ガチャガチャと激しくおもちゃをぶつけさせて怪物のような叫び声を上げるその子は、アイドルのライブに行く間だけ預かっててとお願いされて今朝預かった友人のこどもだった。名前、なんだっけな。ちゃんと聞いたのに不快で騒がしい物音を聞いてイライラしているうちに忘れてしまった。
こどもは嫌いじゃない。けど、うるさいのは嫌い。預かった以上は放置して怪我をさせるわけにもいかないから様子は見ておくけれど、今すぐ自分の部屋にこもって一人きりになりたかった。すごいな、なんで一人で遊んでてこんなにうるさくなれるの? こどもってみんなこうなのかな? 自分がこどもの時の記憶は参考にならない、だって俺は小さい時からうるさいのは嫌いだったし。
「うきにーちゃん、オレがヒーローやるから怪獣やって!」
「あー……ごめんね、今お兄ちゃん忙しいんだ。一人で遊んでてくれる?」
「いっしょに遊ぼうよー! じゃあこれで飛行機作るのいっしょにやろ!」
「……まあ、ブロック遊びくらいなら」
「これ戦闘機ね! ババババッ! ドカーン! あはは! うきにーちゃんやられたー!」
「……、……オーケー、助っ人呼ぶからそれまでは一人で遊んでて」
「すけっと? って、なに?」
「お兄ちゃんのお友達」
現実逃避のために検索していたオモチャのサイトを閉じて、すぐに電話をかけた。数コールの後通話が繋がった瞬間に「たすけて」と言えば、数秒経ってから『かけ間違えてないか?』と呆れた声が返ってくる。
「間違ってない。俺がふーふーちゃん以外の誰に助けを求めるの?」
『おまえを助けたい相手ならいくらでもいると思うけどな。それで、何から助ければいいんだ?』
「カイブツ」
『……どこに怪物が?』
「家に来てる。今日休みだよね? ごはん食べに来ない?」
『怪物がいる家でごはんを?』
「ふーふーちゃんならカイブツとも仲良くなれると思うんだよね」
ふざけた会話の合間にカイブツの叫び声が通り過ぎて、電話の向こうでふーふーちゃんが驚いたように『本当に怪物でもいるのか?』と呟いた。本当にいるよ、俺が嘘ついてると思ってたの?
「友達のこどもを預かったんだけど、俺には手に負えないタイプだった。ふーふーちゃんの力を貸して欲しいんだ」
『ああ、なるほど……。わかった、今から行く。浮奇、絵本とか持ってないよな?』
「BL漫画を読み聞かせてみる?」
『やめておこう。何歳くらいの子だ? 男の子?』
「男の子。六歳って聞いたけど、六歳ってもっと人間的じゃなかったっけ?」
『六歳の男の子! よく預かったな? オーケー、浮奇の家のものが破壊される前に行かないとだ』
「こんなことになると思ってなかったんだよ、軽率だった。もう二度とこの過ちを繰り返さないことを誓います」
『こどもが元気なのは良いことだよ。浮奇との相性はイマイチかもしれないけれど。あとちょっとだけ頑張れ、六歳くらいなら意外と普通に話ができると思うぞ』
「そう願ってる」
電話を切って振り向けば彼はさっきまでの騒がしさから一転、無言のまま大きな瞳で俺の様子を窺っていた。……俺がこどもの時、俺は周りの大人の言葉に敏感だった。この子も、そうなのかな。
「友達が遊びに来てくれるって。俺より大人なカッコイイお兄さんだよ」
「……うきにーちゃんより大きい人?」
「うん。……大きい男の人、ちょっと怖いかな?」
「怖くないよ! ……やさしい?」
「とっても優しい人。俺の大好きな人だよ」
「……わかった! 新しいおにいちゃんは怪獣役やってくれる?」
「どうだろう……たぶん、やってくれるかも」
「えへへ、やった! うきにーちゃんは怪獣から逃げる人やる? ヒーローがたすけてあげるよ」
「んー、用事が終わって手が空いてたら」
「オッケー!」
にっこり笑う顔を見てそっと胸を撫で下ろした。小さな時、大人の男の人はそこにいるだけで少し怖かったことを思い出す。低い声も怒ったような顔も恐怖の対象だった。幸か不幸か俺は怖がられていないようだけれど、ふーふーちゃんはもしかしたら小さなこどもからしたら怖いかも。あんなに優しくて可愛い人他にいないのに。
すぐ行くと言う言葉の通り、ふーふーちゃんの家から俺の家まで真っ直ぐに移動する時間ピッタリくらいにインターホンが鳴った。急いで来てくれたのだと言われなくても分かって嬉しくなる。ちょっと待っててねとリビングにその子を置いて玄関に向かい、扉を開けてすぐにふーふーちゃんに抱きついた。
「待たせたな、大丈夫だったか?」
「んん、いい子に遊んでてくれたよ」
「それにしては疲れた顔をしている」
「家中壊されてるのかと思うくらいうるさいんだもん……」
「……浮奇」
「んー」
「浮奇、キスはお預けだ。もうハグも終わり」
「やだ、もうちょっと、俺の疲れを癒して」
「こどもが見てるから」
ふーふーちゃんの言葉を聞いて彼の首筋に吸いつこうとしていたのを止めて振り返れば、確かにあの子が壁からひょこっと頭を出して、たぶん本人的には隠れてるつもりなんだろうけど全然隠れられていない体勢でこちらを見つめていた。ふーふーちゃんに意識全部を向けていたからリビングが静かになっていたことにも気が付かなかったや。
「ちゅーしたかった……」
「後でな。紹介してくれるか?」
「……ええとね、名前……」
「……聞いてないのか?」
「聞いた聞いた、聞いたんだけど……。……あっ、そうだ、クリストファー。クリスって呼んでた」
「オーケー、クリス、こんにちは。俺はファルガーオーヴィド、浮奇の友達だよ。初めまして」
「……はじめまして」
「今は何をして遊んでたんだ? 浮奇も一緒に?」
「……うきにーちゃんはいま忙しいから、オレはブロックで電車作ってた。……おにいちゃんは忙しい?」
「めちゃくちゃ暇だ! 一緒に遊んでもいいか?」
「……飛行機作れる? オレの、空飛ぶ電車だから、飛行機とたたかえるんだよ」
「かっこいいな。じゃあその電車を撃ち落とすくらい強い飛行機を作るよ」
「じゃあ飛行機落とす大砲つけた電車にする!」
ふーふーちゃんは楽しそうに笑ってクリスに近寄り、わざわざしゃがんで視線を合わせてから「どっちが強いか勝負だな」と言って彼の頭を撫でた。クリスはあっという間に警戒心を解き、ふーふーちゃんの手を引いてリビングの中へ向かう。顔だけ振り向いて「任せとけ」と口パクで伝えてくれたふーふーちゃんに頷きを返して、俺は自分の部屋の中に戻ってベッドに倒れ込んだ。
壁越しに楽しそうな笑い声が聞こえ、ふーふーちゃんを呼んで良かったと深く息を吐いた。俺一人じゃ、きっとあの子につまらない思いをさせてしまっただろうから。あと本当に俺の体力と精神が持たなかったと思うし。せっかくふーふーちゃんがウチにいるのに二人きりじゃなくてキスもハグもお預けだなんて寂しいけれど、仕方ない、今日はあの子がキングだ。今日一日だけ、ふーふーちゃんを貸してあげる。
そっと目を閉じて聞こえた耳につく高い声と大好きなケトル笑いをする恋人の声があまりにも楽しそうで、どうやったらこんな一瞬で仲良くなれるんだろうと不思議に思った。こどもが好きなのは知っていたし面倒見の良さは俺にもよく発揮されるけれど、ここまでとは。ふーふーちゃんって良いパパになりそう。俺が女だったらさっさと既成事実作って指輪買わせるのにな。俺たちの間にこどもはできない。今日みたいに友人のこどもを預かれば擬似家族ごっこくらいならできるかもだけど。
「……こども、欲しいのかなぁ……欲しいよなぁ、好きみたいだし……」
一人の部屋で呟いて毛布に顔を沈める。今さら、こんなこと気にしたってしょうがない。俺はもうふーふーちゃんを離してやれないし、こどもは産めない。それにもしこどもがいたら俺はふーふーちゃんを独り占めできなくって拗ねてたと思う、ちょうど今みたいに。ふーふーちゃんがこどもを欲しいと思ってたら可哀想だけれど、でも、だって、ふーふーちゃんも握り返したんだもん。どっかのこどもを産める女の人じゃなくて、俺の手を。だから今さら気にしたってしょうがない。ふーふーちゃんには、こどもより俺のことを愛してって甘えるからいいもん。
滲んだ涙を毛布に吸わせていたらいつのまにかうたた寝をしてしまい、パッと目が覚めた時、リビングからの賑やかな声は聞こえなくなっていた。今何時?と焦って時計を確認したけれどふーふーちゃんが来てから一時間ほどしか経っていない。
グッと伸びをしてから起き上がり静かに部屋の扉を開けた。リビングの電気が消されていて、声の代わりにテレビの音が聞こえる。俺は足音を忍ばせて廊下を進んだ。
「……あ、寝ちゃった?」
「ああ、浮奇、……ふ、浮奇も寝てたか?」
「ちょっとだけ」
おいでと手招かれて向かったソファーでは、ふーふーちゃんの膝の上に座ったクリスがふーふーちゃんに抱きついたまますやすやと眠っていた。彼を起こしてしまわないようにそっとふーふーちゃんの隣に腰を下ろし、腕を触れ合わせる。
「元気に遊んでたから疲れたんだろうな。少しテレビを見ようと誘って抱きかかえたら、すぐに寝てしまったよ」
「うん、慣れない場所で緊張してたと思うし。……静かにしてたら可愛いんだけどな」
「ああ、こどもの寝顔は良いよな」
「……俺の寝顔は?」
「……いつでも可愛いよ」
両手でクリスを抱いていたふーふーちゃんは片手を彼から離して俺の頬に触れさせた。ふにっとつままれ、その優しさに笑みをこぼす。
「ふーふーちゃんもいつでも可愛いよ」
「ありがとう、浮奇には負けるよ。安心しろ、俺はこどもが好きだけど、それよりも浮奇が一番好きだから」
「……ん、えへへ、知ってる。俺もふーふーちゃんが一番好き」
んーっと首を伸ばして彼の頬に唇を押し当てた。本当はしっかりがっつりキスをしたいけど、止まらなくなっちゃいそうだし? ふーふーちゃんの肩に寄りかかって甘えるだけで我慢していたら、ふと視線を感じて俺は顔を上げた。大きな瞳とバチッと目が合う。
「……おはよ」
「……うきにーちゃん、ふーちゃんのこと好きなの?」
「好きだよ」
「こら浮奇。クリス、おはよう。喉が渇いてないか?」
「……ふーちゃんは、うきにーちゃんのこと嫌いなの?」
「……好きだよ」
「でも二人とも男でしょ? 男どうしで、ちゅーするの、変じゃないの?」
「変じゃない。俺はふーふーちゃんが大好きなんだもん。好きな人にキスするのは変じゃないよ」
「……クリス、俺と浮奇は友達だけど、二人ともお互いのことを好きだからキスもするしハグもする。誰かがすることに変なことなんてないよ。その人にとってはそれが普通なんだ。クリスがブロック遊びを好きなのも、俺が本を読むのを好きなのも、浮奇がゲームを好きなのも、ひとつも変じゃないだろう?」
「でも先生がオレは普通じゃないって。もっとみんなとおんなじにいい子にしなさいって言うもん」
「まさか、こんなにいい子なのにか?」
ふーふーちゃんがクリスの脇の下に手を入れて持ち上げてみせると、クリスはクスクスと嬉しそうに笑った。俺は先生がいい子にしなさいって言う気持ちが分かるけれど、でもクリスがいい子じゃないとも思わない。きっととても素直な子だ。
「ふーちゃん、オレのパパがいいなぁ」
「光栄だな」
「だめ」
「うきにーちゃんは時々遊ぶおにいちゃんね」
「やだ。ふーふーちゃんは俺のだからクリスにもあげない」
「ふ。悪いなクリス、やっぱりパパは却下だ。俺は浮奇と一緒がいいから」
「えー。……んー、わかった。でもまた遊びたい。ママがライブ行けばふーちゃんとうきにーちゃんにまた会える?」
「いつでも会えるよ。今日の続きもしたいし、違う遊びもクリスと一緒なら楽しそうだ」
「うん! うきにーちゃんも、用事終わったら今度はいっしょに遊ぼ?」
「……ふーふーちゃんも一緒なら、まあ」
「やった! そしたらさ、うきにーちゃんお姫さまで、ふーちゃん王子さまやる? オレがお城守る軍隊の一番えらい人ね」
「なにそれ、最高じゃん。俺がお姫さまでいいの?」
「うきにーちゃん可愛いからお姫さまにしてあげる」
「わお……」
「ふーちゃんと結婚して二人で幸せにくらしてるところに怪獣が来るんだけどね、オレが軍隊でやっつけるから安心して」
「ありがとうクリス、かっこいい軍隊さんがいてくれて嬉しいよ」
「王子様にも活躍の場面があるといいな。クリスに負けてられない」
「ふふん、軍隊が一番強いからね。でも、じゃあね、ふーちゃんはお姫さまのこと殺そうとする悪いやつを剣でグサって殺し返すのは?」
「いいな、お姫様を守らせてくれてありがとう。クリスの考えるストーリーは素晴らしい」
「えへへ!」
俺はふーふーちゃんに寄りかかりながら無邪気に無茶苦茶に進んでいくストーリーを楽しんだ。相槌を打ったり新しいストーリー展開をぶっ込んでくるふーふーちゃんの声も上機嫌に弾んでる。それはパパとこどもというよりも、うんと年の離れた友達みたいだった。クリスがふーふーちゃんに懐くのも納得だ、だってふーふーちゃんはクリスのことをこども扱いして適当にあしらったりしない。俺もこどもの時にふーふーちゃんと出会ってたら人生が変わっていたかもしれないな。いま、こうしてふーふーちゃんの隣にいられるから、この人生で良かったと思えるけれど。
「浮奇、お願いがある」
「うん? なに?」
「俺もクリスも、すごく腹が減っている」
「……ふ、ふふ、オーケー、俺の出番だね。王子さまと軍隊さんは敵をやっつけてて。お姫さまは料理上手だから」
「ありがとう、浮奇」
「ありがとう、うきにーちゃん!」
全然似てないのにそっくりな笑顔をする二人を見て俺も笑みを浮かべた。うるさいこどもは苦手だけれど、ふーふーちゃんと一緒なら悪くないかな、なんて。