一幕「待ちさなさい」
「ま、まだ何か……?」
職員室で説教されたあと、ツナギを脱がされスーツに着替えさせられた。ようやく解放されると思った矢先に再び呼び止められ、声が震える。
氷室教頭はスーツに着替えた俺をじっと見つめたかと思うと「少しかがみなさい」と言った。
「? はい」
言われた通りに頭を下げる。
すると次の瞬間、大きな手が俺の顔を覆った。
「!?」
「髪が乱れている。きちんと整えるように」
「あ、いや、これはもともと――」
というか、無理やり着替えさせられたせいでもある。普段からくせっ毛だし、改めて整えようとすら思わなかったが、氷室教頭は気になるらしく、俺の縦横無尽に跳ねる髪をどうにかしようとする。
「ふむ……」
「…………」
落ち着かねぇ。
って言うかなんだこの状況。
入学式のあとというのもあって、職員室には俺たち以外誰もいない。あの氷室教頭と二人きりの空間でこうして触れられているなんて異様な状況でしかない。
(そりゃ、あんたはいつもバッチリキメてるけど、俺の髪じゃ難しいだろう)
扱える人間なんてそうそういない。
……はず、なのに。
「御影先生?」
「は、はいっ」
「どうしました? 顔が赤いようですが……」
分かってるなら早く終わらせてくれ。
喉まででかかった言葉をぐっと堪える。
「な、なんでも……、っ……」
「ああ、少し赤くなっている」
氷室教頭の指先が耳に触れた。その瞬間、甘みを帯びた刺激が体に走る。
「〜〜〜〜っ」
ぶわりと肌が熱を持つ。
耳はダメだ。誰にも言ったことはないが、俺はその場所が特に弱い。
ただでさえここに来る途中、思いっきり引っ張られて敏感になっているのに、そんなふうに優しく撫でられたりしたら――。
「ぁ……っ、ぅ……」
「申し訳ない。ただ、こうして髪を上げなければ気づかないでしょう。これで……」
そこまで言ってふと言葉を切る。珍しいなと視線だけを上に向けると、俺と目が合った氷室教頭がハッとして「コホンッ」といつもの咳払いをした。
「これでいいでしょう。速やかに、教室へ戻りなさい」
「は、はい」
やっと開放された。なんだか異様に疲れた……。
なぜか背を向ける氷室教頭に一礼して職員室を後にする。スーツの中の熱をどうにか逃がしながら廊下を歩いていると、窓ガラスに写った自分の姿が目にとまる。
「うわ……」
なんて顔してんだ、俺。
これからホームルームに戻る。それまでにどうにかしないと。深呼吸をして、ふと氷室教頭が触れていた髪に目を向ける。
(何がどう違うんだ……?)
あんなに丁寧に整えていたのに、俺がいつもテキトーに縛っているのとなにも変わらないように見える。
(もしかして、ただ触ってただけだったりして……)
なんて、ありもしない事を考えながら、耳にかかる髪を指で整え、俺は教室の扉を開いた。