親子丼の思い出 呪術高専一年、七海建人は、高専の共同キッチンで冷蔵庫を覗いていた。
夕食の時間はとっくに過ぎている。先程、任務から帰ってきた七海は、何か温かいものが食べたいと思ったのだ。備え付けの冷蔵庫に入っているものは自由に使っていい。ただし名前が書いてあるものは除くが。それぞれの名前が書いてあるプリンやヨーグルトなどの下、チルド室に鶏肉が残っていた。ああ、鶏が食べたい…七海は思った。
しかし、鶏肉をどうしよう。豚肉ならば、適当に野菜と炒めれば、野菜炒めができる。しかし鶏肉は。普段よく食べているものなのに、調理方法が浮かばない。唐揚げ…は、準備が大変そうだし難しそうだ。焼くか。塩胡椒を振って焼けばいいのか…
野菜室を覗くと玉ねぎがあった。
親子丼。
ああ、そうだ。それが食べたい。玉ねぎと肉を煮て玉子でとじればいいのだ。玉子はある。
急に展望が開けた気がして、七海は嬉しくなった。親子丼を作ろう、そう思ったらもうそれしか食べたくなくなった。
玉ねぎを切り、肉を切った。肉は一人分には多すぎる気はしたが、少し残しておいても仕方ないだろうと全部使った。肉を切り終わると玉ねぎが少ない気がしてもう少し切った。味付けは、たぶん醤油と砂糖が入っているんだろうことしかわからない。しかし、不安はない。夏油が「和食ならこれで何でもできるよ」と言っていた『めんつゆ』があるのだ。
七海はフライパンにめんつゆを入れた。二倍濃縮だったと思い出して水も入れた。味を見て「もう少し薄い方がいいか?」また水を足した。そこに鶏肉と玉ねぎを投入して火をつける。
…ものすごく量が多い気がする。しかし、たぶん煮れば量は少なくなるのだ。鍋だってそうだ。
数分後、大振りのフライパンいっぱいの、親子丼になるものが出来上がろうとしていた。
……玉子は、いくつ入れたらいいんだ……七海は少し呆然とし、じわじわと途方に暮れた。二つくらいかと思っていたがそんなでは足りないだろう。「玉子に火が通りきる前に火を止めるのよ」母が言っていた。それは覚えている。しかし、量。四つ…いや、六個…閉じきるには何個? 七海はボールに次々と玉子を割りながら、だんだんヤケクソになっていく自分を感じた。
「うおお、すごいいい匂い」
戸がガラガラと開いて、一年上の先輩が入ってきたとき、七海は光明を見た気がした。それがいつもうざく絡んでくる五条悟であっても。
「え? 七海?」
言いながら、五条はフライパンを覗き、
「すげー! お前が作ったのかよ。うまそ~」
言った後、
「え?」
と言った。
「…お前だけ? 灰原は?」
「五条さん」
七海は言った。
「食べませんか」
レンチンしたご飯を丼に盛った。フライパンからは五条が器用にフライ返しを使って移してくれた。
「うんめ~」
意外にも綺麗な箸使いで五条は七海が作った親子丼を口に運ぶ。
「三つ葉ないかな? 上に乗せると美味いんだぜ」
立ち上がって冷蔵庫を覗き、
「ないな…」
そういえば、母の作る親子丼には青いものが乗っていた気がする。
五条は焼き海苔を持って戻ってきた。
「これ。細かくして上に散らすと美味いよ」
屈託のない青い瞳を七海は見つめた。そういえばこんなふうに、五条と二人だけで食事をするのは初めてかもしれない。
「何?」
五条は言い
「いえ」
七海は答えた。
親子丼作って良かったな…七海は思った。
「五条さん」
七海は言った。
「もう出来ますよ」
「オッケー」
五条は言って、器に炊き立てのご飯をよそう。七海は浅い鍋から出来上がった具を移し、三つ葉を添えた。焼き海苔はお好みで。
テーブルに運び、いただきますと言って二人は親子丼を口に運ぶ。
「美味しい」
五条が言う。
「優しい味だよね、時々食べたくなる」
「あなたの実家から送ってもらった漬物もよく合いますね」
ふいに五条は、ふふふと笑う。
「親子丼食べてるとさ、初めてお前と食べたときのこと思い出しちゃう」
七海も笑う。
「はい」
「お前、あのときさあ」
何回も出した話題だが、やはり五条は、あははと笑う。
「ものすごい量、作ってて」
「初めて作ったんですよ。量の加減がわからなくて。作っているうちにどんどん増えてしまいました」
あるあるだよね~、五条は笑いながら、
「でも、美味かったよ」
「今に比べたら、ずいぶん大味だったと思いますけどね」
七海は言って、
「でも、あのとき、あなた、量のことは指摘しませんでしたね」
「いや、言えなかったって」
五条は思い出して、あっはっはっはと笑った。
「でも本当に。本当に美味しかったよ」
若かったし、腹が減ってたし、それに、
「僕はあの頃からお前のこと好きだったからね」
七海は微笑んだ。自分はどうだったろう。いつからこの人のことを好きだっただろうか。始まりはあやふやでわからない。あまりにも強烈で、それが恋だとは自覚しづらかったのかもしれない。
それでもあの日、五条と同じテーブルで作り過ぎた親子丼を食べたあの日は、柔らかく優しく、七海の心に残っているのだった。