ファイル04夜はすべてを覆い隠し、些細な綻びを目立たなくしてくれる。
なのに人は。何故その闇をわざわざ派手に飾り立てるのだろう。
眠らない街。使い古されたその言葉を変わることなく体現しているその一角で、フードで頭も顔も隠し、暗躍し続けている男。
彼の本来の姿を。そこに眠る目的を本質を。知る者は誰も、いない。
───降谷零。
今も変わらず、警察のデータベースでどれだけ検索しても。確かに警察学校は卒業しているはずの、その名がヒットすることはない。
それは彼の所属や身分がそうさせているだけではなく。彼に関する別のファイルが警察庁内には存在することを。知る者もそうはいない。
──『ファイル0』
存在しないことに所以する、ファイル名。
その男を知る者で。彼の通り名を知る者も限られている。
「──バーボン」
呼ばれた名に、男は妖艶に笑った。
「遅かったですね。来ないかと、思ってました」
「無理言ってきたのはそっちだろ。ほらこれ。入手できた分だ」
雑に渡されたものを静かに確認していたバーボンは、わざとらしくやおら息をついた。
「…足りませんね。これだと取引が成立するか確証は持てない。どうします? このままだとあなた達にとって良くないことに、なりますが」
「……それが精一杯だ。不服ならこっちにも考えがある」
「…そんな大きく出ていいんですか」
柔らかな物腰ながら芯から冷えた眼差しを見せたバーボンに。対峙するこちらも闇に溶け込む男も、ニヤリと笑う。
「…いい情報がある。バーボン。お前なら絶対興味を引かれる話だ」
鈍く光る金の髪に隠された眉が。ピクリと釣り上がった。
──『ファイル4』
俗にそう呼ばれている厳重な極秘扱いのファイル。その由来はシークレットからとも、例の劇薬のナンバリングからとも、彼女のコードネームからとも。言われている。
手にしたブツを所属元に流すと同時に。バーボンはそのファイルへとアクセスする機会を得た。消したはずの。生きた感情が蠢く。
ザザザッ…!!
耳に入ったはずの音声が。一瞬で雑音に変わる。
凄まじい。衝撃故に。
衝動のまま耳に入れたインカムを抜くバーボンに。微かに響くかつての上司が呼び止める低音。
『……バーボン…!』
以前から。潜入先の名前で呼ぶ癖のあった上司だが。今はただの登録名だ。
いや、今でも自分の所属は警察機構ではあるのだろう。でもこの上司との関係は。雇い主と表したがまだ適切だ。
警察から持て余され。自ら裏側に向かった。自分には。
なのに今。ひたすら目指すものは。
扉の前にいた見張りの男を拳打で倒し。薄暗い部屋の中に押し入る。
電子機器の画面に照らされ。青白く浮き上がるのは、白衣を着た消え入りそうな女の姿。
──こんな場所で、出会うとは。
裏に潜った自分とは違い。どれだけでも、日の当たる場所で輝ける、人なのに。
「……何をしているんだ」
バーボンから出た声は地を這うように震え轟いた。感情が制御できない。血が滾るような衝動。こんな燃えるような感情がまだ自分に残っていたことに驚く。
女は血の気を失った表情をしていた。この場に動じない強かさも感じるが、生命力が感じられない。
元来の美しさも相まって冷たい作り物のようだ。バーボンは声を張り上げた。
「君には応えるべき、大切な人達がいるはずだ!! 近くに! すぐそこに!」
その言葉に。彼女の瞳が揺らいだ。微かに、表情を灯す。
「……それに背かずはみ出さずに進む。そんなことが簡単にできると思う?」
幾年振りかに聞いた声は。変わらず優しい懐かしさを伴う。
向けられた瞳には。湛えた雫と共に確かに煌めく光があった。
「それを言うならあなたには! もう誰もいないって、そう言うの…!?」
ガチャッ…!
扉が開かれ。向けられたのは鈍く煌めく銃口。
夜を照らすライトで逆光に浮かび上がるのは、二人の男の影。彼女の情報を流してきた男もいる。
その男がニヤリと笑った。
「喰えない鉄壁の男バーボンの。ウィークポイントってわけか、シェリーは」
バーボンは咄嗟に、未だシェリーと呼ばれる場所に身を置いた、彼女の身体を引き寄せる。
肩を強く抱きながら。唸るように言った。
「ウィークポイント…? そんなもんじゃない」
彼女の見開かれた翡翠色の瞳が。驚きを湛え彼に注がれる。
「命そのものだ」
ガシャーーーン!!!
彼女を抱き上げ、バーボンは勢いよく後ろ向きのまま背後の窓に飛び込んだ。
「ひっ…」
彼女からはひきつったような声が微かに発せられたが、しっかりと抱き止めたまま足場を確保し着地したバーボンは、そのまま夜の雑踏へと走りだし、入り組んだ路地に高架下に倉庫街へと逃げ込む。
「ひゃっ…、くっ…」
腕の中で動揺しているであろう彼女は、為されるまま必要に迫られ、バーボンの首にしがみついていた。
喧騒から離れた場所まで来て、震えるような彼女の声がようやく言葉となってバーボンに届く。
「と…、止まって、だって、血が」
痛みは感じないが。ガラスに飛び込んだのだ。背中には血が滲んでいることだろう。
バーボンは足を止めず。口を開いた。
「……血は。赤い?」
「な、何言ってるのよ、当然よ…!!」
その彼女の言葉に思わずバーボンは笑いを溢した。そっか。赤いのか。
もう血も涙も無くしたかと思っていた。自分というものも。手放し。
「…どうして、こんな……」
バーボンにしがみついたまま。胸に顔を埋めて彼女は、泣いているのだろうか。
彼女が泣く世界を。望んでいたわけでは、なかった。
「…どこまでも、行ける」
走り続けたまま。バーボンは声を零す。
「…え?」
彼女の瞳がこちらを向いた。生きている。光を失っていない、瞳。
バーボンの瞳も生きる光を灯し和らいだ。
「君が…いれば」
彼女が笑う。
君が引き戻してくれた。この世界に。僕を。
再度生きれるだろうか。闇が巣喰うこの心を超えて。
ただ彼女の笑顔が。預けてくれるそのぬくもりが。
今までの彼の生きざまも正義も。抱きしめてくれた気がした。