月曜日 さて困った。
ドクターの膝の上には現在進行形で、でかい龍の顎が乗っている。寝息はゆっくりと深い。数日ぶりの深い眠りに落ちているらしい。龍門に来るのも久しぶりで長いこと会っていなかった恋人の様子を見に来ただけなのだが、ちょうどリーの方も長く関わりあっていたらしい大きな仕事を片付けてきたところだったようだ。
───仔細について、時を巻き戻そう。
事務所をノックしようとしたドクターと下からふらふらと上がってきたリーとが相対したのがついさっきのこと。
「あれ、ドクター。来てたんですかい」
目がしょぼしょぼとしていたリーはへらりと笑ってみせたが、目の下の疲労が隠せていない。
「お待たせして申し訳ありません。リー探偵事務所へようこそ」
「あー……、うん。今きたところでね。龍門の近くまで来たから立ち寄ってみたんだけど……大丈夫?」
ドクターが思わず「またにしようか」と言いかけるが、リーは手のひらで顔をゴシゴシと強めにこすった。
「大丈夫ですよ。ちいと珍しく仕事が重なってましてね。でもちょうど今朝ぜんぶ片付いたとこなんです。ま、依頼人への報告書なんざはありますが……。今日は事務所も休みにしちまおうかなってくらいに思ってたとこなんで。ガキどもの話も伺いたいとこですし、ドクターがお昼まだだったら一緒に何か食べにいきましょうか」
どうです?なんて盃を干す仕草をして、その手で帽子で持ち上げると口元を隠しつつ、ぎゅっと目をつむって顔を横に向けて大きく深呼吸をした。相当眠そうだ。
「あー……。とりあえず歩いてきて疲れたから一旦中に入れて欲しいかな」
「おや、一人で来たんですかい?」
ドクターはリーの質問に少し迷ってから頷いた。ぎりぎり近くまでは馴染みのオペレーターに送ってもらったので安全については確保されているが、多少の距離を歩いて疲れましたは通るのかと思ったからだ。でもその様子からリーは全てを見透かしたようにうっすらと口の端に笑みを絶やさない。
「そうですか。いいですよ。じゃあお茶でも出しますんで。あー、でもお客さんに出す方の茶葉がいま事務所のほうきらしちまってるんで。散らかってますけどおれの部屋のほうでもいいですかね」
「かまわないよ」
「んじゃ、どーぞ」
リーは事務所の入り口にかけられたプレートを不在から本日終了に掛け変えると、ドクターの先に立って歩いて行く。
バランスをとって左右にゆらゆらとする尾を見ながら、ドクターはリーの後ろをちょこちょことついていった。
「あぁ、メールも出してくれてたんですね。すみません、最近メールも見れてなくて。あ、ガキどもからもなんか来てた。……ま、こりゃ後でいいか」
たしたしと端末を操作してそれで画面を閉じたらしい。
お待たせしましたなんて言いながら出してくれたお茶は普段通りに美味しいとドクターは感じたが、リーは茶器を手で包むように持って、ゆっくりとした動きで腰を下ろした。
「昨日は徹夜かい?」
「さすがにわかりますかい? まあそうなんですけどね」
横並びに座っている恋人の顔を見ながら尋ねたドクターの問いに、リーは今度こそごまかさずにフワァと横を向いてあくびをする。その目元をそっと伸ばしたドクターが撫でた。リーは気持ちよさそうに目を瞑り、撫でられるままになっている。
「また来るよ。今日は眠った方がいい」
「うーん。……いやです」
リーはぎゅっとドクターの手をつかみ、唇に指先を充てた。
「嫌かい」
「帰しちゃったら、またしばらく会えないでしょう」
「まあ、そうなるね」
「それは、いやです」
ずるりと力を抜いてもたれてくる長身をドクターはなんとか両腕を広げた己の体で支える。どうやら眠気で少し甘えたになっていると思った。
「いやかぁ……。じゃあ膝を貸してあげるから、少し寝たらどうだ」
枕になっている間は帰れない、とドクターのふざけたつもりの発言に、触れていたリーの体がピクリと身じろぎする。
「ドクター…」
「ん?」
「魅惑的なお誘い過ぎるんで、ちぃとでいいんで本当にお願いしてもいいですかね」
リーは言うが早いか、ずるりと遠慮なく膝に顔を(正しく言うなら顎を)埋め、満足そうにふぅと吐息をついた。
「ああ、具合がいいです。じゃ、ちょこっとだけ、失礼しまーす」
そしてしばしの沈黙の後、そのまますうすうと寝息を立て始めてしまった。
「え…?」
───そして今に至る。
端末を開いてみれば30分ほど。
元々スケジュールは空けてきているから時間に問題はない。届いていた細々した問い合わせを整理してしまうとやる事がなくなって、ドクターは時間をつぶすのに困っていた。
また、人の頭が意外と重くて膝が痺れることにも気づいた。たまにリーの腕を枕にしていたドクターとしてはやや反省する。
反省はするが暇は暇なので、端末にあるメールを読むのに飽きたら机に積んであったぎりぎり手が届く雑誌をぱらりとめくってみたり、膝にある髪を梳いた。普段は触れられない角の部分や、触ってみたかった(エラ?)ひれのところを素手でなぞるように触れる。そろりと確かめるようにそわせた指先がくすぐったいのか痛かったのかで腰に回された腕の力が強まり、慌てて辞める。ならばとこの機にと端末を開いて写真整理などもしてみたが単調な作業にすぐ飽きてしまう。
「(なにより膝が痺れて辛い。)───リー、リー、ごめん、起きて」
「ん、あ?」
起きなかったらどうしようと思いつつ、ドクターがリーの肩を揺すぶると意外とすぐに応えがあって、ゆっくりとリーが体を起こした。
「すみません……どれくらい、ねてました?」
「まだ30分くらいしか経ってないよ。申し訳ない。もっと寝かせたかったんだけど私の足が痺れてしまって」
「いえ……おれの方こそ、ドクターを枕にさせちまって申し訳ない」
実に贅沢な枕でしたという語尾のかすれに、ドクターが一言断りを入れて乱れた髪を撫でつける。するとリーは眠そうな顔をしつつもドクターの手に顔を押し付けるように強めにすりつけてくる。
「なんだかいつもと逆だね」
「んー……、はい?」
「いつもは君が私を甘やかしてくれるのに、今日は反対に私が君を甘やかさせてくれている気がするよ」
さりさりと仕上げに首筋を二度ほど掻いて離れていく手を惜しむように、リーは自分の首筋を手の甲でこする。
「なんですかそれ。おれは自分のしたいようにしかしませんよ」
あふぅと変な息を吐いて、両手を上げて体をそらしてポキパキと体から謎の音を出したリーは、よしと声をかけて立ち上がった。
「ありがとうございます、ドクター。寝たらちょっとはマシになったんで仕切り直させてくださいや。まずは外で何か腹に入れましょう」
そうして伸ばされた手をドクターはつかめなかった。
「ごめん、足まだ痺れてるから、もうちょっと、このままで」
このたいへんかっこうわるい告白に、リーが笑うまでがこの話の顛末。