七つまでは神のうち暁人は、ふとした瞬間に思い出すことがある。思い出す。と言うよりかは、突然、頭の中にポッと浮かぶのだ。そして、動画を再生するように、鮮明にその時の記憶が流れ始める。
あれは、暁人がまだ小さい頃の話。まだ、妹の麻里が生まれる前の事だった。
身篭った母が入院するとなり、田舎の祖父母の元へと預けられた暁人は、暇を持て余していた。既にやる事はやり尽くている。
比較的涼しい縁側。祖母から切ってもらったスイカを、シャクシャクと小さな口で頬張りながら、暁人は足をブラつかせる。
暇だ、暇だと言っても、祖父母たちが何か案を出してくれる訳でもない。どうしようかと考え、暁人は決めた。
食べ終えたスイカの皮と皿を台所へ持っていき、テレビを見ていた祖母に声をかけた。祖父は畑仕事にでていた。
「おばあちゃん、そとであそんでくる!」
「きぃつけてなぁ。ちゃんとお茶持ってくんだよ」
「はぁい!」
祖母の心配に元気よく返事をし、水筒にお茶をいれる。それから、祖母からお菓子を貰って家を飛び出した。
向かう先は、家の裏手の大きな山だった。木々の生い茂る立派な山は、探検にはもってこいの場所。
ここにきた当初は、秘密基地だ!と目を輝かせた暁人だった。しかし、大人からは「絶対に入るな」と釘を刺されてしまう。祖父からは「入ったら二度と出てこれない」と脅されていたが、小さな子の好奇心は止められなかった。今日のように暇を持て余した暁人は、約束を破り躊躇なく山の中に入った。
背の高い木々のおかげで日は当たらず、ヒンヤリとした空気が肌に着く。地面を踏む度、ふかふかの土が足の裏から伝わってくる。自分の足音と小鳥の囀り。視界をしめるのは、太陽に輝く森の緑。
俗世と切り離されたような空間に、何だか楽しくなってきた暁人はそのまま森の奥を進み、出会った。
暁人は小さな手足を使い、森の中を駆け登る。感を頼りに獣道を進んでいくと、突如拓けた場所にでた。ぽっかりと空いた空間には、真っ赤な鳥居とその奥に社がある。有名な神社のように綺麗とまでは言い難いが、丁寧に手入れがされたその場所。
森の中とは思えないが、暁人は興奮が勝り、気にする事はなかった。
境内に続く石畳の上に誰かがいた。暁人は息を切らしながら、その後ろ姿に声をかけた。
「けーけー!」
弾んだ可愛らしい呼び声が、森の中に響く。声をかけられた本人は振り向き、呆れたと言わんばかりにため息を着いた。
「お前なぁ…来るなっつったろ」
「だって、ひまなんだもん」
「俺を暇潰しに使うなよ」
少し眉間に皺がよった男。けれど、無理に追い返そうとしない優しさに、暁人は子犬のように男の足元ではしゃぐ。
「けーけー、おかしあるよ!あげる!」
「そりゃどうも」
持ってきたお菓子が詰め込まれた巾着を、得意げに掲げた。男は軽くあしらい、暁人の麿い頭をひとなでした。
「食うなら、そこで手ぇ洗ってこい」
「うん!」
緩む頬をそのままに手水舎に向かった。よいしょ。と小さい体で石段に上がり、手桶を使い、手を清めた。それから、境内に座る男の元へと急いだ。
階段に腰かけた男の隣に座り、巾着の口を開く。まずは男に選ばせてあげようと、暁人は巾着の中身を彼に見せる。
「けーけーはどれがいい?」
「どれでもいい」
「う〜ん……じゃあ、これね!」
ぶっきらぼうに返されたが、暁人が知っている男はそんな態度ばかりだ。気にした様子もなく、吟味して取り出しのは、可愛い包み紙の飴玉だった。
「はい!」
「んだこりゃ」
「けーけー、あめしらないの?」
「うるせぇ」
「もものあじだよ」
僕も好きなの。と暁人はふにゃりと笑った。男はそんな彼を一瞥し、直ぐに前を向く。それから、包みを外した飴玉を口の中に放り込んだ。
「あめぇな」
「だって、あめだもん」
暁人も自分の分を取り出して、口の中で転がした。コロコロと可愛らしい音がする。
「なぁ、お前」
「んぅ?」
「そろそろ帰んのか?」
「え?」
隣を向くと、男が自分を向いていた。太陽にキラキラと輝く黒い瞳に見つめられ、疑問も抱かず、うんと頷いた。
「おとうさんが、おうちにいるからかえるの」
「いつだ?」
「……わかんない」
麿い頭が横に振られる。
「でも、けーけーと、ばいばいして。っておばあちゃんが」
家を出る直前。祖母に言われた言葉を思い出した。「そろそろお父さんが迎えにくるから、お友達とばいばいしておいで」と言われていたのだ。せっかく出来た友達と別れる寂しさを暁人は知らなかった。だから、押し潰されそうな悲しい気持ちでいっぱいになっていたのだが、ここに来る途中に、無理にでも男に会える嬉しさに変えていた。
その押し込めた悲しさが、涙となって溢れてきた。
「けーけーとはなれるのいや、まだあそぶ」
ひしっと男の腹に腕を回して、暁人は泣いた。悲しくて、悲しくて、声を上げてわんわん泣いた。
男といたのはたった数日だが、暁人にとっては長い数日で大切な友人なのだ。
「けーけーとまだあそぶ…!ばいばいやだぁ…!!」
そうやって駄々をこねる彼を、男は節くれだつ手で撫でた。
「泣くな。ずっと離れ離れになる訳じゃねぇ」
「ぅ、うぎゅ…ほんと?」
暁人の顔は涙で濡れ、真っ赤になっていた。ボロボロと零れる涙を拭い、男は笑う。
「お前、ブッサイクな顔だな」
「…!!けぇけぇ、きらい!」
「ほぉん…」
そっぽを向いた暁人に、意地悪く笑った男。
「じゃあ、これでばいばいだな」
「え」
「もう一生会えねぇ」
「や、やだ!!」
「何でだ?嫌いなんだろ?」
「、ゔ…!!!」
揚げ足を取られている事に気付いてはいるが、それをどう返すかまでは分からない。このままだとずっと会えない。でも、嫌いって言ったのは自分だ。
弁解の言葉が浮かばない暁人は、再び瞳に涙を溜め始めた。それを、男は面白そうに指で拭う。
そして、覗き込むように暁人の瞳を見詰め、両頬を大きな手で包んだ。まるで、男と暁人しかいないような空間が出来上がる。また、男の肌のヒンヤリとした感触が、夏には似合わなくて。
「また会えるように、おまじないしような」
「おまじない…?」
「また俺と会いてぇんだろ?」
「うん」
「じゃあ、また会えるおまじないだ」
そう言って、男が笑う。夏の茹だるような熱さに反した、冷たい笑顔。
「お前の名前は?」
「え、えっと…あきと…」
「あきと、苗字は?」
「いづき」
「そうか」
「伊月 暁人」
男に名前を呼ばれる。すると、ふわふわとした多幸感に包まれ、頭の中をしめるのは男の事ばかり。
「けぇけぇ…?」
「繋がった」
「んぅ…?」
何も分からぬまま、暁人の左手首に真っ赤な数珠が嵌められた。腕を動かせば、ジャラ…と少しだけ音を立てる。
「お守りだ。無くすなよ」
「これあれば、けぇけぇとあえる…?」
「あぁ、必ず会える。会いに行く」
男は笑う。とても嬉しそうに。
「時が来たら迎えにいくからな、暁人」
いつも、男の笑みを最後に記憶の再生は終わる。そして、必ず手首の数珠が音を立てて主張するのだ。
今回も鳴った数珠に視線を落とす。
暁人自身、今の記憶が夢なのか現実なのかよく分かっていなかった。
よく考えてみると、森の中の社と男なんて可笑しい。しかも、男の笑みと声以外、服装も背丈も思い出せない。また、男の顔を話そうとしても、その瞬間、綺麗さっぱり言葉が出てこないのだから、益々夢だと思ってしまう。
しかし、暁人は確信していた。男にはまた会える。
この奇妙で温かい記憶の中の男と再会して、また、あの森で肩を並べて話したい。と彼は頬を緩ませた。