を取りに行くことはしない。
「……結構だ」
驚いてしまっていることが悔しいのか、シマボシは横目でウォロを睨み、手を払う。彼女の手が代わりに机の上に伸び、茶の入った湯呑みを持つ。深呼吸をした彼女が中身を一気に飲み干した直後であった。
突如テレビから大きな音がした。ウォロは慌ててテレビへと目を向けた。この映画の驚かせるシーンの中でも有数の怖い場面だと、レビューなどで度々書かれていたシーンだった。どの場面か把握していたウォロでも思わず驚いてしまった辺り、その評判は嘘ではなかったらしい。
「……さっきのシーンはびっくりしましたね、シマボシさ……」
声をかけつつ隣に目をやり、言葉を失った。
シマボシは最早、画面を見ていない。手の内に握られた、ひびの入った湯呑みを呆然と見つめている。
「驚いて、手に力を込めたらこうなって……」
「大丈夫ですか⁈ 怪我とかは⁈」
「中身は入っていなかったし、大丈夫だ」
流れつづける画面には目もくれず、動揺したシマボシは湯呑みをテーブルの上に置く。
「ひびが、入っただけ……」
彼女がそう言いかけた時、机に置かれた湯呑みがばらばらと音を立てて崩れた。
「……片付けましょう。袋持ってきます」
「あ、ありがとう、破片をまとめておく」
「手を切るので布巾とか手袋とか使ってくださいね」
ウォロはその場を離れ、キッチンへと向かう。袋を取り出そうと低い棚の前にしゃがみ、思わず自身の手のひらを見つめた。
手を握らないか、と打診した直後だった。もしも彼女があの時それに同意をしていたら、あの湯呑みの代わりに壊れたのは自分の手だったのではないか。
嫌な想像をしかけて、慌てて頭を振ってその考えを振り払う。
「……計画のこと伝えて謝った方が良いな」
ウォロは袋を持ったまま、ぽつりと呟いた。シマボシを怒らせてはならないと、本能が警告している気がした。