プロポーズは食卓 パッパーというクラクションの音と光が二人の隣を通り過ぎていく。リーが片手を上げていたが華麗にスルーされた。
なぜなら二人の衣服は……いや、細かくは言うまい。とりあえずライトを照らした程度の見た目でタクシーがスルーレベルも仕方あるまいという汚れた風体をしていたことが伝わればいい。
二人は他の小隊とは別行動で、とある富豪の屋敷に潜っていた。それはもちろん作戦任務で潜っていたのだが、その途中運悪くドクターはワインをぶちまけられ、リーは頭からパスタをぶちまけられた。
結果的に騒ぎを起こすことがなく済ませられたのだから、この汚れは名誉の汚れである。いや嘘だ。汚れに名誉とかはいらない。
富豪の屋敷では今頃大騒ぎで、服や見た目を整える余裕がなくそそくさと逃げるようにここまではたどり着いたのだが、見た目が怪しい二人にタクシーは冷たかった。
別の小隊が合流を待っているポイントまで向かうためには移動手段が欲しいところだが、あいにく二人にはタクシーを蹴られるとすぐに用意が思い浮かばない状況だったのだ。
「リー、今何時かわかるか」
ドクターが目深に被ったフードを引く。
「さぁて、一応お月さんの様子からしてまだ日付は変わってないと思いますが」
二つの月の様子を仰いでリーが答えた。
「君の事務所の方がここから近いよな」
「そうですね」
「みんなと合流してロドスに戻ったらまずはシャワーだと思っていたが、みんなには先に帰ってもらって私とリーは君の事務所に寄る方が合理的だと思っている。家主の意見を聞きたい」
すれ違う人がチラチラと見て通り過ぎていくのをリーはじとーっと横目で見て、頷いた。
「全員は無理だったんで言いませんでしたけど、ドクターがうちでいいってんならおれはそれでいいです」
「わかった。私とリーは今から別行動にさせてもらおう。ちょっと待ってくれ。連絡する」
「はい」
ドクターはポケットから端末を取り出すとコードを打ち込んだ。ややあってからコールが鳴り、ドクターが繋いで手短に現在の状況を伝えて端末の通話終了ボタンを押す。
「許可が降りた。現時点で作戦は完遂したとみなして撤収するらしい。私も君も今日はこれで仕事終了だ」
「そうですか。じゃあうちに行きましょう。早く落とさないとシミになりますよ、それ」
「一丁羅をダメにしたくはないからそうしよう」
ドクターは汚されたシャツの前を改めて嫌そうに引っ張りつつ、歩き出したリーについて行った。
・・・
事務所に入って、リーもドクターも深い息を吐く。
「風呂入れてきます」
「とりあえずこのベタつきをなんとかしたいから早くシャワーを浴びたい。どうせだ。二人でまとめて洗ってしまえばよくないか」
「おれはまあいいですけど」
ドクターがタイをむしりとり、シャツの前を開けて事務所兼リー宅のバスルームへ向けて歩き出す。二人は恋人同士でもあるので、プライベートで泊まったことも幾度かある。だからどこに何があるかはドクターも大体把握していた。リーが今度は逆にドクターへついて行き、彼の脱いだ衣服を受け取って無造作に丸めると最後にシャツを洗面所に置いてあったバケツの中に押し込んだ。
「クリーニング出す前に浸けておけば多少マシになるかもなんで」
「リーのも早く脱いだ方がいいぞ、襟元にパスタのソースが染みついてる」
「うへ、これもおれの一丁羅なんですけど」
「クリーニング代は今度のかかった経費も含めてロドスに請求してくれ」
「じゃあドクターの服もおれが預かってまとめてクリーニングに出しておきますよ。あ、ドクターの着替え取ってくるんでお先にシャワーどうぞ」
「ありがとう」
下穿き以外脱ぎ捨てたドクターにバスルームの扉を開けて先に通すと、リーはクローゼットからドクターが以前泊まった時に用意した着替えと自分の分を持ってきて置く。
そしてシャツに手をかけて、リーは鏡に映った己の不憫なシャツを見下ろしてため息をついた。
「落ちるかな、これ」
・・・
さっさと服を脱ぎ捨ててドクターを追って中に入ったリーはもたもたとしていたドクターを手早く洗い上げて外に押し出し、自身の汚れた体を手早く洗って外にでた。
バケツに突っ込んだシャツをひっくり返し、軽く手を洗ってリビングとしている部屋に戻る。すると髪が濡れた状態で着替えを終わらせたドクターがソファにあぐらをかいて小型端末を取り出して報告書を書いていた。
「まーた髪を濡らしたままで。風邪ひきますよ」
「問題ない。リーが暖房をつけてくれているから暖かい」
「髪が傷むでしょうが」
垂れる雫をタオルで拭い、リーは洗面所から持ってきたドライヤーで彼の髪を乾かす。気を抜くとアなどは体を揺すって水気を飛ばすが、ドクターはされるままじっとしているのでやりやすいとリーは思ってすらいた。
「はい、終わりましたよ」
カチリとドライヤーを止めると、ドクターの腹からクルル……きゅるぅと音がする。
「おや」
ドクターも珍しそうに自分の薄い腹を見下ろした。
「───すまない。どうやらお腹が空いたらしい」
「もうだいぶ遅いですしね」
壁にかかった時計を見て、リーが肩をすくめた。
「みなさんがた、ロドスに戻れましたかね」
「さっき帰艦した連絡はもらった。これから有志で飲みにいくらしい」
「元気ですねえ」
リーは「何か拵えるんで」と言いながら台所に引っ込んだ。ドクターはそれを礼を言って見送り、また端末に視線を下ろした。
しかしそこから数十秒も経たずにリーのうめき声がして、ドクターは再び顔を上げる。
「どうかした?」
「うーん……そういや今日ほとんどなんもなかったんですよ」
頭を掻きながらリーが戻ってくる。
「ほら、ロドスに戻る予定だったでしょう。冷蔵庫に貯めといても仕方ないって思ってあんま食材入れてなかったんですよ」
「ああ、なるほど。私は食事を抜いてもかまわないんだが」
ドクターの言葉に、リーが途端に渋い顔をする。
「おれが気にします。あーもー。───作れるもんはなーんもないんですけど、昨日のメシのあまりで手をつけてないやつと米の冷凍してあるストックならあるんで。食べないよりいいですよね」
「あ」
「いいですよね?」
ドクターに答えさせないようにリーは言葉を継いでにこりと笑った。
「あれならもうあっためるだけなんで、ドクターはテーブル片付けといてください。はい、今日の仕事はおしまい」
ドクターの手から端末を取り上げると、リーはそれを閉じて棚に上げてしまった。そのまま台所に向かってしまったので、ドクターは言われた通りに机の上にあるものを横に寄せて箸や椀を渡されたまま並べ始めた。
「はい、おまちどおさま」
程なくして白米と青菜の炒め物、何か謎の煮物、漬物と汁椀が並んで、何もないという言葉とは裏腹にきちんとした食卓が整った。
「豪勢だな」
「そうですかね? 汁はインスタントですからおれは今日何もしてないですけど」
余り物と言った通りで二人分に分けたせいか量が普段リーが出してくる量からは遥かに少なかったが、ドクターはリーのすすめに従って椀を手に取って食べ始める。
青菜はダシを吸って、くたりとはなっているがご飯にとてもよく合ったし、煮物は根菜と何かの鱗獣を煮たらしいコクがそのまま根菜に染み込んでいる。二日目のせいか根菜に箸が簡単に突き刺さり、そのとろとろ加減がご飯によく合った。
お腹が減っていたこともあり、ドクターはせっせと箸を動かす。
「うまいですか」
リーの言葉に、ドクターは声もなくうんうんと頷くことで答えた。
「そいつはよかった。メシならまだストックありますんで、いくらでもどーぞ」
リーはドクターに渡した三倍はあろうかという丼飯に漬物を刺してお湯をだばだばとかけていた。それを箸で突き崩し、ズルズルと掻き込んでいくその速さにドクターは箸を止めてただ見ていた。
「───なんです? そんなに見られちゃ恥ずかしいんですが」
咥え箸で行儀悪く笑うリーに、ドクターも笑う。
「いや、君の家族は幸せだなと思っていた」
「へえ。どうして?」
リーは汁物に手を伸ばす。
「余り物だと言うけど、君の料理……これ君のだよな? 前に出してくれたものと系統が同じだし。とても美味しいよ。食卓を囲んで、こういうのを食べてワイフーたちと何か話すんだろ? 美味しいものは話も弾むからね。そういう日々があったのなら彼らの事情を知らないので言っていいのかわからないが、君との出会いは間違いなくよいものだったのだろうなって」
ドクターは言いながら青菜を口に含んだ。汁物を飲み干したリーは、しばらく黙っていたが頬杖をついてドクターを見る。
「ねえドクター」
「ん?」
白米を食べ終わり、最後のおかずを頬張るドクターにリーは笑いかける。
「ドクターがその席に一緒につきたいと、そう願ってくれるのなら。おれはいつでも叶えられますよ」
飲み込んで箸を置いたドクターは沈黙の後、わからないというように首を少し傾げた。
「つまりはね。ドクターのいうことは家族の食卓ってやつですよ。ドクターが家族としての食卓を望めば、叶うかもしれないってことです。
───ていうかそれってもう一緒の卓を想像したってことでしょう。そう言う意味の言葉でとっていいですよね」
リーはそう離れていなかったドクターの箸を置いた手を取り、手を少しだけ上下に小さく振りながら喋り、言葉の最後に指先にキスを落とす。
ややあって、ドクターの中で先ほどの会話から導かれた結果としての結末が算出された。
「えっあっ、いや、そういう、そう言う話ではなくね?」
「ドラマでは見たことありますけど、ドクターがねー。そういう風に家族になりたいってプロポーズしてくれるとはおれ思ってもなかったですよ」
リーの尾鰭がゆらりゆらりと動く。これは彼が相当ご機嫌な時だとドクターは知っていた。
「ぷ、プロポーズじゃないよ!」
「プロポーズってことにしましょうよ。いや、プロポーズですよ。おれはあなたと家族になりたいですし、ガキどもだって否やは言いませんとも。というかおれのこの後の一生がかかってる時にそんなこと言うならおれの家族はドクターだけでいいです」
喋りながら興奮してきたのかドクターの手を握る手はしっかとなり、ぶんぶんと彼の尾がペッローのように動く。
「子供たちを除いたら、いきなり家族の食卓の前提が破綻するだろ」
ドクターが思わずツッコむと、リーはニヤリと笑う。しまったと思う間も無く、リーはドクターの腕の中にすっぽりと包まれた。
「はは、じゃああいつらとおれとドクターで家族ですね。嬉しいな〜」
体に巻きついた尾の暖かさとほのかに香る同じ石鹸の匂いの中に混ざるリーの匂いに包まれながら、ドクターは「まあ、いいか」とリーから送られた口づけに付き合って目を閉じた。