全て春のせいにして(お題:春/グルアオ)「グルーシャさん、今度近くまでお出かけしませんか?」
突然の誘いに驚いて隣にいるアオイに目を向けると、血色の良い頬でぼくを見ていた。
場所はナッペ山ジム内にあるぼくの控室。
彼女はよくふらっとここを訪ねては、お茶をしたりバトルをしたりして夕方には帰って行く。
何度か事前にアポを取るように注意しても、本人は全く聞く耳を持たない。
彼女曰く、急に現れて驚いたり呆れたりするぼくの顔を見たいから…らしい。
正直意味がわからないけれど、仕方ないなと受け入れてしまっている自分もいる。
…理由はなんであれ、密かに想いを寄せる相手が わざわざぼくに会いに来てくれるのであれば、嬉しいことこの上なかいからだ。
うん。
話を戻して、ぼくはアオイにどこに行きたいのかを問う。
「北三番エリアです」
「むむ。あそこに何かあったっけ。何もなかった気がするけれど…」
「この前通った時 綺麗なお花畑があったので、グルーシャさんも一緒にどうかなって…」
途端にもじもじと話し始めるアオイに対して、心臓がぎゅっと縮まったような気がした。
それを悟られないように気をつけながら、さらに問いかける。
「別にいいけれど、一緒に行く相手がぼくでいいの?
学校の友達だとかを誘った方がいいんじゃない?」
「い、いいえ!私はグルーシャさんと一緒に行きたいんです」
思った以上に勢いのある返事にたじろぎながらも、それなら行こうかと告げる。
念のため今後のスケジュールを確認するため、ぼくのスマホロトムを取り出す。
しかし…。
「ごめん。来週以降はちょっと難しいかもしれない。
いろいろ予定が入ってた」
夏が始まる前にはアカデミーの宝探しが始まるから、来週以降ポケモンリーグでの用事やジム内の仕事などで結構立て込んでいた。
そのため出かけることは難しそうと伝えたら、アオイは干からびたキマワリのような顔で落ち込んでいる。
…そんなに?
「今日でもいいなら、今から行く?」
ちょうど今は閑散期で、そうでなくてもこのナッペ山ジムに訪れる挑戦者の数なんて少ないから、二時間くらいであれば外に出ていても問題ない。
もしその間に挑戦者が来てしまえば、急いで帰るだけだ。
それにできることなら、好きな子の悲しそうな顔はあまり見たくない。
…サム過ぎるし、結構公私混同してしまってるから口には出さないけれど。
「え、いいんですか!?もし戻らないといけなくなったら、ミライドンで飛ばしますね!」
ぼくの提案に飛びついた彼女は、嬉しそうに笑っていた。
それならばと早速出かける準備をした。
ジムスタッフの一人にこれから出かけることと、もし挑戦者が来ればすぐに連絡をしてほしいことを伝えた。
付き合いの長いスタッフだったからか、気にせず楽しんでほしいと妙な表情で言われたけれど なんのこととはぐらかすのがやっとだった。
アオイと一緒に裏口から外に出ると、彼女はミライドンというライドポケモンを出した。
背中に跨ると、自分の後ろを指差しながらこう言った。
「グルーシャさん、私の後ろに乗ってください」
「わかった」
よいしょと勢いつけて跨ると、彼女との間に少し距離を空けつつ座りの良いポジションを見つけてそこに腰を下ろした。
すると彼女はくるりと後ろを振り向くと、もっと詰めないと危ないと指摘する。
「いや、踏ん張るから大丈夫」
「ダメです!落ちて怪我なんてしてしまうと大変ですし、もっと私の方に近づいてください」
流石に成人男性が、未成年の女の子にぴったりくっつくのは憚れる。
とりあえず拳一個分のスペースを空けたけれど、それでも彼女は納得しなかったようで、ぼくの両腕を取ると自分の腰に回させた。
えっと思った時にはもう出発を告げられて、結局密着状態で移動することになってしまった。
大きく高鳴る鼓動がアオイに伝わらないよう気をつけて、道中は別のことを考えながら微かに香る彼女の匂いから意識を逸らそうと必死で頑張った。
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通常の登山道ではなく、雪山を登ったりそこから滑空したりとショートカットを繰り返しながら自由に走り回った結果、思ったより短い移動時間で目的地に到着した。
歩くとかなりの距離があるからあまり行ったことがない、北三番エリア。
ライドポケモンから降りて辺りを見渡せば様々な色の花が咲いていて、圧巻だった。
雪山を下りた上に春という季節からか、少し暑い。
手袋を外して上着のポケットに入れると、続いてマフラーと上着も脱いで腕にかける。
「グルーシャさん、こっちです」
ライドポケモンをモンスターボールに戻すとすぐにアオイは歩き始めていて、ぼくとの間には既に距離が空いていた。
呼ばれた通りにあの子のところへ行くと、彼女はまた歩き始める。
彼女が言うには、花見にとっておきの場所があるらしい。
歩いている間、暖かくて優しい風が吹いて 花びらが舞い上がる。
どこからかフラージェス達がやってきて、ふよふよと浮かびながら彼女の周りを取り囲んでいた。
その様子にアオイははにかみながらポケモン達に手を伸ばす姿が、あまりにも幻想的で、どこか遠くへ連れ去られてしまうんじゃないかという不安に突如襲われる。
なんの根拠もない不安感。
気がついた時には、アオイの元に駆け寄って彼女の小さな手を握りしめていた。
「グルーシャさん…?」
驚いた顔をこちらに向けて、そこでぼくはようやく自分がしていることを認識する。
「ご、ごめん…!」
慌てて手を離そうとしたけれど、ぎゅっと握り返されてしまって解けない。
「あ、あのちょっと足場が悪いので、手を貸してもらえると助かります…」
ほんのりと顔が赤いような気がするけれど、ぼくが都合の良いフィルター越しで見ているからだろうか。
つられてぼくの顔も火照っているような気がする。
お互い無言のまま歩き続けるとたどり着いたのは、大きな木がある場所。
そこはさっきまでいた場所以上に花が咲き誇っていて、圧巻だった。
「…すごいね」
「ラッキー追いかけてたら、たまたま見つけたんです。
すごく綺麗だったので、グルーシャさんにも見せたいなって思って。
あそこの木の下でゆっくり見ましょう!」
手を繋いだまま木の根元まで歩くと、二人で腰掛けた。
会話はないままだったけれど、一緒に景色を眺める。
交友関係が広いアオイが、この景色を共に見たいと思った相手がぼくで良かったと思う。
…他の誰とも違う、特別だと言ってくれているようで、優越感に浸れる。
「わっ!」
突然強い風が吹き上がって、思わず目を瞑る。
風が止んで小さく叫び声を上げたアオイの方を見ると、目の中に何か入ったようで瞬きを繰り返しながらそのまま目を擦ろうとしていた。
瞳が傷つくからと止めさせると、まだ中に入っていないか見てほしいと言われる。
丸みを帯びた頬に触れると、彼女の顔を覗き込む。
目の中には特にごみみたいなものは見当たらなかったから、瞬きしている間に取れたんだと思う。
それを伝えようとしたけれど、チョコレート色の瞳にぼくの顔が映っているのが見えて。
気がついた時にはそのまま唇を合わせていた。
思った以上に柔らかいなと思ったと同時に、ぼくは一体何をしているんだと冷や水を浴びたように急に正気に戻る。
慌てて口を離せば、アオイは真っ赤な顔でぼくを見ていた。
か、完全にセクハラ事案だ…!
アオイとは付き合ってもなければ、好きだとも伝えていない。
彼女がセクハラだと訴えれば、言い逃れはできないし どう転んでもぼくの有責だ。
謝って済むことじゃ全くないけれど、すぐに謝ろうと口を開こうとした時だった。
「い、嫌じゃないので…もう一度いいですか?」
どどどと心臓が力強く波打っていて、他の音がかき消されるくらいうるさい。
いきなり手を繋いでしまったのも、キスをしてしまったのも全て、全て雪山とは違う暖かな春の陽気に当てられたことにして、ぼくはもう一度アオイに口付けて 小さな体を抱きしめた。
終わり