『自転車』 最近、ジュンはサイクリングにはまっている。
といっても本格的なものではなくて、のんびりと、ひとり気ままにどこかへ走っていって、辺りを散策しているらしい。
オフの度に出かけては、行く先々で見つけた些細な出来事や喜びを写真に収め、メッセージを添えて茨に送ってくる。例えば野良猫とか、どこかの喫茶店のプリンとか。懐かれてる、美味そうでしょ、とメッセージも一言だけの本当に簡単なものだ。そのため茨が返信することもほとんどない。
しかし、仕事中、プライベート用のスマートフォンが、ぽこん、ぽこんと二回音を鳴らすのを、ひそかに楽しみにしていることに、茨はきちんと気づいていた。
それでも、そのことをジュンに言うことはない。なぜならキャラじゃないから。単純なことである。
そんなジュンは、今日もどこかへとサイクリングに向かった。
ジュンだけが休みの場合だと時間帯はバラバラのようだが、今日のように二人ともが休みの日、ジュンは朝早くに出かけていってお昼頃に帰ってくる。
オフとは言え、外せない仕事の連絡があったりもする茨が気を使わないように、午前中を空けてくれているのかもしれないし、あとは、その、なんというか……前夜の名残を色濃く残す姿というのが、未だむず痒くてあまり見られたくないという茨の気持ちを、汲んでくれているのかもしれなかった。
とにもかくにも、午前中はそれぞれで過ごし、ジュンが帰ってきたらまた二人の時間、というのがここ最近の休日のルーティンである。
今朝も、まだ肌寒い7時ごろ、ベッドで毛布に包まり狸寝入りをする茨の頬をふわりと撫でて、行ってきますと律儀に挨拶してからジュンは出かけて行った。
「……恥ずかしいやつ」
優しい指先も、起こさないようにと顰められた甘い声も、毛布に残る微かな残り香も。それはそれは居心地が良いと思いながら、茨はひとり小さく呟いた。
さて、ジュンが出かけてから三時間ほど経ったころ。茨は二度寝から目を覚ますと、身支度を整え洗濯物を干し、簡単に掃除と仕事もとこなしていき、12時をまわる頃にはジュンの帰りを待つだけとなっていた。
そろそろ帰ってくる時間ということは、何かしらジュンから今日の発見が届いているだろうと、茨はスマートフォンを確認する。しかし、プライベート用にも仕事用のスマートフォンにも、特にメッセージは来ていなかった。
てっきりバタバタしていて通知音が聞こえていないだけかと思っていたが、ジュンがサイクリングを始めてからというもの、連絡がこないというのは初めてのことだった。
単に撮りたいものがなかったのかもしれないし、そもそも約束しているような事柄でもない。ジュンが気まぐれに送りはじめたのを、なんとなく当たり前のものと思うようになってしまっていただけ。
そう思うのに、昨日帰りますと連絡してからというもの、何の変化もないジュンとのトーク画面から、茨は目を離せないでいた。
楽しみにしていることは自覚していた。それでも、こんな些細なことで寂しくて、不安になるのかと少し驚いてしまう。
ジュンとお付き合いというのをはじめて半年。随分と毒されたものだ。
そのとき、ガチャリと玄関のドアが開く音がする。
「!ジュン……!」
立ち上がるほど大袈裟に反応してしまった自分に、今度はもう笑いそうになる。どれだけジュンのこと好きなんだよ、とそんな自分を受け入れてることもなんだかおかしくて楽しくて。
茨は、堪らず半ば走って玄関へと向かうと、思い切りジュンへと突撃する。
「うぉ!?え、茨!?」
何か大きな荷物を持っているのは目で捉えたものの、構わず飛び込んだ茨をジュンはよろけつつも受け止めてくれた。
ぎゅ、と両腕をジュンの後ろへと回し、たいして変わらない身長のジュンの肩に、ぐりぐりと頭を押し付ける。
「ちょ、どうしたんすか茨?なんかあった?」
「……たまには、キャラじゃないこともしようかな、と、思いまして」
「えっ?な、なに?」
はてなを飛ばし混乱するジュンをよそに、茨は顔をあげるとジュンの甘い琥珀色の瞳をまっすぐに見つめて口を開く。
「自分、ジュンのこと、めちゃくちゃ好きみたいです」
「ぅえ!?あ、え、えぇ!?」
ジュンは堪えられず、どさりと荷物を手から落とす。
そのあまりの慌てように、おかしくて、それから愛おしくてたまらない気持ちになって、より抱きしめる手に力を込める。
「ジュン、好きです」
「ぁう……や、その、俺も、です……」
情けない声を出しながらも、やっと抱きしめ返してくれたジュンに、茨は満足気に笑う。
ジュンから受け取ることだけに甘えていたが、想いを共有して、返してくれることが、こんなに幸せで気分が良いなんて。
「ふふ、嬉しいものですね」
「ぅぐ、あ〜〜〜!もう!急にずるいっすよ茨ぁ〜!!!」
今度はジュンがぐりぐりと茨の肩に頭を埋めることになる。
心臓に悪い、だとか心の準備が、とかぶつぶつと呟くジュンに、アッハッハと普段の調子を取り戻した茨は、回していた手をパッと離すと、自分たちが玄関でなんやかんやとしていたことに気恥ずかしさを感じながらも、改めてジュンに向き直る。
「ねぇジュン、今日は自慢の愛車でどこへ行ってたんですか」
教えてよ、と無邪気に笑う茨に、ジュンはもう勘弁してくれと、両手を高く掲げるのだった。
2023.04.08
ジュン茨ワンドロワンライ
お題:自転車