precious/ジュン要「…これを」
要の誕生日の1週間前。寮の談話室にいる時、瓜二つの兄からなにやら長細い封筒を手渡された。
「何すか?」
「まあ、紙で渡すようなものでもないのですが…開けてみてください」
言われるがまま開封すると、出てきたのは三つ折りにされたコピー用紙。
何かの書類かと折りを開き、書かれている内容を見てぎょっとした。
「予約確認…7月7日◯◯ホテル……って、え!?な、なんすかこれ」
誕生日当日、要の希望で某テーマパークへ行くことになっていた。
行ったことがないというのはお互い様で、少し不安もあったがアプリもあるしなんとかなると経験者から聞いて安堵していたところだった。
暑い時期。まだ病み上がりな要を長時間炎天下には置けないと出発は午後からのんびり行く予定になっている。要の体力を見て、もちろん当日中に帰る予定だった。
だった、のに。HiMERUから手渡されたのはオフィシャルホテルの予約確認画面のコピー。
それに加えてスマホの着信音が鳴ったかと思えば、同じ文面の転送メールが着ていた。
「せっかく行くのですから、ゆっくりしたらどうですか」
「へ?あ、でも、これあんたが予約したんすよね?」
「俺から“要への”誕生日プレゼントです。予約名も要になっているでしょう。漣は要の付き添いに過ぎませんから」
「へーへーわかってますよ。…てか、あそこ行くの決めたの1ヶ月前なんすけど、よく取れたっすね?」
「……ええ、まあ」
「え、まさか、もっと前から——」
「とにかく、このことはまだ要には言っていませんので漣から伝えてください。…それから。俺が用意したとは伝えなくていいです」
「え。なんで。あいつへの誕生日プレゼントなんすよね?」
「…いいのです。そういう野暮なことは言わなくても」
言うことだけ言って颯爽と去っていく後ろ姿を見送って、メールの受信フォルダを見ていると、2日前に茨から来ていたメールが目に留まった。
7月8日。あいつの誕生日翌日はもともとソロの仕事が入っていたが、それが延期になったというメールだった。
(……まさか、な)
せっかくだから当日のサプライズにしよう。泊まりの準備なんて男だからすぐ終わるだろうし、少し早めに迎えに行けばいい。先を見越して泊まり道具一式、兄が準備している可能性も否めない。
あと一週間。逸る気持ちを抑えながら、開いたままだったコピー用紙を封筒に仕舞った。
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「さざなみさざなみ!すごいのです!おとぎ話の世界に来たみたいなのです!」
テーマパークのエントランスをくぐる前からはしゃいでいた要のテンションは上がりっぱなしで、園内に入ってからあちこちきょろきょろ見回して指差していた。
かく言う自分も来るのは初めてなので内心テンションが上がっている。
「多くの人が動物の耳?みたいなのを付けてますね。あれはどこかで売っているのでしょうか」
「ここの公式キャラクターのやつだろ。なんだよ、気になるのか?」
「え…っで、でも、恥ずかしく、ないでしょうか…」
「みんなしてんだから恥ずかしくないんじゃねえ?あ、あれとかいいんじゃねえ?耳ついてる帽子」
「さざなみもしますか?」
「え、いやオレは……まあ、どっちでも…」
「じゃあさざなみはハイエナ耳なのです!」
「いやあれは撮影での話で…てか、あるかあ?ハイエナ耳とか…」
近くのショップに入って先ほど見かけたそれらしいものを発見して立ち止まる。
手に取ったものの値札がたまたま目に入りぎょっとした。
(お、思ってたよりたけえな…予算大丈夫か…?まあ最悪クレカ使えばいいか…。つか、どれもこんな相場なのかよ?)
この春、茨にクレジットカードくらい作っておいてくださいと言われたものの面倒で先延ばしにしていたらいつの間にか勝手に作られていてカードの入った封筒を手渡された。
ESビッグ3のEdenになっても、金銭感覚は特に変わっていないのに着実に貯まっていく貯金。
実家への仕送りもしているし、最近たまにいいものを買ったりもしているが、金があっても身に余るものは必要ないと思っているし、結構ファンからのプレゼントでやっていけてるところもある。あと、おひいさんの横流し。
オレはEden、オレはEden、と言い聞かせながら卒なく会計をして店を出る。
タグを取ってもらった耳付きの帽子——髪色と似た水色の、丸型の耳のものを意気揚々と被る姿が可愛いなと思ってしまう。
それを横目に、色違いの黒い耳付き帽子を被る。まあ、今日くらいは浮かれててもしょうがないよな。
「お兄ちゃんに写真を送るのでさざなみも映るのです」
「あの人、あんたの写真だけあればいいだろ。オレが撮ってやるよ」
「む…さざなみとの記念写真でもあるのです、けど」
「…わかった。入りゃいいんだろ、入りゃ」
未だにツーショットで撮る写真にどんな顔をしたらいいかわからなくて中途半端なキマらない表情をしていることが多い。
特技:即興ポージングなんてプロフィールに書いてるのに好きな人の前ではこのザマだ。
最近外出するようになってやっとスマホを持つ許可が出た要のカメラロールは、日々のなんでもない写真がメインで、たまに兄の隠し撮り。ネットから落とした「HiMERU」の画像、ライブ映像。兄とのツーショット。…と、オレとのツーショット。
それから。お気に入りのフォルダに巽先輩と撮ったツーショットが入っているのも知っている。
アプリで目的地を確認していると、目の前を行くカップルの姿が目に入る。
これみよがしに手を繋いで歩いている姿に、そういえばこれもデートだよなと途端に意識してしまう。
(手、繋いでいいのか…?てか、男同士で手繋いでんのって端から見たらどうなんだ?はぐれたらいけねえからって口実で…、てかこいつは嫌かもしんねえし…うわ、考えるほどわかんなくなってきた)
そんなことを思いながら目的地へ向かっていると、不意に指先同士が一瞬触れた。
「うぉ、あ…!?」
意識していたせいでやたら大きくリアクションして腕を引いてしまった。
同じように驚いたのか、見つめた蜂蜜色の瞳は見開かれていて。
「わ、わり、なんでもない」
「…驚かせないでくださいよ、もう…」
俯いて溜息を漏らす顔は、帽子のせいで伺えなかった。
あれこれ目移りするせいでなかなか入り口から進めないでいたが、あまり時間もないので要が行きたいと言っていたアトラクションへ向かう。
といっても事前にどこに行くか決めている際も、「怖いのはいやなのです」「こういう、落ちるやつもいやです」と出てくるのはNGばかり。絶叫系は体調面も考えて薦めないつもりではいたが。
結局ネットを参考に大体のコースを決めた。最後にパレードを見ることを考えれば時間配分的にも充分だろう。
食べ歩きもしつつ、アトラクションを楽しんでいる要の笑顔を見てほっとした。
そして思わずカメラのシャッターを切っている自分がいる。
「あっ、また撮りましたね。ぼくの写真はお高いんですよ」
「すみませんね隠し撮りして。…しょうがないだろ、映えるなと思ったら撮っちまうんだよ」
ロケーションも相まって、シャッターチャンスがいつも出かける時より格段に多い。
カメラロールを遡っていると、不意にシャッター音が聞こえて前を見ると、要がスマホを構えていた。
「今撮ったろ。オレの写真もお高いんですけど?」
「だからです。だから…ぼくだけが見られるから、こうやって残しておきたいのです」
「え」
「さ、さざなみは知らないかもしれませんが、さざなみが出ているテレビも、雑誌も、結構マメに見ているのですよ。さざなみはカメラの前でも普段とそんなに印象は変わりませんが、こうやってぼくといる時に鼻の下が伸びているさざなみは珍しいので撮っておくのです」
「だっ、誰も鼻の下伸ばしてねえだろ!!」
「気付いていないだけです。鏡でも見てみたらいいのです」
「…そりゃ」
「?」
「す、好きなやつと一緒にいたら、多少顔が緩んでもしょーがねえでしょうが…」
自撮りの顔はキマらないし、色んな感情が溢れてしまって平静でいろと言われる方が難しい。
口元を押さえると、ジト目でこちらを見つめる要と目があった。
「……さざなみのスケベ」
「な…っ!元はと言えばあんたが言ってきたんでしょーが!つーか普段オレがどんだけ理性で抑えてっと思っ…」
「そんなことよりさざなみ、喉が渇いたので何か飲みたいです」
「え、ええ〜…あんたのその切り替えの早さなんなんだよ…」
いたずらに笑う顔にいつも惑わされる。でも、そんな風にバタバタするのもこいつ相手なら悪くないと思う。
「何にすんだよ」
「コーラです!」
「ここまで来てかあ?まあ別にいいけど…」
色々食べ歩きもしながらパーク内を回って、最後の予定に入っていたパレードを見る。
華やかな音楽と、飽きないパフォーマンス。これは見習うところもあるなと、ただパレードを楽しむだけではなくつい表現者としての目線でも見てしまう。
「…なあ」
「なんですか?」
「…誕生日、おめでとう。…ちゃんと言ってなかったと思って」
「…ありがとうございます。さざなみより一足先に大人になったのです」
「んだよ、人生先輩とでも呼べって?」
一ヶ月ほどしか誕生日も変わらないのにふふんと鼻を高くする要の頭をわしわしと乱す。
何をするんですか、と文句を言う割にその顔は嬉しそうだった。
「…さざなみ。これからもぼくと、一緒に年を重ねてください。おめでとうを言ってください。ぼくも、さざなみの誕生日は精一杯お祝いします」
パレードの明かりはあるものの、薄暗い空間でもわかるくらい要の頬が少し色づいているのがわかる。
いつもきれいだなと思う横顔に、今もまた同じことを思う。
(あー…やべーかも…)
その薄い唇に触れたくなって、名前を読んで振り向いたところを被っていた帽子で顔を隠し、一瞬だけ口付けた。
「な…っ」
「…どうせみんなパレードに夢中だろ」
「や、やっぱりさざなみはスケベなのです!」
「おいこら、そんなことでかい声で言うなよ」
やがてパレードの最後尾が通り過ぎていくと、パラパラと立ち止まっていた人々も動き出した。
今日の最後の予定がこのパレードだった。もう終わりか、となんだか名残惜しい気持ちになる。
「今日はぼくのお願いを聞いてくれてありがとうございました。とても楽しかったのです」
「ふーん…なら良かったけど」
「もう帰らなきゃいけないなんて、寂しいですね」
「あ、そのことなんだけど」
言わなくていいと言われたものの、HiMERUがホテルを取っていたことを打ち明けた。
「ええ!?!?お兄ちゃんが!?!?」
「言わなくていいって言われたけど…黙ってる方がしんどいし」
「そうなのですか…プレゼントは帰ってから渡すと言われていたので…びっくりしました」
「ま、実際なんか用意してんじゃねえ?」
「もしかして、今日の少し大きい荷物って…」
「そ。着替えとか。やっぱりなと思ったけどあんたの分、あいつが用意してたよ」
たいした荷物にならないだろうと踏んでいたが、思っていたより重量のある鞄に何が入っているのか尋ねると、スキンケア用品や疲労回復アイテムなどが入っているらしい。紫外線にも当たっているから寝落ちる前に絶対にスキンケアをさせてやれ、寝落ちても漣がやれとお達しが出ている。
次の日の着替えくらいしか持って来ず、その他のものはアメニティでなんとかできるだろうと思っている自分とは訳が違った。
「さ、さざなみとホテル泊まりなんて初めてなのです…」
「行く予定なんかなかったから何も調べてなかったけど、結構いいらしいっすよ〜」
予約した本人はものすごくいい部屋というわけではないですが、と謙遜していたが、充分すぎるプレゼントだと思う。
そんなプレゼントのささやかなお返しにお土産を買いたいというので、パレード終わりでごった返す人混みを歩く。
アトラクションの待ち時間は少し長く感じたものの、あっという間の1日だったなと歩きながら思う。
少し進んだところでさすがにはぐれそうだと思い後ろを振り返る。
「……って、十条!?」
すぐ後ろを歩いていたはずの水色が見えない。周りをきょろきょろと見回してみるも姿が見えず、人の波でなかなか見つけ出せそうにない。
それに、だ。
疲れが溜まってきたのかパレード中に鞄を預けられて、そのままスマホ入りの鞄を自分が肩に掛けている状態ではぐれ、連絡をつけようにもつけられない。所謂詰み、な状態だ。
(落ち着け、パレード見てた場所からそんなに離れてねえんだから…!)
あちこち歩き回って探すより、逆にこのあたりにいた方がいいのかもしれない。人が少なくなって探しやすくなるのを待つか?
内心、ものすごく焦っている。あいつの名前を呼びながら大声で探し回りたいのは山々だが、効率と、自分の立場とを天秤にかける。
スマホくらいポケットに入れとけよ、という身勝手な文句や、やっぱり手を繋いでおけば良かったと今更しても遅い後悔が頭をよぎる。
せっかくセットした頭をガシガシと掻いて心の中で「GODDAMN!」と悪態をつく。
神様。神様。なんでいつも、あいつを助けてくれないんだよ。やっぱりクソだ。巽先輩には悪いけど、やっぱり神様になんて祈れないし、頼れない。
今度は絶対に守ると決めた。すぐ文句を言うくせに、本当に困っていることや弱っているところはなかなか見せてくれない。
玲明にいた頃はしょっちゅうべそべそ泣いていたくせに、目が覚めてからこっちは強がってか迷惑をかけたくなくてか、強がって以前より涙を見せなくなっていた。
けど、オレはその涙の美しさを知っている。
泣かせたくない。泣くくらいなら、もっとオレを頼れよ。今のオレは、ちゃんとあんたを守れる。だから——
「…なみ…っさ、ざなみ…」
「っ!」
自分の名前を呼ぶ声に辺りを見渡す。近くにいる。ドクンと心臓が跳ねる。
小さい子どもではないのだから見つけにくいこともないだろうに。人波に飲まれるとこうも見つけにくいものなのか。
「と…十条!手ぇ上げろ!」
周りも自分たちのことだけで、ちらりと一瞥して素通りしていくばかり。こちらとしては注目されずに助かるが。
見回すと、流れる人の頭の先から手を振っているのが見えた。
「そこ、動くなよ!」
すみません、と人波を掻き分けて足速に進む。
手を振っているのはパレードを見ていた位置とほぼ変わらない。なんでそんなとこではぐれたんだ。
ああ、やっと探していた勿忘草色が見えた。
「要!」
「さざなみ…っ!」
振っていた手を掴むと、驚いたように見開かれた蜂蜜色の目にはうっすらと涙が滲んでいた。
人目も気にせず思わずぎゅっと抱きしめると、長い息を吐く。
「ハア…良かった…」
「よ…っ、全然良くないのです!」
少しくらい無事見つけられた余韻を味わいたいのに、ぽかぽかと肩口を叩かれてすぐに体を離す羽目になる。
とりあえず通路の端に行こうと手を引こうとして、「ちょっと待ってください」と引き止められた。
「どうしたんだよ?」
「く…靴!ぼくの靴が行方不明なのです!」
「ハア?」
言われて足元を見ると、確かに履いてきた右足のスニーカーが脱げている。なんでそんなことになるんだよ。
「踵を踏まれたはずみで脱げて…また違う人に蹴り飛ばされてどこかに行ってしまったのです…その上足を踏まれて痛くて動けなくなっていたら、少ししか立ち止まっていないのにさざなみはどこかに行ってしまうし…もう、散々なのです」
「えっ、足踏まれたのか!?大丈夫なのかよ!?」
「だから全然大丈夫じゃないのです!」
「とにかく、足の状態見るためにもどっか座れるとこ行くぞ。おぶるから、ほら、乗れ」
「こんなところでおんぶですか!?」
「しょーがねーだろ、足そんな状態なんだから」
「い、一応歩けるのです。だからさざなみは靴を探してください」
「だから、そうしてる間にまたはぐれるかもしんねえだろ。ちょっとの間だから我慢しろ」
渋々といった風にしゃがんだ背中におぶさった要の言う方へ靴を探しに歩く。
蹴られた程度ならそんなに遠くにいっていないだろう。
すぐに通路脇、歩道との段差のところに一足のスニーカーが避けられているのを見つけた。
「あ、あった。あれじゃねえ?」
「そ、そうです、あれだと思うのです。さざなみ、降ろしてください。自分で取れます」
「いい。その代わり、ちゃんと捕まっとけよ」
要をおんぶしたまま片手で靴を拾い上げて、近くに座れるところがないか探す。
「…さざなみ、鞄、持ちます。全部持たせてばかりなのです」
「これくらい余裕。いいから大人しくしとけって」
むしろこの状態から鞄だけ渡すというのが難しい。それなら座れるところまで行った方が早いと思う。
体の前に回された手に力が入って、横顔に勿忘草色の髪がすり、と当たるのを感じた。
どうした、と言おうとして思っていたより耳の近くで聞こえた声にどきっとした。
「…さざなみ」
「ん」
「…ありがとうございます」
「ん、まあ、こんくらいなんてことねえよ」
「…すきです」
「…ん。……ん?は?ちょっと待った今なんて」
小さな声で呟かれた言葉に思わず立ち止まる。
「…見つからなかったら、どうしようかと思いました。そんなに長く離れていないのに、とても時間が長く感じられて」
見つけた時の涙目と同じように声が震えているのを感じる。
「本当は、手だって繋ぎたかったのです。でも、さざなみが嫌そうだったので…」
「? 嫌そうって…そんな時あったか?」
「入口で、繋ごうと思ったらものすごい勢いで手を引いたじゃないですか」
「え、あ、あ〜〜…あの時な。いや、誤解させて悪ぃんだけど、オレも繋ごうか迷ってたんだよ。んで色々考えてる時に手当たったから、思わず驚いちまっただけで…」
前方にベンチがあるのを見つけて、また歩き出す。
なんだ、手を繋ぎたかったのは自分だけじゃなかったのかとほっとする。
「そうなのですか?」
「だから別に嫌だったわけじゃねえよ。よっと…とりあえず座って。足診るからな」
ベンチに座らせて荷物も置くと、靴下を脱がせて足を軽く持ち上げる。
「まあちょっと赤くはなってるけど腫れてはなさそうだな…指動かせるか?」
「はい、大丈夫そうです…」
「ちょっと押すから痛かったら言えよ」
「……そんなに痛くない、です」
「…良かった…あんた、意外と頑丈だよな」
「意外とはなんですか」
「いや、リアクションが大袈裟だから心配すんだよ」
普段は平静を装ってるのに、興奮した時やパニックになった時はやたらオーバーリアクションのことが多い。
まあ、大事ないのが一番だとは思うけど。
「エントランスまで歩けそうか?」
「多分…」
「こういうの、後から痛くなったりもするしな。とりあえずホテル行って様子見するか」
無事見つけた靴を履かせて、再び荷物を持って。スマホだけ持たせてやろうと思ったが鞄くらい持てるというのでそのまま鞄も渡してやる。
歩き出そうとして、そうだ、と横顔を見て手を差し出した。
「…ん」
「!」
「歩けるか?」
「大丈夫なのです」
「しんどくなったら遠慮せず言えよ。あんた痩せ我慢しがちだから」
「さざなみが手を繋いでいてくれるので、どこまででも歩けそうなのです」
差し出した手を嬉しそうに握り返されて、つい口元が緩む。
ああ、人目なんて気にせずに最初からこうしていれば良かった。
「お兄ちゃんにお土産を買って帰るのです」
「あ、そうだった…。ま、オレもなんか買わないと特におひいさんがうるさそーだしな…。あんまウロウロせずにさっと買っちまうぞ」
そう言うと、少し痛いくらい手をぎゅっと握られた。顔を見るとなんだか難しい顔をしていてどうしたのかと心配になる。
「うお、なんだよ、足痛かったか?」
「…ぼくとデートしているのに他の人の名前を出すの禁止です」
「………わかった、気ぃつける」
普段会話をする上でユニットメンバーの名前が出るのはしょうがないのに、そんなことといってはなんだが、そんなことで嫉妬するのが可愛くて、禁止にされると会話が成り立たなくなりそうなのに思わず了承してしまった。
さっきから可愛いことを言われすぎで、正直悠長にお土産を見ている時間が惜しい。
早くホテルで二人きりになりたい。歩き詰めで疲れているだろうから、正直甘い時間が持てることにあまり期待してはいないが、男の性かどうしても無心ではいられない。
お土産を買ってホテルにチェックインをして、予約した部屋に入るとパークへ入った時と同じように要は興奮して部屋を見て回っていた。
仕事でビジネスホテルはよく泊まるし、少し高めのホテルを用意されることもあるが、部屋は広いしパッと見ただけでも豪華な雰囲気で高揚感を覚えた。
「お兄ちゃんにどうお礼を言ったらいいでしょうか…!電話したら出てくれますかね!?」
「あ〜…、まあパーティーとか終わってると思うけど、二次会とか色々あるっぽいし、明日帰ってからでいいんじゃねえ?土産渡すついでに感想言ってやれよ」
「そうですか…確かに、直接言ったほうがいいですよね。うん、そうすることにします」
記念に、と要は室内の写真を撮ってからツインベッドの片方に腰掛けた。
「ベッドもふかふかですよさざなみ!それに、ほら、手を広げてもまだこんなに余裕があります!」
楽しそうにベッドに寝転んで両手を広げたかと思えば、思い出したかのようにお土産袋から何かをがさがさと取り出した。
「そうだ、お兄ちゃんの代わりにこの子も一緒に寝るのです!」
「そういやなんか買ってたな。あんたそういうの買うんだな」
取り出したのは程よいサイズのテディベア。一緒に寝転ぶ要の近くに腰掛けてその様子を眺めていると、ふふんと自慢げに笑ってみせた。
「これは、実はお兄ちゃんへのプレゼントです。以前HiMERUのバースデイベア…でしたっけ、くまのぬいぐるみをくれたことがあって。でも、あれは『HiMERU』がもらったものでしょう?だから、お兄ちゃんにも持っていてほしかったのです。その…全く同じではありませんけど」
正直、ぬいぐるみを持っていても持て余すと思って譲ったんだろう。
でも、このはにかんだ笑顔に無粋なことは言えず、ただ喜ぶと思う、と返した。
「…つーか、そのぬいぐるみと寝んのもいーけど」
ベッドに膝を乗せて、テディベアの小さな手を弄んでいる要の手をベッドに縫い止める。
所謂押し倒し、の状態だ。
「オレとは一緒に寝てくんねーの」
「え、あ、だって、ベッド、ふたつありますし」
「別にどっちかだけでもいいだろ?こんなに広いんだし、十分だろ」
白いベッドシーツに広がった勿忘草色の髪がなんともいえずきれいで、パーク内にいた時から耐えていた感情が溢れそうになる。
まだ手に握られているテディベアをそっと枕元に置いて、そのまま頭を下げて口付ける。
何度も何度も、小さなリップ音を立てて吸い付いて。舌を絡めるようなキスはまだわからない。でも、これだけでも充分満たされると思った。
鏡合わせのような色の瞳を見つめると、ふるりと長い睫毛が揺れる。
ああ、本当にやばい。
余計なことをしないように、手はシーツに縫い止めた手首から指先へ絡めて。
唇の感触に夢中になっていると、いつのまにか鼻から抜ける声も、身動ぎする感覚もなくなっていることに気づく。
まさかと思って顔を離すと、目は優しく閉じられていて、ほぼ寝落ちている状態だった。
甘い空気から一変、肩を揺らして呼びかける。
「待て。ちょっと待て、お前寝たら一晩起きねーんだから!寝る前に風呂入っちまうぞ!」
上半身を起こして寝ぼけ眼の要を無理やりにベッドから下ろし背中を押して、とりあえず洗面所に放り込む。
「着替えとか洗顔料とか、鞄漁ってもいいか?」
「んー…おまかせします…」
多分兄が普段使っているものを色々持たせているはずだと、それっぽいものを探して洗面所に戻ると、すでに上半身は服を脱いでいるところだった。
生殺しの状況にごくりと生唾を飲んで、持ってきたものを押し付ける。
「お湯張っとくからゆっくり浸かれよ。上がったら足マッサージとかしてやるから。てか、踏まれたとこは大丈夫そうだな」
のろのろと浴室に入ったのを確認して、大きな息を吐いて寝室側の扉にすがる。
(まあ、普通に疲れてるよな…ゆっくり休ませてやるか…)
関係を進展させるのは、焦らなくてもいつでも出来る。とりあえず今回は要の機嫌を損ねないこと、体調管理が最優先だ。浴槽で寝ていないか、しばらくしたらまた声をかけよう。
待っている間に兄のHiMERUに写真を送っておいたが、なかなか既読もつかなかった。
そんなこんなで問題なく風呂から上がった要に、鞄に入っていた見たこともないパッケージのスキンケア用品を顔に塗りたくり、寝落ちそうな顔にパックを貼り付けて、数分経ちパックも剥がすとベッドに転がした。
なんだか日和の世話をしているみたいだなと思ったが口には出さなかった。
「足のマッサージしとくからな。寝るなら寝ていいから」
「んー…さざなみは寝ないのですか…?」
「まだ風呂入ってねえし。色々終わったらちゃんと寝るよ」
「あの…隣で…寝てくれますか…?」
ぎゅう、と枕元においてあったテディベアを抱きながらそんなことを言ってくる。
隣で寝てるのはむしろそのぬいぐるみの方だろう。
「…っお、おう、そのつもりだけど」
「…良かった…おやすみなさい、さざなみ…」
「ん。おやすみ」
額にかかった髪を退けて、そっと頬を撫でる。
「さて、と…」
用意周到にボディオイルまで鞄に入れてあり、それを手に取ると蓋を開けて手に垂らす。
日和にやらされてきたせいで、もはやマッサージ師の資格が取れるのではないかというほど腕は上達したと思う。慣れているはずなのに、恋人の体というだけでだんだんといけないことをしている気分になってきて手が止まる。
すらりと伸びた足に腕、きちんとケアされた肌。本当は、もっと触れたい。こんな風に一方的じゃなくて、求め求められて。
といっても、要がそれを望んでいるはわからない。なんとなく、嫌ではないんだろうなとは思っているけれど。
最近は起きていることが多いが、再会してからこっち、要は随分眠り姫だったなと思う。いつも見下ろすのは閉じられた瞼で、色の薄い唇で。
血色のある頬を見つめて、今日一日を思い返して無事に終えられて良かったと思う。
もう二度と、失わない。持ち上げている足の甲、誓いを込めてそこに唇を寄せる。
手早く終わらせて、自分も横になろう。——早く、抱きしめたい。
マッサージを終えるとやっとシャワーを浴びることが出来た。自分のことも全て済ませると、要の寝ているベッドに横たわる。
足が浮腫んでいる感覚があったが、もう自分でマッサージする気は起きなかった。
「…十条」
小さく呼びかけても、もちろん起きる気配はない。
胸に抱かれている小さなくまのぬいぐるみごと抱き寄せる。温かい。それだけでほっとする。
「…あんた、ちゃんとここにいるんだよな」
偽りでもなくて、代わりでもなくて。幻でもない。
『…すきです』
靴を無くして、おぶった時に言われた言葉。ああ、その返事をしてなかったと思い出す。
「…好きだよ、オレも。あんま面と向かって言えねえけどさ…こんな風に思うの、あんただけだ」
これからは、要が望んだこと、望んだ景色、自分が叶えられるものなら全部叶えてやりたい。
失った時間を埋めるみたいに。一緒にいられなかった時間を取り戻すみたいに。
だんだんと瞼が重くなってくる。寝ている間にどこかに行ってしまわないように、もう一度抱き締める腕に力を込めた。