心を許す証執務の間の休憩。
珍しく出ていった従者を待ちながら、ヴァルバトーゼは本を読んでいた。
今の仲間たちには天然な部分が色濃く見えているだろうが、元々彼は頭もよく、知識欲もある。以前も本を読んでいたら、「ヴァルっちって本とか読むの!?」と言われたのは記憶に新しい。
だが本を読み始めて一刻程。
「…遅い」
出ていったフェンリッヒは、10分ほどで戻ると言っていた。
なのに遅すぎる。そう気付くと本を読んでなどいられなくなり、ヴァルバトーゼはそっと本を閉じた。
「何かあったか…?いや、あいつに限ってそれはないか」
そこらの悪魔に絡まれたとて、そう簡単にやられる男ではない。
信頼があるからこそ思うことだが、一度心に浮かんできたものは消えない。
─心配だ。
傍を離れることがないからか、姿形が見えないと意外と不安になるものだ、とヴァルバトーゼはひとり納得する。
「…仕方ないな、フェンリッヒの奴め。捜しに行くとするか」
たまには少し長めの休憩になってもいいだろう、と立ち上がり、歩き出した。
いつも小言ばかりの彼に、たまの小言をこちらも言ってやろうかと少しばかりワクワクしながら。
フェンリッヒを捜して歩くヴァルバトーゼだが、彼の姿は捜しても見つからなかった。
「あれ?ヴァルバトーゼ閣下じゃないッスか?おひとりでどうしたんスか?」
「ああ、フェンリッヒを捜していてな。見てないか?」
「フェンリッヒ様ッスか?…30分ほど前に歩いてたのは見たッスけど…」
「どっちに行った?」
「あっちッス」
「そうか。わかった、すまないな」
プリニーの言葉を聞き、そちらへ歩を進める。
行く先々でフェンリッヒがどこに行ったかを聞き歩く。
だが聞く人口を揃えて言うのは、「フェンリッヒが行きそうな場所に心当たりがない」とのことだった。
それはヴァルバトーゼにとってもそうだった。フェンリッヒは一日のほとんどをヴァルバトーゼの傍にいるのだから、どこに行くのかなど主が知らなければ、誰も知る由はない。
「むぅ、手詰まり、というやつか…一度戻るか…ん?」
ふと窓の外を見ると、クーシーが見えた。
それはフェンリッヒが飼っているものに間違いはなかった。
こっそり飼っていたと言われ、どこにそんな暇があったのかと驚いた彼にはそのクーシーがそうだとわかった。
「…ペットなら、フェンリッヒの居場所を知ってるのかもしれんな」
これが駄目なら戻るか、と心で呟いてから、ヴァルバトーゼはそこへと向かった。
庭へと下りて、ヴァルバトーゼは駆け寄ってきたクーシーを撫でた。
主人の主だからか、ヴァルバトーゼは吠えられたことも噛まれたこともない。
「久しぶりだな。いつも助かっている」
「クゥーン」
「…ところで、フェンリッヒ─お前の主がどこにいるかは知らぬか?捜しているのだが、見つからんのだ」
「ワフッ」
一声鳴くと、クーシーは歩き始めた。
ついて来いという意思表示か、とヴァルバトーゼは足を進めた。
庭木の陰になっていて見えないような場所に足を踏み入れると、そこに捜していた彼はいた。
もう1匹のクーシーにもたれ掛かり、木陰で俯いている。だが、規則的な寝息が微かに聞こえた。
「……眠っている、のか」
普通の行為だが、ヴァルバトーゼは驚く。
なぜなら、フェンリッヒが眠る姿をほぼ見たことがないからだ。
フェンリッヒは従者として、主より先に起き、後に寝る。
加えて休憩があっても眠ったりなどするタイプでは無いので、見たことがない。
厳密には寝ていたであろう時はあったが、足音が近付いた瞬間に起きてしまうのだ。
他の者へは警戒、ヴァルバトーゼには礼儀という理由だろうが。
フェンリッヒがもたれていたクーシーはすでに起きていたらしく、チラリとヴァルバトーゼを見た。
ゆっくりと彼は従者へ近寄る。触れられるほどの近く。そこまで寄ってもなお起きない。
なんとなく、そっとその顔に触れた。
「……ん」
(…子供か)
くく、と喉を鳴らしながらヴァルバトーゼが内心思う。身動ぎしながら、その口が小さく動いた。
「…か、っか……」
(…夢の中にまで俺がいるのか)
物好きな奴め、と心の中で悪態をつきながら、ヴァルバトーゼはその身体を起きないように支え、ゆっくりとクーシーがフェンリッヒの下から出ていく。
クーシーが居た場所にヴァルバトーゼが座り、足の上に頭を乗せた。
ようやく解放されたのか、フェンリッヒの下にいたクーシーはゆっくり動くと身体を伸ばした。もう1匹も寄ってきて、2匹してヴァルバトーゼを見る。
言葉もわからないが、言いたいことはわかった。
「…お前たちの主は、俺が見ておこう。好きに行くがいい」
どうやら2匹で遊びたかったらしく、その言葉に一緒に駆け出して行った。
庭にあるのは、静かな寝息だけ。ヴァルバトーゼもその空気に気が抜け、木にもたれかかったままに目を閉じた。
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─400年とちょっと前。
まだ暴君と月光の牙だった時。諜報に駆け回っていたフェンリッヒは、ふとうたた寝をしてしまっていた。
戻ってこないフェンリッヒを捜しに行ったヴァルバトーゼは、陰で寝ていた彼を見つける。
『…帰ってこないと思ったら、眠っていたか。しかし、こんな所では寒かろうに』
自分が寝る時に使っている布をかけてやろうかと近付いた瞬間、フェンリッヒは起き上がって飛びかかる寸前で気付く。
『……!』
『…っ、ヴァルバ、トーゼ…!?』
『素早い動きだ。驚いたぞ』
『……すまない、反射で』
『いや、俺こそすまない。寒かろうと思ってな』
すぐに体勢を解き、フェンリッヒが座り込む。
『…寒くなどない。いつもこの格好だ』
『そうか。…そんなに素早い反応が出来るということは、眠っている間に命を狙われることでもあるのか?』
『敵が多いんだよ、傭兵稼業は。というか、アンタだってあるだろ』
『あるが…問題は無い。俺は強いからな。…それより、眠いなら眠っていていいぞ。どうせまだ出発はせんだろう』
『は?』
『なに、今は「仲間」の俺がいるからな、お前の身の安全は保証しよう。眠気に負けて死ぬなど滑稽であろう。それが嫌であれば、今のうちに眠るがいい』
隣に座ったヴァルバトーゼに、フェンリッヒはただ目を丸くした。
『いい。人の気配が近くにあると寝つきが悪いし、眠れないんだ』
『いいから無理にでも眠れ』
『滅茶苦茶言うな、アンタ…』
『眠れないのなら子守唄でも歌ってやろうか?』
『暴君のアンタが子守唄とか…笑わせないでくれ。第一、オレはガキじゃない』
『む、そうか?笑わせるつもりはなかったのだが…それなら、膝枕とやらでもしてやろうか』
『……それなら、ってなんだ。アンタはどこからそういう俗な情報を仕入れてくるんだよ。……もういい。眠るから少し黙っててくれ』
どうにか寝かせようと諦めない心に、ため息をつきながら言うと、ヴァルバトーゼは満足そうにククッと笑うと、『そうか』と返した。
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(あの時言っていたことが、まさか真になるとはな)
「……ん…?」
もぞ、と膝の上で動いた気配にヴァルバトーゼも目を開けた。
すると、起きたフェンリッヒと目が合う。
「…目が覚めたか?10分程と聞いたが、随分長い散歩だったな」
語りかけるが、フェンリッヒはどうやら状況把握に時間がかかったようだ。
把握した瞬間に寝起きとは思えない素早さで起き上がり、すぐに跪いた。
「閣下、申し訳ありません…!!なんという御無礼を!!」
「クックッ…いや、気にするな」
元々怒ってはいない上、滅多に見ることのない間抜け顔も見たし、いい場所も見つけた。
新鮮な体験をしたヴァルバトーゼはただご機嫌の様子で、フェンリッヒはただ困惑した。
「…俺になにか言うことはないのか?」
「は、はい…このような無礼を働かないように─」
「違う。怒ってなどおらん。お前は誰の前でも寝たりしないだろう。それがここまでしても起きなかった。そこまでお前を酷使していた俺に文句はないのか、と聞いている」
「とんでもございません。わたくしは閣下の手足も同然です、酷使などとそのようなことは…」
「…俺の成すことはお前の成すこと、だったか?」
以前、誓ったことをなぞらえてヴァルバトーゼが言う。
「だが、お前は自分を俺の手足と言ったが、手足とて休む。お前が休むことに俺は怒りなどせん」
「…有り難きお言葉を」
「…以前、まだシモベではないお前と居た頃も、眠っていたことがあったな」
「……そういえば、そんなこともありましたね」
「あの時は膝枕をしてやろうと言ったら、怒られてしまったな」
「閣下から、そのような言葉が出るとは誰も思いませんよ」
体勢を解けと言われ、フェンリッヒはその場に座る。
「あれから考えると、お前も俺に大分心を許したということだな。疲れもあるだろうが、こうまでされるまで起きないとは中々だ」
「…主相手に心を許すなどと、生意気ですが…そういうことなのでございましょう」
「何を言う。いつも言っているだろう、『信頼』が大事なのだと。一番長く共にいるお前が俺に心を許し、信頼してくれるのなら、これほど嬉しいことはないぞ」
「前も言いましたが、わたくしはヴァル様のことは第一に信じております」
「覚えている。お前が信じるのは俺と己の才覚のみだ、とな」
悪魔なのに素直なヴァルバトーゼは、今の仲間たちのことも信頼はしている。
だがフェンリッヒは未だに他の仲間たちを信用していない。
それは悪魔として生きていた環境のせいか、彼の性格のせいか。
「…よし。フェンリッヒ、長い休憩になってしまったが、そろそろ執務へ戻るぞ」
「はっ」
フェンリッヒを連れ、ヴァルバトーゼは執務室へと足を進める。
仲間が増え、新党・地獄という名前がついた彼らだが、だからといって間柄や関係が変わる訳では無い。
地獄でプリニー教育係をしているふたりは、今日も仕事がある。
世界を救ったとて、その暮らしが変わることは望まない。
─今日も輝く地獄の月。
その御許にはふたつの影。誓いと共にいるふたりは、少しの思い出話を経て、少し変わって騒がしくなった日常へと戻っていくのだった。