いちごホイップ 七海建人は腹を空かせていた。
昼食を軽くしたのが良くなかったかもしれない。だが本来はもう少し早い時間に帰れるはずだったのだ。任務自体はそう複雑なものではなかったが、終わってから町の実力者だという者から是非にもと挨拶を受けた。それが終わって乗り込んだ車は渋滞に巻き込まれた。途中どこかで食事をと思わないでもなかったが、新人の補助監督を患わせるのもと、とりあえず高専に戻ることにしたのだ。
執務室へと向かう途中で補助監督の部屋の前を通った。定時を過ぎているというのに何故かわいわいと華やいだ空気がして、女性たちの嬌声が聞こえる。
「あ。七海さん。お疲れさまっス」
ピョコリと新田が顔を出して、挨拶をした。
「お疲れさまです、新田さん」
挨拶を返し七海が行こうとすると、あ、ちょっと待ってください、新田は部屋の中に戻り、程なくして何か包みを持ってきた。
「これ。差し入れっス。どうぞ」
「クレープですか…」
女性たちが騒いでいたのはこれか。見ると結構大きな包みで、しかし七海は甘いものはそう得意ではない。躊躇していると、
「大丈夫っス。これ、クリームチーズっスよ」
七海さんでもイケると思います、新田は屈託のない笑顔で言った。辛党の七海に合うものを選んでくれたのだろう。
「そうですか、では遠慮なく頂きます」
腹が空いていたので有り難かった。
「ありがとうございます」
七海は包みを受け取り執務室へ向かった。
執務室には誰もいなかった。途中の自販機で買ったブラックコーヒーを机に置き、七海は新田からもらった包みを開いた。ペリペリとセロファンを剥がし、あむりとひと口食べた。そして眉を顰めた。…甘い。
クリームチーズではない。生クリームだった。決して不味いものではない、しかし。食後ならともかく、空っぽの胃に甘いものを入れるのは正直キツかった。
何故、生クリームなのだろう。新田が間違えたのか、それとも店の不手際か。包みをひっくり返すと原材料などが書かれた小さなラベルに「いちごホイップ」と書いてある。フー、七海は小さくため息をついた。確かめなかった自分も悪い。女性たちは華やいで、いろいろな種類のクレープをどれにしようか手に取り、箱に戻し、また別のものを手に取りしていたのだろう。戻した先が元あった場所とずれていたのかもしれない。
それにしてもどうしたものか…
七海はひと口食べただけのクレープを見つめた。グウ…腹が鳴った。携帯を取り出そうとして思い直し、そのまま執務室を後にした。
◇ ◇ ◇
「お疲れサマンサ――♡」
自身専用の部屋にいた五条は満面の笑みで七海を迎えた。近づいてくる呪力からノックされる前に気付いたらしい。
「何? 何? 僕がここにいるってわかったの? 五条さんに会いたくなっちゃった? やだなぁ七海ったら♪ 僕も…」
「五条さん」
笑顔を制して七海は言った。
「クレープ、食べませんか」
「へ? え? クレープ? 食べる、けど…」
五条は差し出されたクレープと全く表情が窺えない七海の顔を交互に見た。
「新田さんからいただいたのですが、私には甘いので。」
五条はもう一度、クレープを見た。明らかにあんむりとひと口齧った跡がある。もう一度七海を見た。全く感情を乗せていない涼しい男前の顔を見た。
「もしかしてお前……腹減ってる?」
「ええ、とても」
ブフォ 五条は吹き出した。
「オーケーオーケー、食べに行こうぜ。 何がいい? 肉? 魚?」
「肉がいいですね」
「即答! いいよ、任せなさい♪ ていうか飛ぶ? 飛んじゃう?」
いえ、歩きます、サングラスの位置をカチャリと直し七海は答えた。
「今、飛んだら吐きそうです」
「そんなに??」
五条は上着を取ってきた。腕を通しながら七海が持っているクレープに顔を近づけあんむりと齧り付く。七海が食べたところから、ムッシャムッシャがぶり、ムッシャムッシャがぶり、三口で食べ終えた。
「んん~甘い♪ 美味しい♪ お前の味がする♡」
「はぁ、そうですか」
うわ、ツッコミもない。
んふふふふ~と五条は笑った。
「僕、お前のそういうとこ好き」
どういうところですか? と七海は聞いてくれなかった。
お腹が空くと頭回らなくなるとこ、食べかけのクレープを何の躊躇いもなく僕に持ってくるとこ。五条はニマニマした。
「早くしてください、五条さん。置いていきますよ」
「いや、連れてくの僕だけど?」
早くこの腹ペコの後輩にお腹いっぱい食べさせてやりたい。そしてそしてその後は…
クレープ、持って帰って食後に食べれば良かったかなぁ
五条は思った。
そうしたらキスするとき、僕はいちごホイップの味がしたのにね。