(未定) 月明かりが明るい夜だった。藍色の空に魚の腹のような月が浮かんでいて、それは細く、儚げに見えて、この宵闇の唯一の光であり、頼りの糸のようだった。
雑に肩に引っ掛けられた着流しからのぞくほっそりとした首もとはまるで空に浮かぶ白魚によく似ていた。それに見惚れていた、というより、じっと目に焼き付けていた。
「火鉢を入れるか?」
四半時ほどしたかもしれない。潮江文次郎は静かな宵闇の静寂を破って、同室の背に話しかけた。
3月の夜はまだ冷える。空を仰ぐために開けた窓のそばならなおのこと。動く気のない薄い肩に羽織をかけながら返事を待つと、こちらを向かないまま仙蔵は頭をふった。その代わりに側を手で小さく叩いた。言わずもがな座れという意図だと分かる。
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